第六話:魔王様は人気者らしい
~きつね亭~
湯船の中で手足を伸ばす。
きつね亭は一階が酒場で、二階が居住区になっており、俺はそこで暮らすことになっていた。
ここは離れにある風呂だ。
「風呂なんてもの、俺が生きていた時代にはなかったな」
もともとは山に住む、猿人族の風習で数十年前から流行りだしたそうだ。
猿人族の生活圏には温泉という、お湯が湧いてくる泉のようなものがあるそうだ。それがあまりにも気持ちいいものだからわざわざ都市部でもお湯を沸かしてまで、真似るようになったらしい。
これはいいものだ。
「ダンジョンか」
キーアが酒場で、ダンジョンで獲った素材を使った料理だと言っていた。
つまり、そこに行けば、肉が手に入るということ。
かなり興味がある。
いつまでもキーアに甘えてここで居候するわけにもいかない。
普通の人として生きていくなら、何かしら食い扶持が必要なのだ。
まっとうに働いてもいいのだが、何分、俺はもともとが魔王。人の下で働くというのにあまり向いていない気がする。
自由気ままな狩りぐらしというのは理想的だろう。
風呂から出たら、いろいろと話を聞いてみよう。
……何やら、ぼんやりとダンジョンのイメージが頭に浮かんできた。おかしいな、そんなものは知らないはずなのに。
◇
風呂上がりに用意されていた服へ着替えた。
魔王だったころ、服も魔力で練り上げた体の一部で、服を着るのが新鮮に感じる。
リビングに行くと、私服に着替えたキーアがいた。
「初めてのお風呂はどうでしたか?」
「気持ちよかったよ。風呂とはいいものだな」
「はいっ、私も大好きです。でも、井戸から水を汲むの大変だし、薪は高いしで、なかなか入れないんですよ」
風呂はたまの贅沢という扱いらしく、いつもはタライに湯を張って布で体を拭くそうだ。
今日はキーアが俺を精一杯もてなそうと風呂を用意してくれた。
ただ、必死に水を汲み上げては浴槽に注ぐ姿が大変そうだったので、見かねた俺は魔術でなんとでもなると伝えて、今に至る。
水を生み出す魔法で湯船を満たして、火球を湯に落とせば風呂の完成。
魔力が上昇したおかげで、風呂いっぱいの湯を作るのもさほど難しくなかった。
「キーアも入るだろう? あとで言ってくれ。湯を温め直す」
「いいんですか!?」
「魔力を鍛える訓練にもなるしな」
「二年ぶりのお風呂ですっ!」
キーアがにっこりと笑う。
「あっ、はしゃいじゃってごめんなさい。私がもてなさないといけないのに」
「気にすることはない。キーアが楽しそうにしているとこっちまで楽しくなるんだ。そんなに喜んでくれるなら、毎日風呂を沸かそうか?」
「夢のような生活ですっ。甘えちゃいますね。……そのお礼というわけじゃないですが、こんなものを用意しています」
そして、すぐにキッチンに戻っていき、何かをとってきた。
「余りもので、おつまみを作りました。あの、色々と話をしないといけないですし、お酒とおつまみがあったほうがいいですよね」
「ああ、そうさせてもらう」
酒場での飯はうまかったが、もう少し食べたいと思っていたところだ。
氷で冷やしてくれた酒が火照った体に染みて最高だ。
夜が遅く、さっぱりした料理が並んでいる。
口にしてみると、どれもこれもうまい。
キーアは看板娘として接客をしていたが、料理もばっちりできるようだ。
キーアは俺が食べるところを見てにこにこしていた。
「お父さんの服ぴったり。なんか懐かしい感じがします」
「形見なんだろう。使っても良かったのか?」
「このお店を救ってくれた恩人ですから。お父さんだって文句は言いませんよ。それにどこか、お父さんに似ているんです。見た目だけじゃなくて、話し方とか」
「そっ、そうか」
……俺はそんなに老けているのか。
いや、年齢のほうはかるく千歳を超えてはいる。だが、見た目は若いという自負があった。
「あの、今更なんですけど自己紹介をしませんか? これから一緒に暮らすんですから」
「それもそうだな」
「私の名前はキーア。このお店の看板娘です」
「俺はルシルという」
「ルシル? 魔王様と同じ名前ですね」
「……ちょっと待て。魔王ルシルを知っているのか?」
千年も経てば俺の名前なんてとっくに忘れ去られていると思っていた。
「魔王ルシル様が、悪逆非道の天使と人間たちから魔族を救ったってお話は誰でも知ってますよ。みんな子供の頃から寝物語で聞かされますから。だから、魔王ルシル様みたいなかっこよくて、優しくて、強い人になるようにって、ルシルって名前をつける親が多いんです」
