桜の国チェリンと七聖剣【百八十】
看護師さんの案内を受け、病院の診察室に入るとそこには――手元のカルテに目を通す、一人のお医者様が座っていた。
「――失礼します」
「おぉ、君がアレンくんだネ! うむ、うむうむ……うぅム! いやぁ、やはり『実物』はいいものダ! なんというかこう『生きている』という感じがするヨ!」
彼は爛々と目を輝かせながら、勢いよく立ち上がり、俺の両手をがっしりと握る。
「え、えーっと……」
「おっと、こりゃ失敬! 自己紹介がまだだったネ。私はハプ=トルネ。気軽にハプ博士と呼んでくれたまエ!」
「はじめまして、アレン=ロードルです」
ハプ=トルネ。
頭頂部に髪がなく、両サイドにのみ白髪が残っている。
身長はかなり小柄、百三十センチぐらいだ。
年齢はおそらく、八十を超えていらっしゃるだろう。
レンズの分厚い眼鏡・ぎょろりとした大きな目・整えられた白い口髭、一度見たら忘れられない顔をしている。
ぴっちりとした白衣・サイズのきつそうな黒のシャツ・ピンク色の派手なネクタイ、中々に独特なセンスだ。
(この人がハプ=トルネ博士、か……)
会長が悩まし気な表情で、「とても優秀なお医者様なのだけれど、ちょっと癖がある人なのよね……」と言っていたっけか。
「ささっ、座ってくれ給エ。『時は金なり、障子に目あり』ダ」
「は、はぁ……」
謎の諺めいたものに生返事をしながら、とりあえず言われた通りに丸椅子へ腰を下ろす。
見るからに上機嫌なハプ博士は、「よっこらせっと」対面の座椅子へ勢いよく飛び座った。
「いやぁしかし、嬉しいネ! まさかこんなに早く、アレンくんを診られる日が来るなんて、思ってもみなかったヨ!」
「俺のことをご存じなんですか?」
「あぁ、もちろんだとモ。医学の世界において、君のことを知らぬ医者はいなイ。もしもそんな愚かな者がいるのならば、そいつは間違いなく『モグリ』だろうネ」
「……?」
「その反応……どうやら、あまり自覚がないようだネ。ほら、この記事をよくご覧ヨ」
彼は机の引き出しから、両面にラミネート加工の施された紙を取り出した。
「……『医学新聞』? って、これは!?」
そこにはなんと――俺と白百合女学院の理事長ケミーさんの顔写真が、デカデカと張り出されているではないか。
「その新聞記事は、全世界の医学博士に臨時配布された号外ダ! アレン=ロードルとケミー=ファスタ女史が極秘裏に実施した『対呪治療研究』、その成功を知らせるものだヨ!」
ハプ博士は興奮気味にそう語った後、スッと目を細めた。
「今からおよそ二か月前――私をはじめとした世界中の医師や回復系統の魂装使いは、『呪い』に対する有効な治療法を見つけ出そうと躍起になっていタ。突如出現した魔族たちが、とてつもない数の人たちに呪いを振り撒いてしまったからネ……」
元日、五大国を強襲した魔族。
俺はそのうちの一人、ゼーレ=グラザリオを追い払った。
「聖騎士協会指導のもと、世界中から莫大な資本と最高の英知が結集されタ。あのときは本当に昼夜の別なく、ただひたすら研究に没頭していたヨ。私のような年寄りから、新進気鋭の若者まで、『あぁでもないこうでもない』と激論を交わしたが……研究は遅々として進まなイ。ほんのわずかな取っ掛かりさえ、見つけることができなかっタ。そんな折に飛び込んできたのが、『これ』ダ」
ハプ博士はそう言って、新聞記事のヘッドラインを指さした。
『リーンガード皇国の研究チームが、呪いへの特効薬――アレン細胞の開発に成功! 研究主任:ケミー=ファスタ! 協力者:悪の帝王アレン=ロードル!』
記事のタイトルに強烈な悪意を感じるけれど……まぁ今はいいだろう。
「我々は驚愕に目を見開き、ケミー女史の発表した論文に食らい付き、医学の発展を祝福し――そして、嫉妬した。『自分こそが呪いという恐怖から人類を救うんだ!』、みんなの胸の内には、そんな強い野心があったからネ……」
彼は自嘲しながら、複雑な表情を浮かべていた。
「ともかく、アレンくんとケミー女史の対呪治療研究により、人類は呪いに打ち勝っタ! 元々『世界一の医学博士』として名の通っていたケミー女史は、さらなる名声と栄誉を博し――特効薬の開発において、貴重な検体を提供したとされるアレン=ロードル! 新薬『アレン細胞』にも採用されたこの名前は、医学界に轟いたヨ!」
「な、なるほど……」
「アレンくんの体をたっぷりじっくりねっとり調べ上げたイ! そう考える医者は、この世にごまんといル! もちろん、私もその一人サ! 実際、医師会の実施した『今最も解剖したい生物ランキング』において、君はぶっちぎりの第一位なんダ! 第二位の魔族とは、トリプルスコアの大差がついていたヨ!」
彼は目の奥を妖しく輝かせながら、手をワキワキと動かした。
「そ、そうですか……っ」
そんな物騒なランキングは、今すぐにでも廃止してほしい。
(……この人に診てもらって、本当に大丈夫なんだろうか……)
一抹の不安が、さざなみのように押し寄せてくる。
「おっと、前置きが少し長くなってしまったネ。えーっ、ゴホン。最新の精密機械を用いて、アレンくんの体を調べた結果――君の体には、なんの問題もなかったヨ」
「あぁ、それはよかったで――」
「――まぁそんな些事は置いておいて、そろそろ『本題』に入ろうカ!」
「え、えー……」
俺にとっては、今のが本題中の本題だったのだけれど……。
どうやらハプ博士には、もっと腰を据えて話したいことがあるらしい。