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東方幻想入り  作者: コノハ
世界の脅威
39/112

知識と私

「お姉ちゃん、何されたと思う?」

 私の質問に、カグヤは答えなかった。

 共同寝室となりつつあるこの部屋では、今ノーマと美沙お姉ちゃんが眠っていて、私とカグヤがお姉ちゃんのそばにいる。

「服に乱れはなかったし、本格的に汚されたわけではないだろうけど……やっぱり、心配」

 私は布団をかぶって眠っているお姉ちゃんを観察しながら言った。つい最近まで感じていた渇望するような飢えは失せている。御陵臣の腕と脚を食べたからだろう。

 しばらく待っても、答えはかえって来なかった。不思議に思い、カグヤを見る。彼女は度肝を抜かれたような顔をしていた。

「……どうしたの?」

「いや、あなた、どこからそんな……」

「私の世界には、本を開けば山のように知識が得れる。いい知識も、悪い知識も、全部私を生かす知恵となってくれた」

 辞書、本、ニュース。それらから得られる知識は、甘美なものもあれば、思わず目を覆いたくなるような醜悪なものもあった。性的な知識は、多くの嫌悪感を私にもたらした。何度か非営利目的で攫われたことのある身としては、対岸の火事、遠く体験する出来事で済まないというのが主な理由だろう。

 だが、いくらなんでもこの幼い身には過ぎた知識であることには変わりない。カグヤが驚くのも、当たり前か。

「……そんな、それにしたって……」

「知らなければ、もっと苦しんでいたと思う。覚悟なしの痛みは、辛いものだから」

 ずるい言い方になってしまった。けれど、事実なのだ。覚悟できるということは、幸せなことなのだ。知らない脅威ほど、恐ろしいものはない。

「……そうね。知らないって、怖いことね」

「わかってくれて嬉しい。ねぇ、カグヤ、お姉ちゃん、本当にキスされただけなのかな」

 カグヤはしばらく唸った。

「私はその、よく見てないからわかんないけど、服脱がされてないんなら、そうじゃない?」

 だといいけど。

「でも、キスされただけであんなにも放心状態になるかな?」

「ふうん……あなたは、いや、なんでもないわ」

 カグヤの言葉で、つい思い出してしまう。

 私の初キスは、御陵臣が相手だった。筋肉弛緩剤を致死量投与されて、肺に空気が入っても無駄だということを思い知らせる拷問として、だけど。

「……そのときは苦しくて、キスがどうとか思わなかった」

 カグヤはショックを受けたような顔をした。

「澪……」

「今は、私のことなんてどうでもいい。お姉ちゃん、大丈夫かな」

 私の心配事は、それだけだった。

「多分、大丈夫よ。あなたほどではないから」

「そうかな。……そうだよね」

 私はカグヤの言葉に納得した。そう、私より酷い目に遭わされたというわけではないのだから、大丈夫。

 安心すると、大きなあくびをした。

「ねむくなっちゃった。寝てもいい?」

「好きに眠りなさい。私も、眠るから」

 カグヤは自分の布団に潜って、床に就いた。私も自分の布団に入る。

 今日初めて人と戦った。想像していたよりも、ずっと楽だった。

 でも、御陵臣も本気を出している様子はなかった。次ぶつかったら、手も足も出ずに捕まってしまうかもしれない。そうしたら、私、は……。

 私は自分の想像が恐ろしくなって、思わず布団の中で縮こまり、自分で自分を抱きしめるように腕を交差させる。

 怖い。

 もし、次に捕まったら、またあんな苦しみが待っている。捕まるわけにはいかない。捕まりたくない。捕まったら、おしまいだ。

「……お姉ちゃん」

 美沙お姉ちゃん、アリス。私が呼んだのは、どちらの姉なのだろう。

 眠りに落ちるまで考えても、わからなかった。生還してまだ三日。


 夢だ。

 狭い部屋。私の周りには山のように干からびた死体が積み上がっていた。暴虐の記憶はない。けれど、この惨状は自分がやったのだということがわかる。

 もうカラカラで、これ以上絞りようがない死体達を前に、私は途方に暮れる。もっと楽しみたい。もっともっと他者を虐げたい。

 ああ、そうか、蘇らせればいいんだ。

 私は両手を広げる。足から大量の血が染み出すようにながれ、やがて部屋の床を血で浸した。その血に、私は吸い取った命を注ぐ。すると、血の中から私が吸った人がのそりと起き上がった。その人たちはちゃんと意識はあるし痛覚もある。ただ違うのは私の好きにできるということ。

