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Skraeling  作者: 雪隠
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2011/10/15 誤字がひどかったので訂正しました。ごめんなさい。

“Skraeling”


 しばしの砂嵐が止んだ。イクルイは前を向いて、また歩き始めた。


 もう何日もこの乾ききった砂漠を歩いていた。日は荒野を歩み続ける男の背中に高々と上り地上を赤く焦がした。

 見渡す限り水のありそうな場所はない。

 彼はもうどれほど歩いたかは知らないが、見渡す限りの仙人掌と、切り立った少しのメサの群れが、砂と石ばかりの大地に奇怪なオブジェのように突っ立っているのみだ。

 ふと立ち止まり、空を見上げる。顔を焦がさんばかりの光に目を細める。

 乾いた風の吹きすさぶ音が聞こえる。青く透き通る空のほかには気持ちいいくらいに何もない、いつも通りの空だった。

 風雨と砂嵐のせいでボロボロになったマントを風に靡かせ、男はふたたび歩き始める。

 彼の目の下には真っ黒な刺青があった。歳をとっている訳ではないのだろうが、顔の皺は深く刻み込まれているよう思える。怒っているかにさえ見える彼の地の顔は、真昼の日にきつく焼かれぬよう、ボロボロだが固く編まれた廂の大きい帽子の陰にふたたび隠れた。

 それから少しも経たなかった。イクルイは野鳥の声を聞きつけ、再び空を見上げた。西の空には禿鷹共が高く飛び、上空を旋回していた。

 彼のいる場所からはそう遠くない。歩いていた方からそれ、何となしにゆるやかな丘陵地の方へと彼は歩きだした。

 ゆるやかな坂を登りきって、禿鷹のいる下り坂の向こうを見た。果たして何かがあった。

 人間だ。

 人間が倒れていたのだ。

 私たちのような文明人の目にはあまりの遠さに確認できまいが、それに比べて彼のように文明の利器に頼り得ない者たちの視力は、概して我々のそれよりも格段によい。もちろん彼にもたやすく確認できた。

 砂に足を取られぬよう、男はゆっくり坂を下りた。

 周りの禿鷹を追い払った。

 若い娘だった。髪は編んでいないし、刺青も無い。服以外に身につけているものはなく、その服も装飾のない、真っ白な麻の布地だった。

 見たところ怪我らしい怪我はしていない様子だった。

 イクルイは娘を抱き起こした。口元に耳を当てた。まだ息はある様子だった。どうやらただ気を失っているだけらしい。

「おい」

 娘に声をかけたが反応は無い。頬を軽く叩いて呼びかけ、様子を見てみた。

「おい、大丈夫か。しっかりしろ」

「う、うぅ……」

 何度か繰り返しているうち、娘が小さく唸った。意識もはっきりしてきたらしい。眠ったすぐ後のように、そこまではっきりしてはないが。

「……わ、私は、貴方は、」

「お前は倒れていた」

 男は自分の着ていたマントを娘に着せ、まだ腰の抜けているらしい娘をおぶった。幸い彼女の持ち物は無いらしい。男は背負いながら立ち上がり、後ろを見た。

「お前のいた集落まで連れていく。俺に案内しろ」

「あ、いえ、でも……」

 男は歩きだした。彼女の質問や主張には一切耳を貸さなかった。そのうち娘はおとなしくなり、素直に己のいた部落への道を教えた。

 娘を見つけてから時間が経った。

 日は傾き、地平線の向こうへと帰ってゆく。風が少し冷たくなった。

 既に眼下にはテントや小さい家屋が点在しているのが見える。

 娘は男の背中でゆっくり眠り始めていた。彼は道を急いだ。

 集落のすぐ外で彼は村の者らしい男を見た。

「済まない」

 話しかけると、男は彼を見た。よそ者を見る冷たい眼は、その背中に背負われている娘を見るなり血相を変えた。

「お、お前、どうしてその娘を」

「ああ」

 後ろを振り返った。安らかな寝顔があった。

「道で行き倒れになっていた。ここの者らしいが」

 彼の話を聞くなり、集落の男は走って集落のテントの一つに入っていった。

「ん……」

 娘の目が覚めた。娘はまだ眠たそうな眼をこすり、驚いたように周囲をきょろきょろと見回した。

「起きたか、着いたぞ」

 男は振り返らずに言った。娘は慌てて彼の背中から降り、

「あ、有難うございました」

 と言った。男はやはり振り返らなかったが、

「ああ」

 とだけ言った。

 しばらくしてテントから何人かの男が出てきて、彼らに入るよう促した。彼は無言でついて行き、娘もまた彼の背中について行った。

 テントや小屋からは十人ほどの村人が彼を奇異の目で見ていた。犂のような物を持つ者や弓と鳥を引きずる者、土師器の皿にすり潰している最中の果物を入れっぱなしの女までそこには居た。

