短編
- あらすじ
- 日米安保条約については形式上「片務的であり、不公平」との批判も見られますが、歴史を振り返ればその成立の背景には朝鮮戦争がありました。
1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が署名され、第2次大戦後の日本との講和が米国を含む大多数の連合国との間で成立し、同じ日、同じサンフランシスコで、日米安保条約が署名されました。
この安保条約に関しては、東西冷戦そして朝鮮戦争のさなか、日本を西側陣営に留め、また在日米軍基地に関し、特に朝鮮半島に向けた兵站支援の為、継続使用可能とする事に米国の主眼があった事が理解出来ます。
なお日本の再軍備には吉田茂首相(当時)が強く反対していましたが、1950年6月に朝鮮戦争が勃発したのを受け、同年8月、GHQの政令により警察予備隊が設置されました。従って翌年9月、日米安保条約が署名された時点で、双務性の観点から日本に米国への防衛義務を課す様な発想は、日米の何れにもなかったはずです。
更に言えば、第二次大戦中、日本はハワイの真珠湾攻撃をほとんど唯一の例外として、米国の一般市民に被害をもたらしていないのに、米国は日本の本土空襲(広島・長崎の原爆攻撃を含む)、沖縄戦を含め、何10万人もの市民を犠牲にした事も背景事情に違いありません。 - Nコード
- N7691FP
- 作者名
- 板堂研究所(Bando Research Corporation)
- キーワード
- 史実
- ジャンル
- エッセイ〔その他〕
- 掲載日
- 2019年 07月10日 09時13分
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- 文字数
- 10,670文字