後遺症と私
家に帰ってからも、私とお姉ちゃんは手を繋いだまま黙っていた。
「……」
お互いの顔を見る。苦々しい表情をしているお姉ちゃんの瞳には、無表情な私の顔が映っていた。辛くて苦しいのに、私の顔はそれを表現してはくれない。だから、言葉を。
「お姉ちゃん、私もう少しだけお話したい」
「私もよ」
お姉ちゃんは私の手をエスコートするように優しくひいて、テーブルまで歩く。お姉ちゃんが座った隣に座る。
「お姉ちゃん、私ね。最初は本当に、キアに酷いことするつもりだったんだ」
ゆっくりと、言葉を紡ぎ出す。お姉ちゃんは黙って話を聞いてくれる。
「でもね、お姉ちゃんがそばにいる、って思ったら……ブレーキがかかったの」
「邪魔だったかしら」
首を振って否定する。違う。私が伝えたいのはそんなことではない。
「お姉ちゃんのおかげで、あいつらと同類にならずに済んだ。私、やっぱり人でいたいから。痛っ」
急に頭が痛くなって、私は頭を抱えて唸る。目を閉じると、あの時の記憶が鮮明に克明に思い出される。暴力的な実感と共に、嫌だと思っても、私の意思とは関係なしに記憶が再生される。
「澪?」
あ、あ……。
記憶が、圧倒的な現実感と共に蘇る。そ、そうだ。私は、もう……。
『ほら、助かりたいんだろ? 何か言うことは?』
『たすけ、助けてください。なんでもします。どんなことでもします。だ、だから……』
私は御陵臣を見上げている。両手両足をもがれて、彼の指先が私の口元にある。
「澪、澪!」
違う。わ、私は好き好んであんなことをしたわけではない。私は違う。私は汚れてなんかいない! いないんだ!
「澪っ! しっかりして! どうしたの!?」
「……お、お姉ちゃん」
ようやく、頭の中が晴れてきた。お姉ちゃんの顔は見ない。見てしまうと多分、また思い出してしまうだろうから。
「だ、大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ!? あなた自分が何言ったかわかってるの!?」
「え……?」
戸惑っていると、お姉ちゃんが私の肩を抱きしめた。
「やっぱり、私があのとき止めていれば……っ! あなたは、こんなことにならずに済んだのにっ!」
お姉ちゃんの果てない後悔が胸に痛い。
そっと、私を抱きしめる手に触れる。何度か撫でて、その存在を確かめるように優しく握る。
「……お姉ちゃんは、ここにいる」
「ええ、そうよ。あなたを守ることすらできない弱い姉よ」
なんでそんな悲しいことをいうのだろう。ここにいてくれて、記憶の波から私を助けだしてくれた。それだけでも、すごくうれしいのに。
「お姉ちゃん、そんなこと言わないで。ここにいてくれてありがとう。きっと、これからも、時々こんな風になっちゃうけど……」
「……大丈夫よ。不安にならなくても、あなたが元に戻るまで待つし、元に戻っても一緒よ」
ありがとう。心の底から思う。
「だからね。お姉ちゃん。あの時私を止めなかったことを……後悔しないで」
お姉ちゃんは頷いてくれなかった。
「あ、あなたね……無茶、言わないで」
無茶、と言い切られたことが妙に悲しくなった。
「ごめん。なら、せめて私を誇りに思って。ボロボロになっちゃったけど、私はみんなを守ったんだから」
お姉ちゃんには悲しい思いをしてほしくない。
だから私は戦ったのに……。私の存在そのものが、お姉ちゃんを苦しめている。それは、私にはどうしようもないことのように思えた。だから、せめてお姉ちゃんが私を重荷に感じないようになってほしい。
「……わかったわ。でも、澪、お願いだからもう無茶や無理はしないで。このままだと本当におかしくなっちゃうわ」
お姉ちゃんは私の背中を撫でながらそう言った。もう、私はおかしくなっているのではないだろうか。そう思わずには、いられない。不安で片づけられないくらい、それは強い気持ちだった。
「私は……」
無理や無茶をするな、か。敵はいないんだから、もう休んでもいいよね? もう、安らいでもいいんだよね。
「私は……お姉ちゃんを愛してる」
思いついた言葉を、口にした。
「え?」
「だから、心配かけたくない」