 誰もこのかわいそうな娘の帰りを喜んでいないように彼には見えた。わざと見ぬようにしているようにも。だが彼はそれほど目もくれず歩いた。

 テントの中はたいまつの火が灯されていた。中央奥には白い布に身を包み長い髭を蓄えた白髪の老人が一人。数名の初老が彼を囲み座っている。

「この者か、『赤い鳥』よ」

左側の初老に『赤い鳥』と呼ばれた先ほどの村人は跪き、彼に恭しく傅いた。

「左様でございます」

「うむ、よろしい。下がれ」

『赤い鳥』は再び頭を下げ、腰を低くしたままテントから出て行った。を目で送っていた彼らは、テントから出ると一斉に余所者を向いた。

 残されたイクルイは跪いて恭しく頭を下げた。

 それなりの礼儀を見せたので、老人たちの目はやや和らいだように見えた。しかし彼の後ろの娘が立っているのが目に入ると、彼らの態度は一変した。

「貴様、どこでその娘をっ!」

 左端の者が跪くイクルイに物凄い剣幕でまくし立てた。娘はあわててイルクイの後ろで手をついて頭を下げた。

「は、私が歩いている道の近くの丘で倒れていましたので、この者の言う己の里に帰した次第にございます」

 彼の言い分でも何か収まらない様子でその男は何かを叫ぼうとしたが、

「これ、もうよい」

 中央の白髪の老人がこれを諌めた。老人は男の後ろの娘に目をやり、

「ワナフチャよ、もう今日は遅い。家に戻りなさい」

 と言った。

「はい、陛下」

 彼にそう答えて一礼すると、娘は走ってテントから出て行った。

 娘が『陛下』と呼んだその老人はイルクイを向いて、さらに続けた。

「お若いの、貴方の名は。何処より来なすった。何処へ行く」

 イルクイはふたたび平身低頭して答えた。

「は、ここより遥か西、険しき神々の山の向こうの海辺の国プラテウロナにて育ち申した神術師、名をイクルイと申します。かの道にて東へ出で、そのまま東のかたオブジエ連邦へと行かんとし、一人旅しておりました」

 納得したように、老人はにこやかに頷いた。

「左様か。ここは地の底の神が地上に出でましし時始めに造りし兄弟の末弟の国クニヤット、そして儂はクニヤットの王マワタニじゃ」

「お初にお目にかかり、大変恐縮いたしております」

 マワタニはそうかそうかと何度も相槌を打った。イルクイの礼儀正しい態度を少なくとも表面上はいたく感心しているように彼自身には見えた。だが当然彼は唯一の外からの者だから、そうした態度を示した方が己の身を護るうえではよいのだろう。最も、それはこの広い大陸のしきたりの一つでしかないのだが。

「顔を上げなされ」

 イルクイは彼の言うままに顔を上げてマワタニをふたたび見つめた。王らしい威厳は確かに感じられるが、それよりも優しそうな翁の顔に見えた。

 マワタニにとっての彼の顔は、空恐ろしいものだった。彼が見たことのあるどんな獣よりもギラギラと滾る目だった。しかしその辺の国の賢者や神官にさえ、彼ほどに知性の溢れる振る舞いはできないだろうとさえ感じた。

現にこうして、この野獣は彼の目の前で蹲っているのだ。

 余裕のあるふうを見せ、マワタニは笑顔を崩さずに続けた。

「そなたがこの国を訪れたるも何かの縁であろう、幸いこの国は外からの旅人をもてなすのがしきたりでの、本日はここで夜を明かされてはいかがかの」

 国王からの思わぬ申し出であった。長く辛い旅を続けてきたイルクイにとっては当然断る理由などない。

「はっ、我が身にとりまして恐悦至極に存じ上げます」

 そう答え、イルクイはふたたび平服して感謝の意を示した。

「うむ、では各々方、急では悪いが急ぎ酒宴の用意をお願いしたい」

 マワタニは満足げに答えた。

 日が沈んだ。かがり火がテントの内と外を仄かに照らした。さっき来た頃にはまだ外にいた子供や女たちも、各々の住処で食事なり用意なりしているのだろう。

 クニヤット王マワタニの小さな王宮では久しぶりの酒宴が催されるに至り、家臣たちの家族総出で集まった。およそ二、三十人はいるだろうか。

 今やイクルイの目の前には、果実、木の実、干した獣の肉など、仙人掌以外は水もなさそうなこの乾いた地域ではたまに来る外の商人からしか手にいれようもないものばかりが並んでいる。間違いなく彼らにとっては――無論ここ数日ろくな食べ物を口にしていないイクルイにとっても――まさにご馳走という代物だった。

