17-5 銀角1
銀角魔王城に侵入した黒曜、紅ペアの作戦は単純明快だった。
やられる前にやる、である。
「何の能力を持っているか分からないなら、その能力を使われる前に倒す。速攻だ」
「はっ、脳筋だが分かり易いじゃねぇか」
「相方がお前の所為で細かい作戦を立てられないからな」
「アア? 喧嘩売ってんのか」
巨大な骨組みに囲まれた空洞部分、エレベーターシャフトを一気に下って、魔王城突入部隊は兄弟妖怪がいると予想される中継ステーションブロックを目指している。
黒曜と紅は壁を蹴って自由落下よりも早く移動だ。後方の天竺の兵士達は置き去り状態である。
ただ、先行する二人の間にも距離ができ始めている。『速』754の黒曜は軽い身のこなしである一方、紅は『力』821で足場を蹴っているため毎回、壁が凹んでしまっている。
「遅い、置いていくぞ」
「てめぇっ、待ちやがれ」
黒曜が単騎で跳び出した。
しばらくは鉄色の味気ない風景が続いていたが、シャフトの内部様式が楼閣風となり急激に変化する。魔王城へと突入したらしい。
速度を落として柱の陰に潜む。
『暗躍』を使って気配を完全に断つ。
軌道エレベーターの中身はほぼほぼ空洞である。ただし、メンテナンスや緊急時の停留のために三か所ほどに中継ステーションが設けられている。魔王城化により、第一、第二ステーションは飲み込まれており、黒曜が身を潜めたのは第二ステーションの天井だ。
兄弟妖怪が居を構えているとすれば第二ステーションか、更に下方の第一ステーションのいずれかだろう。
「……さっそく、いやがった」
ダクトを伝って内部に潜入した黒曜は目立つ銀毛のキツネ妖怪を発見する。銀角の特徴だ。
銀角は特に隠れていない。手勢も連れておらずたった一体だけ。
嫌に堂々としている。兄弟妖怪でありながら銀角しかいないというのも怪しいが……黒曜は覚悟を決めて『暗器』で収納していたナイフを取り出した。
罠があるのは当たり前。であれば、罠が起動するよりも速く殺し切ればいい。
無策に近い策であるものの、いちおう、黒曜も策を用意していた。その策もそろそろ到着する。
「――俺を置いていったなッ、沙悟浄女ッ!!」
突っ込む事しかできない闘牛女が天井を突き破って落下してきた。音も声も大いに目立って注意を引く。
魔王城だというのに想定通りの無謀な突入に心の内だけで賛辞を送りつつ、黒曜は銀角の背後に滑り込む。と、遠慮なく隙だらけの背の中央にナイフを突き立てた。
「『暗殺』発動」
手ごたえは確かだ。『暗殺』スキルが発動した感触が指先から手の平、腕から神経を伝って脳まで届いたのだ。
命あるものを問答無用で亡きものにする暗殺者の所業。幾度となく魔王を屠った決め手の一撃が確かに銀角の命を奪っ――。
「――嘘は俺達兄弟の特権よ。『世界をこの嘘言で支配する』、銀の特権により俺の嘘以外はすべて不成立になる――」
――心筋を断ったはずの感触が軽くなる。発動したはずの『暗殺』スキルが発動しなかった事に置き換わる。
「救世主職ともあろうものが下品ではないか? 気配もなく後ろから心臓を一突きにして、何もさせんままに殺そうというのは卑怯というもの」
「馬鹿な、『暗殺』は発動したはずッ。銀角、どうして死なない!」
首だけで振り向いてきた銀角は黒曜の失態を笑う。魔王城の主に対して、お前は常識的な策しか用意できなかった、と。
「『暗殺』は“発動した”を“発動しなかった”にしただけの事。何をそんなに戸惑っておるのか分からんな!」
「そういう魔王城かッ」
「――神仏の住処、尊き住処、下敷きとなりて支えるは尊き所業、意義ある所業、潰れてしまったならば徳が足りん足りん。妖術“招来須弥山”急急如律令」
