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「天国・地獄・大地獄」-序章-
ただいま毎日〈月〜金のみ〉鋭意連載中!!
山吹サチがゆっくりと男に歩み寄る。
俺はその姿を見て、背筋に冷たいものが流れた。
山吹サチの動作は『無音』だった。
部屋にはセメントが流れ込む音が響いていたし、山吹サチ自身も薄っぺらいスニーカーを履いてはいたが、そういうことじゃなかった。
まるで山吹サチと床の間には摩擦がないかのように、床が山吹サチという存在に気づいていないかのように、彼女の動きは周辺の物に干渉していないように見えた。
「来るな!来るな!」
男が背後の受付カウンターに激突し、カウンター上の書類が飛び散る。
一枚のチラシが山吹サチの足元に舞い落ち、彼女はそれを右手で拾い上げた。
そのチラシをぴんと直立させて胸の高さへ持ち上げたとき、一瞬、チラシが銀色の光を放って輝いた気がした。
「待って!」
背後から、高遠アキハが声を張り上げた。山吹サチが動きを止めて振り返る。
高遠アキハは掌を前に突き出し、制止するポーズをとっている。
「まだ時期そうしょ……しょう、尚早」
台詞を噛んで、バツが悪そうに目線を泳がせたり咳払いをする高遠アキハ。
もちろん笑える状況ではないが、山吹サチが眉ひとつ動かさずに言い返した。
「しかし、罠はどうしましょう」
「アッシに考えがある」
山吹サチはチラシを丁寧に床に置いた。
「なるほど、委ねます」
そろそろ置いてきぼりにも慣れてきたとはいえ、命の危機に晒された俺としては、得体のしれない地雷女のアイデアに委ねられる気にはならない。
「こんな危険なヤツ、ほっといていいのかよ!」
俺の抗議を気にも留めない様子で、高遠アキハは近くのデスク引き出しをあさっていた。
「お、いいのあったじゃん」
彼女が引き出しから取り出したのは、長さ三十センチ程の結束バンドだった。
「動かないよう、押さえて」
高遠アキハが言うか早いか、山吹サチは男の両腕を掴み上げていた。
「お兄さん、お手数ですが、両足を押さえていていただけますか」
目の光は穏やかに戻っていたが、山吹サチの言葉には有無を言わせない力が込められている。
俺は返事をする間もなくそれに従った。
「やめろ!やめろ!」
抵抗する男を抑え込んだところに高遠アキハが近づき、男の両腕を結束バンドできつく縛り上げた。
「足はいいんですか?」
「連れて行きたいから。歩けるようにしとく」
「連れて行く?こんな危ないヤツを連れてってどうするってんだ」
高遠アキハは男の前で仁王立ちしながら、値踏みするように男を見下ろした。
「そうね。こんな協調性なさそうで」
お前が言うな。
「恐らく罪のない人を二人も殺してるような危ないヤツ、
一緒に行動したいとは思わない。
でも、利用価値はある」
高遠アキハの瞳の奥に、黒い炎が揺らめいたような気がした。
「あの怪物に出くわしたら、代わりにエサになってもらおう」
一瞬、場の空気が凍りついたのを感じた。
男は自分に危害が及ぶことを感じ取り、わけもわからず悲鳴を上げ始める。
そりゃそうだ。『怪物のエサ』なんていうパワーワード、自分に向けられてないとしても聞きたくはない。
俺は顔をしかめながら、ちらりと山吹サチの顔を伺った。彼女はというと――。
「あの、ちょっと、それは……」
ですよね。普通ならドン引きですよ。山吹さんがこっち側の人間だったことに心底安心した。
それを聞いて慌てたのは高遠アキハだ。
「なっ、なんでよ!委ねるって言ったくせに!」
「でも、さすがに心が痛むというか」
「んもぉ!だ、か、ら!」
高遠アキハは髪の毛をかきむしるかのように身悶えた。
「まだこのエリアに未知の怪物の気配はない。
けどもし、アッシたちがさっき出会った怪物とまた出くわしたら、こいつを喰わせるのが得策だって言ってんの!」
だから、と前置きして講釈を垂れるような内容ではなかった。
結局、この男を犠牲にして自分たちだけ助かることを力説しているだけではないか。
この地雷女、もしかしたらこの男よりサイコパスなのかも知れない。
11 へつづく
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