新勢力と私
最初にここに来た時、私は世界で一人きりで、アリスやマリサは何かを狙っていると本気で思っていた。
でも今は、アリスはお父さんと同じくらい大切な家族だ。
「いらっしゃい、澪、アリス」
境内を竹ぼうきで掃除していたレイムは私とアリスを交互に見て言った。
神社の鳥居から歩いて来た私達とレイムとの距離は十メートルくらい。それでも、レイムの声はよく通った。
私はアリスの後ろに隠れた。なぜか、レイムに対する恐怖が消えなかった。
「……おかまいなく。聞きたいことを聞いたら帰るわ」
「そう。何?」
「外来人のことなんだけど」
「何かしら」
アリスはゆっくりと、切り出した。
「外来人に皆特殊な力があるって、どういうことかしら」
「調査中よ」
嘘だ、ということがなぜかわかった。レイムは何かを知ってる。でも理由があって、言えない。どんな理由で言えないのだろう。
「……そう。わかったわ。あとそれから、映姫から伝言預かってるわ」
「?」
「あまり隠し事はないように、だってさ」
そうアリスが言うと、レイムは苦い顔をした。
「……そうね、わかったわ」
レイムがそう言ったとき、私は後ろに気配を感じて後ろを振り向いた。物凄い速さで、マリサが飛んで来た。境内に着地すると、砂埃を上げながら減速し、アリスとレイムの間ぐらいの場所で止まった。
「マリサ」
「おう! 元気にしてたか澪! ん? お前、目が……」
箒から降りたマリサは、真っ先に私のことを見た。
「ごめん、マリサ。私、私……」
「気にすんな! あたしは気にしてないし、言いたくなけりゃ言わなくてもいいんだぜ!」
ぽん、ぽん、とマリサが私の肩を優しく叩いてくれた。凄く安心する。
「……ありがと」
「おう、どういたしまして、だぜ」
マリサはそう私に言うと、レイムの方に向き直った。
「レイム」
「……何よ」
レイムは、マリサの視線から目をそらした。
「聞きたいことが、ある」
妙に真剣な表情で、マリサが聞いた。その様子に観念したかのように、レイムはため息をついた。
「……中、行きましょうか」
「そうだな。澪は、ここで……」
「私も行く」
マリサは、アリスの方を見た。
「ま、聞きたいっていうんなら、聞かせてあげれば?」
「いいのか? その、やっぱり子供にゃ辛い話だし……」
アリスは首を振った。
「そんなの、覚悟してるでしょ。澪は、ちゃんとわかってるわ」
アリスの確信に満ちた表情に、二人とも頭に疑問符を浮かべていた。
「見ないうちに随分仲良くなったなぁ」
マリサの疑問に、私達は顔を見合わせて答えた。
「なんたって、家族だもの」
「ね」
ふうん、とマリサは頷いた。
「ま、アリスがそこまで言うんなら、いっか。じゃ、行こうぜ霊夢」
「……ええ」
マリサに背中を押され、霊夢は神社の中にある部屋まで行った。私達も、彼女に続く。縁側のようなところから靴を脱いで上がる。
アリスとマリサ、レイムはこの前のようにちゃぶ台を囲んで座った。この前と違うのは、私もその輪の中にいるということ。
「お茶、用意しようか」
席を立とうとしたレイムを、マリサが手で制した。
「……レイム。単刀直入に聞かせてもらう。……外来人が力づくで元の世界に帰ろうとしているのは、本当か?」
レイムはしばらく黙って、それから、深く、辛そうな表情で頷いた。
力づく、で? どういうこと?
