霊神人剣
エレオノールは笑った。
涙をこぼしながらも、笑顔を浮かべる。
「ありがと。でも、いいんだぞ。ボクは魔族と戦うための魔法。使用されれば抗うことはできないんだ。こうして根源クローンの生産を続けて、生まれたゼシアはディルヘイドに侵攻する」
ゼシアが一万人の軍勢となり、<勇者部隊>の魔法を使えば、途方もない戦力となるだろう。
その上、一人一人が<根源光滅爆>を使える人間爆弾だ。ディルヘイドにとっては脅威でしかない。
「人間の事情に、君たち魔族がつき合う必要はないぞ。ボクを消して、ディルヘイドを守って」
人間の事情、か。
確かに半分はそうかもしれぬがな。
「エレオノール。これは二千年前に、俺が残してきた戦いだ。この平和な時代に生きる者を、こんなつまらぬ戦に巻き込むわけにはいかぬ」
あのとき、俺がジェルガを滅ぼしておけば、こんなことにはならなかった。
「お前も、ゼシアもそうだ」
あのディエゴとて、<聖域>の憎しみに囚われたにすぎぬ。
「過去の清算を済ませるだけだ。消滅したゼシアはもう蘇らぬが、ここにいるゼシアたちと共に平和な時代を生きるといい」
「すべてなかったことにするなら、ボクも、ゼシアもこの時代にいなくていいはずだぞ」
「なかったことになどできぬ」
エレオノールもゼシアも、もう生まれてしまったのだ。
「二千年間、お前には辛い想いをさせた」
エレオノールの体が震える。
苦しんで、苦しんで、苦しみ続けてきた生だっただろう。
そうして最後には消えることを望む。
そんな不幸はもう沢山だ。
「それは、俺の過ちだ。だからこそ、お前のこれからの二千年間には幸福を」
エレオノールは笑顔をなくす。
「それですべてが帳消しになるとは言わぬが、せめてもの償いをさせてくれ」
「……ボクは人間だぞ。うぅん、人間ですらない。魔法なんだぞ……」
「それがどうした?」
彼女の瞳から雫がこぼれ落ち、頬に伝う。
聖水球の水に溶けていくその涙も、俺の魔眼にははっきりと見えている。
「……<聖域>の魔法がある限り、人間は魔族を恨み続ける……ボクたちはどちらかが滅びるまで戦うしかない……」
「ならば、<聖域>の魔法を滅ぼせばいい」
悲痛な表情を浮かべ、エレオノールは頭を振った。
そうして、弱々しい声で呟く。
「……こら……。そんなに希望があるみたいなこと言ったら……夢、見ちゃうんだぞ……」
「叶えてやる。お前は二千年間苦しんだのだ。ならば、どんな夢でも叶わねば、嘘だ」
苦しみ続けた人間が、希望もなく死ぬ。
それが世界の理だというのなら、この俺が滅ぼしてやる。
「よくぞ今日まで耐えた。もう十分だ。今、この俺がお前の前に立っているのだからな」
「…………だけど…………」
そのとき、どこからか音が漏れた。
微かな声が。
微かな想いが。
「……たす……けて……」
エレオノールのすぐ隣、聖水球の中にいる10歳ぐらいの歳のゼシアからだ。
「……ゼシア…………?」
エレオノールが驚きの表情を浮かべる。
その身を戦闘能力に特化し、喋れぬはずのゼシアが、言葉を発していた。
「…………ママを…………たすけて………………」
その言葉に、エレオノールは堪えきれず、嗚咽を漏らした。
瞳からはとめどなく、涙がこぼれ落ちる。
「……ごめんね、アノス君……ボクは卑怯なことを言ってる。だけど、お願い」
先程と同じように、エレオノールは懇願する。
先程よりも遙かに強い、祈りを込めて。
「助けて。ここにいるゼシアを、ボクを……。ボクたちは戦いなんてもう沢山なんだ」
「約束しよう。今すぐにとは言わぬ。だが、必ず俺が助けてやる」
「……うん…………」
ポロポロとエレオノールが涙をこぼす。
「……絶対、約束、だぞ……」
「この名に賭けて誓おう」
彼女たちを解放するには、二千年間続いてきた人間の魔族への憎しみを断つ他ない。
<聖域>の魔法と化しているジェルガの根源のみを消し、<聖域>を元の魔法に戻さなければならない。
だが、エレオノールと違い、<聖域>は人型魔法ではない。ジェルガの根源という明確な形は存在せず、それはすでに世界の理となり、秩序となり、概念となっている。
それを正すのは並大抵のことではない。
物を落とせば落下するという法則を、変えるということだからな。
理滅剣の効果を永久に及ぼすようなものだ。
「あ、れ……?」
