213.交渉王子は追い詰められ、
「っ………兄貴…っ、…兄さん…。」
部屋には、…誰もいない。
フリージアに連れてきた侍女や兵士は全員部屋の外に払った。
もう既に就寝する時間だが、眠れるわけも無い。
備え付けのソファーに身を沈め、髪をかきあげそのまま耐え切れず頭を両腕で抱え込み、前屈みに固まる。
俯き、強く目を閉じるが巡り続ける思考はいつまで経っても治らず、不吉な事ばかりを考える。…嫌なことばかりを思い出す。
『何度でも言いましょう。チャイネンシス王国はラジヤ帝国…もとい、我がコペランディ王国に下って頂きます。』
突然、我が国に足を踏み入れたコペランディ王国の三人の使者はそう宣った。門前で衛兵が追い払おうとしたが、「国を傾ける大惨事となっても良いのならば」と脅され、我が城まで衛兵から報告が入った。
全盛期のコペランディ王国は百六年前に我が国を侵略しようとした過去があるが、今はラジヤ帝国の植民地。つまりはラジヤ帝国の息のかかった国だ。その使者の強気な発言に不審を抱いた兄さんは、使者達を我が国に…そして城へと招き入れた。その異常事態に兄貴と俺も、兄さんの元へ駆け付けた。
コペランディ王国の使者は、我が物顔で兄さんに言い放った。
全てはラジヤ帝国の意向。更に領土を広げる為にチャイネンシス王国をコペランディ王国の支配下におくと。
条件も何もない、ただの強襲だ。
『これでも、こちらとしても慈悲は与えたつもりです。現時点で我らが望むは〝ハナズオ連合王国〟ではなくあくまで〝チャイネンシス王国〟。さらには属州か植民地かの選択権すら与えているのですから。』
何が慈悲だ。
結局はチャイネンシス王国を征服するつもりだ。更にコペランディ王国…ラジヤ帝国の支配下になれば兄さんの国は奴隷生産国にされてしまう。自国の民を定期的に奴隷として差し出さなければならない。
『一カ月待ちましょう。望むのならば抵抗しても構いません。ですが、既に我が国だけでなくアラタ王国、ラフレシアナ王国も決起の準備を初めています。たかだか引き篭もりの小国が一つ、…たとえ二国で来ようとも我々に敵うとは思えませんが。』
屈辱だった。
俺も、兄貴も、…兄さんも、ただ歯を食い縛ることしかできなかった。
小国だからこそ、統合して一つの国となってでも生き長らえてきた。周辺国が少しずつラジヤの支配下に落ちていることは兄さんも兄貴も理解していた。だが、我が国は統合してからは国を閉じ、常に他国への無干渉と中立という立場で他国からの干渉から免れてきた。
だが、奴らはそのようなこと関係ないと言わんばかりに何の理由もなくハナズオ連合王国の片翼を奪うことを既に〝決定〟していた。
我が国では敵わないと、下るしかないと。更にはラジヤ帝国ですらなく、その植民地であるコペランディ王国による支配だ。
我が国が下位の下位であると、そう言われているようなものだった。一カ月の猶予も全て、我が国ではどう足掻いても敵わないとわかっているからこその余地に違いなかった。
兄さんは…降伏を考えた。
敵わないと。
無駄に民に犠牲を出す訳にはいかないと。
せめて、国の名と文化だけでも守らなければいけないと。
『サーシス王国との同盟も解消しようか。いつ、ハナズオ連合王国としてラジヤ帝国がサーシス王国にも降伏を望むかわからないから。』
チャイネンシス王国の民もそれを望んでいると。そう兄貴に告げた兄さんは、変わらず笑っていた。兄貴は共に戦うと、同盟解消などあり得ないと、そう兄さんに声を荒げた。
長年の同盟と、そして閉鎖していた我が国は他国を拒み続けた分、民同士の結束は固かった。チャイネンシス王国がサーシス王国を巻き込まないことを望んでくれたように、サーシス王国の民は皆、ハナズオ連合王国として共に戦うことを望んでいた。
しかも、この数年で兄貴達は百六年もの間、溝が深まり続けていた王族や上層部とのサーシスとチャイネンシス王国の間柄すらも埋めてしまっていた。
今や国の者全てが、互いの国を想い合っていた。
兄貴と兄さんの話し合いは平行線のまま続き、互いに全く引かなかった。
ー 助けが必要だ。
その時、俺が思い出したのは我が国が開国の準備が整うまで何度も交流や同盟打診を拒み続けていた国の一つ。
大国、フリージアの存在だった。
同盟国を増やす為か、一年前からは特に何度も同盟打診の書状が届いていた。これを使わない手はない。
兄貴は少しずつ他国との関わりを広げる準備をしていた。その足掛かりとしてアネモネ王国との交易も即位する前から進め、一年前からは軌道にも乗っていた。
翌日には港に向かった。丁度アネモネ王国との交易の為の船がくる予定だった。更には天からの導きかのようにその日はいつもの商人だけではなかった。
アネモネ王国の第一王子、レオン・アドニス・コロナリア。
彼には兄貴を通じて二、三度会ったことがあった。
以前、兄貴が言っていた。レオン第一王子から、隣国であるフリージア王国のプライド第一王女から我が国へ交流、同盟の打診があったと。
フリージア王国は大国で、近年は同盟を広げ、更には同盟共同政策など国同士の結びつきを強固にしているらしい。
