364.幕間 主婦たちの宴
夕方から夜の間。
冬なので、すでに陽は落ちていて真っ暗だが。
夜と言うには、まだ少し早い時間である。
「うーん……」
今し方届けられた手紙を広げ、侍女リンコは考え込んでいた。
手短に書かれた手紙。
筆跡は確かにクノンのもので、二人だけで通じるサインも書いてある。
だから、間違いなく、彼がリンコに向けて書いたものだ。
――内容を見て、悩んでいた。
なんでも、魔術の実験で七日くらい泊まりになるそうだ。
そんなことは聞いていなかった。
手紙には「自分も知らなかった」と書いてある。
急遽決まったのか。
それとも通達ミスがあったのか。
実験があることは聞いていたが、まさか泊まりになるとは……。
「……うーん」
さて、どうしよう。
クノンと自分の分の夕食は、もう仕込みが済んでいる。
今日から実験だとは聞いていた。
だから、クノンはきっと疲れて帰ってくるはず。
ゆえに、今日は滋養強壮にいいという食材と香草を使用した夕食を作ったのだ。
食材、結構高かったのだが。
しかし帰れないとなれば、仕方ない。
「――仕方ないなぁ! ああこれは仕方ないか!」
一人しかいないのに。
誰かに言い訳するかのように。
リンコは一人でニヤニヤしてうんうん頷くと、家を飛び出した。
仕方ない仕方ないと言い訳しながら。
これは料理を無駄にしないための処置。
だから仕方ないのである。
ああ仕方ないのである。
――それからすぐにリンコは帰ってきて。
しばらくして、ぞろぞろと人がやってきた。
「こんばんは」
「ああ、いい匂い!」
「これユルフォン地方の郷土料理よね!? 名前なんだったかしら!」
「リンコちゃん、これ。旦那のお酒かっぱらってきたから、飲みましょう。ちょっといいやつだから、あとでゆっくりね」
途端、騒がしくなった。
美味しそうな料理を前にはしゃぐ姿は、まさに女の子だ。
ちょっとだけ歳は取っているが。
旦那に食事を出して。
子供の世話を済ませて。
そうして、だいたい一日の仕事が終わった主婦たちだ。
普段は家計や世間体などを考えて、ちょっと飲みに……なんてこともできず。
仕事の付き合い。
などとほざいては家を出る旦那を、少し恨みながら見送り。
大きな不満はないが。
小さな不満はしっかり抱えた、ごく一般的な主婦たちである。
「ああ、ありがとう。あとで皆で飲みましょう。
急に呼んでごめんね。お料理が無駄になっちゃいそうだったから」
と、リンコは残りの料理をテーブルに並べていく。
クノンが食事を取らない時は、たまにある。
事前に聞いている時は食事量を調整できるが、急だと対処できない。
そんな時は、呼ぶのだ。
彼女たちを。
この魔術都市ディラシックでも。
太く強くたくましい、独自のネットワークを張り巡らせている、主婦たちを。
「美味しそう!」
「リンコちゃん料理うまいものね」
こうして、ささやかなる淑女の宴が開かれる――
「あの店のあの子。またお見合い失敗したんだって」
「また? 何回目だっけ?」
「なんでかしらね。見た目も器量もいいのに。まあ、ちょっと歳はいっちゃったけど……」
「店に来る男全員に『結婚しろ』って迫るからじゃない?
