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Skraeling  作者: 雪隠
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 ワクパラは他の大多数のようにこの部族で生まれ、育った。彼はこの国一番の若手狩人で、狩猟のこの時期はこの地を隅から隅まで走り回っているので、足の速さと土地勘は人一倍だった。当然戦士としても同様であり、産土の神々への信仰もまた人一倍厚かった。

したがってマワタニは彼を最も信頼していた。そういうわけで彼を追手として差し向けた。

 もちろん暗闇での狩りにも慣れっこだったので、ここに一度も来たことのないと言う男一人追うくらいはどうということは無かった。一時間もしないうちに彼はイクルイに追いついた。

 いくら精鋭の狩人とて、明かりなしに矢で射殺すのは至難の業だった。それに耳をそばだてて伺ってみるに、イクルイはまだ寝ていない。その上、彼のいるであろう辺りへたどりつくまでは地形が複雑で、そもそも矢で射るには適していない。ワクパラは明け方を待って様子を探ることにした。

 狩人にとって待つことは常である。特に彼らのように狩猟と採集とわずかの農耕だけでほとんどの生計を支えている者たちにとってみれば、一夜明かす程度はどうと言うことではない。相手は酒に酔っているからぐっすり眠り込むはずだ。彼はそう踏んで辛抱強く待った。

 それから何時間も経った。東の大平原が、だんだんと薄赤く染まり始めた。ワクパラはイルクイがいるはずの場所を目指し、気取られぬように移動し始めた。夜空が西へと追いやられる。

この一帯の地形は露出した岩肌のせいで少し入り組んでいたが、大して長い道のりではない。悟られぬように身を屈めて静かに進んでいった。

 そうして視界が開けたときだった。彼は目を疑った。いるはずの男がそこにはいない。己の勘を頼りに追いかけていたはずの外国人が、そこにはいなかった。疲れているからかと目を擦ってもう一度よく見るが、誰もいない。

「そんな……そんな馬鹿な」

 ワクパラは狼狽した。若いとはいえ彼はかなりの腕前を持つ狩人であり戦士だ。そしてそれは自他共に認めるところでもある。とにかく真偽を確かめるため、姿勢を低くしたままそこまで走って行った。

 そこは砂と岩の丘だった。よくよく見渡したが、周囲にも誰もいない。だが、よく見れば足元にはおいかけていた者のものと思しきマントがくしゃくしゃに丸まって置いてあった。

 彼はもういちど周囲を見回し、慎重にそれに近づいた。試しにトマホークを一振りして布を少し裂いてみる。すぐに岩陰に隠れたが、何も起きなかった。どうやら術を使って身を隠しているわけでもないらいしい。

 自分が獲物を逃すという失態、それはまだ若い彼を落胆させるに十分すぎた。諦めて帰るに帰れない。どうしたものかと悩んだ。

 その時彼は本能で殺気を感じ取った。頭で理解するよりも先に身体が反応して横へ跳躍した。彼の後ろから突然出現した白色の光線が轟音と共に土を抉った。危機一髪といったところだった。ワクパラは後ろを振り返った。

 舞い上がる土煙に揺れる人影は、やがて日光に照らしだされる。突き出した右手、目の下には横一筋に太い黒の刺青。それは確かに彼の捜していたあの男、イルクイだった。

 イクルイは目を疑った。目の前にいるのは、蒙古斑でも残っていそうな少年だった。だが、ある理由が彼に餓鬼であろうと容赦するまいと思わせてしまった。

 マントを挟んで対峙する二人。先に罵倒し始めたのはイルクイだった。

「……俺のマントを斬ったな」

ワクパラは耳を疑った。思わず聞き返した。

「な、何だって……」

「俺のマントを斬っただろうが、ただ一つの俺の『掛け布団』をっ!」

 ワクパラは我に返って己の足元にちらっと目を遣った。確かにこれを差したのは自分だ。だが彼はあの布切れのことを『掛け布団』と呼んだ。

 理解できなかったが、とにかく獲物が釣れたことは確かだ。ワクパラはイクルイに対してもう一度身を構える。

「これもおいらの名を挙げるため、そして国のためだ。観念して殺されろっ!」

 そう息まいてトマホークを振り上げワクパラは飛びかかる。思い切ってトマホークを振り下ろすが、その瞬間に彼の姿はない。反転して睨めば、かの者は自分の布切れをかかえて立っていた。

 向き直って再びイクルイに対峙する。今まで相手をしていたような野獣共とは違い、目の前の敵の持つ並々ならぬ威圧感に膝を屈しそうにさえ感じられた。よく見れば、イクルイの腰の帯には何かが差してある。彼はそれを目の前で抜いた。ワクパラの今まで見たことのない武器、片刃の直刀だった。抜いた刀を両手で握って肩に担ぐと、

