第五話:ギルド長の没落
C級ギルド『貴族の庭園』のギルド長デズモンド・テイラー。
一日の仕事を終え、自室に腰を落ち着かせた彼は、非常に上機嫌だった。
その理由はもちろん、自身の城に居座る厄介者――アルト・レイスを追い出したからである。
「ようやく、あの『一年もののゴミ』を取り除けた……今日は記念すべき日だ。ふふっ、久しぶりに『開ける』とするか」
デズモンドは鼻歌交じりに地下のワインセラーへ赴き、選りすぐりの一本『ボルドーニュ』を持ち出した。
「そーっと、優しく優しく……」
喜色満面の彼は、オープナーを使ってゆっくりとコルクを抜き、ワインに刺激を与えないよう優しくグラスへ注ぐ。
「……いぃ……」
芳醇な香りを楽しんだ後は、軽く空気と混ぜ合わせ、ワインの味がいい具合に開いてきたところで、グラスをスッと口元へ運ぶ。
「……あぁ、素晴らしい……。やはりこの年の葡萄は最高だ……」
酩酊感に気をよくしつつ、机の小皿にサッと手を伸ばす。
「一皿300ゴルもしない安物のピスタチオ。これが存外、25年物のボルドーニュとよく合う」
最高のワインとお気に入りのつまみを堪能し、至福の一時を満喫したデズモンドは、ニヘラと口をだらしなく広げる。
「ぷっ、くくくくく……っ。あのときの……クビにしてやったときの、アルトの情けない顔と言ったらもう……はーはっはっはっはっ! 最高だ! 何度思い返しても、笑いが堪えられん!」
ひとしきり蔑み嗤った後、葉巻を揺すりながら、自身の明るい将来に想いを馳せる。
「ふぅー……っ。薄汚い農民を追い出し、我が貴族の庭園はかつての輝きを取り戻した。そして半年後には、夢にまで見た『B級ギルド』へ昇格……! ふっ、ふふっ、ふはははは……っ! テイラー家の未来は明るいなぁ……!」
まさか明日、自分が絶望のどん底に叩き落とされることになるなど……このときの彼は、想像だにしていなかった。
■
翌日の正午過ぎ。
デズモンドが決裁書類に判を押していると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「で、で、で……デズモンドさん、大変です……!」
ノックもなしに扉を開け放ったのは、顔を真っ青に染めたギルド職員の男。
「どうしたんだね、ハーグ男爵? 貴族たるもの、いついかなる時でも優雅であらねば――」
「アブーラ様、シャルティ様、バロック様がお見えになり、『貴族の庭園との冒険者契約を打ち切りたい』と仰っているんです!」
「……は?」
デズモンドの口から出た音は、優雅さの欠片もない間抜けな響きだった。
「ど、どどど……どういうことだ!? アブーラさんたちとの関係は至って良好だったはず……。ついこの前にも、契約期間の延長を行ったばかりなのに、いったい何があったというのだね!?」
貴族の庭園は、アブーラ・シャルティ・バロックから、大勢の冒険者を回してもらう契約を結んでおり、それらが全て破棄されたとなれば、ギルドの維持運営に甚大な影響が出てしまう。
「私にも何がなんだかわかりません……。ただ、先方からは尋常ではない『怒り』を感じました。とにかく、すぐに応接室へ来てください!」
「わ、わかった……!」
ハーグに連れられたデズモンドは、応接室の前に移動。
「ふぅー……。失礼します」
コンコンコンとノックし、ゆっくりと扉を開けば――『闇の石油王』アブーラ・ウルド、『鮮血の女貴族』シャルティ・トライト、『無情の大豪商』バロック・レメロン――錚々たる顔ぶれが、来客用のソファにどっかりと座っていた。
「……っ」
裏社会の顔役三名との同時対面、デズモンドの背筋にネバッとした汗が流れる。
「い、いやぁ、本日はお日柄もよく、大変気持ちのよい一日ですなぁ!」
なんとか必死に明るい声色を絞り出し、ゆっくりと対面のソファに腰を下ろしたのだが……。
「……」
「……」
「……」
先方の視線はあまりにも冷たい。
重苦しい空気が立ち込める中、口火を切ったのは、アルトと殊更に親交の深いアブーラだ。
「――デズモンド・テイラー殿。アルト・レイスという職員をクビにしたと伺ったのですが……。それは本当の話ですかな?」
ビジネスの場において、空気を温めるために、軽い雑談から始めることは珍しくない。
この話をちょっとした『雑談』と捉えたデズモンドは、