「私は初耳よ。説明お願いできるかしら」
アリスが不満顏で言った。蚊帳の外だったのが気に食わないのだろう。見たところアリスとレイム、マリサは仲が良さそうだし。
「前々から、特殊な力を持ってる外来人が帰りたがって暴発しそうな動きはあったのよ。でも、特殊な力を持ってる外来人なんて滅多にいなかったから、幻想郷全土に及ぶほどの影響力はなかった。一人が暴れたくらいなら、瞬殺できるし」
レイムが言い切ることに、私は空恐ろしいものを感じた。
「最近、もはや異常なまでに、特殊な能力を持った外来人が増えてきて、その動きはさらに活発になった。それだけじゃなく」
レイムが言ったところを、マリサが繋げた。
「仲間を増やしてるんだろ?」
レイムは頷いた。
「その連中は、外来人全員を仲間にして、自分達の意見が外来人の総意であると主張したいのよ。まぁ、そう言うのを異変として殲滅するのも悪かないんだけど、そんなことすりゃ人里の人から恐れられちゃうしなぁ」
レイムの口ぶりは、恐れられてしまうことだけを懸念しているようだった。勝てる前提、殲滅できる前提で話を進めていて、しかもそれをアリスとマリサが疑問に思わないということが、怖かった。
レイムは、ものすごく強いのだろう。私なんか息をする間もなく殺せるくらいに。
「……でね、そいつらの問題点は、従わない外来人に危害を加えること、なのよね」
「どういうこと?」
私は思わず、声を上げた。発言するつもりは、なかったのだが。私が言っても、レイムは顔色を変えなかった。
「ま、あなたには大事な話よね。
そいつら、『解放団』を名乗ってるんだけど、解放団に従わない外来人には酷いことしてる、ってもっぱらの噂よ。永遠亭って知ってるかしら?」
私は頷いた。
「そこにノーマって子がいたのは?」
それにも、頷いた。
「その子、ここにきた初日に解放団に誘われて……ね」
言葉を失うほどの目に遭わされた? 不幸があったって、元の世界でじゃなくて、この世界でだったのか。
「私はまだ誘われてない」
私がそう言うと、レイムはうーん、と悩み始めた。
「たぶん、向こうがあなたのことを感知していないわけはないと思うわ。……でも、あなたこっちにきてからあんまり一人で行動してないでしょ?」
頷く。完全に一人になったときなんて、一度か二度だ。そこで、思い出す。
そういえば、あの時、鬼二人を食べた時、声が聞こえた。あれが、解放団の?
「解放団の連中、私達幻想郷の人間を目の敵にしてるから、顔を合わせたくないんでしょ。だから、一人になったら誘われるかもね」
顔を合わせたくないから、アリスべったりの私は誘われなかった、ということか。そして、離れたから私は勧誘されかけた。私は噛み潰して理解した。
「で、レイム。トップの名前と能力、割れてんのか?」
「ええ。御陵臣、『他人に感情の芽を植え付ける程度の能力』よ」
「何よそれ」
アリスが不思議そうな顔をして聞いた。
「言葉通りよ。そいつは小さな感情の芽を他人に与えることができるの」
「大したことないじゃん」
私はアリスの服の裾を引っ張って、注意をこちらに向けた。アリスがこっちを向いたところで、私は首を振った。
「お姉ちゃん、感情っていうのはとても大事なものだよ」
「んなことわかってるわよ。だからあんたあんなに苦しんだんでしょうが」
お父さんのことを言っているのだろうか。
「うん。もしその人が、幻想郷にいる人たちに対する敵意を植え付けたら? あるいは、郷愁を植え付けたら?」
私の言葉に、アリスは納得したような顔をした。
「そいつがリーダーやってる理由がわかったわ。ったく、厄介な」
「へぇ、賢いじゃねぇか、澪」
ガシガシと音がしそうな手つきでマリサは私の頭を撫でた。
「ありがと、マリサ」
「にしても、お姉ちゃん、ねぇ。似あってるぜ、アリス」
マリサはにかっと笑ってアリスにいった。アリスは照れ臭そうに顔を逸らした。
「……馬鹿言ってんじゃないわよ、もう」
二人の様子に、レイムが呆れ返っていった。