いつの間にか、俺の存在はおとぎ話みたいになっているようだ。
「そうなのか……知らなかったな」
「そういうことを聞くってことは、この街の人じゃないんですね」
「ああ、旅をしてここへ来た。ちなみに、魔王ルシルの寝物語を聞かせてもらっても?」
「いいですよ」
キーアがよどみなく、魔王ルシルの物語を語る。
魔王軍と神たちの戦いを子供でも簡単に理解できるよう、噛み砕き、短くまとめたもの。よく出来ているし、大筋では間違っていない。
だが……。
(これは、ちょっと美化されすぎじゃないか)
魔王ルシルがかっこよく描かれすぎている。これじゃまるで英雄譚だ。
冷や汗が流れる。
この物語、おそらく眷属連中が作ったものだろう。
こういうの得意な奴に心当たりがあるし、俺に近いやつしか知らないエピソードが盛り込まれている。
「以上です。あっ、小説や絵本や、漫画もありますよ。私、魔王ルシル様の大ファンなので、ぜんぶ揃えているんです。あとでお見せしましょうか? それから、繁華街のほうだと演劇や人形劇、紙芝居なんかの定番メニューにもなってます。今はお金がなくて行けませんが、昔はよくお父さんにせがんで演劇に連れて行ってもらいました」
「……魔王ルシル、人気なんだな」
「もちろんです! 私たちにとって恩人で、本当の意味で神様なんです。物語だと最後に千年後、魔王ルシル様は蘇るって締められているのですが、なんとその千年後が今らしいんです。もしかしたら、もう魔王ルシル様はどこかで復活しているかもしれないんですよ! 会ってみたいですね。どんな素敵な人なんだろう?」
キーアがうっとりした顔をする。
俺がその魔王ルシルだってことは黙っていよう。
俺はただの人としてこの世界を楽しむ。魔王ルシルとばれたら、そんな望みは絶対かなわない。
……あと、ハードルが上げられすぎて怖い。いや、だってこんな夢見る乙女のきらきらした瞳を浮かべているんだ。現物を見たらがっかりするかもしれない。
「あんまり期待しすぎないほうがいい。案外、普通の奴かもしれない」
「ありえません! 魔王ルシル様はかっこいいんです!」
やめて、照れる。
「人間のほうのルシルさんは、どんなお仕事をされているんですか?」
元魔王です。
と言えば簡単なのだが、ここは少々ぼかして説明しよう。
「元々は、その、とある事業をしていて社長だったんだが、引退して旅に出たんだ」
魔王は社長みたいなものだから、間違ってないだろう。
「まさか、あのお金って、会社を売ったお金だったんですか!? それで優雅な旅をするはずだったんじゃ?」
「いや、会社を売ってれば、桁が三つ、四つは違う値段になったはずだ。あれは退職金だよ」
別に勘違いを否定する必要はなかったのだが、魔王軍が土地一つ分の価値しかないと思われるのはな……。
魔王軍、どうしているだろう。元気にしているといいが。
「そんな大事なお金を……あの、私、がんばって恩返しします! それから、ちょっとずつでもお金は返していきます。大したことはできないですが、ここに住んでいる限り、毎日美味しいものを食べさせると約束します!」
「金は別にいいが、食事の方は遠慮しないでおこう。そう言えば、母親はいないのか? 一緒に住むなら挨拶をしておかないと」
気になっていたことを聞く。
クマ獣人の取り立てのときも、表に出てこなかった。
普通の母親なら、娘を庇うために出てきてもおかしくないし、居候するのだから挨拶しておきたい。
「あの、その、お母さんは病気になって、だいぶ前から入院中なんですよ」
「繁盛店なのに金がなかったのはそれでか」
「それは割と昔からのところがありますね。お父さん、美味しいものを安くたくさん食べてほしいからって、あまり利益が出ないんです」
薄利多売の儲からない商売に母親の入院。
この子が苦労するわけだ。
「治る見込みはあるのか」
「普通の治療だと難しい病気なんです。でも、ダンジョンにはどんな病気も治せる薬があるってお話なので、食材を探しがてら、そっちもがんばっているんですよ。ぜったい、いつか薬を手に入れて治して見せます」
ぎゅっとにぎり拳を作る。
強い子だ。普通の子ならとっくに心が折れているだろうに。
「その、ダンジョンっていうのはなんなんだ?」
「知らないんですか? 街の外れにある巨大な塔です。魔物がいっぱいいて、魔物を倒すと、色んなものが手に入ります。そういえば、明日から三日は、ダンジョンの日ですね。一緒に行ってみますか? 腕に覚えがありそうですし、私がついていれば大丈夫です。こう見えて六歳のときからお父さんと一緒に狩りをしてたので、十年選手の大ベテランです!」