「さ、さすがはアブーラさん、お耳が早い! ちょうど昨日、アルトという無能な職員をクビにしてやったのですよ! あの薄汚い農民がいたせいで、我がギルドの品位が損なわれてしまい、大変困っておりましてなぁ。はっはっはっ、本当に辞めさせてよかった!」
これが『地雷』だと気付きもせず、愚かにもベラベラと本音を喋ってしまった。
すると次の瞬間、
「この馬鹿が……っ。いったいなんということをしてくれたのだ!」
「……っ」
天を衝くような激しい怒声が、応接室に響き渡る。
「デズモンド、貴様……アルト殿の召喚魔術がどれほど尊いものか、その足りない脳みそで考えたことはあるのか……えぇ゛!?」
普段はニコニコと微笑みを絶やさない『表』のアブーラ。
今はそれが完全にひっくり返り、『裏』の顔が――『闇の石油王』としての顔が露出していた。
「えっ、いや、その……。……お恥ずかしながら、私、魔術の類は門外漢でして……っ」
これまで冒険者としての修業を積んだことがなく、先代からギルド長の地位を引き継いだデズモンドに、アルトの召喚魔術の価値はわからない。
「私の可愛い息子は、アルト先生が週に一度開いてくださる『召喚魔術の入門講座』を楽しみにしていたのに……っ。いったいどうしてくれるのですか!?」
恐ろしい剣幕で質問を飛ばすシャルティ。
「た、大変失礼いたしました……っ。それではすぐに、別のもっと優れた召喚士を用意しますので――」
「――あの方より優れた召喚士が、そうそういるわけないでしょう!」
紛糾する応接室。
さすがにこれでは話にならないと判断したバロックが、間を取り持つことにした。
「まぁまぁお二人とも、少し落ち着こうではありませんか。デズモンドさんの言い分も聞いてみましょう」
「デズモンドの言い分……?」
「いったい何故でしょうか……?」
「非常に考えにくいことですが、アルトさんを解雇するに足る『正当な理由』があったのやもしれません。例えばほら、裏では真面目に働いていなかったとか、何かとんでもないミスを犯したとか……?」
アブーラ・シャルティ・バロックから鋭い視線を受けたデズモンドは、すぐに口を開く。
「い、いえ……。アルトは人一倍真面目に仕事をしており、これといったミスもしておりませんが……」
「では何故クビを切ったのだ!?」
「納得できる理由があるのでしょうね!?」
「ことと次第によっては、こちらも対応を考えますぞ……?」
激怒するアブーラたちに対し、デズモンドはとっておきの回答を口にする。
「そ、それはもちろん、アルト・レイスが農民の生まれだからです……!」
「「「……っ」」」
僅かな静寂の後、激しい嵐が巻き起こった。
「完全なる不当解雇ではないか!」
「生まれなぞ、然したる問題ではありません! そんなことを言うならば、貴方なぞ所詮、吹けば飛ぶような『三流子爵』ではありませんか!」
「愚か者め! いつまで貴族制度に胡坐を掻いているのだ!」
「さ、三流子爵……ッ」
デズモンドは、「三流子爵」という許しがたい誹りに対し、強い反発を覚えた。
しかし、目の前にいるのは、『五爵』の頂点――『公爵』の地位を冠する、シャルティ・トライト。
同席するアブーラとバロックも、それに勝るとも劣らぬ大物。
「……っ」
純然たる『格上』から発せられた罵声に対し、異議を唱えることができなかった。
「――我らウルドの一門は、今後二度と貴族の庭園を利用せん」
「トライト家は本流・傍流問わずして、テイラー家との縁を断ちます」
「同じく、レメロン商会は金輪際、ここのギルドに品を卸さん」
突き付けられた絶縁状に対し、デズモンドの顔が真っ青に染まる。
「そ、そんな……っ。今一度、お考え直しください……!」
恥も外聞捨てて、必死に頼み込むが……。
「アルト殿がいない貴族の庭園に、いったいなんの価値があるというのだ……?」
「アルト先生に誠心誠意の謝罪をし、その許しを得た場合にのみ、再考してあげてもよいでしょう」
「まずはアルトさんに詫びを入れろ。話はそれからだ」
アブーラたちはそう言って、貴族の庭園を立ち去ってしまった。
わずか三十分と経たぬうちに、大口の契約を全て打ち切られたデズモンドは、幽鬼のような足取りで歩き出す。
「て、テイラーさん、どこへ行かれるのですか?」
「……帰る」
ポツリと一言。
