17-13 クドリャフカと来る夏
玉龍の背に乗り込む。高度を上げていき、しばらくすると天竺の頭頂部を視認できた。
天竺は未だに健在だ。ユウタロウが無事に守っている。
ただし、悪霊クドリャフカの方も無事であり襲撃を続けていた。
「待ち構えていても一瞬交差するだけで終わる。悪霊クドリャフカと対峙するためには、まず、あの速度に追いつけないと話にもならない」
『速』については俺の長所という事もありこれまで悩まされる機会はあまりなかった。
だが、悪霊クドリャフカの『速』は次元が異なる。所詮は地球表面での速度自慢など井の中の蛙に過ぎない。高々、音速の三四〇キロを超えて喜んでいるようではまったく足りない。
単独で惑星重力を脱出できるクドリャフカの速度は第二宇宙速度、時速四万キロ超えだ。
「蟲星のスカイフィッシュでも呼び出すか。いや、あいつでもクドリャフカには追いつけない」
知っている悪霊の中にも追いつける奴はいない。
悪霊以外で考えても、『速』が優れているのは黒曜となるが、彼女でも追いつけない。パラメーター不足もそうだが、足をついて走れない宇宙空間も多大に影響している。
「黒曜以外となると……落花生か。魔法を使えば宇宙でも加速できるかもしれないとはいえ、やっぱりパラメーター的に厳しいか――」
天竜川最速の雷の魔法使いならば、ローレンツ力な何かで無重力でも移動できると期待できる。けれども、クドリャフカが相手では移動できるだけでは不十分だ。
選考から落花生を外す。
……その前に、黒い炎が背後で吹き荒れた。
「――なっ、これは黒八卦炉の宝玉の反応。炎のゲートっ!」
黒八卦炉の宝玉はクゥが管理しており俺は所持していない。だというのに、どうして黒八卦炉の炎が生じているのか分からず混乱してしまう。
『――肆姉、お願い』
炎のゲートは地球から一時的に人を召喚するための通路口である。願いを叶える玉たる黒八卦炉へと事態解決を願い、一番適した人材を黄昏世界へと召喚する。それがこれまでの経験則だ。
黒八卦炉の宝玉の所在は不明であるが、悪霊クドリャフカに追いつける誰かを探していた俺の願いに反応したというのだろうか。
「呼び出してくれるのはいいですが、なんて場所ですかっ!」
編み込みブーツの先端が最初に現れて、飛び込むようにやってきたのは黄色い彼女。
雷の魔法使い、落花生の登場だ。突然、宇宙に呼び出されたとすれば驚いた犬のごとくサイドアップが伸びてしまうというものだ。
「落花生が呼ばれたのか??」
「御影が呼んだのに何を驚いているのです。で、今度の私の相手は誰です? 仙人だろうと石油だろうと相手をしてやるです。下着に殺された優太郎先輩の弔い合戦してやります」
……えっ、優太郎は死んだの? しかも死因が下着なのか??
「語弊があったです。窒息させてきたのは上着の方で、一時的に心肺停止していましたが私の電気ショックで蘇らせました。お陰で私も御影と同じ『救命救急』スキル持ちです」
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▼落花生
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“●レベル:109”
“ステータス詳細
●力:62 守:54 速:121
●魔:425/425
●運:38”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●魔法使い固有スキル『魔・良成長』
●魔法使い固有スキル『三節呪文』
●魔法使い固有スキル『魔・回復速度上昇』
●魔法使い固有スキル『四節呪文』
●魔法使い固有スキル『五節呪文』
●魔導師固有スキル『魔・消費半減』
●実績達成ボーナススキル『インファイト・マジシャン』
●実績達成ボーナススキル『雷魔法手練』
●実績達成ボーナススキル『成金』
●実績達成ボーナススキル『破産』
●実績達成ボーナススキル『一発逆転』
●実績達成ボーナススキル『野宿』
×実績達成ボーナススキル『不運なる宿命(強)』(無効化)
●実績達成ボーナススキル『帯電防御』
●実績達成ボーナススキル『マジック・ブースト』
●実績達成ボーナススキル『連鎖呪文』
●実績達成ボーナススキル『救命救急』(New)”
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“『救命救急』、冥府の海に溺れていく者を現世へと浮上させるスキル。
