一章 第三話
「それじゃあ、俺達は先に宿の方に行ってるぜ」
「あぁ、頼む」
交易都市カナードは、その名にふさわしい凄まじい商魂と活気の溢れた街だ。路傍には屋台が並び、そこから美味そうな匂いが風に流れて、空きっ腹を存分に刺激する事だろう。実際、ラッツに連れられた一刀も、先ほどから視線が屋台の方へとくぎ付けになっている。
彼ら商隊との交易都市までの三日間、食べ物に困っていたわけじゃないが、この世界に来る前と比べればかなり少ない量だったのだろう。一刀の腹は常に空腹を訴えかけていた。
幸い、例の端末から貰った金が幾分か残っている(多少、ここまでの運賃や食費としてオズワルに支払った)為、軽食でも取ろうと思えば取れるのだが、残念ながら今はラッツに連れられて冒険者ギルドへと向かっている途中だ。
やはりというか、冒険者を統率する組織が存在するようで、彼らはそれをギルドと呼んでいる。更に、冒険者の中にはランクが存在し、それによって受けられる依頼が異なってくるようだ。下から、F、E、D、C、B、A、S、と分類され、Fはなりたて、Eは半人前などそのランクによって人から受ける印象が変わってくる。ランクAやSに関しては、既に人を逸脱したレベルであるため、民間組織であるギルドではなく、国が管理を行っている。
ギルドの本部はリヴィエラ教国とフォルネスト王国の中間にあるオーヴェント自治国家の首都、ダラクスに構えている。様々な種族、人種があつまるかの国にとっては、種族間に対してギルドは一種の緩衝材のような役割を果たしている。どんな人種、どんな種族であろうと、来る者は拒まず、去る者は追わず。それがギルドの基本理念だ。
そして、このカナードは交易都市という性質上、ダラクスと似た点が多く、その為ギルドの規模もかなり大きい。それ故にか、この都市で冒険者登録を行おうとする者は多い。規模が大きいなら、恩恵も大きいだろうと勘違いする者が少なからずいるからだ。確かに、地方と比べると、その依頼数には差があるだろうが、それを成し、一攫千金へと繋がるかは本人の実力次第だというに……。
閑話休題。
現在、そのギルドのカナード支部へと向かっているのだが、いかんせん街の規模が大きく、また人の数も凄まじいものであるため土地勘の無い一刀だと、関係の無い方向へと行きかねない。その為、以前にも来たことがあるラッツ達に道を聞いたところ、ならば色々と報告もあるので一緒に行こう、と言われ現在に至る。
実際、ラッツが傍にいるとはいえ、一刀のこういった場所への免疫はほとんどなく、先ほどから色んな場所へと視線が移りっぱなしだ。向こうではほとんど各地にあるアジト、そして敵勢力の拠点を行き来するくらいしか動きはなかった。食事など、生活必需品などは特別なルートを辿って調達していた。故に、こういった場所は一刀にとっては幼い頃に親と共に大きなショッピングモールに連れて行ってもらった時依頼だ。
完全に田舎から出てきたお上りさん状態である一刀を眺めながら、ラッツの口の端が小さく緩む。まだ世間を知らない少年にとっては、この街は宝のようでもあるのだろう。その様子は完全に社会を知らない子供のソレであった。
少しばかり、大通りと思われる場所に一定の間隔で並んでいた露店を見回していた一刀。だが、ある程度見ていて満足したのか、ラッツの後に大人しくついていく。
しばらく通りに沿って歩いて行くと、右手に大きな建物が見えてきた。大きく「ギルドカナード支部」と看板が掲げてあるところをみるに、もしかしなくてもこの場所がこの交易都市に存在する全ての冒険者を統率するギルドなのだろう。その様相は、建物自体も他の物と比べると異彩を放っており、例えるならビルが並ぶ都市部の中心に、宮殿が構えているようなものだ。とはいえ、流石に王侯貴族の住む宮殿のような厳かさはない。多少、人を圧倒するほどの威圧を放っているが、あくまでそれは外装の意匠によるもので、実際ギルドを出入りする人間の中には、冒険者以外にも一般人や、商人と思われる人物もいる。
