17-8 改名
――意識が吹き飛んでいた。宇宙の速度で飛び込んできた悪霊クドリャフカの衝撃波により、意識も体も宇宙空間へと飛び上がっていた。
腕も足も千切れて飛んでいないのは幸いであったものの、迎撃には失敗してしまった。
部品の種類までは不明確だが、大小様々、天竺のものと思しきデブリも俺と一緒に散らばっている。
黄昏世界の箱舟であった天竺内部からも、避難民だった者達の亡骸がゴミのように広がって無重力空間を等速移動してい――、
「――『八斎戒』宣言。以後の人生、俺は嘘をつかん。この禁戒をもって、俺はより高次の存在へと至らん」
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▼ギーオス
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“ステータス詳細
●力:528(2^四戒) → 1056(2^五戒)
●守:336(2^四戒) → 672(2^五戒)
●速:304(2^四戒) → 608(2^五戒)
●魔:140/324(2^四戒) → 464/648(2^五戒)
●運:0”
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“『八斎戒』、俗世の身を律して神格へと至らしめるスキル。
八斎戒のいずれかを永続的に守ると宣言するたび、全パラメーターに対し、2の宣言数の乗の補正を行う。
八斎戒すべてを宣言した場合には神格へとクラスチェンジする”
”《追記》
現在の宣言数は五戒。不得坐高広大床戒、不飲酒戒、不得過日中食戒、不得歌舞作楽塗身香油戒、不妄語戒”
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――未だに炎が席巻している激震地において、オークの戦士が荒魂となったクドリャフカの牙を掴んで耐えていた。
外装への損傷は激しい。
衝撃によって軌道エレベーターとの連結部分は砕けてしまっている。
だが、天竺の船体は未だに健在だ。内部の人々は無事である。
「ふん、馬鹿犬め。五戒重ねてまだ足りんのか」
受け止めた衝撃で関節の各所より血を吹いて、折れ曲がった骨さえ剥き出しにしながらも、ギーオスが悪霊クドリャフカを受け止めている。
ありえない話だ。地上に落下してきた隕石を生身で受け止めるような奇跡をギーオスは引き起こしてしまっている。
“GAAAAAAFッ”
「裏切ったなどと吠えるな。お前とは目的も恨みも違う。人類に屈辱を受けたお前は人類に復讐したいだけ。人間族を喰うしかできなかった俺は喰う以外の方法で助けたいだけ。根底が異なる」
“GAAッ!!”
「俺もろとも恨みを晴らすか。そうはさせん。『八斎戒』宣言。以後の人生、俺は盗みを働かない。この禁戒をもって、俺はより高次の存在へと至らん」
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▼ギーオス
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“ステータス詳細
●力:1056(2^五戒) → 2112(2^六戒)
●守:672(2^五戒) → 1344(2^六戒)
●速:608(2^五戒) → 1216(2^六戒)
●魔:464/648(2^五戒) → 1112/1296(2^六戒)
●運:0”
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ギーオスの『魔』の気配が跳ね上がる。勢いの止まらない悪霊クドリャフカに負けないように何かを仕出かした。
オークでありながら、悪霊でありながら、微かにであるがギーオスの体に神性が混じり始めている。
「これでも力負けするか。ならばオークのスキル、『魔→力置換』を使用するまで」
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“『魔→力置換』、力こそパワーなスキル。
本スキル所持者の『魔』を減らして、『力』に加算する”
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▼ギーオス
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“ステータス詳細