「ああ、愛しい人達。もう一度私のご飯になって?」

 私はもう一度、彼らで楽しんだ。もちろん血の総量は変わらないが、快楽はいくらでも手に入る。

 私は目が覚めるまで、甘美な夢を堪能した。


「……何でそんなっ!」

 次の日、私は美沙お姉ちゃんのそんな悲鳴で目が覚めた。泣きそうな悲しそうな、とても悲痛な叫びだった。

 私は体を起こした。隣にノーマが眠っていた。安心しきった、健やかな寝顔だった。

 ……この子のせいで、私は……。

 私は首を振ってその考えを振り払う。どうして。納得したはずなのに。また、こんな嫌な気持ちが湧いてくる。

「……もう嫌っ! 私帰る!」

 扉を思い切り開けて、お姉ちゃんが部屋に入ってきた。私とおなじような柄の着物を着ている。

 お姉ちゃんの顔からは、色んな感情が見て取れた。怒り悲しみ、絶望……。

「澪ちゃん、一緒に帰ろう」

 お姉ちゃんは私を見て開口一番そう言った。

「どこに?」

「元の世界よ。こんなわけわかんない奴がゴロゴロいるような世界、もう一秒だっていたくない!」

「お姉ちゃん……」

 苛立たしいのだろう。わけのわからぬままこの世界に迷い込み、わけのわからないまま、唇を奪われた。こんな風に怒り猛っても仕方ないのだろう。

「美沙、落ち着いて。解放団が騒いでるのも、一時的なものよ。霊夢が解決したら、すぐに収束するわ」

 お姉ちゃんのあとから、カグヤがため息をついてやってきた。

「解決って、それはいつ!? その間に私や澪ちゃんみたいな普通の人は、昨日みたいに酷い目に遭わされるのよ?」

 目に涙を浮かべ、美沙お姉ちゃんは言った。

「あのね、たかがキスで……」

「た、たかがキス!? なんでそんなこと言えるわけ!? あんた、長生きしすぎて感覚狂ってんじゃないの!?」

 お姉ちゃんのセリフを聞いて、さっきまで色んなことを説明されてたんだな、ということを理解した。

「あ? 私が言ってるのはそんなことじゃないの。わかる? あなたの後ろにいる子、あいつらにどんなことされたか……」

「カグヤ」

 私はカグヤの目を見る。

「苦しみは、人それぞれだよ。私やカグヤが平気でも、別の人にとっては苦痛に感じることだって、あるよ」

 私は、正直言ってキスされたこと自体はそんなに嫌な思い出ではない。その時感じたあの絶望や苦しみの方が強かったというだけだけど。

「……私が言いたいのは、この子がこんなに落ち着いているのだから、姉としてもっと堂々としてなさいということよ」

「嫌! 私こんなところに閉じ込められるなんてまっぴら!」

 そう言ってお姉ちゃんは走り出そうとする。そこを、私は手を掴んで止める。

「な、なに?」

「お外は危ないよ。私もついていく。カグヤも、ついてきて?」

 私の言葉に、カグヤは唸った。

「……ったく、お優しいのね、澪は。

 わかった。美沙、少し待ちなさい。すぐ用意するから」

 そう言って、カグヤは部屋を出て行った。

「お姉ちゃん、やっぱり辛い?」

 私はカグヤが出て行ったところで、改めて聞いてみた。

「……私、キス、初めてだったのに」

「解放団に捕まったら、キスとかどうでもよくなるくらい痛めつけられるよ」

 脅かすように私は言った。

「……あなたも、そうだったの?」

 思った反応とは違い、お姉ちゃんは私を気遣うようなことを言った。

「うん。何をされたのかよく覚えてないけど」

 一週間さらわれて、記憶があるのは約半日分。それは幸せなことなのか、不幸なことなのか。それはわからない。けれど、今のところ思い出したいとは思わない。

 ……もし思い出してしまったら私はどうなるのだろう。一週間もの虐待と拷問の記憶。耐えることができるのかな。少し、いやかなり自信がない。どうなるんだろう。今以上に絶望して、今以上に苦しむのだろうか。そんなのは、嫌だ。

「あ、あなたもあいつに?」

 私は頷いた。

「あ、あなたが? あなた、まだほんの子供……」

「もうやめよ、お姉ちゃん」

 御陵臣の存在は、お姉ちゃんにとって害悪だ。私にとっても、そうか。とにかくこれ以上、お姉ちゃんに精神的負担を与えたくない。

「あ、ご、ごめん……」

「いいよ。一人でお外にでちゃダメ。わかってくれたら、それで」

 私はカグヤの気配を感じ、立ち上がる。私が扉の方に目を向けると、それとほぼ同時にカグヤがやってきた。彼女は弓を携えたエイリンを引き連れていた。

「……どうしたの、澪?」

「なんでもない。行こう」

 私はお姉ちゃんの方に近づいて、手を差し伸べた。

「行こう。安全でいい人がいる場所に案内してあげる」

「……ほ、ほんと?」

 わずかな疑い。それは、普通の警戒心なのか御陵臣にされたことが影響しているのか、私には判別がつかなかった。

「どこに行くつもり?」

 後ろのカグヤが聞いてきた。

「寺子屋。あそこなら安全」

 わかったわ、と言ってカグヤは頷いた。私はお姉ちゃんの手を掴むと、ゆっくりと連れ出す。

「……ねえ、澪ちゃん、怖くないの?」

 私は、少しだけ動きを止めた。

「こわくないよ」

 怖い。また攫われるのでないか、また捕まるのではないか。そんなことを考えると、ここでずっと過ごしていたくなる。

 けど、お姉ちゃんのために、私のために、この恐怖は、この怯えはかみ殺す。

「そう。強いんだね」

 その褒め言葉が私の心をどれだけ救ったか、お姉ちゃんは気づいただろうか。

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