そう、とお姉ちゃんは相槌を打つ。
「私、これからゆっくりと、休むね」
「ええ。好きに休みなさい。きっと、誰も文句は言わないわ」
私はおずおずと、お姉ちゃんに抱きつく。ザッ、と視界にノイズが走ったようにあの一週間が思い出される。でも、暖かい。私の冷え切った心が溶けて行くようだった。怖い。安心する。
矛盾しているようだけど、どちらも私が感じた素直な気持ちだった。
……お姉ちゃん、大好き。愛してる。私はそんなことを思いながら眠りについてしまった。
あ、お姉ちゃんに手間かけさせちゃったな。でもまあいいか。お姉ちゃんに手ずからベッドまで運んでもらえるというのは、きっと幸せの証だろうから。
夢を見た。
キアがいる。私は彼女を好きに虐める。殺して、楽にしてとキアが懇願してくる。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、血まみれの体でみっともなく低頭するようすは、とても嗜虐心をそそられる。
「殺してあげる。あと三日くらい楽しんだあとにね」
かつて御陵臣が私に言った言葉。私は気付かぬうちに、無意識的にそれを口にしていた。
自分で自分が許せなくなった。
……ん。
私は目が覚めた。嫌な夢を見たみたいに全身が汗でじっとりとしている。
「お姉ちゃん、起きて」
外を見る。割りと明るい。朝か。今日は何をしよう。
……まずはお風呂に入りたい。汗ばむ肌が気持ちが悪い。
「……お姉ちゃん」
ん、と隣で寝ているお姉ちゃんがむずがった。
ああ、可愛らしいな。この人と家族でいれるなんて、幸せなことなんだろうな、きっと。
昨日はお昼寝したあとずっと一緒に魔法の練習して、それから寝たんだった。練習ばっかりだったから疲れた。まだ疲れがとれない。
「……おはよう、澪。悪いのだけど、昨日の夜何したっけ?」
「昨日は、ずっと魔法を使う練習してたんだよ。大変だったけど、楽しかった」
お姉ちゃんは小さくそう、と呟くだけだった。
その表情は暗く沈んでいた。どうしてだろうか?
「澪、今日はどこかへ行く?」
そうだな、美沙お姉ちゃんにも会いたいし、カグヤにも久しく会ってない気がする。
「永遠亭へ行く」
「そう。私もついて行っていい?」
「お願い」
悪い人はいないと思うけど、念のため。お姉ちゃんがいるのなら、安全だろう。
「それから、お風呂入っていい?」
「朝から?」
「うん。寝汗かいちゃって」
面倒ね、とアリスは言った。
「目を閉じて」
言われた通りに目を閉じる。
「洗浄」
ざあっと、足の先から頭の上まで一気に水が駆け上った。服も含めてビチャビチャになる。
「お、お姉ちゃん?」
「ごめんね、澪。乾燥」
今度は上から下向きに、私の肌を暖かい風が駆け抜けた。その風は水が滴っていた床も含めてすっかりと乾かしてしまった。
「もう目を開けていいわよ」
そっと目を開けると、何故かお姉ちゃんが不安そうな表情をしていた。
「気分はどう?」
まさにおそるおそる、といった風に聞いてきた。
「すごくさっぱりした。ありがと、お姉ちゃん」
「……そう、それならいいのよ。ごめんね、澪」
どうしたのだろう? 首を傾げて疑問の意を表してみる。
「ちょっとね。どこまであなたが強固に忘れ……いえ、なんでもないわ。勘違いだったみたい。熱とか怖くなかった?」
頷く。
「暖かくて心地よかった。魔法って便利だね」
「ええ、そうね。でも……その、残念だけどあなたは使えないわ」
お姉ちゃんの手を取る。
「大丈夫だよ。私、魔法が使えなくてもお姉ちゃんの妹だから」
「……そうね。それじゃ、いきましょうか」
「うん!」
私達は外に出て、永遠亭へと向かった。道中は、アリスがいるから誰にも襲われないだろう。
ふと、疑問に思った。そういえば私はどうして魔法の森が危険な場所で、アリスみたいな強い人がいないとすぐに襲われるような場所だと知っているのだろう。
……ま、いいか。
疑問はすぐに消えた。というより半ば無理やり消した。疑問をそのままにしない私にしては、ずいぶんと投げやりな結論だったが、気にならなかった。
それも含めて、どうしてだろうか。