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「天国・地獄・大地獄」-序章-  作者: 瀬良浩介


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08

「天国・地獄・大地獄」-序章-

ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!

 彼女は小声で、目の前の受付カウンターを指さした。

 神経を集中させると、乱れた呼吸音と小さな嗚咽(おえつ)が、確かにカウンターの裏から聞こえてくる。


「そこにいらっしゃる方、聞こえますか」


 山吹(やまぶき)サチが、よく通る声でカウンターに語りかけた。


「私たちに敵意はありません。これからそちらに回り込みますが、いいですか」


 この人は、もしかしたら恐れを知らないのか。

 行動力があるとは感じていたが、未知の存在に動じない「重み」がある。


 俺のときもそうだが、椅子を持って暴れる男に、あんな冷静に声をかけられるものだろうか。

 それとも、単にそのへんが抜けているだけなのか。


 ゆっくりと受付カウンターを回り込んだ山吹サチが、こちらに「大丈夫」という目配せを送る。

 俺は少し安心して彼女のそばに歩み寄った。


 そこには、両膝を抱えて座り込み、全身を小刻みに揺さぶる男がいた。

 歳の頃は俺より少し上に見える。半袖のワイシャツにスラックスという、夏の会社員といった()で立ちだ。

 こちらを見上げようともせず、床をにらみ続けている。


「はじめまして。私たちはあなたと同じ境遇(きょうぐう)の者です。

 あなたは何か危険な目に合いませんでしたか?」


 かがんで男と目線の高さを合わせた山吹サチは、あくまで端的(たんてき)に、安心させながら尋問(じんもん)をするという高テクニックの一文を口にした。

 相手の間合いに踏み込む(すべ)を心得ている。

 客観的に見ることで、その達人ぶりが際立って見える。


「危険?」


 男が体を揺すりながら山吹サチを見た。


「あったよ。危険な目にあった」


「それはどんな?」


 男は、膝を抱えていた両手で顔を(おお)った。恐怖がぶり返しているように見える。


「襲われたんだ。身を守るのに精一杯だったんだ」


「それは、(わな)なようなものじゃなかったんですか」


 山吹サチは罠の詳細を聞き出そうと質問を繰り出すが、俺にはそうでないように感じられた。

 「襲われた」と言った。それは「物に」というよりは、「人に」といった響きがある。

 同じように感じ取ったのか、高遠(たかとお)アキハが口を挟む。


「もしかして、アレに会ったの!?」


 アレ?アレってなんだ?


「ねえ、襲われたんじゃないの、怪物みたいなのに」


 ――怪物?今、怪物って言ったのか。なんの話だ。


 ふと、カラオケルームで高遠アキハが口走った言葉が頭をよぎる。

 「罠なんかよりもっと怖いもの」そう言っていた。

 それが、怪物?


「どうなの、違うの?」


 高遠アキハは、これまでに見せたことのない表情を見せていた。それは恐怖なのか、焦りなのか。

 気圧(けお)された男は、余計に縮こまってしまう。


「わからない。しつこく追いかけてきた。たぶん、俺を殺すつもりで」


「わからないってなに!」


「アキハさん」


 山吹サチが心配そうに高遠アキハを見る。

 高遠アキハは、少し落ち着きを取り戻したようだった。


「もしアレが近くにいるなら、まずい」


 言いながら高遠アキハも男に近づき、かがみ込む。


「ねえ、左腕、見せて」


 急に何を言いだしたかと思うやいなや、高遠アキハは男の左腕に(つか)みかかった。


「見せなさい」


 なすがままの男は、高遠アキハによって左腕を高く掲げられる。

 その前腕の内側には、男の雰囲気からしたら不釣り合いに思えるような()(ずみ)()られていた。


 502


 (ひじ)側から手首に向けて、(あか)くそう彫られている。

 それを見た高遠アキハは、感情の読めない様子で鼻を鳴らした。


「『2』か。怪物じゃないね」


 なんだなんだ。急に(しゃべ)りだしたと思ったら怒涛(どとう)の一人舞台だ。

 数字の入れ墨が一体なんだというんだ。俺と山吹さんを置いて高遠アキハが大暴走、と思いきや。


「もしかして、あっちの部屋に」


 山吹サチまで何か勘付(かんづ)いた様子だ。

 彼女が目線を送った先には、標準サイズの鉄扉。

 オフィスの裏口なのか、通常なら外階段やらに繋がっているものだろう。

 ポータルだとしたら、先はわからない。


「まだいるかもね」


 二人は完全に俺を置いて、目と目で通じ合っている。

09 へつづく


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