「さっきは突発だったが、貴様なら神術を使うまでもあるまい。かかって来るがいい」

 彼が発する不可解な圧迫感と挑発に痺れを切らしてワクパラは雄たけびを挙げて躍りかかった。

 鬼気迫る勢いで縦に横に刺客のトマホークが唸りを挙げて乱れ飛ぶ。国随一の猛者とされるだけあって筋は良く美しい。しかしイクルイはこの鎌鼬を難無く身軽にかわしていく。トマホークは虚しく空を切っていく。

息が切れるほどにも斬りつけたが一向に斬れる気配はない。時折感じられる身の危険に、一方的に神経が擦り減らされていく。

 ふたたびワクパラは敵と距離をとった。

 ほとんど避けているだけのイクルイは大して疲れていない。涼しい顔をしてやや短めの直刀を担いでいる。

 空振りの時の疲れは当たった時の比ではない。それがずっと続けば尚更のことである。

 これ以上外しては敵に逃げられるか、反撃される機会を与えてしまいかねない。

 覚悟を決めたワクパラは走りだした。

 野生の獣に負けない唐突さと速さで圧倒しようと体を低くして迫り、残る力を振り絞って渾身の一振りを叩きつけようと、大声を挙げて右手のトマホークを振りかぶる。

 ―しかし、その時すでに彼の目の前にイクルイの姿は無い。

 直前に高々と跳躍したイクルイはその一振りをもさらりと受け流し、脇に抱えたマントでワクパラの視界を奪う。

 前のめりに体勢の崩れた彼の手首を捻り、トマホークを無理やり放す。

 暴れもがいて何とか目の覆いを取り払ったワクパラに一気に乗りかかり、膝で圧して身体の自由を完全に奪った。

 暗殺劇はただの一瞬で片付いた。今や理不尽な異国の刺客は異邦人の手によって、逆に自身が絶体絶命の状態となった。彼が持っていたトマホークはすでに弾き飛ばされ手の届くところにない。顔を歪める刺客の喉元に彼は直刀をあてがう。