●力:2112(2^六戒) → 3224(2^六戒)
●魔:1112/1296(2^六戒) → 0/1296(2^六戒)”
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「これでギガンティックルーラー・オブ・オークとようやく拮抗できる程度の『力』だ。血縁のあいつにできる程度の事くらい、やってみせなければな!」
更に爆増させた『力』でギーオスはクドリャフカの進路を強引に曲げた。
自らの加速力で高速に遠ざかっていく悪霊クドリャフカ。
一方、奇跡を起こしたギーオスは満身創痍だ。パラメーターは上がっていても、その前に天竺の身代わりとなって受けたダメージが深刻である。
吐かれた大量の血がギーオスの周囲に漂う。
けれども血の向こう側で、ギーオスは確かに笑っているではないか。
「なんだ、こんなにも簡単だったのか。喰うより余程楽なものだな」
大量出血による貧血で青く染めた顔だというのに酷く楽しげである。
ギーオスが天竺を守った。直前まで敵として立ちはだかった相手ではあるものの、彼の正体が誰も守れなかったオークと暴かれた今、誰かを守るために動いた事に疑問はない。もう彼は後悔したくないのだ。
俺との戦いでは使う素振りさえ見せなかったパワーアップを実施している事からも、ギーオスの行動に疑いはない。
だが、悪霊クドリャフカはまだ止まっていない。彼女が死んだとされる四回目の周回を超えて今も飛んでいる。惑星を一周して再び現れるのは確実だ。
天竺防衛のために舞い戻ろうと無重力をもがくが……ギーオスが制してきた。
「お前は向こうの方にいる小娘を回収して、下に行け。小娘は気絶しているだけで無事だろうが、下の妖怪はきな臭い。同じ場所を飛んでくるだけなら、ここは俺一人で十分だ」
「その状態でよく言う」
「一度、死んだ身だ。死にそうになる程度の事を無茶とは言わん」
クドリャフカが更に加速できた場合、今のギーオスでも受け止められない可能性がある。強がりを言うギーオスの体力が尽きる可能性もあるだろう。
クゥをこれ以上放置できず、軌道エレベーターの方も気にはなる。
重要な選択だ。天竺をギーオスに任せるべきか悩む。
「ふん、オークに任せられんか」
「そうは言っていないが」
「ならば、お前向けにこう言ってやろう」
ギーオスは等速移動で遠ざかる俺に対して、何故かそっぽを向いた。
「ギーオスとかいうオークは既に死んだ。俺は今後……ユウタロウと名乗る。ユウタロウとやらは仮面の男との友好と、最悪な状況を覆す事に特化しているらしいからな」
……男女関係は告白から始まるが、男同士の友情はワザワザ宣言して始まるものではない。よって、ユウタロウの言葉は非常に恥ずかしい。
黙ったユウタロウは手で払い除ける仕草を見せた。さっさと行けと無言で言っている。
空気を読んで傍へと寄ってきた大きめのデブリを足場にして跳ぶ。天竺をユウタロウに任せて、俺はクゥの回収に向かった。
ユウタロウは一息ついた瞬間に足の力を失って浮き初めてしまう。気を少し抜いただけでも、地上であれば倒れてしまう容態らしい。
手を伸ばしてユウタロウを繋ぎ止めてくれたのは、スノーフィールドだ。
「まったく無事ではありませんわよね?」
「ふん、馬鹿犬が飛んでくるまでしばらく休める時間がある。安心しろ、混世魔王の気配なら察知できる。タイミングは見逃さん」
「強がりを」
スノーフィールドもユウタロウをどうこう言える程に無事ではない。片腕の負傷が深刻なのか、水かきのあるカエルの手にまったく力が入っていない。
「まだパラメーターは上げられる。余力はある」
「大切な何かを代償にしているのは明白ですわ。それでいいのでして?」
「戒を重ねるだけで守れるなら安いものだ」
「貴方にとっては他人、他種族の話のはず。それでもでして? 傍から見ていても分かります。それ以上は魂の形を変容させてしまう。不可逆の変化が起きて、戻れませんわよ」
「そうか。そうだろうな」
スノーフィールドの警告に対してユウタロウは無関心だ。タバコの健康被害を医者に警告されるヘビースモーカーの方がまだ真摯に受け止めるだろう。
だからといって、ユウタロウがいい加減という訳でもない。
「代償を支払う機会さえ、前はなかったからな」
ユウタロウはもう覚悟を終えているだけだ。
珍しい者を目撃したように、スノーフィールドは大きな目をクリクリと瞬きさせていた。