たしかに、十年も狩りを続けているのなら信頼していい。
慣れない俺のフォローをしてくれるだろう。
「ああ、頼む。ダンジョンを知るなら、話を聞くより、目で見たほうがずっと早そうだ」
「じゃあ、お父さんの装備を出しときますね。服がぴったりなら、きっと装備も使えます」
さすがにそれは悪いと思ったが、不思議とキーアが上機嫌なので遠慮はしないことにした。
「そもそも、なんで酒場をやっているキーアがダンジョンで狩りなんてしているんだ?」
「きつね亭はダンジョン料理のお店。ダンジョンで獲ったいろんな食材を使って作る美味しくて珍しいメニューが売りです。材料を買うより、自分で獲った材料を自分の店で売るほうがずっと儲かります。うちはお父さんの頃から、そうすることで安くて美味しい料理を出してきました」
たしかにそうだろうな。
関わる人が少ないほど、儲かるのはどの商売でも基本だ。
それから、キーアに軽くダンジョンについて聞いてみた。
深いところは実際に目で見ないとわからないが、さわりだけでも聞いておくことに意味がある。
ふむ、だいたい概要はわかった。
だが、わからないのはそんな都合のいい存在を誰がどうやって作ったかだ。
それこそ、天使たちが管理者権限を使い、世界改変を行うぐらいの無茶をしないといけないはずなのに。
とりあえず、明日は実物をみよう。
そしたら、色々と分かるだろう。
◇
翌日、ダンジョンに向かう。
俺たちの格好はいわゆる戦うもののそれだ。
キーアが着ているのはただの服に見えるが、魔物の糸を紡いでできた強靭なものだ。
俺のほうは魔物素材を使った皮鎧。
(……この島に魔物がいる事自体がおかしいはずだが、どういうわけだ)
そもそも魔物というのは、千年前に魔族を駆除するため、天使が管理者権限で生み出した強化生物だ。
逆に言えば、管理者権限を使わねば生み出すことができない代物。
そんなことを考えながら街を歩き、街の外れにあるというダンジョンを目指す。
「はいっ、これがお弁当です」
「こいつは豪勢だな」
「今日は荷物持ちを雇わずに済んだので奮発しました!」
そうか、当然肉を獲ったら運ばないといけない。
一人では運べる量に限界があり、人を雇うのだろう。
そして、今日は俺がいる。リュックを二人とも背負っており、かなりでかく丈夫だ。
とんでもないものが視界に写り、足を止めてしまう。
「……こいつは」
「魔王ルシル様像ですね」
やはりというか、なんというか、俺を思いっきり美化してある。
作者の銘が刻まれているが、思いっきり知り合い。眷属の一人だ。
「こんなものなんであるんだ?」
「うん? 魔王ルシル様像は大きな街ならどこでもありますよ。魔王ルシル様への感謝を忘れないようにって、魔王軍の皆様が設置しているんです。これを知らないなんて変です。いったい、どこに住んでいたんですか?」
「それは秘密だ」
ごまかしておく。下手に嘘をつくとバレかねない。
魔王軍の連中はやりすぎだろう。
「そうですか。こうして銅像と見比べるとほんとルシルさんって、魔王ルシル様とそっくりです。もちろん、魔王ルシル様のほうがかっこいいですが」
「そっ、そうか」
この銅像、美化するのはいいがもっと加減しろと言いたい。
「やっぱり、魔王ルシル様はかっこいいです」
よほどキーアは胸の前で手を組んで、恋する乙女の表情で魔王ルシル像に見入っていた。
まさか、キーアがここまで俺に良くしてくれるのは、魔王ルシルに似ているからってわけじゃないよな?
◇
ダンジョンは巨大な塔だった。
どことなく神の塔に似ている。
雲を貫く巨大な塔、人の手では作れない神の御業。
その塔には次々とひっきりなしに人々が入り、入り口付近には無数の露店が立ち並び盛況だ。
「なるほど、そういうわけか」
思わず笑みが溢れる。
間違いなく、管理者権限を使って作られたもの。
俺は、これを見てようやくダンジョンとは何かを完全に理解した。
そして、どうやって神の力が及ばないこの地で、こんなものを作り、それがこの島を生きる魔族たちにどういう影響を及ぼしたのかもわかってしまった。
ひどい抜け道を使っている。
だが、面白い。
まさか神や天使も魔族を滅ぼすためのおもちゃで、魔族たちが繁栄するなど、考えてもいなかっただろう。
魔族たちはずいぶんたくましくなったものだ。
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