決戦前夜
水中洞窟の地下深く。軍事施設に設けられた隠し部屋へ俺は転移した。
部屋の中央には、聖水球の中に浮かぶエレオノールがいる。
「わお。いらっしゃい、アノス君」
俺の来訪を歓迎するように、エレオノールがにこやかに笑った。
「少し面倒なことになった」
「知ってるぞ。アゼシオンがディルへイドに宣戦布告したんでしょ?」
俺はうなずく。
「ディルヘイドには俺の偽物、アヴォス・ディルヘヴィアが現れた。ガイラディーテ魔王討伐軍を迎え撃つつもりのようだ」
「……そうなんだ」
「アヴォス・ディルヘヴィアは挙兵し、アゼシオンとの国境へ向かっている」
「そんなに早く、兵が集まるの?」
「いいや、集まらぬ。だが、アヴォス・ディルヘヴィアは先陣を切った。一人でも戦う覚悟を見せたのだ。平和な世とはいえ、始祖を一人で行かせる腑抜け揃いではあるまい。奴のもとに、国中から魔族たちが集うだろう」
かねてから準備を進めていたガイラディーテ魔王討伐軍の動きは当然のことながら早い。各地から集結した勇者たちは軍に吸収され、やはり、ディルヘイドとの国境へ向かっている。
手筈通りと言わんばかりだ。
「今なら、まだお前たちを逃がすことができる」
勇者学院が暴虐の魔王に目を向けているこのときが、逆にチャンスだろう。
「……戦争になるんでしょ?」
「そうだな」
「だったら、ボクたちは逃げるわけにはいかないぞ」
当たり前のようにエレオノールは言う。
そうだろうとは思っていた。
ディエゴがディルヘイドに宣戦布告したのは、エレオノールが無限に生み出す戦力、ゼシアを計算に入れてのことだ。彼女たちがいなければ、ガイラディーテ魔王討伐軍は為す術もなくディルヘイド軍に蹂躙される。
「ボクは守らなきゃいけないんだ。ガイラディーテのみんなを。ジェルガカノンのみんなを」
エレオノールはくすくすと笑った。
「みんな、ちょっとお馬鹿だけどね。でもね、本当に悪いのはボクだから。死なせられないぞ」
およそ転生にはほど遠い形をとってはいるが、それでも彼女の根源はジェルガのものだ。それが、罪だというのか。
「難儀なものだな、勇者というのは」
理不尽な役目を押しつけられ、それでも守るべきもののために、戦おうとするのだからな。
二千年前、カノンも同じだったのだろうか?
「……アノス君とは、敵同士になっちゃったね」
悲しげに彼女は笑う。
そうして、静かに口を開いた。
「君が言ってくれたこと、君が約束してくれたこと、ボクは嘘だったなんて思ってない」
だから、と彼女は言った。
「ボクは君を倒しにいく。ディルヘイドとアゼシオン、どっちが勝っても、恨みっこなしだぞ」
俺に根源もろとも消してもらうためだろう。
彼女が消えれば、恐らく決着はつく。
両軍ともに疲弊していれば、あるいはそれ以上戦渦が広がらないかもしれぬ。
しかし――
「言っておくがな、エレオノール。ディルヘイドとアゼシオン、どちらにも勝利などない」
エレオノールは不思議そうな顔で俺を見る。
「戦争に勝者なんていないってことかな?」
「いいや、勝つのは俺だ。つまらぬ戦争など止めてやろう」
二千年前、俺が望み、そしてようやく叶った平和だ。
誰も彼もが笑っている。人間も魔族も、明日をも知れぬ恐怖に苛まれることなく。
このかけがえのないときを、奪わせるものか。
「そんなこと、いくらアノス君でも……」
「なに、大したことをしようというわけではない。ディルヘイド軍を軽く蹴散らし、アヴォス・ディルヘヴィアを止め、そして、ガイラディーテ魔王討伐軍を撫でてやればいいだけのことだ」
両軍が激突する前に、無力化する。
その後、ゆるりと考えるとしよう。人間から魔族への憎悪を取り除く方法を。
「アゼシオン側にいなければ、守れないものもある。戦場に出るというなら、エレオノール。最後の瞬間まで誰も殺すな。敵も味方もだ。お前はお前の守りたいものを全力で守れ」
まだ半信半疑といった表情を浮かべる彼女に告げる。
「その代わり、俺がお前の幸せを守ってやる」
エレオノールはまっすぐ俺を見つめてくる。
その視線を正面から堂々と受けとめた。
やがて、彼女は決意したようにうなずいた。
「……わかった。アノス君を信じる。約束するぞ」
俺は踵を返す。
「アノス君」
俺の背中にエレオノールが声をかける。
「カノンが魔王を信じた理由、わかった気がするぞ」
顔だけを彼女に向け、
「そうか」
と、口にする。
俺はそのまま<転移>の魔法を使った。
転移した場所はディルヘイド。
魔王学院デルゾゲードにあるアノス・ファンユニオンのユニオン塔である。