どんな考えを持って、冒険者ギルドにこんな装飾をしたのか小一時間問い詰めたくなる一刀だが、今回ここに来たのは外装に対しクレームを入れる為ではない。
ラッツと共に、これまた精密な意匠の施された扉をくぐる一刀。気になるその中は、おおよそビジネスタワーの玄関ホールかと思わせるような内装だった。広々とした空間に、あらゆる場所に設置してある椅子とテーブル。奥のカウンターには受付らしき女性が三人座っている。やはり印象的なものがあるのか、三人が三人とも美人と言える十分なレベルに収まっている。
ラッツは三人の真ん中、金髪の耳が長い女性の方へと歩いて行く。
「??」
容姿はともかくとして、その見なれない耳に一刀は首を傾げる。彼のいた世界では、人種に応じて肌の色こそ違えど、耳の形が違う人種なんてのは聞いた事はない。いや、首長族などといった原住民にはそういった変わった特徴がある事をテレビか何かで見たのは覚えている。が、どう考えてもあれは人為的なものであったし、彼女のような自然な異質ではなかったはずだ。
「おい、カズト!!」
一刀そうこう考えていると、ラッツが一刀にカウンターまで来いと手招きをしている。
「紹介しよう、この女はファラナ、このギルドカナード支部でギルドマスターのアシスタントを行っている」
「……どうも、初めまして。カズト、と言います」
「これはご丁寧に。私はファラナよ。よろしくね」
少々歯切れの悪い自己紹介に、ラッツは苦笑いを浮かべる。今までにも同じような光景を何度か見てきたからだ。ファラナの容姿、それは彼女の元の種族であるエルフの中でもお一際輝くもので、初めて目にした者は大概その美貌に見とれてその口が固くなる者も少なくは無い。だからこそ、辺境から出てきたばかりの一刀も同じように緊張しているのだとラッツは思っていた。が……
「あの……、大変伺いにくいのですが……、その耳は?」
「「耳?」」
ファラナとラッツが互いにその顔を見合わせる。多少の驚きと疑問、それが表情にありありと表れる。どうやら、一刀が問いかけた事に関しては、この世界の常識の一部であるようだ。
「……もしかして、エルフを知らないの?」
「エルフ……ですか? 申し訳ありません……。あまり物を知らないので」
「それでもエルフを知らないってのは流石に……ねぇ」
「どこぞの田舎貴族のおぼっちゃんだとは思っていたが、そこまで来ればお前がどんな環境で育ったか流石に気になるぞ」
「あはは……、申し訳無いです」
渇いた笑みを漏らす一刀は、あの端末に種族や人種の事など知っていて当然の知識について教えてもらわなかった事を後悔する。
「まぁ、本当に辺境で蝶よ花よと育てられたのなら仕方ない事もあるわよね。カズト君……でいいかな? あなたの知っている種族を教えてくれるかな?」
苦笑いをするエルフのファラナ。それすらも可憐な花が咲き誇るかのような印象を与える。エルフという生き物は、こんな常人離れした容姿を持つ種族の事を言うのだろうか。だとするなら、一刀がこの世界に来てから、エルフには一度も会っていない事になる。
「えぇと……、人間以外は……」
「……なるほど、本当になんにも知らないのねぇ。今の時代にはかなり珍しい子ね。軟禁されていたのか、それとも本当に何も無い辺境から来たのか……。随分と面白い子を連れてきてくれたわね」
「……何も知らないってのは、俺も今知ったがな」
「まぁ、そんなことはいいわ。とりあえず、カズト君にこの世界の種族の事やギルドについての事を教えます。どのみち知らなかったら後々面倒事とかに巻き込まれかねないからね」
