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ドキドキエルフと眠り姫な嫁

 寝室にある掃き出し窓より、天より降り注ぐ月光が寝台に差し込む。

 照らすのは、ヴィオレットの美しい裸体だ。

 うつ伏せに寝転がり、ハイドランジアの枕を抱いた姿で眠っている。その寝顔は穏やかだ。


 陶器のように白い肌は、触れずともなめらかであることが見て取れる。

 彼女の体の線は完璧で、無駄な肉はいっさいない。

 こうして動かずにいたら、美術館にある、女神像のようだ。


「う……ん」

「!」


 ヴィオレットは悩ましげな声を漏らし、身じろいだ。

 おまけに、寝がえりを打とうとしたので、ハイドランジアは慌ててヴィオレットの体にシーツをかける。


 ハイドランジアはいまさらながら、我に返った。なぜ、彼女はここにいるのだと。

 風呂に入る前、確かにヴィオレットの寝室に連れて行って寝かせてやった。部屋は間違っていない。


「ポメラニアンっ!」


 名を呼ぶと、暗闇の中で目が光る。精霊ポメラニアンが現れた。


『なんぞ?』

「なぜ、我が妻はここで眠っているのだ!?」

『ああ、あのあと目覚めたようで、お主に話があるからと、ここに来たようだ』

「あのように、眠っているが?」

『待てなかったのだろう』


 来た時は猫の姿だったらしいが、まどろむうちに人の姿へと戻ったようだ。

 ちなみに、スノウワイトは主人が出て行ったことに気づかず、ぐっすり眠っているらしい。

 もはや、ただの家猫である。


『そんなわけだ。もう、寝ろ』

「おい、私はどこで眠るんだ!?」

『隣が空いているだろうが』

「はあ!?」


 ハイドランジアの寝台は、大人三人が寝転がっても余裕があるほど広い。ヴィオレット一人が眠っていても、まったく問題はなかった。


『ゆっくり休め』

「休めるか!」


 そう言ったのと同時に、ポメラニアンの姿は闇に溶けてなくなった。


「ポメラニアン!」


 返事はない。今宵はもう、いくら呼んでもこないだろう。

 ハイドランジアは脱力し、どうしてこうなったのだとその場で膝から頽れる。


「うう……ん」


 苦悶の声を上げるヴィオレットは、眉間に皺寄せ唇を噛みしめるという険しい表情をしていた。

 いったいどのような夢を見ているのか。


 寝台に座り、ヴィオレットの頬に触れる。

 人の形を取るよりも、猫のほうが気楽なのではと思ったからだ。

 しかし──ヴィオレットの体は猫化しない。


 猫化はヴィオレットの意識がある中でしか発動しないようだ。

 やはり、これは呪いではない。彼女自身を守る、盾なのだ。


 手を離そうとしたら、ヴィオレットが指先をそっと掴む。


「一人に、しないで……」


 ヴィオレットは瞼を閉じたまま、眦にじわりと涙を浮かべて懇願する。

 意識は覚醒していないようだった。

 ヴィオレットの手を握り返すと、ホッとしたのか表情が安らかになる。


 自らの姿を捨て、猫と化する。

 いったいなぜ、ヴィオレットはこのような術を身に着けてしまったのか。

 彼女の父の焦りようを考えると、よほどのことがあったに違いない。


 それが何かわかったら、もっとヴィオレットに寄り添い、その身だけでなく心を守ることができるのではないか。


 繋いだ手をじっと見下ろし、ハイドランジアは腹を括る。

 過去に何があったのか調べるため、精神干渉術を試みる決意を固めた。


 ヴィオレットの過去に潜り込み、猫化が始まった十年前に何が起こったのか探る。

 呪文を唱えると、床に浮き出た魔法陣の中から水晶杖クリスタル・ロッドが出てくる。

 ハイドランジアは杖を握り、呪文を唱えた。


 精神干渉系の魔法は大変危険なものである。長い歴史の中でも使える者はごくわずかで、国内で得意とするのはマグノリア王子ただ一人だ。


 魔法が当たり前にあったいにしえの時代──相手の精神に意識を飛ばし、帰れなくなった者は大勢いた。

 この魔法は心を通わせていないと、双方にダメージがふりかかる。


 以前と違い、ハイドランジアはヴィオレットのことを理解していた。その逆も然り。

 愛のない結婚ではあるものの、夫婦として暮らしていくにつれて信頼関係のようなものを築いていたのだ。


 今だったら、大丈夫。きっと、ヴィオレットも拒絶しない。

 魔法が完成し、小さな魔法陣が浮かんだ手でそっとヴィオレットの額に触れる。


 さすれば、誰かに強く手を引かれるような感覚に陥る。

 ハイドランジアは意識を失い、寝台の上に倒れた。


 ◇◇◇


 ハッと目覚めると、ハイドランジアは灰色の世界にいた。

 そこは屋敷の中で、絨毯が敷かれた廊下の上に立っている。

 見覚えのある物を発見した。ヴィオレットと似た貴婦人が描かれた肖像画である。

 ここはヴィオレットの実家、ノースポール伯爵家のようだ。


 コツコツと足音が聞こえる。ハイドランジアの前を執事が通り過ぎて行った。

 記憶の中では、ハイドランジアは他の人に姿が見えていないようだ。

 続いてやってきたのは、ヴィオレットの父シランだった。

 相変わらず猫背で、亡霊のように顔色が悪く存在感がない。そんな彼を、呼び止める者が現れる。


「お父様――!!」


 ぱっちりとしたアーモンド形の瞳に、ふっくらと可愛らしい唇。人形のように愛らしいその少女は、今までみたどの少女よりも美しい。二つに結んだ金の髪が走るたびに元気よく揺れる。

 勢いよく走ってやってきたのは、九歳のヴィオレットだ。


「お父様──ん?」


 ヴィオレットはハイドランジアの前で立ち止まり、訝しげな視線を向ける。その瞬間、もしや姿が見えているのではと思い、胸がドクンと高鳴った。


 子どもには大人に見えない存在ものが見えるという。

 記憶の中とはいえ、こんなことが起きるのか。


「ヴィー、どうかしたのかい?」

「いいえ。壁に、シミがあったような気がしたのですが、気のせいでしたわ」

「そうか」

「……」


 ハイドランジアは生まれて初めて、壁のシミ扱いをされてしまった。


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