「か、帰るって……この後の仕事は、どうするのですか!? 大至急、中期成長計画の見直しをしなくては――」
「今日は……もう、疲れたんだ……。後のことは、委細任せる……」
「デズモンドさん……!」
心神喪失状態のデズモンドは、呼び止める職員の声を無視し、覚束ない足取りで帰宅した。
「「「――おかえりなさいませ」」」
メイドたちの統率の取れた出迎えに対し、
「………あぁ」
一言だけ、力なく返事。
「今日はとても疲れている。誰も部屋に入れるな」
メイド長にそれだけ言い付け、デズモンドは私室に籠った。
仕立てのよいスーツを纏った彼は、皺になることも厭わず、そのままベッドにバタリと倒れ込む。
「………く、そ。くそくそくそくそ……っ。あの卑しい農民生まれめ……! いったいどんな汚い手を使って、アブーラたちを誑し込んだのだ……! くそ、くそ、くそがぁああああ……!」
まるで堰を切ったダムのように、止め処なく溢れ出す怨嗟の言葉。
その醜い叫びに紛れて、部屋の黒電話がジリリリリと鳴り響く。
「うるさい!」
デズモンドは枕元の照明器具を投げ付け、黒電話を黙らせた。
「はぁはぁ……っ。何故だ。どうしてこんなことになってしまったのだ……ッ」
絶望のどん底に沈み、頭を乱暴に掻きむしる。
そんなとき、コンコンコンと部屋の扉がノックされた。
「……なんだ?」
「旦那様、ラーゲン様より緊急の連絡が入っております」
扉の奥から聞こえてきたのは、メイド長の平坦な声。
「……ラーゲン殿から?」
連絡の主は、ラーゲン・ツェフツェフ。
デズモンドが持つ、中央政府との大切な『パイプ』だ。
「……ちっ」
相手が相手ゆえ、無視を決め込むわけにはいかない。
仕方なくベッドから這い上がり、扉をガチャリと開けた。
「こちらをどうぞ」
「あぁ」
メイド長から電話の子機を受け取り、ゴホンと一つ咳払い。
「はい、お電話代わりました。デズモンドで――」
「――デズモンド、お前いったい何をやらかしたのだ!?」
開口一番、受話器から飛び出してきたのは、鼓膜を震わせる怒鳴り声。
尋常ならざる事態であることは、瞬時にわかった。
「ど、どういう意味でしょうか……?」
「たった今、冒険者ギルドの上層部からお達しがあった! 貴族の庭園をB級ギルドに昇格させるという話、あれが全て立ち消えになってしまったぞ!」
「そん、な……っ」
アブーラたちの怒りを買った時点で、いずれこうなるであろうことは予期していた。
しかしまさかそれが、今日の今日に来るとは、夢にも思っていなかったのだ。
「アルト・レイス……あの薄汚いドブネズミめ……! この私が一年も面倒を見てやったというのに、恩を仇で返しおって……!」
デズモンドの怒りの矛先は、アルトただ一人に向けられた。
アブーラ・シャルティ・バロックといった格上には逆らわず、自分より下の立場の者にのみ牙を剥く。
これがデズモンド・テイラーという男なのだ。
「アルト・レイス……? その名前、確かどこかで……?」
「うちで飼っていた農民生まれです……っ!」
「農民生まれ……あぁ、あの少年のことか。そう言えば今日、本部で冒険者登録の受験手続をしていたような……?」
「なっ!? ラーゲン殿、その者を絶対に冒険者にしてはなりません! アルトは強き者に媚びへつらい、その懐に滑り込む天才! あんな寄生虫を野放しにしては、ギルドの本部が内側から食い荒らされ、ダンジョン攻略どころではなくなってしまいます!」
「……お前がそこまで言うほど危険な男か……わかった。そのアルト・レイスとやらが受験する日には、私の息が掛かった試験官をあてがい、不合格にしておくとしよう」
「あ、ありがとうございます……!」
それからラーゲンと二言三言を交わした後、電話を切ったデズモンドは、邪悪な笑みを浮かべる。
「ふ、はは……ふはははは……っ! 残念だったなぁ、アルト! 『人を呪わば穴二つ』! 私の輝かしい未来を潰したことを、一生後悔させてくれるわ……! ふぅはははははははは……!」
人を呪わば穴二つ。
まさかこの言葉が、自分の元へ降りかかってくることになるとは……このときのデズモンドはまだ、知る由もなかった。
※とても大事なおはなし!
『面白いかも!』
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