「……よろしくお願いします」
なにやら書類の束を取り出し、机の上に置くファラナ。素直に頭を下げた一刀に、よろしい、と満足そうに呟く。その姿は、生徒を見る教師を連想させる。
「まずはこのギルドについて、ね。まずは冒険者についての基本知識から。冒険者は基本、ギルドを通して市民からの依頼、仕事などを主に生業としている職業……と言っていいのかしら、俗に言うなんでも屋ね。基本的にはギルドに寄せられた依頼の数々をこなしていくんだけど、依頼者からの指定が無い以上、報告はいつでもオーケー。ただし、依頼を受けてから一月経って音沙汰無ければその依頼は破棄されます。それ以降に依頼の達成報告を行っても受理されません。その辺気を付けてね。後は依頼の最中に倒した魔物の素材なんかも個別で買い取りを行っているから、もしそういう機会があれば活用してね。どんな魔物のどの部位が買い取りされているかは資料室の資料を見てもらえれば分かるわ。冒険者になれば、そういった施設は自由に使えるから使うと良いわよ。次はランクとクエストについてね。クエスト……依頼のことね。基本的にクエストは自分のランクと同ランクの物か、それ以下のクエストしか受けられないの。これに関しては主に安全面での話ね。無駄に上昇志向の高い冒険者がたまにやらかすのよ。自分なら大丈夫だからもっと上のクエストを受けさせろって。そういうのを抑える為なのと、万が一それを許してしまった場合、そのクエストに向かった冒険者の安否を確かめる為に、高ランクの冒険者にその冒険者を探す依頼をしなければいけない時があるの。そうなった場合、その冒険者達にも迷惑はかかるし、ギルドにしても無駄な出費になる。だから、よほどの例外が無い場合を除くと、冒険者ランク以上のクエストは受ける事は出来ません。この事はきっちりと覚えておくように。次は冒険者ランクについてかな? 冒険者ランクは下からF、E、D、C、B、A、Sとあるんだけど、最初は特例でもない限り必ずFランクからの出発となります。多分言わなくても分かるだろうけど、実力に分不相応なランクに着かせない為の配慮だから、同じ歳でランクが違う、なんて文句は受け付けていないからね。ランクが違うってことは、実力に明確な差があるってことだから。その辺りを理解するように。また、ランクは一定数のクエストをクリア後、こちらからランクアップの通告を行い、それに同意するとランクアップクエストを受ける事が出来るの。それをクリアする事が出来れば、晴れて上のランクに上がれるってわけ。後は、あなた達は冒険者として登録した時から、ギルドの管理下に入るんだけど、怪我や病気になった時はギルド直轄の冒険者であることを提示すれば半額をギルドで負担する事が出来ます。また、公共の娯楽施設なんかも、ランクが上がれば優遇されるし、割引も効く。ただし、これだけは覚えておいてね。貴方達はギルドの管理下に入ると同時に、ギルドの看板を背負っていることにもなる。だから、振舞いには気を付けて、ギルドという組織の一員である事を自覚すること。問題ごともそうだけど、色んな事に気を使う事。聖人君子であれとは言わない。ただ、潔白であることは約束して。絶対に冒険者として間違いは起こさない、と」
先ほどまで淡々と説明を進めていたとは思えない程の、真剣な光を伴った瞳で一刀を見つめるファラナ。それすらをも美貌と捉えてしまう男はそれこそ数え切れないほどいるだろう。また、その真剣な表情と、美しさが相まって一種の恐相になっており、おそらく普通の子供ならば、その双眸に映った時点で恐れを抱くに違いない。
だが、ここにいるのはただの少年ではない。
ファラナの視線を真っ向から受け、一刀もまたその刃の様な瞳をただ細く、薄く研いで目の前のエルフに純然な気を放ちながら、その小さな口を開いた。
