そして応える。
「プライド・ロイヤル・アイビーよ。…こんばんわ。」
ップライド⁈何故彼女がっ…⁈
驚きのあまり扉から後退り、慄く。だが部屋の外でプライドを待たせていたことに気づき、急いで扉へ手を掛けた。
「いえ、扉は閉めたままで結構よ。このままにしてちょうだい。…変な噂が立ってもお互い困るもの。」
衛兵には少し離れてもらっているわ、と続けるその声は間違いなく彼女だった。
「…何か、用か?それとも、やはり未だ謝罪が足りないか…。」
俺の部屋まで訪れる意図も、なぜこんな真夜中に来たのかもわからず混乱する。扉に耳を寄せるようにして扉の向こうの彼女へ語りかける。
「用事というほどではないわ。謝罪も…貴方が何度詫びても足りるような話ではないもの。」
抑揚のないその声に、胸が締め付けられる。服越しにペンダントを鷲掴み、胸ごとそのまま握り締めた。やはり、彼女は未だ俺からの仕打ちを許してはいない。
彼女に気に入れられようと、手を伸ばせば全てが無礼にあたった。
多くの女性が望んだ口付けを俺の方から与えようとすれば、それも無礼とアーサー騎士とカラム騎士に止められた。
プライドが料理をしているのを偶然見つけ、この俺が食せば喜ぶに違いないと思えば…逆に泣かし、嫌われた。
部屋に暫くは閉じこもり、気晴らしに庭園へと赴けば騎士達が俺の護衛の為に王居内に立ち入っていた。戸惑っていればそれをプライドに見つかり、急ぎそれまでの謝罪をすれば何故か俺の目論見を気付かれ、更には罵倒された。
『馬鹿じゃないの⁈』
…まるで、俺が兄貴や兄さんを助けたいと足掻いていること自体を否定された気がした。
俺の常識が、彼女には…外界には全く通用しない。兄貴や兄さんの言った通りだ。むしろやればやるほど裏目に出て嫌われる。
プライドだけではない。
アーサー騎士には尋常ではない敵意の眼差しを向けられ、彼女の補佐でもあるステイル第一王子とジルベール宰相の言葉から、俺の今までの行為が全て無礼に当たることも判明した。
このままでは本来の目的どころか、同盟すらも危ういと。
焦燥と危機感が混ざり、彼女の言葉で破裂した。
頭に血が上り、気がつけば彼女を押しやっていた。
流石の俺でも、それが問題行為であることは理解した。それなのに怒りを抑えきれず彼女へと迫った。更にはそこを近衛騎士達に押さえられ、…もう全てが終わったとさえ思った。同盟どころか、これでもう本当にチャイネンシス王国を救えないのだと。
俺は結局、…兄貴の役にも、兄さんの役にも立ては
「心配ないわ。」
突然、俺の心を読んだかのような言葉が扉の向こうから投げ掛けられた。驚き、顔を上げれば更に彼女の甲高い声が静かに続く。
「母上も、ちゃんと同盟には前向きよ。きっと全て上手くいくわ。」
ガタン、と軽く扉が揺れた。同時に、扉越しの彼女の声が低い位置から聞こえてきた。この扉越しに、彼女は寄り掛かり座り込んでいるのだと理解する。
「貴方のお兄様も、…きっと大丈夫。それに、貴方のせいなんかじゃないわ。」
「………何故、そう言える。」
独り言のような声量の彼女の声を逃したくなくて俺も扉に背を預ける。ゆっくりと、そのまま床に腰を下ろせば扉越しとは思えぬ程にはっきりと「わかるわよ」と、その声が聞こえた。
「だって私は予知能力者だもの。貴方の本当の目的も、チャイネンシス王国が狙われていることも…全て知っていたでしょう?」
「…ならば、やはりチャイネンシス王国は…侵攻を受けるのか。」
彼女は予知で、チャイネンシス王国が襲われるのを見たという。ならば、俺がどう足掻こうとやはりコペランディ王国の攻撃を受けるということになる。
「敗戦とは限らない。その為に私も母上も動いているんじゃない。もうきっと未来は変わり始めているわよ。」
