桜の国チェリンと七聖剣【四十一】
俺たちはバッカスさんの後に続いて、険しい獣道を進んで行く。
(これはまた、ずいぶん奥まったところにあるんだな……)
現在地は、桜の国チェリンの南部に鬱蒼と茂る林の中。
彼の話によれば、この道をずっと進んだ先に湯屋『桜の雫』があるとのことだ。
「本当にこんなところに湯屋があるのかしら……?」
「どんどん人里から離れていくな……。バッカスのおっさん、道はちゃんとあってるのか?」
「この先に名湯があるなんて、にわかには信じられないんですけど……?」
会長たちがそんな疑問を口にすれば、
「ばらららら! 安心せい、まだボケてはおらんわ! ちゃんとこの先に桜の雫はある!」
彼はそう言って、ズンズンと大股で進んでいった。
(湯屋、桜の雫か……)
なんでもそこはとても有名なお店で、効能抜群の『秘湯』が湧いているが……寡黙で気難しい主人が営業しているため、一見さんが来ても絶対に入れないらしい。
ただ――バッカスさんとそこの主人は昔からの酒飲み仲間なので、彼とその友人はいつでも無料で入れてもらえるとのことだ。
それから五分十分と歩き続けていくと、一気に視界が開けた。
「――ほれ、着いたぞ!」
そこには少し古びた、大きな湯屋があった。
「ここは儂がよく湯治に使っておるんじゃ。これまで様々な温泉につかってきたが、ここを超えるものはなかったわぃ! 柔らかくしっとりした泉質、効能も抜群じゃぞ? 疲労回復はもちろん、美肌効果・肩凝り・冷え性などなど、まさに『命の湯』と言ってええじゃろう!」
バッカスさんがそんな紹介を口にすれば、
「び、美肌効果……!」
「肩凝り……!」
リアと会長はキラリと目を輝かせて、強い興味を示した。
「今はちょうど十六時じゃから、そうだのぅ……。十七時半ごろ、店の前で合流としようか」
そうして集合時間が決まったところで、
「――おぅ、入るぞ!」
バッカスさんは大きな暖簾を豪快にかき上げ、勢いよく湯屋の中へ入っていった。
「…………あぁ」
店の主人らしき男は短くそう呟き、手元の新聞へ視線を落とした。
どうやら本当に寡黙な人のようだ。
それから俺とバッカスさんは男湯へ、リアたちは女湯へ分かれることになった。
男女別々の暖簾をくぐるとそこには――とてもシンプルな造りの脱衣所が広がっていた。
(うん、いい感じだな……!)
ずらりと並んだロッカー、その上に載せられた網籠。簡易式の冷蔵庫には、ミックスジュースやコーヒー牛乳が詰められている。なんというか、『昔ながらの湯屋』という感じだ。
「なんだか落ち着くところですね」
ゴザ村に唯一あった湯屋も確かこんな雰囲気だった。
「ばらららら、中々見る目があるではないか! 儂も最近のごちゃごちゃした内装よりは、こういう簡素で趣のあるのが好みじゃ!」
俺たちはそんな話をしながら、着々と準備を進めていく。
手荷物をロッカーに置き、服を脱ぎ去り、体を洗うタオルを手に取ったところで――俺の視線は、バッカスさんの裸体に釘付けとなった。
(あぁ、本当に『いい体』だな……)
鋼のような筋肉はもちろんのこと、その体にはいくつもの傷跡が刻まれていた。
太刀傷・刺し傷・裂傷をはじめ、咬傷・熱傷・爆傷などなど……。
それらを見るだけで、彼がこれまで経験してきた壮絶な戦いが思い起こされていく。
剣士としての生き様を映したその裸体は、まるで一つの芸術品のようだ。
(……美しい)
踏んできた場数、潜ってきた修羅場、越えてきた死線――どれをとってもまさに別格。
そこには重厚で濃密な『経験値』が詰まっていた。
そうして俺がバッカスさんの裸に魅せられていると、
「――どうした小僧? 悪いが、儂にその気はないぞ?」
彼は意地の悪い笑みを浮かべ、そんな軽口をこぼした。
「へ、変なことを言わないでください! 俺もノーマルですよ!」
「ばらららら、それなら安心じゃ! 一瞬、冷やっとしたわい!」
彼は楽しげに肩を揺らし、温泉へ続く扉を開けた。
するとそこには、
「こ、これは……っ!」
桜のはなびらが浮かんだ、美しい天然温泉が広がっていたのだった。