「……はい、約束します」
「……」
真っ直ぐ、一切の揺れも見せない一刀の瞳に、その決意を感じ取ったのか、しばらく視線を合わせていたファラナだったが、その目をばつの悪そうに逸らす。若干顔が赤くなっているのは気のせいだろう。
「な、ならいいわ。最近あまり素行がいいとは言えない冒険者が増えてきたから、ただの意思確認よ」
「……あんなふうに言っているが、本音はお前の事を心配して言ってくれているんだ。礼だけは言っておけ」
「そうでしたか……。ありがとうございます、ファラナさん」
「き、気にしなくてもいいわ。いらぬお節介、ってやつよ。うんそうよ。ただそれだけなんだから、別に他意はないんだからね!!」
「は、はぁ……」
困惑した笑みを浮かべながら、一刀は空返事に近い相槌を打つ。先ほどの意思確認から様子のおかしくなったファラナを見やりながら、何か余計な事でも言っただろうか? などと思考を巡らせる。が、一刀に思い当たる節は無い。
ここで、彼女の様子の変化に一刀の容姿が関連している事を思いつかないのは僥倖というべきであろうか。向こうの世界にいた時ならまだしも、この世界における一刀の容姿は、一般的に優れている部類に入る。彼にとって生涯に渡りコンプレックスとなったその身長は、現在の一刀の身体年齢を考えると多少小柄に感じられる。また、その目は油断無く周囲を見回すために細められているとはいえ、少年の大きな目では然程違いは感じられない。少し、目を凝らしているかな? と思う程度だ。更に言うと、もともと美丈夫とも言い切れない中性的な顔の造りは、若返った事で一刀の性別を判別しにくくしている。流石に服装で判断は出来るものの、肩ほどまでに伸びている髪のせいで見ようによっては少女と捉えられてもおかしくはない。美しい、ではなく、愛嬌のある可愛い感じの顔形だ。また、少々ダボついたコートを着ている事から、その下にある体が華奢に感じる。最も、こんな事を本人に言ったところで、飛んでくるのは刃の嵐だ。本人は格好は男らしいと思っているのだから。
「あ……っと、言い忘れたわ。一応、エルフは人間との関係は比較的良好だけど、その他の種族はそうとは限らないからね」
「他の種族……?」
そういえば、と一刀はここまでエルフの事についてもそうだが、人間以外の種族について一切何も知らないことを思い出す。もしも、一刀がそういったファンタジーの創作物に詳しい知識を持っていたならば、ドワーフやドラゴノイド、魔族などといった種族の名前が出てきただろう。が、いかんせん創作物よりも現実をただひたすら捻じ曲げる事しかしてこなかった一刀にとって、それは難しい事であった。
「まずは貴方達人間族。これは当然知っているわよね? 何しろ自分自身なんだから。人間族は順応性と柔軟性、それから繁殖力に富んだ種族ね。貴方も知っての通り、ヤれば出来る種族だから全種族の中で一番数が多いの」
……おそらく他意は無いのだろう。無いのだろうが、その一部のアクセントをおかしな風に言うのは止めてほしい。一刀はそう思ったが、ここで口に出すと何故だか嫌な予感がするので止めておいた。触らぬ神になんとやら、だ。
「その次に多いのが獣人族。更に言うと、ベスティアは大小様々な種族を総じて表す名前であって、詳しく言うと、狼人族、兎人族、猫人族辺りが一般的かな? 実際は100、200の種族があるって話しだけど、流石にそこまで私は詳しくは無いわ。彼らの大きな特徴はその発達した身体機能かしら。見た目の違いとしては、尻尾とか耳とか鼻とかがそれぞれ種族によって違うからそれで見分けるといいわ。ちなみに、彼らにとって特徴に当たる部位は、人間族と比べても大きく発達しているの。それが視認可出来るようになったと思って。その次はエルフ、言うまでもなく私の種族ね。