苦痛と私
次に目が覚めた時、私は地獄にいた。少なくとも、私にとってはそうだった。地下室のような、コンクリートでできた大きな部屋で私は目覚めた。
「お目覚めかい、お姫様」
「……」
私の目の前には、顔だけは好青年に見える男の人がいた。服装は現代風な、チャラチャラと無駄に装飾された服。この男は、鳥居にいた人間と同じ匂いがする。おそらくこいつが、御陵臣。
周りを見ると男や女、たくさんの人が入り混じって私を取り囲んでいた。私は壁に背を向け、足と手を縛られ、鎖で壁と繋がれている。まるで当然とでも言うように、私は裸に剥かれていた。
扉は私のいる壁の反対側にあったが、逃げられない私には意味のないものだった。どういうわけか全身に力が入らない。
「逃げようとしても無駄だよ。かなーりキツめの薬打ったからね」
「外道」
私がそう言うと、男は壁に大量にかけられている拷問道具の内の一つ、大きなヤスリを持つと、それで私の顔を一撫でした。
耐え難い痛みが顔面に走り、思わず叫びそうになった。
ヤスリには私の顔の皮がへばりついていたが、すぐに私の顔は元通りに治った。
「へえ、すごいね。叫ばないんだ。大抵の人は今ので仲間になりますっていうんだけど」
「人でなし」
思い切りお腹を蹴られた。息が詰まって、何度か咳き込む。
「痛い? ……ねぇ、澪」
ぐい、と私の顎を掴まれた。力ずくで横に顎を外された。顎を押さえたくとも、手が縛られているのでそれすらもできない。
「仲間になるって言って。そうすれば、こんな辛い思いをせずに済むんだよ?」
顎も、すぐに元に戻る。痛みも消え失せる。
「ゴミと同化するなんて虫唾が走る」
御陵臣は、大きなノコギリを持つと、私のお腹に当てて引き始める。形容し難い、文字通り引き裂かれるような痛みと共に、血飛沫が御陵臣の顔や前面にかかる。反射的に体を丸めようとするけれど、その回避行動さえも痛みを私にもたらした。内臓がぼたぼたと落ち、自分で自分の体が気持ち悪いと感じた。上半身と下半身が完全に別れるまで切られる頃には、麻痺して痛みを感じなくなっていた。
「もしかして、痛くない? あれ、おかしいな? 吸血鬼が痛みを感じないなんて聞いたことないんだけど……。顔色も変わってないしなぁ」
その言葉の途中で、私の体は繋がり、完全な姿になっていた。
「ううん、じゃあ恥辱はどうかな」
どきりと、心臓が跳ねた音がした。
どうする。いくらなんでも、拷問の一環として経験するのはごめんこうむりたい。……しかし、やめてもらうには仲間にならなければならない。
レイムにマリサ、そしてアリスと約束したのだ。約束を破るわけにはいかない。
「いや、いくらなんでも壊れてもらっては困るんだからなぁ」
そう呟くように御陵臣は言うと、今度は斧を掴んで胸を縦に割られた。全身が縛られたような感覚がしたあと、息ができなくなる。ごり、ごりと体に入った斧が動くたび、狂いそうになるほどの激痛が私を襲う。
「もがく、ってことは痛いんだよね。すごい、ここまでされて眉一つ動かさないなんて、よっぽどだ。痛いのに、我慢してたんでしょ? 中々できることじゃない」
斧を引き抜くと、今度は私の手を掴んだ。爪の先に、何かを刺しこまれた。全身をよじって、痛みに耐える。
「次はどんなのがいいだろ? 普段できないのがいいなぁ」
「拷問、狂が」
せめてもの抵抗に、私はそう吐き捨てた。
御陵臣はにっこりと笑った。その手には、大きな杭が握られ、もう片方の手には大きなハンマーがあった。
「何本刺さるか、実験してみよう」
心臓に杭の先端があてがわれる。杭は急ごしらえなのか、あまり先端が尖っていなかった。ハンマーが振るわれ、胸の中心に衝撃が来る。私の体は小さく跳ねた。痛いのに、避けられない。苦しいのに、逃げられない。