「はいはい、いちゃつかないで、話続けるわよ。正直、いざとなったら殲滅できると言っても、解放団は厄介よ。それに、解放団がそろそろ一勢力としての力を確保しそうなのは、間違いないわ」
「そんなにいるの?」
アリスの問いに、レイムが頷いた。
「射命丸が情報源だから正しいのかどうか不安だけど、幻想郷にいる外来人の七割から八割が、解放団所属、らしいわ」
……相当数に登るのではないだろうか。確か、レイムの話では外来人はかなり多く、しかも間引きに近いことをするほど、外来人が幻想郷に来る機会も多い。その内の、七割。
「結界を閉じるのも、後回しにせざるを得ない状況よ」
「ん? それはなんでだ?」
マリサは首を傾げた。レイムはしばらく黙って……何かを考える様子を見せた後、口を開いた。
「結界を閉じたことで解放団が武力に訴えてきたら、やつらを殲滅しても批判が噴出するわ。さすがに、信仰心が離れていくのはこまるしね」
そういえばここ神社だった。私はレイムの話を聞いて改めて思い出した。話が政治的すぎて、忘れていた。故郷の神社もこんな話を……するわけないな。
「ま、そりゃそうだよな。で、解放団になんか対策あんのか?」
レイムは苦々しげに首を振った。
「向こうは強硬姿勢を崩さないし、こっちはこっちで交渉のカードもってないしね」
「本当に何もないのかしら。探せばあるんじゃない?」
レイムは指を顎に当てて思案を始めた。
「……一定周期で外来人を外の世界に返す、というがギリギリのライン、かしら。しかも返せるのも特殊能力を持ってない外来人に限られるし……」
私は思わず立ち上がった。
「どうしたの? お手洗い?」
「今、なんて」
私の質問に、レイムは何かに気づいて、目をそらした。
「なんて」
「……特殊な能力を持った外来人は、元の世界に返せないわ。外の世界を幻想郷からの帰還者に壊させるわけにはいかないのよ」
「じゃあ、私は?」
私の声は震えていたかもしれない。まさか、まさか。
「……微弱な、本当に弱々しい能力なら、帰してもいいことになってるけど……」
「……私は、不老不死で吸血鬼」
レイムとマリサは目を見開いた。
「……この四日間で、何があったの?」
「色々あったのよ」
アリスは衝撃を受ける私をよそに、そんなことを言った。
「ごめんなさい、澪。あなたを元の世界に、返すわけにはいかない。不滅の吸血鬼なんていう絶対者になり得る存在を……外の世界には出せないわ」
私は、悲しいのだろうか。それとも、化け物と判断されたのが嫌だったのだろうか。わからなくなった。
「……私、永遠にここにいるんだね」
帰れない。それは、先生にも、学校のクラスメイトにも会えないということであり、そして、四年間集め続けたお父さんからの、あ……お金が、本当に無駄になったことを意味していた。
「……いい。お父さんは、この世界にいるのだから」
「お、ならいいじゃねえか! 家族一緒に」
「その父親、半悪霊で澪のこと虐待してた上に憎んでて、死ねとかいう人よ」
「……ごめん、澪」
アリスの冷たい言い草が私の心に突き刺さった。
「いいよ。私がお父さんを愛してるのは変わらないから。もちろん、アリスのことも大好きだし愛してるよ」
私は誤解されないように、アリスに言った。お父さんのことはまだ愛してる。でも、アリスだって愛してる。二人に家族の愛を感じるのは、異常なことではないはずだ。マリサとレイムは、私の言葉に苦い顔をしていたけど。
「……ありがと。澪、やっぱり、元の世界に帰りたい?」
私は、頷かなかった。ここに来た時帰りたかったのは、お父さんがいると思っていたから。お父さんがこの世界にいるのなら、正直言って帰る意味はかなり薄れる。
けど、それでも、あの家に帰りたい、という気持ちはある。解放団に入ってここにいる人たちと敵対してでも帰りたいかといえば、違うけど。
「あんまり」
「そう……」
アリスがほっと胸を撫で下ろしてくれたことが、妙に嬉しく感じた。何気ないことで、愛されてると感じれる。