基本この三つの種族はこの世界に生きる全ての「人」の大多数を占めるの。エルフは三種族の中で一番数が少ない……と言うよりも、長命だから人間族のように子供を造る必要性がそんなに無いから、数はそこまで増えないの。だから総数は人間族のやく十分の一以下……なんだけど、私たちエルフ族には人間族では到底及ばない魔力の高さというアドバンテージがあるの。人間族が十人かかってやっと発動出来る魔法を、私たちはたった一人で行う事が出来る。この時点で、数を基にした戦力の差なんてのはほとんどないし、そもそもエルフはそこまで他の種族に興味もないから、争って利権を奪おうなんてのも考えない。だから、エルフと人間は比較的、友好な間柄なの」
力を持つ者に争う意思が無く、それ故にもう片方もその意思に従わざるを得ない。かつて一刀が破壊しようとした歪な平和とはまた異なるベクトルの平和である。だが、片方には戦う意思は無くとも、もう片方は分からない。つまりは、水面下では様々な駆け引きが飛び交っている筈だ。
暴力は権力に勝る。どれだけ強い権力を持とうと、その権力で動かせられる戦力を遥かに超える暴力をもってすれば、その権力は意味を成さない事になる。その圧倒的な力をもってすれば、相手を完全に屈服させ、隷属させる事も可能。であるならば、今のエルフと人間族の関係はまさにそれではないのか? 強い力を持つエルフと、数を増やす事しかアドバンテージを持たない人間族。
質よりも量、というのはよく聞く話だ。実際、人間ととある国の獰猛な蟻では蟻に軍配が上がる。……その圧倒的なまでに夥しい数は、人間自身が持てる力を遥かに超えているからだ。だが、そんな蟻も象には、河馬には勝てない。その力の差はまさしく天と地に分かれる程。
故に、人間族は行動を起こせない。エルフがその気になれば、人間族など容易く滅ぼせるからだ。
「まぁ、エルフについてはこの辺で。後は……翼人族と魔人族かな? ただ、この二種族に関してはほとんど情報が無いの。翼人族はここ百年ほど三種族の前に姿を現していないし、魔人族に至っては彼らと戦争が起きた五百年前から全くその姿を見せていないわ。学者によっては、既に絶滅したという人もいるくらいにね」
ファラナが言うには、五百年前、当時の五種族首脳会談の折に、その会談を襲撃し、破綻させようとする事件が起きた。その首謀者は当時の魔人族のタカ派筆頭。魔人族は誇り高い種族であると自称し、他種族との共存共栄を認めなかった彼は、会談場所である聖域を当時の同志達と共に襲撃し、五種族の内、人間族と獣人族、そして魔人族のハト派であった魔王を抹殺するが、襲撃者はその場で捕獲。後に彼らは処刑される。当時、事件により為政者と国のトップを失った獣人族と人間族は揃って元凶である魔人族を滅ぼすべきだ、と声を上げた。魔人族はその言葉に自らの汚点は自らの手で片づけると言うが、人間族と獣人族はその言葉を無視し、結託して魔人族へと宣戦布告。軍を差し向ける。魔人族は魔王を失っていた上にタカ派であってもその実力は魔人族の中でもトップクラスだった当時の事件の首謀者すらも死亡していたため、その戦力は著しく低下していた。多くの魔人族が獣人族と人間族の軍によって滅ぼされていった。難を逃れた魔人族達は残った戦力をかき集め、非戦闘員を逃がす事に尽力する。その結果、彼らは多くの死者を出しながらも逃亡する事に成功した。
最終的に、彼らがどこに逃げ伸びたのかは分からない。魔人族が誇る秘術の一つ、空間転移を用いてその身をくらましたからだ。それ以来、魔人族の姿はアルフィリアでは一度も目撃されていない。一部の国は未だ彼らの所在を探し、追ってはいるが、一向に進んでいないという。
「翼人族に関しても似たようなものよ。五百年前の戦いから数えられるほどしか人間族の前には姿を見せていないの。人間族の底が知れた、なんて思われてるんでしょうね。多分、会う事はないはずだから、あまり気にしなくてもいいわ。問題は獣人族よ」