「あれ、刺さらないな」
その次の衝撃と痛みは、今までのとは一線を画していた。皮を裂き、肉を潰し、胸の骨を砕き、私の体に侵入してくる。
「がっ……や、やめ」
「お、やっと声をあげたね。じゃ、どんどん行くよ」
何度も何度も、ハンマーが振るわれ、私の体に杭が入り込んでくる。痛みから逃れたくて、私は体を必死で動かす。無駄だとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
「おー、心臓に杭を打たれても生きてるって、不幸だねぇ」
私は何も言えなかった。息ができない。
「じゃ、次は両手両足、いってみようか。それが終わったら目、両目が終わったら口の中に杭を打ち込んで、最後は全身に打ち込んであげる」
私は足首に杭の先端を感じ、足を動かして逃れようとする。御陵臣が私の足を掴んで、押さえ込んだ。足に体重を感じ、足が動かなくなる。今度は太腿に、杭の先端を感じた。
「今なら、頷くだけで仲間にしてあげる。ほら、頷きなよ」
私は首を何度も振った。
「ふうん。勇気あるね」
それから私は全身に杭を打ち込まれた。
身動きをとらなくても、反射で体が動き、そのせいで痛みを感じて反射が起こり、という螺旋に囚われた。しだいに痛みに狂い、壊れようとしていた。
私とは一体なんなのか、そもそもこの痛みは存在するのか、全て夢ではないのか、夢であってほしい。こんな痛み、ここに来る前ならば感じずに済んだのに、心臓に杭を打たれた時点で何も感じなくなっているはずなのに、なぜ私はいまだに痛みを、苦しみを感じているのだろう。
どれくらいの時が過ぎただろうか、少しずつ、痛みを感じる場所が少なくなってきた。麻痺したのだろうか、と思ったが、違う。杭が抜かれているのだ。荒々しい手つきで抜いてくれる。目に刺さった杭が抜かれると、すぐに視界が戻った。最後に、心臓の杭が抜かれ、私は苦痛から解放された。
「どうだった? 二時間ほど放っておいたんだけど」
私の顔を覗き込んだ人間がアリスやマリサ、レイムではないと知って、私は絶望に襲われた。
「……あなたは、鬼畜生よりも、最低」
「さらなる痛みをご所望らしいね」
それから私は、何をされたのだったか。私は変わらず縛られ、繋がれたままだったが、対する御陵臣は全身を真っ赤に染め上げていた。もちろん、全て私の血だ。妙な倦怠感と、絶望が私の心を支配していた。
「しぶといねえ。さすがに、疲れちゃったよ」
「……」
声を出すのも、気だるい。
「さ、最後だよ。君が頑固なのがいけないんだよ。素直に仲間になって、我々の英雄になってくれたらよかったのに」
ゆっくりと、御陵臣は私の体を撫で始めた。今まで与えられ続けた刺激と百八十度違う性質のものに、私の体は歓喜した。
「……いい反応だね」
「下衆」
私はどうあってもされるがままでいるしかないというのが、悔しかった。一体私はどれほどの傷を心に刻まれればよいのだろう。
東野と御陵臣が、頭の中で重なる。
「……やめて」
「へえ、何されるかわかるんだ。意外にませてるね」
「許して」
「なんだ、最初からこっちから責めればよかったんだ。やめてほしければ、仲間になって」
私は、頷こうとした。けど、頭の中に、アリスの優しい笑みが浮かんだ。カグヤに抱きしめられた感覚を思い出す。アリスとカグヤ二人とは、たとえ脅されたからといっても敵になりたくない。
「ならないの?」
「……うん。私、あなたの仲間にならない。だから、好きにして」
覚悟は、決まった。これから何をされても、かまわない。何日、何週間、何ヶ月、何年かかろうがきっといつか、アリスやカグヤが助けてくれる。その時、きっと二人は慰めてくれる。優しく抱きしめて、優しく言葉をかけてくれる。だから。
