お姉ちゃんと私
御陵臣の元から生還して、二日目の夜が来た。私はカグヤ、ノーマ、美沙お姉ちゃんの三人と一緒の部屋で床を共にしていた。ノーマに美沙お姉ちゃんを紹介すると、彼は案外あっさりと床を共にするとことを了承した。
まあ、「いい?」と聞いて彼が頷いただけなのだが。言葉が使えない、ということは物凄く不便だろう。彼も御陵臣に何かをされたようで、表情もあまり変わらない。だから、余計に何を考えているのかわかりづらくなっている。
他の、ごく普通の人から見たら私たちはさぞ相手をしにくいのだろう。美沙お姉ちゃんや幻想郷の人がとびきり優しいだけで、元の世界の人はみんな、解放団のような人たちばかりなのだろう。
「……」
私は感覚の上昇した自分に戸惑いながらも、吸血鬼の力を使う練習をしていた。形だけの武器を作ることにはもう慣れたから、今度は斬れ味をあげていこうと集中する。けれど、どうもうまくいかない。なぜだろう。一度休憩がてら、武器制作を中断し、翼を生やす、しまう、生やすを繰り返す。
「……何してるの?」
私は声がした方を見た。美沙お姉ちゃんが私の動く気配を感じ取り、起きたのだろうか。彼女は私の方を見て、驚いたように目を見開いていた。
「起こしてしまった? ごめんね」
「う、ううん。何してたの?」
「戦う練習」
「どうして? あなたまだ子供でしょ?」
私は威嚇するように背中の翼を広げた。美沙お姉ちゃんが息を呑むのが聞こえた。
「約束したの。仇を取るって。戦うって。そのために、私はこの力を使う」
私はゆっくりと、美沙お姉ちゃんに近付いていく。おいしそう。弱々しい仕草や雰囲気がすごく、そそられる。
もし、この鋭い爪で突ついたら、きっと驚くだろう。最初は冗談か何かだと思うに違いない。それが本気だということを理解したら、今度は悲鳴を上げるのだ。許して、やめて。
きっと、悲鳴が乗った彼女は、とても美味だろう。
そこまで思って、自分で自分を殺したくなった。夢で見るのは百歩譲るとしても、意識があるうちに、肉親を食す妄想をするなど、絶対に許されないことだ。
「……吸血鬼、なの?」
私は頷いた。
「そう。私は化物。元人間の、愚かな怪物。……軽蔑した?」
私は静かに言って、布団から上半身を起こしている美沙お姉ちゃんを見下ろす。怯えたように身体を引く仕草が愛らしくて、食欲が湧く。しばらく反応を待っていても、何も言わなかった。
「……お姉ちゃん、かわいいね」
私は美沙お姉ちゃんの首筋を見つめて言った。カグヤのように瑞々しい肌。牙を埋めたら、きっと夢のような快楽が手に入る。
食べたい。でも、食べてはいけない。ノーマも、カグヤもアリスも、みんなダメ。私が食べていいのは、御陵臣ただ一人。
「……わ、私を食べないの?」
「どうして? 大事な家族なんだよ? どうして食べるの? おかしいよね」
私は冗談を言うように、軽い口調で言った。
ダメ。我慢しなきゃ。食べてはいけない、食欲を湧かせてはいけない。しずまって。
私は無理なことを体に言い聞かせていた。だんだん理性が怪しくなってきて、食らいつきそうにさえなってくる。ダメ。なにがあってもダメ。耐えて。耐えなきゃ。とびかかってもいけない。だから、耐えて。
私は、正しい愛なんて知らない。まちがっていない愛し方なんて知らない。だから、正しいそれを知っているお姉ちゃんを、食べてはいけない。教えてもらうんだ、本当の愛を。
打算的に食欲を抑えようと思っても、うまくいかなかった。
「……そ、そうだよね。おかしいよね、は、はは……」
美沙お姉ちゃんはそう言って笑った。顔は、引きつっていたけれど。
「おやすみ、お姉ちゃん」
私はお姉ちゃんのそばまで行くと、恐怖で固まっているお姉ちゃんを寝かしつけるように横にしてあげる。 食べられると思ったのか、お姉ちゃんはピクリと体を強張らせた。まるで、私がレミリアと最初に出会ったときのようだった。
可愛い。愛おしい。ずっと愛でていたい。ずっとこの手に置いておきたい。でもこの感情はきっと姉に向けるものじゃない。きっとこれは、人間が愛玩動物に向ける感情だ。そんなものを姉に向ける自分が、腹立たしい。
「食べないから、安心して」
「……澪ちゃん、あなた、すごく悲しそう」
私は、虚をつかれた。
「え?」
「暗いからよくわからないけど、なんだかすごく、泣きそうな感じがする。表情は、多分変わってないんだろうけどさ。でも、悲しそう。何か、あった?」
優しい姉。新しくできた、愛すべき家族。
「何もないよ。お姉ちゃんの、勘違いだよ」
だから、心配をかけたくなかった。私のされたことを全て話してしまおうか。そんなことも考えたけれど、私は口を閉ざすことにした。お姉ちゃんのために。
「……ホントに?」
「うん。ホント。だから、安心して。私、全身全霊をかけて、お姉ちゃんを守るから」
私がそう言うと、お姉ちゃんはクスリと笑った。
「かっこいいよ、澪。ありがと。おやすみ」
お姉ちゃんはそう言うと、目を閉じた。
「おやすみ」
私はできるだけ優しい声色でそう言うと、布団をかけてあげる。
しばらく見つめていると、お姉ちゃんの魅力に囚われてしまいそうだったので、私は自分の布団に戻った。 吸血鬼の力を練習しようとすると、すやすやと眠るノーマが視界に入った。
ノーマ。口の利けない、外来人。私が一週間も囚われの身となった原因。あのときこの子が私の手を振り払わなければ、私は……。
そこまで考えて、私はかぶりをふった。
何をバカな。一度は納得したのではなかったのか。あんなことをされて、折れないわけがない。そう思って、自分を言い聞かせたのではなかったのか? ふらふらと思考が行き来する自分が恨めしい。
「……」
これ以上考えても、嫌な事を思いつくだけだ。私はそう思うと、ひたすら吸血鬼の力を使う練習をした。空が白んできたころ、私は布団に入り、眠りについた。