「獣人族……?」
ファラナの話では、人間族と共に挙兵し、魔人族を攻めたと言うが、ならば人間族とは親交は深い筈だ。
「彼らは当時の襲撃の原因は人間族にあると言って聞かなかったの。最終的に戦争にはならなかったけど、色んな場所で小競り合いは起きたそうよ。そのおかげか、一部の獣人族では人間族に関わる事を禁止している部族もあるし、あんまり良い感情を持ってない部族が大半で。それでも、やっぱり交流は必要ということで、友好的な部族とは貿易なんかもやってるわ」
「成程。つまり、獣人族と会った時はその対応に気を付けろ、ということですね」
「そういうこと。頭の良い子は好きよ」
冒険者ともなれば、その行動範囲は多岐に渡る。もし、万が一、彼らとの接触が相成ったら、口の聞き方やその態度には細心の注意を払え、ということだろう。
「これで一通りの説明は終わり。何か他に聞きたいことはない?」
「聞きたい事……ですか……。いえ、一通り説明はして頂けたかと思われますので、僕からは特に」
「なら大丈夫ね。……ところで」
ギルド職員としての義務が終了すると、ファラナはその美貌に艶を乗せた表情を頬杖を付きながら一刀へと向ける。おそらく、一刀は彼女のお眼鏡に適ったのであろう。別名少年食いの魔女の魔の手がいたいけな少年へと向けられる……!
「ねぇ、今夜はどこに泊まるか当てはあるの?」
「一応、ラッツさん達と同じ宿に泊まる予定ですが」
……と、普通なら未経験であればあるだけ彼女の魔貌の強さが発揮される筈が、目の前の少年には全くと言っていいほど効果を示していない。
「……あれ?」
一刀の傍では、ラッツが額に手を当てながらため息を吐いている。ラッツ自身もファラナとの付き合いは長くはない。が、彼女のその不純極まりない性癖については、繋がりが浅くとも彼女の少年に対する態度ですぐに露見する。まさしく自爆なのだが、ファラナ自身、隠そうとも治そうとも思っていないので、被害は増える一方だ。
だが、彼女が最も得意とするその艶姿による誘惑は、一刀には通用しない。どこか困惑したように苦笑いをしながら自分に流し目を送ってくるファラナを見やる。その美貌に陥落しなかった少年はいない。当然、目の前の少年もそうなると思っていたファラナにとってはあまりにも予想外であった。
「……えっと、宿が決まっていないとか言うのはないのね? じゃあ、明日からはどうするの? 冒険者として仕事をしだすのは明日からよね? 私が手取り足取り……」
「一応受付嬢でしょう。その辺りもラッツさん達と一緒に行うつもりなので大丈夫です」
にべも無く断られたファラナはその美貌を呆けさせる。隣で見ているラッツも、眉を歪めて驚いた表情を作る。
「……とりあえずファラナ。カズトにギルドカードを渡してやれ」
「え、えぇ、そうね。すぐに発行するわ」
「ギルドカード?」
「ギルドに登録している事を示す証明書だ。それがそのまま身分証明にも使える。国家都市に入る場合に必要になる事もあるな。紛失すると再発行に手数料がかかるから、その辺は気を付けろ」
「……今私が説明しようと思ってたのに」
一度奥に下がったファラナが小さなカードを持って再びカウンターまで戻ってくる。彼女が手のひらに乗せて、一刀へと差しだしたのは免許証程の大きさの白いカードだ。
「これがギルドカードよ。持ち主の魔力に反応して内容を記載していくもので、魔力に反応させるために特別な技術を使っているの。もちろん、偽造はダメ。犯罪行為に当たるから、無くしたらギルドに届け出ること。その際手数料がかかるから気を付けて。カードの色は、その時点でのランクを示すの。カズト君はまだFランクだからカードの色は白。Eなら黒で、Dは青、Cは黄色になって、Bは赤。Aがシルバーで、Sがゴールドといった感じに色で判別出来るから、覚えておいて。間違っても、自分よりもランクの高い人に喧嘩を売らないように。よくそれで怪我する人がいるからね。後は……、そうそう。カズト君の魔力値を測っておかないと」