「へえ、本当にいいの?」
「私は、あなたには屈しない。好きなだけ、好きなことをすればいい」
「じゃ、遠慮なく」
私は、これから幾度となく辱められるだろう。でも、大丈夫。アリスがきっと、助けてくれる。
「ふふふ、いただきます」
私の唇と、御陵臣の口が合わさろうとしたとき、壁の奥にあった扉が跳ね飛ばされるような勢いで開いた。
それに合わせて、御陵臣が扉の方を見た。
私は、一筋涙を流した。
アリスが、助けに来てくれたからだった。
「ゴミ共。妹は返してもらう」
アリスは私と御陵臣の方へと走って来た。
「あんたが、澪を!」
「おっと」
彼女の周りには、人形が何十体と浮いている。人形達の手には、武器が握られていたが、綺麗なままだった。
「じゃあね、澪。我々は、諦めないよ。何度でも勧誘するよ。それと、お口にチャック、忘れないでね」
御陵臣は私から離れると、霞のように消え失せた。一体、どうやって。
「お姉ちゃん、あいつが……」
私の手枷、足枷を外している最中のアリスに、私は言おうとしたところで、口を閉ざした。
それにしても、なんであんなに逃げ足が早いのだろう。
「あいつ、どこいったかわかる?」
「わからない。お姉ちゃん、誰か殺した?」
アリスは首を振った。
「無抵抗で通してくれるもんだから、躊躇っちゃった。御陵も仕留めそこなって、ごめんね」
「いいよ。何もされなかったから」
私は嘘をついた。心配をかけたくなかったからだ。
「で、でも、この部屋……」
「全部、私のじゃない。私、ずっとほかの人がいじめられるのを、見せられていた。次が、私の番だった」
全くのでたらめ。お願い、信じて。
「そう、間に合ってよかった。とりあえず、神社に戻るわよ」
私は胸をなでおろした。よかった、信じてくれた。
アリスは私を優しく抱き上げた。
「どうして?」
「解放団のことについての話し合いに、あなたも参加して欲しいの」
それくらいなら、別にいくらでも参加してもいい。痛みを感じないなら、それで。
「私に何もしない? 私、何も言わなかったよ、私、仲間になってもいないよ。信じて」
私は隠すつもりだった本心を、勝手に打ち明けていた。
大切なアリスに恐怖を感じるほど、私は痛みというものに怯えていた。
……アリスに心配をかけたくなかったのに。こんなこと言えば、優しいアリスが心配しないわけがないのに。
「何言ってるの!? 私があなたに何かするとでも思ってるの? ……まさか、さっきの、全部、嘘だったの?」
「え、そ、それは……」
「澪」
アリスに凄まれ、私はつい、うなずいてしまった。
「もう二度と、そんな嘘つかないで。私、あなたを傷つけたくないの。だから、ちゃんと教えて。ちゃんとサインを私に出して。そうでないと、間違ってしまうから。
……それに、そんな風になるまで痛めつけられるくらいだったら、仲間になってもよかったのに。裏切ったらよかったのよ」
「たとえ嘘でも、裏切る前提でも、アリスと敵になりたくなかった」
私の答えに、アリスは。
「もう、本当にあなたは……。頑張ったね。偉いわ。でも、次からは、すぐに仲間になるっていいなさいよ。そうすれば少なくとも、危害を加えられることはないんだから」
そう言って、労ってくれた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何?」
私はアリスの腕の中で、縋り付くようにアリスを抱きしめた。
「疲れちゃった。眠っていい?」
「もちろんよ。好きなだけ休みなさい」
許可をもらうと、私は目を閉じ、眠りについた。
安心は感じている。けれど、さっきまでの痛みと苦しみは、すぐに思い出せるほど鮮明に刻み込まれていた。