刺さったままのナイフを抜こうとしていたのが災いした。詠唱開始と共に回避行動を取っていなかった所為で魔王城の外から突っ込んできた山のように大きな岩を避けられない。
地球に存在するウルルと比肩する大きさだ。これだけ大きければ銀角本人も巻き込まれそうなものであるが、大きさに反する精密な軌道で大岩は銀角だけを避ける。
「ちぃ、『暗影』!」
一度の『暗影』だけでは飛距離が足りず、連続使用で被害範囲から逃れる。
中継ステーションどころか軌道エレベーターの崩壊さえ引き起こしかねない規模感だ。
「須弥山を避けるとな。やるではないか! では、続けて。――神仏の霊場、尊き霊場、下敷きとなりて支えるは尊き所業、意義ある所業、潰れてしまったならば徳が足りん足りん。妖術“招来峨眉山”急急如律令」
再度の妖術攻撃が黒曜へと襲いかかる。
気密エリアである事などお構いなしに召喚した大岩を突っ込ませてきた。
逃げ場が失われていく中、それでも迫ってくる大岩に潰されないように逃げる黒曜であったが――、
「黒い救世主職。《お前の名前は?》」
――紅色の瓢箪を向けられた所為で判断を迫られた。返事をするのは論外であるが、返事をしないのも危うい。罰則による吹き飛ばしがある事は御影から事前に警告を受けている。
「俺は鳥の鳴く森だ」
仕方がなく、もう使っていない偽名で返事を黒曜は行うが、結果はどうなるか。
「――おうおう。嘘はいかんな。お前の嘘は不成立だ――」
黒曜の体が銀角方向、蓋の空いた宝貝、紫金紅葫蘆へと吸引され始めた。嘘の返事では凌げなかったのだろうと解釈する。
一度吸引が始まれば手が付けられない。小さいながらに底の知れない瓢箪の奥へと吸われて消えてしまう。
『暗影』を続けて距離を取ろうとするが、連続使用でクールタイムが始まった。岩が後方で迫っている所為もあってその場に踏み留まる事さえ難しい。
「しゃらくせぇッ!!」
足が浮いてしまった黒曜の腕を掴んだのは紅だ。床板を踏み抜いて体を固定して吸引に耐えている。
反対方向から来ていた岩にはヘッドバッドを叩き込んで粉砕。軌道を無理やりかえていた。
「しっかりしやがれ、沙悟浄女」
「お前に助けられるまでもねぇ。今、対策しようとしていたところだ」
「ああ、そうかい!」
破壊による空気漏れか、紅葫蘆が吸い込む気流のせいか。
戦場となった中継ステーションは嵐のごとく荒れている。
巨大なオークはこみ上げる感情に、肩をプルプルと震わしながら俺を見下ろしている。
「可哀想なオーク、だと言ったか?」
「そうだ。可哀そうなオークがお前の正体――」
「――黙れッ」
つま先で蹴り上げられた後、思いっきり叩き落された。
「黙れッ。訂正しろッ」
「ガァッ。訂正、しない……お前は可哀想。あガ?!」
「訂正しろッ。何が可哀想だ! 磨り潰して二度とその口、開けなくしてやる」
手加減知らずに暴行を受ける。全身痛いところしかなく、どうして生きているのか分からない。
それでも、減らず口を止められない。俺に『正体不明』を暴けと言っていたのはオーク本人だ。
だから、殴られても親切にお前の本性を突き付けてやる。
「俺の正体は凶暴で、残虐な、人喰いオークだ! 誰かに哀れまれて介錯されるような最後を迎える脆弱なオークではない! 訂正しろッ。訂正するんだッ」
「……そんなに恥ずかしがる事もないだろ、オーク」
また殴られてしまったものの、今度は吹き飛ばされずに堪えた。
ダメージが蓄積しているのは俺の方だというのに、追い込まれているのは何故かオークの方に見える。
殴られても屈しない不気味な俺を恐れて、巨体が一歩、下がった。
「オーク。きっとお前は俺に正体を訂正して欲しかったのだろうが、代わりにこの言葉を贈ろう。深淵よ。深淵が私を覗き込む時、私もまた深淵を覗き込んでいるのだ」