「魔力値ですか?」
そんなファンタジーチックなものが一刀にあるとは思えない。少なくとも、本人はそう思っている。
「そう、魔力の量が使える魔法に大きな影響を与える事は知っているわよね。もちろん、この数値が高ければ高いほど優秀な冒険者になるんだけど……、逆に言えばAランクやSランク冒険者のほぼ九割が高い魔力値を出しているの。この魔力値測定に今後の冒険者人生が懸かっていると言っても過言ではないわ」
「そこまで重要な事ですか……。なら、早めに済ませましょう」
「それもそうね。なら、ギルドカードの右下の端、少し窪んだ部分を掴んで」
ファラナに言われてその部分に目を落とす。そこには確かに小さな窪みがあり、ちょうど指がぴったりとはまるほどの大きさになっている。そこに指を乗せた一刀は、まるでその窪みに指が吸いつくような感覚を覚える。そして、その小さな体からまるで吸精でも行うように魔力を吸いだしていく。
だが、それはほんの数秒で終了する。
やがて、真っ白だったギルドカードに文字が薄らと浮き出てくる。名前、冒険者ランク、性別、年齢……そして魔力値。
「……え?」
「おいおい……これは……」
表示項目の一番下、そこにはファラナやラッツにとっては見たこともない数字が刻まれていた。
「……? 15ですか……?」
「……非常に言いづらいのだけど……カズト君、この魔力値ははっきり言って一般人以下よ」
その美しい表情が苦渋に歪み、滑らかな曲線が模った唇からは冒険者としては絶望とも言える現実が告げられる。
「そうですか」
だが、告げられた本人の表情に変化は無い。まるで、それを単なる些末事としか思っていないかのようだ。
「そうですか……って、分かってるの? これってかなり重要な事よ?」
「??」
一刀はファラナの言葉を理解し難い物として受け取っている。当然だろう。そもそも、彼にとって魔力など今までに一度も使用したことはおろか、認識したことすらないのだ。それなのに、いきなり魔力値が低く、冒険者としては致命的であると告げられても、困惑以外反応のしようがないのだ。
よって、一刀にとって、無いものは無いとしか考えようはない。
その反応に一抹の不安を覚えるファラナとラッツだったが、これまでに一刀ほどではないが魔力値が低い者を見たことがないわけではない。とりわけ、ファラナはギルドの受付嬢という仕事柄、そういった者達に会う機会は多い。そして、そのほとんどが最終的には冒険者を挫折した事を知る彼女にとって、目の前にいる少年の未来はほとんど無いも同然なのだ。
ここでその可能性を示唆しておくべきかファラナは迷うが、一刀の様子が彼女の予想と大きく外れていたため、口を開く事を躊躇ってしまう。
「とりあえず、知りたい事は全部分かったので、今日はもう行きますね。ファラナさん、明日からよろしくお願いします。それから、ラッツさんも」
「え、ええ……」
「……あぁ、そうだな」
魔力値について特に追求してこないことに一抹の不安を抱えるファラナとラッツだが、そのことを全く気にもしない一刀はギルドの出口へと向かって行ってしまう。
「……ラッツさん、何かあったらあの子のこと、助けてあげてね」
「そのぐらいのお節介はさせてもらうつもりだ。嬢の相手をしてもらった恩もあるからな
」
「だったら良いけど……」
不安はファラナの自己主張の激しい胸を駆け廻り、しこりとなって留まり続ける。やがてそれが、彼女の中で爆発し、行動に移るのはそう遅くはなかった。