「我ら貧しくはあるが、精一杯のもてなしじゃ。どうか遠慮なく食べて飲んでいってほしい」

 マワタニは水の神のように柔和な笑みを浮かべて言った。イルクイが土の盃を取ると王の若い従者が土瓶を持ってきて酒を注いだ。

「大分昔手に入れたサボテンの酒じゃ。豪の者は難無く飲み干すという」

 マワタニはそう付け加えた。イクルイはなみなみと注がれた盃を片手で突き出して

「有難く頂戴いたします」

 言い終わるとすぐに盃を傾け、あっという間に飲み干した。周りから歓声と驚嘆の声が漏れた。

 時が経つのは早かった。ますます好奇の目で見る周囲をよそに、イクルイは久しぶりに楽しいと思える時を過ごしていた。

 一方で不審に思う気持ちも晴れずに残っていた。彼自身、娘に会った時、正確には娘の姿を見たときから、小さくはあるがその気持ちはあった。

 酒宴の席では途中から国の神官たちらしき者たちが大勢現れた。笛や木の皮を張った太鼓を演奏して舞楽が始まった。舞を踊る者のうち、一人は毛皮でできた狼の面をつけ、もう一人は派手に着飾った女を演じていた。

 楽器の隣では数名が、独特の発声法で叙事詩のような詩を吟じている。イクルイにはこの国の古典言語など知らないから内容は理解できなかったが、この寸劇に関係していそうだとは分かった。

「ときにイクルイ殿、貴殿は東の向こうのオブジエ連邦に行かれると申されたな」

 退屈な劇が終わり、また別の抒情詩と共に煽情的な踊りが繰り広げられている最中だった。王が酒を注がせているとき、徐にイクルイに話しかけた。イクルイは食事の手を止めて王を見た。

「いかにも」

「オブジエ連邦と我が国とは行き先が正反対のはず、それをかの我らの娘のために方向を変えなさったのか」

「左様にございます」

「そうかそうか、イクルイ殿はまことに素晴らしいお方だ……」

 マワタニの目が光った。顔は相変わらず笑い上戸だったが、明らかにイクルイを睨みつけたのだ。王は気付いていないだろうが、彼の目はごまかせなかった。

 彼はありのままを話した。だが、この国の者は王でさえも信じようとしなかった。

 疑いは確信に変わった。

 イクルイはすぐさま盃を置いてマワタニに向き直った。

「陛下、突然ではございますが今日はもう夜も遅うございますゆえ、これにてお暇願いたく存じます」

 イクルイの突然の申し出にマワタニは驚いた。

「何と言わるるか、ここでお泊りなさるが宜しかろうに」

「外では野で暮らすのが本来の我が国のしきたりなれば、聡明との名高い陛下にはどうかご賢察のほどを願う次第にございます」

 マワタニは悲しそうな顔を浮かべて再三とどまる事を要求してみたが、

 あくまで王自身を立てる言い方のため、却って自身の王としての印象を損ないかねない。家臣たちが彼を責めるのを制し、しぶしぶ承諾した。

「……よいよい、分かった。今は夜半ゆえ暗けれど己が国のしきたりなれば詮無きことじゃ、お発ちなさるがよい」

「国王陛下の寛大なるお心遣い、有難く存じます。産土神が永久にこの国土を見守られんことを。然らばこれにて」

 イクルイは一礼するとさっさと外へ出て行った。急に外に出てきた彼が篝火から遠ざかっていくのを見て、守衛が走ってテントに中に入った。

「陛下、奴が出て行ってしまいます」

 王は守衛を一瞥した。つい先ごろまでの作り笑いはもう無い。君主然りとした敵を狩る者の目であった。

「莫迦者め、お主は奴から目を離すな。それより、ワクパラをこれへ」

「御前に」

 ワクパラと呼ばれた少年がマワタニの前に進み出た。マワタニは王座から立って、ワクパラの前で己の懐から何かを取り出し、彼に握らせた。柄を装飾されたトマホークだった。

「儀式を妨げた男はきっと敵じゃ、始末せよ」

「……はっ」


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