禁忌の魔法
「では、今日の授業はここまでだ」
結局、放課後まで、エレオノールは姿を現さなかった。
なにかあったと考えて、ほぼ間違いあるまい。
学院別対抗試験で神殿にいたエレオノールは、自分の意志では動けないと言っていた。あのときと同じ状態になっているのであれば、ここに姿を現すことはできないだろう。
こちらから会いに行くか。
「あの、アノス様。これから皆さんでお祭りに行こうってお話になったんですが……?」
ミサが声をかけてくる。
「ふむ。少々所用があってな。楽しんでくるといい」
「そうですか」
「僕も今日はやめておくよ」
レイが言う。
「ちょっと眠いんだよね」
「夜更かしでもされてたんですか?」
「枕が変わったから眠れなくてね」
「そうですか……」
ミサが残念そうにする。
レイは彼女に近づき、小声で言った。
「一回仮眠したら、合流しようか」
「……え、えーと……」
なるほど。
こそっと二人きりになりたいというわけか。
「嫌かな?」
「い、いえ。じゃ、はい。そ、そんな感じで」
そんな二人を見つめながら、ファンユニオンの少女たちが小声で言った。
「……レイ君、眠いんだって……」
「うん。レイ君とアノス様って宿舎同室だったよね……?」
「待ってっ、待ってっ! なに考えてるのっ!?」
「なにも考えてないけど、特殊な接触についてちょっと……」
「特殊な接触とか言わないっ!」
「……じゃ、じゃあっ、つまり……今日……ミサは……」
「間接同衾のチャンスってことっ!?!?」
彼女たちの会話をよそに、俺は大講堂を出ていく。
魔眼を働かせ、エレオノールの魔力を探してみるが見つからない。
魔力を消しているのか。そういえばミーシャも、エレオノールの位置を探し出すことができなかったな。
しかし、ディエゴの魔力ならば捉えられる。
彼女が勇者学院になにかされたのであれば、その学院長がなにも知らないとは思えぬ。
俺は<幻影擬態>で透明化し、<秘匿魔力>で魔力を隠蔽すると、ついさっき出ていったディエゴを尾行した。
彼が足早に向かったのは、聖明湖だった。
ディエゴは<飛行>の魔法で水底へ降りる。神殿へ行くのかと思えば、やってきたのはその反対側にある水中洞窟だ。
薄暗い洞窟の中を進んでいくと、奧には小さな泉があった。
聖水が湧き出ている。
彼は<水中活動>の魔法を使い、その泉の中へ飛び込んだ。
後を追ってみれば、外から見た様子とは違い、ずいぶんと深く広大だ。
その中をディエゴは<飛行>を使って泳ぐように飛び、底へ底へと潜っていく。
どのぐらい進んだか、ようやく底が見えてくる。
巨大な扉があった。<施錠結界>の魔法がかけられているようだ。通行を許可されているディエゴは扉を開け、中へ入っていった。
さすがに扉を開けば、姿と魔力を消していても勘づかれる。
扉の奧にいる奴が離れるのを待った。
「開け」
しばらくして、俺は<施錠結界>を解錠し、扉を開く。
中は石造りの建物だった。
魔法により、泉の水は扉より先へ入って来ないようだ。
ここでいったいなにをしているのか。
俺は通路を歩いていく。
すると、壁が崩れているところを見つけた。
比較的新しい。修理されていないところから察するに、ここ数日の間に壊れたものだろう。
先へ進めば進むほど内部の破壊箇所が目立つようになった。
床や天井、壁が砕かれ、切断され、いくつもの穴が空いている。
ふむ。まるでつい最近ここで戦闘があったかのようだな。
「まだなんの手がかりもないのかっ!」
怒声が響く。ディエゴのものだ。
近くのドアから聞こえてきていた。
その前に立ち、耳をすます。
「……か、仮面をつけた男ということはわかっているのですが……」
「それは今朝報告を受けたっ! 新しい情報を寄越せと言っている!」
「申し訳ございません」
「魔王学院の連中の仕業じゃないのか?」
「……それが、賊の魔力は感知できず、魔族かどうかさえ判別できませんでした……」
魔力を感知できぬ、仮面の男……か。
どこぞで聞いたような話だな。
「それに我々の計画は魔王学院に知られておりません。奴らがこの施設に攻撃を仕掛けてくる可能性は少ないはず。恐らく、西のヴィリヒア帝国の仕業ではないかと」
「奴らがこんな真似をしでかす理由などないはずだっ! 千年以上も友好関係を築いているのだからなっ!」
「……とはいえ、あちらも完全にアゼシオンを信用するほど馬鹿ではないでしょう。内部に密偵がいるのでは? 聖母の噂を聞きつけたのかもしれません」
ディエゴが押し黙ったか、沈黙が訪れる。
「聖母の居場所には勘づかれていないな?」
「ええ。仮面の男には散々暴れられましたが、探し出すことはできなかったようです」
またしばらく沈黙が流れた。
やがて名案を思いついたというようにディエゴが言った。
「よし。ならば、こうしよう。この襲撃を魔族の仕業に仕立てあげろ」
「……魔王学院の生徒を一人、捕獲しましょうか?」
「やり方はなんでも構わん。我々に正義があるのだということが民衆に伝わればそれでいい。ディルヘイドへ侵攻する大義名分を作れ」
「では、ついに?」
「我らの悲願を果たすときがきた」
「は! 了解であります!」
「密偵のことはお前に任せる。探し出して、洗いざらい吐かせろ。どんな手を使っても構わん」
「は!」
愚かなことだ。
ありもせぬ火だねを捏造してまで戦争がしたいか。
せっかく平和になったというのに、なにがそこまで不満だ?
