第477話 無自覚な罠
―――アンジェの私室
日を跨いでいる訳でもなく、夜になった訳でもない。ただ、少しばかり時間が過ぎただけだ。変化があったとすれば、俺がアンジェのベッドで寝ていて、アンジェが俺の横で眠っているくらいの事だろう。しかしながら、心の中の整理はすっきりと終える事ができた。アンジェも過去の蟠り、いや、呪いみたいなもんかな? 兎も角、過去のトラウマから解放されたようだった。何せ、行為中は細心の注意を払いながら最上級の白魔法を使っていたからな。心も体もスッキリ、ケアもバッチリである。
「ふう、これでアンジェは大丈夫かな? っと、マジで猫みたいだ」
すやすやと眠るアンジェの頬を撫でてやると、気持ち良さそうに頬ずりを返してきた。これはこれで心地好い感触である。しかし、いつもなら肝心なところでヘマして何かやらかしていた俺なのだが、今回は何の問題もなく乗り越えるべき壁を解消する事ができた。ふふっ、俺も成長してるって事かね?
そんな風に俺が感傷に浸っていると、ふとある予感が脳裏を過っていった。外食する際に店員がセラの近くに酒瓶を置く、宴会の席でジェラールがお立ち台を取り出す、道端でコレットと偶然出会う、そんな時に感じる、冒険者としての予感だ。
「なぜだか知らないが、何かとんでもない過ちを犯してしまった気がする……」
何だ、何か俺はミスったか? 少なくともこれでアンジェは安心して過ごせるだろうし、バッケとの約束も果たしたんだ。竜王の居場所は間違いなく教えてもらえるだろう。だとすれば、この予感は一体何なのだ? 落ち着け、可愛いものでも眺めて心を静めるんだ。わあ、アンジェの寝顔は最高だなぁフフフってこれは現実逃避だ!
「んー…… ケルヴィン君、そんなに頭を抱えてどうしたの~……?」
「あ、悪い。起こしちゃったか?」
「そりゃあね。気持ち良く眠ってる横でそんなネガティブなオーラを出されちゃ、どんなに深い眠りでも気配に敏感な私とかは起きちゃうよ。それにさ」
「それに?」
「ほら、お客さんが来たみたいだし」
アンジェが部屋の扉を指差した。
「………」
ギギギと、油の切れた機械のような音を鳴らしながら、首をそちらへと向ける。ん、んん~? そういえば俺、アンジェをこの部屋に連れて来て、扉に鍵は閉めたっけ? 確か、アンジェを抱えながら扉を開けて、閉める時は行儀が悪いが足でと―――
「―――鍵、閉めてねぇ……!」
ベッドで色々とにゃんにゃんしている間、ずっと鍵が全解放中だった……! 馬鹿か、馬鹿なのか、俺!? 前にも似たような事があったぞ! いい加減学べよ、俺!
い、いや、それよりも今はアンジェの言うお客さんの方が優先だ。誰が何の目的で、何よりもこのタイミングでアンジェの部屋に来るのかは分からないが、今ならまだ間に合う! っていうかアンジェ、何でそんな平然としてるの? さっきまでの君はどこにいったの!?
と、混乱する俺に追い打ちをかけるように、こんな時ばかり冴えてしまう俺の頭は、とある言葉を思い出した。
『な、何だ、風邪かぁ…… アンねえ、目が虚ろだったから心配しちゃったよ~。エフィルねえにお粥作ってもらうね~』
……気配を探る。おっと、ハハハ。こいつはエフィルのもんだ。扉の向こうで律儀に待ってくれているんだろうか? そこにいられちゃ、今から鍵を閉めても音が気付かれちゃうよ、ハハハ。
「あの時を何もかも再現してんじゃん、俺何も学んでないじゃん……!」
「あはは。ケルヴィン君、あの時ってどの時なのかなぁ?」
驚きを通り越して逆に無表情に、更にそこから絶望へと叩き落される俺。さあ、エフィルの気持ちになって考えてみよう。アンジェが風邪をひいたとリオンから話を聞いて、早く元気になるようにと親友の為に友情たっぷりのお粥を作ったんだ。そいつを届けようとアンジェの部屋にやって来て、いざ扉に手をかけてみれば、何やら部屋の様子がおかしい。気配を探れば、何と俺がアンジェの近くにいるではないか。これには絶対の忠誠心を持つエフィルも驚愕、何せ俺が病人を襲っているようなものなのだ。ええ、何で? エフィルは酷く混乱する事だろう。そう、今の俺のように!
