第473話 巫女の休養
―――デラミス宮殿・コレットの寝室
不幸にも高まってしまったコレットは、一時自室で休む事となった。鼻から噴き出したコレットの血は、俺とフィリップ教皇の回復魔法で何とか補い事なきを得た。されど、ここ最近は働き過ぎ祈り過ぎであるとして、大事を取る事にしたのだ。教皇がいらぬ気を遣ってくれたお蔭で、コレットは俺が抱えて部屋に運ぶ事に。この状況、またコレットの発作が起こるんじゃないかと、俺は細心の注意を払いながら移動する。
「よし、と。ベッドに寝かすぞ?」
「ご迷惑をお掛けします、ケルヴィン様……」
「いいって、メルの為にこうして頑張ってもらっているんだ。これくらいはお安い御用さ」
「ふふ、そう言って頂けると私も嬉しいです。ああ、そうだ。何ももてなしをする事ができませんが、せめてよく冷やしたお水でも如何でしょうか? 今お注ぎ致しま―――」
「―――ストップ! 大丈夫、俺は大丈夫だから! さっき十分に飲んで来たから!」
「……? そうですか?」
そうですよ。ってか、いくらコレットの厚意だろうと、その水だけは飲む訳にはいかない。嫌な思い出、いや、むしろ良い思い出ではあるんだけれど、あれが脳裏を掠めてしまうのだ。仮にその水に何か仕込んでいたとしても、女神の指輪を付けている今なら問題はないと思うが…… やっぱり駄目である。既成事実とは怖いものなのである。さっきのフィリップ教皇の態度といい、これくらい怪しむのがちょうど良いくらいだろう。
「ケルヴィン様、そんなに気を遣われなくとも大丈夫ですよ。迷いがなかったかと問われれば、葛藤は確かにありました。ですが、私が仕える神はやはりメルフィーナ様なのです。今もメルフィーナ様はケルヴィン様を想い、苦悩されているのでしょう。そんな中で、巫女である私が悩んでいる暇なんてありません。だからケルヴィン様、どうかそう心配なさらないでください。私は大丈夫ですから」
「コレット……」
不味いな。俺が下賤な事を考えていた最中に、えらく真面目な聖女モードの言葉を投げられてしまった。コレットの身を案じていたのは疑いもなく確かな事だが、さっき鼻血、今のシリアスで落差が激し過ぎる。あまりに急で上手い返しが思い浮かばないぞ……
「ま、まあそう言うなって。コレットがメルを心配するように、俺だってコレットを心配するんだ。代わりに俺が水を注いでやるからさ、これを飲んでゆっくり休んでくれ」
「……申し訳ありません。その水は、その…… 遠慮、しますね」
「………」
―――鑑定眼、水差しの中身に対して発動。確定、媚薬入りの水。製作者、コレット・デラミリウス。
「……コレットさん? この水、どうしたのかな? 媚薬入りの何とかって、俺の鑑定眼には出ているけど?」
「そ、その、ケルヴィン様に元気になってもらおうかな、と」
「ほう、二重の意味でですか、そうですか」
この部屋、教皇に監視されていないよな?
「ったくもう、許すからさっさと寝て血を増やしてくれ。コレットが寝るまでは傍にいるからさ。ほれ、おやすみ」
「あ、ありがとうございます。おやすみなさい……」
横になって目を瞑るコレット。セラがいれば魔法で眠らせてやれたんだが、俺の白魔法は目を冴えさせる効果しかないからな。俺にできそうなのは、この部屋の平穏を護る事くらいだ。
「……ケルヴィン様」
「ん、どうしたんだ?」
「やはり興奮しているせいか、全く眠れません」
「………」
やっぱ、部屋にいるのも止した方が良いんじゃないか、これ?
「ああ、部屋を出ようとしないでください! アロマが、アロマによる癒し効果がっ!」
「そのアロマが興奮を引き立たせているんだろうが…… あー、昔ながらの手法だが、目を瞑りながら羊でも数えてみろ。そのうち眠ってるだろうから」
「なるほど、それは良い考えですね。では……」
再びコレットはベッドに横になって、目を瞑った。
「メルフィーナ様が一柱、メルフィーナ様が二柱、メルフィーナ様が―――」
「おい、馬鹿、止めろ! 死ぬ気かコレット!」
メルフィーナと違い、コレットを眠らすのは凄まじい難易度であった。
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「ふー……」
あれから何とかコレットを寝かせた俺の背には、疲労感という文字が重く圧し掛かっていた。第一、人選を間違えているだろ。俺が近くにいればいるほど、コレットは狂信者化するんだぞ。エフィルの方が余程適任だっただろう。
「お疲れ、ケルヴィン君」
「うおっ、吃驚した! アンジェ、いつの間にいたんだよ……」
コレットの部屋を扉を閉めた瞬間、背後より耳元に声を掛けられて驚く俺。声でアンジェだと分かり直ぐに安心したが、これが敵であったら完全に裏をかかれた形だ。アンジェに背中を取られるのは昔からの事ではあるが、どうも安堵によって気が緩んでしまっていたらしい。猛反省。
しかしな、アンジェよ。ここはデラミス宮殿なんだ。侵入者は入れないだろうと言ってしまった手前、その前提を早速壊さないでほしい。君、絶対壁すり抜けて侵入しちゃってるよね?
「あはは、ごめんごめん。思ってる事は口にしなくて良いよ。自覚はしてるから」
「してるのか……」
「いやー、前職の癖がまだ抜けてなくって。こう、難攻不落の城を見ると、攻めて壊したくなるでしょ? ケルヴィンのそんな気持ちと一緒だよ」
「……ならないよ?」
「今、微妙に迷わなかった?」
何はともあれ、竜王その他諸々の調査を任せていたアンジェと会うのは久しい。軽くハグといきたいところだが、どこに教皇の目があるか分からない。それは屋敷に帰るまで我慢。ん? 待てよ。アンジェが戻って来たって事は―――
「―――もしかして、残りの竜王の居場所が分かったのか?」
「ぶいっ」
「でかしたっ!」
「わっ!」
ピースサインを決めるアンジェに向かって、濃厚な頬ずりを加えたハグをしてやる。教皇の目? 知るか、俺は今アンジェを抱き締めたいんだ!
「えへへ、温かい。 ……あ、喜んでくれるのは嬉しいんだけどさ。正確には、風竜王と雷竜王の所在を知る人を見つけたんだよね」
「竜王の居場所を知る人? どこにいたんだ?」
「西大陸でちょっとね。それで、手っ取り早く連れて来たんだけど」
「……んん?」
アンジェが手っ取り早く連れて来る。ふと俺の脳裏に、奈落の地で牛と蛇の悪魔、ガリア・クド君を連れて来た時の光景が蘇った。あの時、アンジェは確か―――
「アンジェ、流石に人を誘拐するのは不味いって」
「誘拐なんてしてないよっ! ちゃんと事情を話して了承をもらったもん! も~、ケルヴィン君は私を何だと思っているのかなぁ?」
ちょっと首フェチが過ぎる彼女。無論、口には出さない。
「だよな、すまん。しかし了承して直で来てくれる辺り、なかなか豪胆っぽいな。それで、その人の名前は?」
「バッケっていう女の人。街の酒場で待ってもらってる。案内するから付いて来て」
アンジェの手を取った次の瞬間、俺の体は宮殿の壁をすり抜けていた。