16-4 地上との別れ
突発的に顕現した大型客船サイズの大剣が妖怪軍を割った。月桂花の魔法により虫食い状態になっていた戦線が物理的に寸断されて、とうとう修復不能になる。白ウサギが雪崩れ込んだ事が最後の駄目押しとなり、ついに禁軍は潰走していく。
白ウサギの一団は天竺の軌道エレベーター外壁を下って現れた。
つまり彼等こそが天竺だ。
「ウサギに見えるが、妖怪なのか?」
月の妖怪だからウサギというのも捻りがない。カニが横歩きしながら登場してもそれはそれで困るが。
「月の眷属種。女神、嫦娥に仕える官吏とオヤジから聞いているが……」
黄昏世界通の紅が言葉に詰まっている。ウサギを見た事がないから分からないのかもしれない。
ウサギは天竺が保有する戦闘部隊なのだろう。妖怪に占拠されていた軌道エレベーターを取り戻すために下りてきたらしい。
数は妖怪軍と比較して三分の一に届くかどうかといったところ。半世紀も前に御母様に破れた敗軍と考えれば多いくらいか。
ウサギの中で一際目立つのは大剣を担いだ長身の美人だ。彼女だけは人間の姿をしている。金色の髪の毛はそのままでも目立っているが、ライオンの鬣のようにウェーブしていれば宣伝効果はより抜群だ。
残党狩りの指示を終えて余裕ができたところで、長身美人の方から俺達へと近づいてきた。
「お久しぶりですわね、仮面の救世主職」
よっ、という感じに片手を上げながら挨拶されてしまった。
……いや、久しぶりと言われても会った記憶はないのだが。だから黒曜に紅よ、美女とばかりエンカウントしているスケコマシを見る目線を俺に向けてくるな。本当に初対面なんだ。
「なんて薄情な! スノーフィールド・ラグナロッタと名乗ったではありませんか」
「……すのーふぃーるど・らぐなろった??」
発音から頭蓋骨に収まる海馬が刺激された気がするのと同時に、強い違和感を覚える。
猫型ロボットを自称する青いタヌキを目撃したならば、きっと共感してもらえる心境だ。
「俺の知っているスノーフィールドさんはガマカエルの救世主職なんだが」
「誰がガマカエルですかッ。ブッコロしますわよ!」
声質や口調は以前、遭遇したカエルの救世主職と瓜二つだ。そういえば、カエルの救世主職は天竺所属のため、この場にいてもおかしくはない。
とはいえ、体型どころか種族まで違うのはどういう事だ。
「太陽が隠れていますから」
頭上には血色の妖しい月が浮かんでいる。魔法効果により、黄昏世界を常時照らしている赤色巨星の姿はない。
「太陽とカエルの関係性をもう少し詳しく」
「私達は妖怪に破れていますわ。助命こそ許されましたがペナルティはありました。それがカエル化の呪いですわ」
「カエル化の呪いだとっ。なんて恐ろしい呪いだ。相手が自分に好意を持っていると知ると急激に嫌悪感を覚える呪いか」
「違いますわ。ブヨブヨな醜い姿を強いる呪いです」
精神的な作用はないらしいが肉体的な作用の強い呪いのようだ。だからこそ精神的な負担は強い。人間は拘りの強い生物だ。シワ一つ、髪の毛一本の変化でもストレスを感じるというのに目の飛び出した両生類への変化である。想像しただけでも嫌悪感が漂う。
「太陽神の呪いですので、太陽が隠れている間だけは元の姿に戻れますわ」
月の勢力に所属する者すべてが呪いにかかっているとの話だ。白ウサギの妖怪達も普段はアマガエルだったりヤドクガエルだったりするらしい。
「それはそうと御前……女神、嫦娥様はどちらにいらしまして? 出迎えに参らなければ」
御母様の禁軍に攻め込まれた月陣営は劣勢だった。
被害を抑えるために軌道エレベーターの防衛を諦めて宇宙へと撤退し、今日まで籠城を続けていた。ただ、今になって穴熊戦法を取り止めて反撃に出た理由は月の出現である。天竺の守護神の気配を察知して馳せ参じたのだ。
キョロキョロと周囲を見渡すスノーフィールドに対して言い辛い。月を出現させたのは女神ではなく月桂花なので、探したところで見つかりはしない。
「そうそう、仮面の救世主一行ですが私達は歓迎いたしますわ。世界が終わるまでに到着できたのは幸運でしたわね。救世主だけでなく、そちらの妖怪、紅孩児も受け入れます」
「俺か?」
「ええ。桃源郷の顛末は逃げ延びた方々より窺っております」
「逃げ延びた……ッ。逃げられた奴がいたのかっ!」
表情を一気に変化させた紅がスノーフィールドに詰め寄った。ほとんど寄りかかっているのだが、体格で勝るスノーフィールドは微動だにしない。
「徒人四十七名、妖怪五名、機械一名を匿いましてよ」
「そんなにかっ。あいつ等、そんなに頑張ったのかっ」
人間の割合が高い。桃源郷の住民の割合よりも明らかに高い。それはつまり、非戦闘員を逃がすために妖怪達の多くが囮となり、犠牲となった事実を暗示している。
涙しながら膝から崩れた紅の肩に、スノーフィールドは手を置いた。
「貴方の活動は、決して無駄ではありませんでしたわ。貴方達の慈愛を月の女神率いる天竺が引き継ぎます」
スノーフィールドこそが女神みたいな微笑みで紅の功績を称えた。
残敵の掃討は白ウサギに任せて、俺達は軌道エレベーターに向かう。
「さあ、こちらですわ」
ガイド、兼、エレベーターガールは引き続きスノーフィールドが務める。
軌道エレベーターは広い。重力に逆らって構造を支えるために大部分は柱で出来ているが、中央部のほとんどは昇降機だ。円柱フロアの床全体が上下に動く構造となっており下手な体育館よりも広いくらいである。
丸みを帯びたゴムみたいな質感の、人間離れしたずんぐり巨体なスノーフィールドが乗り込んでもスペースは余りあり、息苦しさを感じない。
「って、いきなり姿が変わるのか! 突然なっ」
「突然なのは貴方でしょうに。うるさいですわよ」
クリっと飛び出たスノーフィールドの潤んだ目はカエルの目。前触れなく隣の人物の姿が変化すれば反応せざるを得ない。
入口近くで月桂花とクゥとは合流している。軌道エレベーターへの入場と共に魔法を解いたのだろう。
周囲を見渡せば、俺達以外の乗組員は全員カエルだ。ウサギやらカエルやら、ここは鳥獣人物戯画の世界なのだろうか。
「地上海抜三十目から……いえ、黄昏世界に海はありませんけど。ともかく、地上から高度六百相までの旅になりますわ。俗世との別れを惜しみつつ天の世界へと向かう光景をお楽しみくださいませ」
原理は分からないものの、窓から外の様子が伺える。
リニア式みたいな無音駆動で上昇が始まると一気に速度アップ。グアムに行くのに飛行機に搭乗した事はあるが軌道エレベーターはまた違う。上から下へと感じる重力と、上から下へと流れていく景色を観光客気分で眺めていた。