再確認と私
吸血鬼になってしまった。アリスと一緒に暮らしていけるのだろうか?
私が真っ先に心配したのが、そのことだった。アリスの心拍や呼吸数が詳しくわかるというのも怖かった。吸血衝動もある。けど、なにより嫌なのは、アリスに見限られること。生きているのに一人。それは、何よりも恐ろしくて、何よりも嫌なことだった。
そして、そこで始めて、私は気付いたのだ。私は、何をしようとしていたのか。こんなにも、こんなにも必死で助けてくれる家族がいるのに、私はお父さんへの想いを優先させてしまった。その、罪深さを。
「……アリスお姉ちゃん」
「何?」
アリスは私を抱きかかえながら、曲がり角の向こうを確認していた。今、紅魔館から逃げる最中。アリスと私は隠れながら移動を続けていた。ここへ来るときも、隠れて移動してを繰り返し、人形を取り出したのはレミリアの寝室の前だったそうだ。
「アリスお姉ちゃん、私戦う」
なぜだか、今は誰にも負ける気がしなかった。かつて他人に感じていた恐怖がまるで嘘みたいに、薄れては消えていく。
「……無理しなくていいのよ」
苦々しい様子でアリスは言った。
「お姉ちゃん、ごめん」
「何が」
「約束、破ってしまって」
アリスは何も言わなかった。
「お姉ちゃんとの約束も、エイキとの信頼も裏切って、一人で死のうとした。ごめんなさい。私、お姉ちゃんのこと、全然考えれてなかった。お父さんのことで、頭がいっぱいになって、それで」
アリスは、私の頭に手を乗せた。
「あのお父さんじゃ、いっぱいいっぱいになるのも仕方ないわ。それは、わかってる。でもその口振りじゃ、もう死ぬ気はないんでしょ?」
頷く。もう、自殺はしない。お父さんに会うのはもっと後になる。お父さんは、きっといくら後になっても愛してくれる。そう、地獄で、お父さんからの終わることのない『愛』を。
「どうする? お姉ちゃん、皆、殺しちゃうの?」
アリスは首を振った。
「いえ、誰一人傷つけないわ」
「……サクヤは倒したんでしょ?」
「まさか」
アリスはニヤリと笑ってそう言った。全部はったり、だったのか。
「今なら大丈夫、行きましょ」
「うん。……それからお姉ちゃん、私一人で歩けるから」
私を担ぎ上げたまま走り出そうとしてたアリスに私はそう言った。
はやく体を動かしたい。暴れたい。そんな衝動が体の中にあった。
「そう。わかったわ。行きましょ、ついて来て」
アリスは一気に走り出した。私も彼女についていき、入り口まで一気に駆け抜けた。
エントランスまで辿り着くと、アリスが足を止めた。そこには、一人のメイドが立っていたからだ。
「お客様。私や美鈴に連絡なしに館に侵入されては困ります。すみませんが、外に案内させていただきます」
「……よろしく、サクヤ」
私はサクヤに対する恐怖が消えていた。いや、それどころか、彼女に対して乾くような変な気持ちを感じる。
「……お嬢様からは、丁重にお送りしろと仰せつかっております。ので、私はあなた方をお送りします」
それはまるで、命令がなければ何かをしている、という宣言であるかのようだった。
「それはどうも……」
アリスは警戒を解き、普段通りの調子に戻った。
「しかし、次無断で館に入られた場合……。
二度と館から出ることは出来ないでしょう。……とだけ、忠告いたします」
精一杯の脅し。私はサクヤのセリフをそう感じた。怖いどころか、必死さが伝わってきて微笑ましくさえある。
「わかったわ。胸に刻み込んでおくわ」
「ありがとうございます……」
サクヤは玄関の大扉を開けた。アリスと私はサクヤに一礼をしてから紅魔館から出た。
「……面白かったね」
「え?」
私の感想に、アリスはたじろいだ。
「……ごめん、なんでもない」
「そ、そう?」
彼女の反応で、自分の抱いた感情が、異常なものだと気付いた。死の危険を感じさせようと必死なサクヤが、面白くて、楽しくて。私は人間ではなくなったということを、嫌でも実感した。
「おかえりですか、お客様」
「え、ええ」
メイリンは鋭い目つきで私とアリスを睨むようにして見ると、門を開けてくれた。
「次からは、私のところから入ってきてください」
「わかったわ」
アリスは頷くと、半ば駆け足で紅魔館から出た。私もゆっくりとした足取りで、アリスに続く。空を見上げると、月が上がっていた。思ったより長い間レミリアと過ごしていたようだ。
「……ねえ、澪、あなた、目が赤いわよ」
「……ごめん、お姉ちゃん。私吸血鬼になってしまった」
アリスは、なんと言うだろうか。
「歩きながら、話しましょうか」
頷いた。アリスの手を取ろうとして、私は自分が人間ではないことを思い出し、手を下ろした。
その次の瞬間、アリスが私の手を握ってくれた。昨日も歩いた森を、ゆっくりと私たちは歩いている。
「……吸血鬼に、ね」
「うん。でも、迷惑かけそうになったら出て行くから、嫌わないで。ううん、嫌ってもいい。せめて、殺さないで」
吸血鬼は人間の敵だ。人間の味方であるアリスからしたら、憎い仇も同然である可能性は十分にあるのだ。
「いや、別に嫌いもしないし殺さない……とは、約束できないわ」
「……そうだよね」
まあ、嫌われはしないのだからいいか。
「あなたが私を食べようとしない限り、殺さないわ」
私ははっと、アリスの顔を見た。
「いいの? ありがと」
よかった、よかった! 私、殺されないんだ。退治されちゃわないんだ……。
「にしても、吸血鬼に、ねぇ。どんなことができるか、わかる?」
アリスに言われて、自分の中を探ってみる。けど、体感的には普段通り。
「わからない。ごめん、お姉ちゃん」
「いいのよ。でも、何ができるかくらいは知っておいた方がいいわね……。永遠亭にでも行く?」
私は首を振った。
「いい。私は、お姉ちゃんの妹なんだから、吸血鬼の力なんて積極的に使いたくない」
「嬉しいこと言ってくれるわね」
アリスはそう言って笑ってくれた。吸血鬼などという化物になった愚かな私に、こんな微笑みをくれる。
ああ、この人が、私の家族なんだ。身を包む幸福にを噛みしめる。
「……お、お姉、ちゃん」
この流れにまかせて、言ってしまおう。言いたかった一言を。なんて、返してくれるだろうか。お父さんみたいに返されるのだろうか。怖い。アリスに死ねなんて言われたら、どうしよう。でも、きっと、多分。
私は一縷の望みかけて、言ってみた。
「なに、澪?」
「あ、愛、してる」
「……。私もよ、澪」
私はやっと、誰にも首を傾げられないような愛情というものを理解できる。そう感じた。