「……確証はない。」
彼女の言葉を受け止められず、どうしても否定してしまう。俺に憐れみを向けている第一王女へ、本来ならば感謝すべきだというのに。
だが、彼女はまるで気にしないかのように再び「大丈夫よ」と言葉を続けた。
「貴方のやったこと。…最悪だし遠回りだったけれど、我が国に来たことだけは間違っていないわ。…お兄様の為なのでしょう?」
兄貴。
その言葉だけで、また胸が潰されるように痛んだ。今も、苦しんでいるのだろうか。
あの兄貴が、それ程までに追い詰められていたなど。
傍でそれを目の当たりにしたであろう兄さんはどうしてる?親友である兄貴の狂う姿など、見たくもなかった筈だ。国王としての責に追われ、頼りの兄貴まで乱心し、今はどれほど苦しんでいることだろうか。
…苦しんでいる、兄貴が、兄さんが。
プライドへの言葉も返せず、息が詰まった。放り出したままの片足を立てて曲げ、腕で抱き抱えるようにして力を込める。
「………セドリック?」
返事がないのを不思議に思ったのか、俺の名を呼ぶ。だが、…喉に何かが詰まったように声が出せず、代わりに後ろ手で二度のノックで彼女に返した。
「…大丈夫よ。ちゃんと間に合う、約束するわ。」
俺の姿が見えているかのように、先程よりも柔らかな彼女の声が帰ってきた。俺を安心させようと、敢えて言葉を選んでいるのだとよくわかる。
「私がいる。…フリージア王国がついている。だから大丈夫。」
ギリ、と思わず歯を食い縛る。そうしなければ、声が漏れそうだった。
「あと六日しかない、じゃないわ。……あと六日で全てが終わる。たった六日後にはまたいつもの日常が返ってくるわ。」
邪魔な前髪をかきあげる。震える唇を噛み締めて押さえつけ、喉が妙に痛むように乾いた。
何故、彼女はいつもっ…!
何故、俺からの好意に全く靡かなかったというのにも関わらず
何故、俺から数々の仕打ちを受けておきながらっ…
何故、俺を嫌うと言いながら、許さないと言いながらっ…
何故…
「ッ何故‼︎お前、はっ…、そんっ…なに俺に構う…⁈」
喉が痙攣し、声が波打った。
吐き出す声に驚くほど張りがなく、一部が嗄れ、それでもなんとか言い切れば更に喉の奥が詰まった。
この女がわからない。
何故、こんなにも俺に構うのか。
俺に全くの好意を示さず、なのに二度も俺の手を引いた。
許さないと言いながら、俺を嫌うと言いながら、何故、こんなも優しい言葉を掛けるのか。
「ッ…やめてくれっ…!…期待を、させないでくれ…。…俺が、…悪かった…。」
助かると、救えると、言葉のままに舞い上がって絶望に落とされたくない。
また調子に乗り、余計なことをして、…あんな醜態を。
俺のする事なす事全てが裏目に出る。
俺が全て間違っていた。
学ぶべきことを全て放り投げた挙句の果てがこれだ。
両手で顔を覆い、呻く。
彼女の言葉を拒みたくて、だが聞き遂げたくて、どうすれば良いかもわからず口を両手に押し当て、目の周りを覆う指に力を込める。
「別に貴方の為なんかじゃないわ。……これは、…ただの罪滅ぼし。」
彼女の言葉が、淡々と放たれた。
意味を理解しきれず沈黙が流れると、彼女は「その内わかるわ」と言葉を閉じ、更に続けた。
「知ってるから。家族が、大事な人が辛い目に合っていると知りながら何も出来ずに苦しんだり、悲しんだ人を。…何人も。」
何人も、と。その言葉はどこか重く沈んでいた。その重さに引き摺られるように背がさらに丸まった。俺と同年の彼女は、一体今まで何を見てきたというのか。
「…だから、来たの。貴方も大嫌いな私じゃ来られても迷惑でしょうけど。」
違う。嫌いなのは俺じゃない。
嫌っているのは、お前の方だ。
〝お前が〟俺を嫌っているのだろう。俺はお前を嫌いなどとは一度もっ…!