エレオノールが呟きを漏らす。
ちょうど俺も魔力の大きな乱れを感じていた。
この建物ではない。外からだが、そう遠くない。
聖明湖からだ。
「……たぶん、神殿、だと思うぞ……」
俺は魔眼を働かせ、建物内に飛び交う<思念通信>を傍受する。
『……何事だっ!?』
『てっ、敵襲っ! 敵襲ですっ! 神殿に賊が侵入しましたっ!?』
『……あ、あれは、しっ、七魔皇老ですっ! 七魔皇老が現れました! メドイン・ガーサとゾロ・アンガート、エルドラ・ザイアの三名を確認! 至急応援をっ!!』
『くっ! まさか本当に魔族の仕業とは……。聖母が狙いかと思えば、奴ら、霊神人剣を破壊するつもりかっ……!!』
ここにきて七魔皇老か。
「……どうしたの……?」
「少々、厄介な事態になりそうでな。様子を見て来よう」
「き、気をつけるんだぞ」
「ああ」
<転移>の魔法を使い、神殿の中へ転移しようとする。
だが、空間をつなげた先で、魔法陣が破壊された。
七魔皇老の侵入が影響しているのか、霊神人剣の力が前回よりも強く働き、魔を払う力が強まっている。
再び、<転移>を使い、俺は神殿の外へ転移した。
「ぐああぁぁぁっ……!!」
何人もの兵士が神殿の中から外へ弾き飛ばされてきていた。
すぐさま、俺は中へ入った。
神殿の奧の扉が完全に解放されている。
神々しい光が辺りを覆いつくし、室内を純白の輝きで満たす。
何人もの兵士たちが倒れていた。
神殿の奧へ俺は向かった。
目に映ったのは、台座に突き刺さった一本の聖剣。
神々しい輝きと途方もない魔力を発する、霊神人剣エヴァンスマナだ。
その傍らに四人の魔族がいた。
一人は、二本の角を生やした男。
一人は、巨大な蝙蝠の翼を持つ男。
一人は、赤い魔眼を持った男。
そして、その中央に仮面を身につけた男がいた。
仮面の男は霊神人剣の柄に手を伸ばす。
「ば、馬鹿めっ。勇者カノンしか操ることのできない聖剣を、お前たちが触れれば、ただではすまないぞっ!」
部屋の中で魔族たちを取り囲んでいた兵士の一人が言う。
だが、構わず仮面の男はエヴァンスマナをつかんだ。
そして、いとも容易くそれを引き抜いたのだ。
「……な……あ…………」
兵士たちは驚愕のあまり、すぐには言葉も発せない様子だった。
「……聖、剣が…………抜か……れた…………?」
「馬鹿な……そんな、馬鹿なっ! 二千年間……誰も抜くことができなかった聖剣が、魔族を所有者として認めたというのかっ……!!? そんなことがあるものかっ!!」
仮面の男は、脅える兵士たちを無視し、この場で一番危険な相手に視線を向ける。
その眼光が、まっすぐ俺を捉えた。
「ふむ。並の魔族なら触れただけで消滅するというに、それを抜くとは尋常ではない力だな」
よくよく見れば、魔剣大会のときとは仮面が少し違っている。
だが、魔力が見通せないのは同じようだな。
「七魔皇老を引き連れていては、もはや言い訳は利くまい。名乗るがいい」
仮面の男が霊神人剣を掲げ、言った。
「余はアヴォス・ディルヘヴィア。すべてを滅ぼす、暴虐の魔王なり」
霊神人剣エヴァンスマナが目映い光を発する。
「偽りの名でなにをなす気だ、虚構の魔王よ」
俺は目の前に魔法陣を六門展開し、<獄炎殲滅砲>を放った。
「愚かなり」
アヴォス・ディルヘヴィアがエヴァンスマナを振り下ろすと、神々しいほどの閃光が無数の剣撃となって周囲に拡散した。
放った六発の<獄炎殲滅砲>がいとも容易く斬り裂かれ、光の剣撃はなおも俺を襲った。
反魔法と<破滅の魔眼>でその威力を減衰させ、後ろに受け流す。
音もなく切断された柱という柱が崩れ、ガラガラと神殿が崩壊を始める。
ふむ。抜いただけではなく、霊神人剣を使いこなすとはな。
心を見定め、所有者を選ぶ聖剣を力尽くで言い聞かせたか?
それとも――
「聞くがいい、人間ども。二千年前の勝者は余だ」
エヴァンスマナがアヴォス・ディルヘヴィアと七魔皇老の三人を、その光で覆いつくした。
「滅びよ、愚かな人間ども。滅びよ、余を認めぬ愚かな魔族よ。余が世界を作りかえる。深き闇と混沌に飲まれた、正しき魔族の世界を」
光が弾け、そしてすっと消え去ったとき、アヴォス・ディルヘヴィアの姿はもうどこにもなかった。
切り札の聖剣まで奪取され、勇者学院側のかませ臭がかつてないほどの右肩上がりっ!
果たして、巻き返しなるかっ?