 止まった時は、なかなか動こうとしない。

 どうしたことか、イクルイはその姿勢のまま動かない。

「……何故だ。なぜ、殺さない」

 刺客には分からなかった。この期に及んで殺害をためらう理由を。だがイクルイは、それでも一向に殺そうとする素振りは見られない。

 突然剣を振り上げる。

 ああ、やはり。

 覚悟して目を閉じる――。

 ざくっ、と突き刺さる。恐る恐る目を開ける。頬をわずかに掠めているだけで、直刀は紙一重で右隣の地面に刺さっていた。

 つつ、と血筋が伝う。

 大きくため息をつき、イクルイは剣を抜いて拭き、腰の鞘に差し直した。

「……子供一人斬って何とする」

 イクルイは向こうを見た。血を指で拭いながらワクパラもそれにつられる。岩陰から出てきたのは、果たしてワナフチャであった。

「ワクパラ……!」

 彼女はワクパラに走り寄った。

「ワナフチャ?な、何故お前がここに」

 娘は倒れているワクパラを抱き起こした。

「貴方が心配だったからです。私の帰りでお気がたっていらっしゃる父上はこの方を殺そうと必ず貴方を遣わしなさるだろうと。それで……」

 娘は口ごもった。

 ワクパラの目が怒りに狂った。娘を突き飛ばし、身を翻して立ちあがり、手から落ちたトマホークを拾って再び構えた。

「それで、それでおいらより先にこの男に知らせたんだな、お前は!」

 ワクパラの肩が小刻みに震える。娘はイクルイの顔とをきょろきょろして、額に脂汗を浮かべて困っている。

 ふう、とイクルイは溜息をついた。冷水のように冷たく透き通った目でワクパラを見つめる。

「どう考えようとお前さんの自由であろう。だが、一つだけ教えろ。何故あの老王は私を襲わせた」

 先ほどのような気迫はない。ワクパラはまくし立てた。

「と、とぼけんなっ!それはお前がおいらたちの『儀式』を邪魔しようとしかたらじゃないかっ!」

 イクルイは思わず首を捻った。このクニヤット族の少年の言う『儀式』なる代物を、ここに初めて来たばかりの彼が知っているはずもない。

 だが、ここで彼を刺激するのも良いとは言えない。

「そうか。だが、どう難癖をつけられようとも私の知るところではない」

 そう言って目を細めると、踵を返して歩き始めた。

「ま、待ちやがれ!」

 ワクパラが駆けだすとイクルイが顔だけ振り返り、

「ついて来るなら勝手にしろ、危害は加えん」

 また歩き出した。

 ワクパラは顔を真っ赤にして怒鳴り上げたくなったが、我慢してよく考え直した。

 彼は確かにこの男を始末せよと命じられた。だが、イクルイはかなり腕が立つことを今、彼は身をもって理解した。

 かといって、手ぶらの上殺されかけたとあっては国に戻れるわけがない。ましてその一部始終を見られていたとなれば、そのようなことはなおさら彼の沽券に関わる。

 そこでワクパラはこの男の後をつけていくことにした。この辺りは彼の方が詳しいし、いざとなったらいつでも国に逃げる自信くらいはまだある。

 娘を呼んで、そのことを彼は手短に説明した。

「そんな、どうしてそんなことを」

 娘は声を挙げた。ワクパラは黙るように身振りする。

「逃げようと思えば、俺はいつでも逃げられる。それにあいつがこのままあっちに進めば、どっちみちあいつの命はあるまい。俺はそれを見届けるだけだ」

「で、でもそんなことしたら……」

「あいつはお前を助けたことで、儀式を邪魔したんだ」

 声を荒げそうなところを必死に押しとどめ、深くため息をついてからもう一度低い声で言った。

「……もういい、戻ってもう一度儀式の用意をするんだ。いいな」

「……はい」

 振り返ってとぼとぼと帰る彼女の後ろ姿を確認して、ワクパラはイクルイの後をつけ始めた。

 さすがは腕のたつ猟師である。見た目も明らかに歳若い少年が、獲物を狙い澄ます狼のようにイクルイの後を物音立てずぴったりと追いすがっていた。

 目の前の男は何度か足を止め後ろを振り返ったが、ぶつぶつと何か喋る。そしてまたすぐに歩き出す。

 これを何度繰り返したことだろう。イクルイは彼が去ったとでも思ったのか、もう振り返ることなく歩いていた。

 その足が突然、止まる。

 の眼下に果てしなく広い峡谷が今や広がっていた。

 その奥はクニヤットの伝承が云う所の地の国とやらに繋がっているのではないかと思うほどに深い。

「……ここが国境か」

 イクルイ思わず感慨深そうに呟く。

 おまけにこの干からびた湖の跡のような窪地は南北に見切れるほどに続いており、東へ行くには目下この切り立った断崖絶壁を通るほか無さそうである。

 だが、道がないわけではない。

 イクルイは周囲をキョロキョロと見渡すと、ある場所へと歩いて来た。

 そこだけは比較的傾斜が緩やかで、いくつか段丘がある。

 猿か鹿のようにイクルイはひょいひょいと跳んで下へと降りる。

 とぼとぼと歩きながらつぶさに周囲を見回す。

 と、突然崖の方を振り返って叫んだ。

「お前さんも随分と執念深いな」

 ぱらり、と小石と転がり砂が落ちる。

 少し上の崖からひょっこりと頭を出したのは、やはりワクパラだった。

「うるせえやい、てめえの死ぬのを見届けるまでは戻らねえからな!」

「勝手にしろといったのは私だが、本当に地の果てまで来るとはな」

 言い返しつつ、イクルイは彼の語感に妙な違和感を覚えた。

「……お前は……」

 崖の方ではワクパラが一悶着起こしているらしい。

 彼が抑えつけようとしているのを何とかかいくぐって頭を出したのは、ワナフチャだった。

「何だ、お前さんは帰ったんじゃなかったのか」

 イクルイの言葉を聞いているのかいないのか、彼女はきょろきょろと必死に辺りを見回していた。

 イクルイはますます不審に思って彼らに歩み寄った。

 何かを見つけたような顔をした。とてつもなく都合の悪い何かを、である。

「危ない、逃げて!」

 ワナフチャが叫んだ。

 後ろから冷風が吹く。

 彼のすぐ背後から、黒塊が襲い掛かった。

 直後の風圧は峡谷の砂石を一気に撒き散らした。

 二人は思わず目を覆っていたが、砂嵐が止むとすぐにイクルイを目で探した。

「ああっ」

 ワナフチャが叫んだ。走りだすにワクパラは思わずつられて彼女の後を追った。

 異常な光景の原因らしき物体は無い。しかし、さきほどの嵐の中心近くには、イクルイが倒れていた。

 駆け寄り言葉をかける。

「大丈夫ですか、しっかりしてください!」

 必死に声をかけるとは対照的に、ワクパラは内心狼狽して何もできずにただその場に立ち尽くしていた。

 がワクパラを見上げる。動揺とともに、怒っている。

「ほら、やっぱりこの人は何の関係もなかったんだわ」

「で、でも……」

「無実の人を殺すのが私たちのしきたりなの?そんなの間違ってるわ!」

「し、仕方ないだろ!おいらだって好きでやってんじゃねえよ、でもしきたりはしきたりなんだよ。国が滅びないためにも」

「お前さんたち自分の身を案じたらどうだ?」

 あるはずのない急な声がする。二人は驚いた。イクルイが喋ったのだから。

 轟音とともに、三人の眼前にあの黒が現れた。

 さらに突然イクルイが地に掌を押し付け

「――レラカムイ!」

 呟いた瞬間、砂塵が三人を覆った。気づけば、イクルイに抱えられて彼ら二人は宙を舞っていた。


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