「ふう、ケルヴィン君落ち着いて。何に対して焦っているのかはまあ、アンジェお姉さんは把握してるつもりだけどさ、たぶん大丈夫だよ。安心して扉の先を確認しなよ」
「………」
「いやー、そんな何を言ってんの? みたいな顔をしないでほしいかな」
何て事だ、アンジェがいつも以上に頼りに感じられる。いつも頼りになるけど、今は尚更頼りに感じる! しかし、何でアンジェはそんなに落ち着いているんだ? 俺はエフィルに嫌われたくないんだが…… ああ、いつまでもこうしてはいられないよな。分かってる、覚悟を決めるさ。ええい、ままよ! アンジェを信じ、その勢いのまま部屋の扉を開ける。
「あ、ご主人様! その、大丈夫でしたか? お怪我は?」
「……五体満足だよ」
なぜだかとても心配された。
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「それじゃあ、予めアンジェから話を聞いていたのか?」
「はい。誤解させるような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした……」
「ね、だから心配しなくていいって言ったでしょ?」
俺の体を心配するエフィルを部屋に招き、事情を聞いて現状を漸く理解する事ができた。俺の入浴中に、アンジェは親友のエフィルに自身の決意を話していたのだ。自分を含めてどこかで抜けた行動をするかもしれないとして、そのフォローをエフィルにお願いしていたらしい。エフィルはリオンから風邪の話を聞いてピンと来たらしく、怪しまれぬようお粥を作り、更には扉の前で見張りをしてくれていたようなのだ。さっき確認したが、扉の前には現在清掃中と立て看板まで設置されていた。いやはや、マジで助かりました。
「謝るのは俺の方だよ。いや、その前にお礼を言いたいくらいだ。アンジェの機転にも助けられた」
「いえ、私はご主人様の専属メイドとして、当然の事をしたまでです」
「これがエフィルちゃんじゃなくて、勘違いしたセラさんだったらケルヴィン死んでたかもね」
「すげぇ良い笑顔で怖い事言うなよ、本当にありそうでちびるわ……」
まあ、そのセラは奈落の地にいるから、屋敷にいる筈がないんだけどな。しかし、転移門という便利道具があるから油断はできない。
「でも、本当に良かったです。アンジェさん、ずっと悩んでいましたので…… 今は胸のつかえが取れて、とても良い笑顔をされています」
「えへへ、改めて言われると流石のアンジェさんも恥ずかしいかな~。それにしても良い匂いがするね! それ、エフィルちゃんのお粥?」
「お、確かに食欲をそそる良い匂いだ。安心したら、何だか腹が空いちゃったな」
「ふふっ、それではお椀によそいますね。少々お待ちを。あ、お赤飯もありますよ」
―――エフィル特製お粥&お赤飯満喫中。
「ご馳走様でした! いや~、満腹満腹♪」
「満足だ……」
「お粗末様でした。一粒も残さずに食べて頂けれて光栄です」
ああ、今日も新たな驚きを知るほどの美味さだった。体力精神、ありとあらゆるものが全回復した気がする。いや、これは実際にしているな、きっと。
「それでご主人様、アンジェさん。直ぐに続きはされますか? であれば、私もご一緒しても?」
「「え?」」
「………?」
俺とアンジェが思わず固まってしまう。続きっていうと? そうアンジェに視線を向けると、アンジェは困ったように顔を赤く染めてしまう。当のエフィルは俺達の返答を忠犬の如く待っているようで、それ以上言葉を発してくれない。
『ケルヴィン、もしかしてエフィルちゃんって…… かなりむっつり?』
『実は一番そうだったりする、かもな。しかも無自覚で』
どうも、このお粥にはその意味も含まれていたらしい。下手な滋養強壮の料理よりも効果があり、今日はまだまだ眠れそうにない。
明けましておめでとうございます。
本年も『黒の召喚士』をよろしくお願い致します!