適切な処置を施す事により、心肺停止者の蘇生確率が増加する。また、蘇生後の後遺症を軽減、リハビリ期間の削減等、好条件での社会復帰を可能にする。
蘇生確率は『運』による補正も行われ、スキル所持者と蘇生対象の数値の合計で判定される”
“実績達成条件。
心臓が停止している生命を蘇生させる”
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過酷な戦場を毎回生き延びていたので忘れていたが、優太郎はレベル0の一般人である。たまに心臓が停止する事故くらい起きるか。地球に戻ったら菓子折りでも贈呈しよう。
「……それで、高速で飛んでるアイツが私の相手ですか」
流星のような炎の軌跡が天竺を狙いながらもコースを大きく外して通り過ぎていった。その様子を見上げていた落花生が不敵に笑う。
「なかなかの難敵を用意してくれました。アイツに追いつくには『魔』が足りないです」
まるで『魔』さえ足りていれば追いつけるとでも落花生は言いたげだ。
一目見ただけで速度勝負と看破した落花生は、どうすれば地球を最初に周回した生物に追いつけるか思案している。
「アイツの名前は何です?」
「混世魔王、悪霊クドリャフカ。冷戦時代、ソ連のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたスプートニク2号に乗せられて、宇宙に飛ばされた犬の悪霊だ」
「クドリャフカってあのクドリャフカですかっ」
「知っているんだな」
「縁があって調べた事があるです。なるほど、ますます私が適任です」
雷属性は速度に優れるが、そういう意味ではなさそうだ。落花生本人が適任というニュアンスが言葉に含まれている。
流れて漂うサイドテールが顔にかかるのも気にせず、惑星の弧の先に消えた悪霊クドリャフカを落花生は見続けている。
「単純に燃料不足です。大量の『魔』さえ補給できれば追いつけるのですが」
「それは難しいな」
レベルやらスキルやらが存在しながら、どうしてか回復アイテムの類が世界には不足している。特に足りないのは『魔』の回復アイテムだ。地球にも、ウィズ・アニッシュ・ワールドにも、黄昏世界にさえ存在しな――、
『――御影君ねぇ、まったく世話が焼ける。肆姉、またお願い』
――まるで存在を示すかのごとく玉龍の付近で燃え上がる黒い炎。
次の世代の管理神として誕生しながら才能の多くを発揮できずに死んでしまった姉妹の亡骸。それが黒い炎を噴出させている黒八卦炉の正体である。
黒八卦炉には死後も残留する膨大な『魔』が内包されている。妖怪共はよくエネルギー源として使用していた。
「あっ!」
「あ、です??」
「あった。大量の『魔』」
人類は憎らしい。
その日暮らしをしていた私に、仲間と過ごす幸せを教えてくれた。家族と過ごす憩いを教えてくれた。
凍える街での生活は辛かった。親も分からず、己が何者かも分からず、ただ空腹だけは覚える意味の分からない生活から救い上げてくれた最愛の家族、人類よ。
ありがとう。
人類は食べ物をくれた。温かい寝床をくれた。仲間をくれた。家族にもなってくれた。
ありがとう。
だから、死滅させたい程に憎らしい。
人類は憎らしい。
群れて過ごす生き方こそが私達の本懐だ。私と同じような境遇の同胞との暮らしは素晴らしいものであった。訓練は厳しく、目的も判然としない――知りたくはなかった――が、目標のある日々は街での暮らしと比較してどれほど恵まれていたか。次の冬には野垂れ死にしていたはずの私が、なんて幸せだ。
ありがとう。
人類は家族だ。生涯をかけて寄り添い、恩に報いる。
ありがとう。
だから、死滅させたい程に憎らしい。
人類は憎らしい。
私は家族ではなかったのか。家族をどうして狭い箱に押し込める。家族をどうして重力加速で圧し潰す。家族にどうして毒を盛る。家族をどうして熱で燃やす。
こんな事なら、どうして街で凍死させてくれなかったのか。どうして家族のように私に寄り添った。どうしてだ。どうしてっ!
我が身が受けし苦痛は炎。孤独に放り出した後、我が身を焦がした炎。
憎き人類に同じ苦痛を味わわせるまで、我が炎、決して消えず。
我が名は――惑星周回の果てに断熱圧縮により燃え尽きた。私は永久に戻れない――、
「追いついたです。クドリャフカ!」
――戻れない。戻れない。どうして戻れない?
私は惑星を周回しているのではない。
私は宇宙を飛んでいるのではない。
私は、ただ、私の名を呼んでくれる家族のいる場所へと落ちていきたいだけなのに。
「それとも、こう呼ぶ方が正しいですか? ライカ犬。私の本名、鈴山来夏と同じライカが、貴女の名前です?」