この場で殺してやってもいいが、つい昨日、根源を滅ぼしてやったばかりだしな。
奴らの計画を止めた方が早いだろう。
聖母というのがなんなのかわからぬが、それが勇者学院にとって重要な人物なのだろう。
これまでの経緯からすれば、エレオノールなのかもしれぬな。
仮面の男が探しだせなかったということは、どこかに隠し部屋があるはずだ。
魔眼を働かせても、魔法の仕掛けがありそうな場所はない。
そもそも、それならば勘づかれているだろう。
ということは、魔王城の地下ダンジョン同様、魔力の伴わぬ隠し部屋があるはずだ。
俺は一度引き返し、破壊された壁のある通路へやってきた。
軽く足を上げ、トン、と床を踏む。
直後、ドゴゴゴゴゴゴォォォッと俺の足踏みの震動で建物が大きく揺さぶられた。
「て、敵襲っ! 全隊、配置につけっ!!」
わらわらと兵士たちが湧いて出てくる。
だが、どこにも賊の姿がないことに気がつくと、皆、訝しげな表情を浮かべた。
「……地震でしょうか……?」
「……聖明湖では滅多に起こらぬはずだが……水が枯れた影響か……?」
兵士たちはそんな会話を交わす。
その間に俺は魔眼で彼らの魔力を探り、全隊の配置を把握していた。
ふむ、そこか。
俺は目的の場所まで通路を歩いていった。
しばらくして兵士たちがいなくなると、俺はなんの変哲もない壁に向かう。
そこに指先を当て、押した。
すると壁がゆっくりと開く。魔力を使わぬ隠し扉だ。
いかに情報が漏れぬようにしていようと、緊急の際には自ずと守るべきものを守ろうとするのが人の性だ。兵士たちの配置と建物を揺らした際の不自然な震動を照らし合わせれば、答えは知れるというものである。
扉の奧、薄暗い通路を俺はまっすぐ進んでいった。
同じく魔力を使わない罠がいくつか仕掛けられていたが、それらは難なく看破した。
やがて、目の前に仄かな蒼い光が見えてくる。
そこは広大な空間だった。
数千、いや、一万を超えるほどの聖水球が浮かんでおり、その中に裸の少女がいる。
ゼシア・カノン・イジェイシカ。
間違いなく、学院別対抗試験で戦った序列一位の彼女だ。
一万を超えるほどの少女は、皆、まったく同じ根源を持っている。
そして、部屋の中央、大きな聖水球の中にエレオノールがいた。
昨日神殿で見かけたときと同じように彼女は全身から魔力を放つように光り、その輪郭はぼやけている。
体に纏うようにいくつもの魔法文字が浮かび上がり、体の周囲を漂っていた。
彼女の魔力が、別の聖水球に流れているのがわかった。
「エレオノール」
俺は<幻影擬態>を解除し、その名を呼んだ。
「……アノス君……」
驚いたように、けれども嬉しそうに彼女は俺を見つめた。
「ごめんね。行けなくて。ちょっとこれはボクも予想外だったから」
「なに、予定通り放課後だ。問題あるまい」
すると、エレオノールは微笑む。
「きっと、来てくれると、思ったぞ」
彼女は指を立てながら言う。
そうして、柔和な表情で俺を見つめた。
「こんなところだけど、ボクのお願い聞いてもらってもいいかな?」
「言うがいい」
「アノス君に、根源を滅ぼしてほしいんだ」
「ふむ。誰のだ?」
気負わぬ口調で彼女は言った。
「ボクの」
エレオノールは嘘偽りのない笑顔を浮かべる。
それが、心からの願いだと言わんばかりに。
「ずっと、待ってた。この終わりのない地獄から、ボクとゼシアを解放してくれる人を。アノス君、ボクはね」
そうして彼女は告白する。
「人が生み出しちゃいけない、禁忌の魔法なんだぞ」
案の定なディエゴの思惑もわかり、なにやら仮面の男が勇者学院に敵対している模様。これから、どんどん物語が動いていきますよー。