「……まあ、それなら、何より。澪、今からでも遅くないから、神社にいなさい。守ってあげる」
私はレイムの提案を首を振って否定した。
「私、吸血鬼。それに、レイムに守ってくれなくてもアリスが守ってくれる」
私は座って、アリスの腕に抱きついた。そもそもなぜレイムがこんなことを言うのかはわからない。
「……そう。じゃあ、少なくとも、解放団には入らないでね、お願いだから」
「わかった」
私は頷いた。もし誘われても、絶対に入りたくない。レイムやマリサ、アリス、エイキにエイリンにカグヤ。こんなに沢山の人に優しくしてもらったのに、その人たちと戦うなんて嫌だ。
「いい返事ね。それから、ちょっと出ててくれる?」
レイムが、私にそんなことを言った。
「どうして?」
「これから話すことは、あなたに聞かせたくないの」
「覚悟はある」
どんな醜悪な情報だって、私は受け入れる。
そんな覚悟があるというのに、レイムは首を振った。
「ダメよ。あなたのことに関してなんだから」
「……自分のことを知るのは、ダメ?」
レイムは首を振った。
「じゃあ」
「お願い。聞かないで」
真剣な表情だった。何の話をするのだろう。気には、なる。
「私を、退治するかどうか?」
「あなたを退治なんて、誰もできないわ。だから安心して」
私はその言葉を聞いて、立ち上がった。
「わかった。じゃあ、外で待ってる」
私は縁側まで行くと、靴を履いて外に出た。ふと何かにもたれかかりたい気分になって、何か背中を預けられるような物がないか探す。少し遠かったが、鳥居があったので、私はそれにもたれかかることにした。
鳥居まで行くと、鳥居にもたれかかって三人が話している姿を遠目から眺める。三人とも、何を話しているんだろう。
「……星空澪、だね」
「誰」
後ろから聞こえた声に、私は聞いた。鳥居の後ろ、私の反対側にいるのはわかった。匂いからして、人間だった。男性の声だけど、濁ったような変な声だった。ボイスチェンジャーでも使っているのだろうか。
「君は我々の希望だ。吸血鬼にして、永遠。そして、外来人。最大級の戦力になる」
「解放団か」
私の返事に、鳥居の後ろにいる人は感心したような声をあげた。
「我々をご存知だったか。何より敵がそばにいたから、誘うのが遅かった。済まなかったね」
「……あなた、御陵臣?」
まさか、ここに誘われた? 能力を使われたのか? だから、こうして何かに背中を預けていると妙に安心するのだろうか。
「ご明察。聡明なお嬢さんだ。ならば、私がここに来た理由もわかってくれるかな」
「私を勧誘しに来た」
そのとおり、と解放団のリーダー、御陵臣は嬉しそうに言った。
「君には最大級の待遇を用意してある。我々の力になってくれるね?」
「断る」
私は断言した。誘われても、断ると約束したのだ。それに、この人はまだ私を信用していない。だから。
「そうか。残念だよ」
ピン、と小さな音がした。首に、違和感と、痛み。息がしにくくなって、苦しくなってくる。
「……な、何を」
「君には改心してもらうよ。いやぁ、君は不老不死だからね。他の人みたいに殺さないよう手加減する必要がないっていうのが楽だよ」
ギリギリ、と私の首が締め上げられる。かつて、母に殺されかけた時のことを思い出した。あの時は、死ねば終わりだったが、今は違う。死にはしない。ならば、またアリスに会える。ならば、大丈夫。
「暴れられても困るから、ね」
首が鳥居に押し付けられるような感覚がする。意識が薄れてくる。話している三人を見る。まだ気付いていないみたい。叫ぶこともできなかったし、遠目からじゃきっと、鳥居にもたれてるようにしか見えないだろう。
「その首、落とさせてもらうよ」
プツン、と自分の首の皮が切れる音を聞いた。痛みが強くなって、血がとめどなくあふれて、自分の血で溺れそうになる。息ができない。意識が遠ざかる。
ゴトン、という何かが落ちる音と同時に、私は意識を失った。