一年前から頻繁に届く書状、大国フリージア、その同盟国の王位継承者レオン第一王子。全て天が味方しているとしか思えない。
『是非、同盟交渉を…かい?プライドに。』
『ええ、今日から十一日後にはフリージア王国に着く頃でしょう。特にプライド第一王女殿下と懇意になりたいと私は望んでおります。どうか、その旨をプライド第一王女殿下にお伝え頂きたいのです。』
レオン第一王子に未だフリージア王国との仲は良好かと探りを入れてみたところ、丁度アネモネ王国に帰国次第フリージア王国へ訪問する予定があると話していた。
レオン第一王子は頷き、帰国次第すぐにプライド第一王女にその旨を伝えてくれると快諾してくれた。
大国 フリージア王国。
広大な土地と軍事力。
奴隷制無き、我が国と在り方も通じる国だ。
多くの国と結びつき、そして恐れられていた国。
特殊能力者の国。
この国の協力さえ得られれば、ハナズオ連合王国は救われる。
兄貴は、戦の為に今まで拒んでいた国へ突然同盟を望むなど受け入れられるわけがないと。相手がラジヤ帝国ならば尚更だと言っていた。
兄さんは、自国の為にサーシス王国にまで恥をかかせる訳にはいかないと。そのような理由で同盟を望めば、ハナズオ連合王国は都合の良い時だけ他国を望む恥知らずの国と思われてしまうと言っていた。
そのようなこと、知ったことか。
チャイネンシス王国を失う以上の恥などあるものか。
フリージア王国は女王制。俺のこの姿を見れば女王であろうと王女であろうと誰もが俺に傅く。
そうして俺の魅力に傅いた後で、我が国の状況を話せば良い。そうすれば、例えラジヤ帝国が敵であろうともこの俺の為にと同盟締結も確約される筈だ。あとは、大勢の援軍と共に我が国に戻る。
フリージア王国を味方に付けられたと知れば、きっと兄さんも兄貴もハナズオ連合王国を守る為に立ち上がってくれる筈だ。
レオン第一王子に言付けを頼んだ翌日の早朝には、身の回りの護衛と侍女だけを連れて国から飛び出した。
フリージア王国に援軍を望む。暫く国を空けると、兄貴と兄さんにも置き手紙は残した。
簡単だ、俺のこの姿を見れば誰もが虜になる。
あとは同盟交渉をなるべく引き伸ばし、そしてプライド第一王女にその間に気に入られれば良い。兄貴の話ではまだ婚約者も居ないという。必要ならばこの俺が婚約しても良い。
我が国との交渉を優位に進めてくれるのならば俺は構わない。俺が自国を出たところで、我が国には兄貴と兄さんがいるから問題もない。
通常、遠方からの同盟交渉は三日と以前に教師が話していた。
三日あれば十分だ。
その間に俺の虜にし、同盟を優位に進め、是非ともお力にならせて下さいと言わせてみせる。
コペランディ王国が攻めてくるまで二週間あまり。まだ、間に合う筈だ。
…その筈だった。
「……っ。」
頭を抱き抱えたまま、俺は肘をテーブルに打ち付ける。
…何故、こうなった?
考えれば考えるほどわからなくなる。
俺の動きが、コペランディ王国…ラジヤ帝国に気づかれていたのか?
何故、こうも都合が悪く事態が回る?
もう丸六日も無い。今も敵国がハナズオ連合王国に侵攻しようと武器を構えている。
そして、兄貴はっ…
「…っ。」
考えるだけで胸騒ぎが酷く、身体の内側が荒れ狂う波のように揺らいだ。
兄貴が乱心など…何かの間違いだと思った。
だが、事実だ。俺が、要らぬ心労をかけたせいだ。
兄貴はいつも、俺のことを案じてくれた。
兄貴だけが、あの時の俺を助けてくれた。
兄さんだけが、あの時の俺を理解してくれた。
他者を拒み、不信感を募らせ、常に守られ、迷惑しかかけてこなかったこの俺を、兄貴と兄さんだけがいつも投げ出さないでいてくれた。
やっと、二人の力になれると思えばこれだ。
何故いつもこうなんだ。
何故いつも、兄貴や兄さんの足を引っ張ることしかできない?
兄さんは、俺や兄貴…サーシス王国を守るつもりだ。
同盟を破棄し、チャイネンシス王国が支配された後もせめてラジヤ帝国と俺達との繋がりを無くそうとしてくれている。
だが、だが俺はっ…兄貴は、民はっ…‼︎
声を殺し、歯を食いしばり過ぎて顎が痛くなる。沈むように背中を丸め、気がつけば微かに身体が震え始めていた。
コンコン。
…突然、単調な音が部屋に響いた。
音に振り向けば、俺の部屋の扉からだ。何者かが外から俺の部屋へノックをしている。
一呼吸整え、声色を気づかれないように「なんだ」と短く返した。まさか我が国にまた何かあったのか。それともラジヤやコペランディ王国からの刺客か。
身を硬くし、扉からの返事を待った。だが、暫く黙しても返事は来ない。代わりにコンコンコン、と再びノックの音が返ってきた。
不気味に思いながら、扉に近づく。確か扉の前には衛兵がいた筈だ。衛兵ならば俺の言葉に返事をするに決まってる。だが、ノックの主は何も言おうとはしない。
「誰だ、名を名乗れ。」
扉の前で、もう一度声を張る。襲撃を受けても対応できるように剣を構え、その先を扉へ向けた。
「プライド・ロイヤル・アイビーよ。…こんばんわ。」