そこで、待っていたのはミーシャとサーシャ。
レイ、ミサ、ファンユニオンの八人。
七魔皇老のメルヘイスとアイヴィス、そしてガイオス、イドルである。
「エレオノールに話は通した」
皆が真剣な表情でうなずく。
彼らにはエレオノールやゼシア、<聖域>の魔法のことを伝えてある。
「これは二千年前、俺がやり残してきた戦いだ」
アヴォス・ディルヘヴィアも勇者学院も、俺が見抜けなかったゆえに、この事態を招いた。
「わざわざお前たちがつき合う必要はないぞ」
その言葉を受け、メルヘイスたち七魔皇老が跪く。
「我が君、暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴード様。あなた様を騙る不埒な輩を、我ら七魔皇老にどうして見過ごせるというのでしょうか」
七魔皇老の四人は俺に頭を垂れた。
「どうか、存分にご命令を」
続けてファンユニオンの少女が言った。
「あたしたちも、戦いますっ。役には立たないかもしれないけど」
「だって、戦争なんて、嫌だしね……」
「精一杯がんばりますっ!」
ミサに視線を向ける。彼女はうなずいた。
「アヴォス・ディルヘヴィアが現れて、まもない間に混血の魔族はますます弱い立場に追いやられています……。彼が偽物の魔王なのでしたら、これはわたしの戦いでもありますから」
「というか――」
次にサーシャが言った。
「今更、そんなことを言われても困るわ。あなたが、わたしに配下になれって言ったんじゃない。ディルヘイドとアゼシオンを相手にするからって、じゃ、やめるなんて言うと思うの? たとえ世界中を敵に回しても、わたしはあなたと戦うわ」
同意するように、こくりとミーシャがうなずく。
「アノスは正しい」
「そうとは限らぬ」
「間違っていても、わたしに命をくれたのはアノス。わたしの命はいつも、アノスと一緒にある」
最後にレイが気負わぬ口調で言う。
「友達だからね」
その忠義に、その友情に、俺は返礼の言葉を述べる。
「良き配下、良き友に恵まれた」
両軍どちらにも属せず、二国を敵に回すのだ。
いくら俺がいるとはいえ、向こうにも霊神人剣を手中に収めた神話の時代の魔族がいる。
勇者学院とて、切り札の一つや二つは用意していると考えるのが妥当だ。
生半可な覚悟では、決断できまい。
「メルヘイス、アイヴィス、ガイオス、イドルは、敵の七魔皇老メドイン、ゾロ、エルドラを押さえろ」
先にディルヘイド軍を叩く。
大凡の戦力がつかめている勇者学院に対して、アヴォス・ディルヘヴィアはまだ未知数だ。
なにをしでかすかわからぬ以上、真っ先に奴を倒しておく。
七魔皇老同士の戦いとはいえ、四対三だ。
メルヘイスがいる以上、こちらの負けはないだろう。
「サーシャとミーシャは西側から集結してくる魔族の足を封じろ。本隊と合流前で、国境からも遠い。指揮系統がバラバラな上、ここで攻撃が来るとは思っていない」
見通しの良い平野でサーシャの<破滅の魔眼>を使い敵の魔法を制限する。そして、<創造建築>で壁や檻などの障害を作り、行く手を阻むのだ。
「ミサとファンユニオンは、後方で待機。<雨霊霧消>による攪乱と情報収集に務めろ」
彼女たちを前線に出すのは危険だ。
後方支援に徹してもらう。
「僕は?」
「お前は国境へ向かっている東側の部隊を蹴散らせ。国境を越えさせるな」
ディルヘイド軍の先遣隊、いち早くアヴォス・ディルヘヴィアに付き従った皇族派の手練れどもが相手だ。
今のレイでもかなり厳しいが、この男なら戦闘中に壁を超えるだろう。
「俺はその後方に位置する本部に直接乗り込む」
「我が調べたところ、エイヤンの丘に一際巨大な魔王城が建てられている。アヴォス・ディルヘヴィアは恐らくその中にいるだろう」
アイヴィスが言う。
「俺が暴れてやれば、奴も姿を現さざるを得まい」
出てこなければ、直接魔王城に乗り込めばいい。
これまで泳がせた甲斐があり、奴は大胆な行動に出た。
もはや逃がしはせぬ。
「命令だ。死ぬな。殺すな。こんなつまらぬ戦いで誰の命も落とすわけにはいかぬ」
戦場ではなにがあるかわからない。
単純な力の多寡で勝負は決まらぬものだ。
強大な力を持った者が、なす術もなく果てる姿を俺は何度も見てきた。
本来なら、決して手加減などするべきではないのだ。
しかし、俺のわがままに、彼らは皆迷いなくうなずいた。
「必ず、もう一度ここで会おう。全員揃ってな」
予想通りというべきか、アゼシオンとディルヘイドの戦争に割って入る模様。