そう言いたかったが、喉が渇いたまま声を発せなかった。喉の渇きも引き攣りも、扉の向こうに気付かれないように必死に噛み殺す。
だが、その俺の抵抗も「それに」と続ける彼女の言葉で水泡に帰す。
「一人で泣くのに夜は長過ぎるもの。」
…自分の目が、見開かれていくのを感じた。
息を飲み、その言葉の意味を理解する。両手を覆っていた顔から離し、ぼやけた視界で掌を見つめる。涙で酷く濡れ、水が溜まり、手首から腕まで伝っていた。指先で頬や首をなぞれば同じように湿り気を帯びていた。
必死に、声を噛み殺したというのに。
何故わかったのか、と言いたかったがやめた。彼女の言葉を認めたくなくてそのまま沈黙を貫いた。
「…泣いても良いわ。言ったでしょう?今の私は貴方の味方なのだから。」
諦めて強く鼻を啜り、両足を立たせて腕ごと抱え込む。こんな姿は兄貴や兄さんにしか見せたことがないというのに。
膝に目を押し付け、涙を止めようにも止め処なく溢れる。嗄れた声で「こんな姿晒せる訳がない」と返した。既に彼女には二度も醜態を晒した。これ以上は俺自身が許さない。
だが彼女は「扉越しだから見えてないでしょ」と正論で容赦なく叩いてきた。
「それに、嫌いな相手に取り繕う必要なんてないじゃない。だから弱音を吐いても問題ないわ。………貴方は、それだけ必死だったのだから。」
俺の、全てを知るかのように宣う。
本当に彼女は何者なのか。
鼻が詰まり、歯を食い縛りながら口で息をすれば涙が口の中に入った。喉が引き攣り、嗚咽が止まらなくなった。
押されるように口に、言葉に出そうとした瞬間、今まで以上に全身が震えた。嗚咽混じりの声が、喉を震わせ言葉を放つ。
「っ…兄貴が、…発狂など、…っ……あり得ない…‼︎」
本当は信じたくない。俺のせいだとわかっていても、それでも…あんなに心の強い人が挫かれたなど。
どうか間違いであってくれと心から願う。
「…俺の、せいで…っ、…ずっと…苦しんだ…‼︎…それでも折れず、…努力も、…俺を恨みもせずっ…、…てくれた…、…兄貴が、そんなっ…‼︎」
嘘であって欲しい。帰国したらいつもの笑みで、騙されたなと笑って欲しい。お前が勝手に国を飛び出したからと怒鳴って欲しい。
「ッ…兄さん…何故っ…共に、国を…と、…誓ったのにっ…!兄貴が、…そう望んでいたのに…、…〜っ…何故…、……何故、共に背負わせてくれないんだ…‼︎」
俺も、力になりたかった。
あんな風に笑わないで欲しかった。
例え、どんな形であれ共にハナズオ連合王国として生きたかった。
兄貴に、兄さんに、何も返せずこんな所で二人の重荷となっている自分が憎らしい。
気づけばプライドへの訴えか、己自身への吐露かもわからなくなっていた。ただひたすらに涙が溢れ、溺れるように息をする事すら困難になった。なのに、言葉は止まらず堰を切ったかのように溢れ続ける。
「何故っ…何故、我が国なんだ…⁈っ…!より、によって…何故我が国をっ…兄貴が、兄さんがっ……何をしたというんだっ…⁈」
助けてくれっ…
どうか、誰か、誰でも良い
兄貴を、兄さんを、我が国を、民をっ…
「…大丈夫。」
嗚咽が激しく混じり合い、言葉にもならない嘆きの中。扉越しの彼女の声だけが透き通るようだった。また、甘言をと思いながらもその言葉に縋るように俺は耳を澄ませる。
「全部、護り抜きましょう。」
貴方の大事なもの、全部。そう語る彼女の声は清流のように澄み渡っていた。
そして何よりも、その迷いのない言葉から伝わってきたのは途方も無い
強さだった。
目からは未だに涙が溢れながらも、身体の震えは止まった。喉を鳴らし、もう一度ぐしゃりと前髪ごと顔を覆いながら歯を食い縛る。
彼女が何故、そこまで言えるのかはわからない。ただ、今度こそ俺は…彼女の言葉に答えた。
「…ッ、…ああ…‼︎」
護る、必ず。
…その為に今、俺はここに居る。