一時期なんてもう、新入生にも声を掛けてたくらいだから」
「結婚への焦りがむき出しすぎるのね……」
うまい食べ物と、男がいない場所。
あとは噂話があれば、最高のお茶会となる。
まあ、今は酒だが。
バカみたいな飲み方はしないので、酒は少しでいいのだ。
「クノン君はまた実験?」
そう問うのは、いつだったか、クノンがお持ち帰りした麗しき人妻である。
かつては姑のいびりや、頼りない旦那との関係で悩んでいたが。
思い切って言い返したら、やりやすくなったらしい。
リンコらが焚きつけたせいでの行動だが。
一度はディラシックを出て、すべて捨てて逃げることさえ考えていたのだ。
まあ、いい方に着地できたのだろう。
「そう、実験。急遽決まった泊まりでね」
だから料理が余ったのだ。
――普段は昼、ばったり会った井戸端会議のような形が多いが。
こうして言葉を交わし、情報を交換する。
人によっては、不要と断じるかもしれないが。
リンコは大切だと思っている。
このネットワークは、浅いようで深い。
自警団の団員の妻がいたり。
魔術系の雑貨屋の嫁がいたり。
はたまた魔術師の子供を持つ親もいるし、魔術師の妻もいる。
時々、思いがけない話が聞けることもある。
決してバカにできない集まりなのだ。
先日の遠征時も、彼女たちがこの家の世話をしてくれていたのだ。
約一ヵ月もの間。
時々やってきては、掃除してくれていた。
もちろんお礼はしたが。
感謝である。
「ねえねえ、さっきの結婚したいって人。あのお店の人でしょ? 少し前に会いに行ったことあるんだけど」
と、リンコは前のめりで話に突っ込む。
「ええ、そうよ。あの魔術雑貨のお店の店員」
「あの人なんで結婚できないの? 高望み?」
「どうしてなのか不思議よね。
なかなか縁がないから、あまりお話しする機会がないのよ」
相手は、普段は店に詰めている。
だから路上でばったり、なんてことは、ほぼないのだ。
よっぽど主婦とは生活サイクルが違うのだと思う。
「明日呼んじゃおっかな」
「「え?」」
リンコの声に、違う話をしていた奥様方の視線も向けられる。
「あ、実はね、これから一週間くらいご主人様が帰らないみたいなのよ」
「クノン君が?」
「あの眼帯の子よね?」
「そうそう、あの眼帯の可愛い子」
「私会ったことないのよね。一週間も帰ってこないの?」
「そうなのよ。だから――」
リンコは立ち上がった。
そして、右手を上げた。
「――私はこの一週間、贅沢する!! すっごい贅沢する!!」
堂々たる宣言だった。
遠征中、婚約者といっぱい過ごすことができた。
将来は料理店を持つ夢があり、二人で料理についてたくさん相談したのだ。
あの開拓地では、素材が足りなくてチャレンジできないものが多かった。
だが、ディラシックには豊富な食材がある。
そこで、一週間ものクノンの不在。
まさに好機である。
やりたい放題である。
「あ、時間がある人は私と一緒に晩ご飯してね」
「いいわね! 毎日は無理だと思うけど……」
「私通っちゃうかも」
「あはは! リンコちゃん元気ね!」
こうして、主婦たちの宴は、一週間続いたのだった。
そして一週間後。
「クノン様これは違うんです! ちょっと贅沢したい夜だっただけで、一番好きなのはクノン様と食べる食事なんです信じて! こんな食事ただの遊びですから! 気の迷いですから!」
クノンが帰ってきた。
連絡がなかった。
だから、今日までは大丈夫だと高を括っていたリンコ。
今日も宴だとばかりに。
最後の夜のつもりで、ご馳走を用意していた。
テーブルに並ぶ、数々の料理。
見るからにおいしそうだが、明らかに一人分ではない。
そういう意味では、クノンが帰ってきてくれてありがたい。
ありがたいが、違うのだ。
とにかく違うのだ。
見るからに疲れていたクノンは、まあまあと言い訳するリンコを宥め、
「欲望に忠実な女性って欲望に忠実だよね」
そう言って、私室へ行ってしまった。
「……」
一瞬何を言われたのかわからず、冷静に考えて。
そのまんまだな、と思った。
この言葉のキレのなさ。
本当に疲れているのだろう。
「あ、まずい!」
今日も女たちが集まる。
クノンが帰ってきた以上、もう宴はできない。
誰か来る前に、中止を伝えねば。
――こうして、女たちの結束が深まった一週間が、過ぎて行った。
新たな交友関係を広げて。