田舎から出てきたその少女、最強につき〜木の枝でベヒーモスを倒せる程度の実力しかないから都会では謙虚にいきます〜
世界有数の大都市、アレグリア王都。冒険者を目指す若者たちが夢と野望を抱いて集うこの地に、一人の少女が降り立った。
リーネ・ブランフィールド、十五歳。
腰まで伸びたくせ毛の栗毛を三つ編みにして、肩には編みかけの薬草袋。服はよれた麻布に、足元は革の手製サンダル。誰がどう見ても、ど田舎から出てきた農村の娘だった。
「うわ……人が……いっぱいいる……」
目の前に広がる人混みに、リーネは目を丸くした。村では、朝市に五人集まるだけでも“賑わってる”と言われていた。これが王都か……!
「うん。気を引き締めないと……田舎者だってバレたら、笑われちゃうかもしれないし」
彼女はごく真剣に頷くと、背中に差した一本の木の枝をそっと撫でた。
「おばあちゃんが削ってくれた戦枝。都会では剣とか杖が主流って聞いたけど……これで、なるべく目立たないようにしよう……」
目立っていることには、まだ気づいていなかった。
というのも、リーネが通った直前、通りの石畳が一瞬だけひび割れていた。そしてその上を歩いていた魔法使い風の青年が、派手に転んだのだ。
「なんだ……? 地震か?」
街人が首を傾げるなか、リーネは涼しい顔でその場を通過する。
「あっちが冒険者ギルドかな?」
そう言って彼女が扉を押し開けると、ギルド内の空気が一瞬ピリついた。
大きな熊の剥製、複雑な魔法の気配、壁に貼られた数々の依頼書――。
リーネはそのすべてに目を輝かせた。
「わあ……すごい。都会って、やっぱり本格的だなあ……」
しかし、その足元には――
「きゃっ! 誰か、誰か! ギルドの下級魔物が暴れ出して――!」
事務員の叫び声。どうやら地下の魔物保管庫から、小型のサラマンダーが逃げ出したらしい。火を吹きながらギルド内を暴れ回るそれに、受付嬢たちは避難し、冒険者たちも遠巻きにしていた。
そのとき。
パキン。
乾いた音が響いた。
リーネが背中から、一本の木の枝を抜いたのだ。
「……あんまり暴れると、床が焦げちゃいますよ?」
ひとこと呟くと、リーネは足元の魔法陣を無視して、静かにサラマンダーに近づいた。そして、
ピシッ。
枝で軽く額をはたいた。
瞬間、サラマンダーは白目をむいて倒れ、口から小さな煙を上げた。
「よかった……。このくらいなら、森のヌシよりはおとなしいかな……」
ざわ……。
ギルド内の空気が、一斉に変わった。
「な、なに今の……? 触れてすらいなかったような……」
「いや、木の枝だろ? あんなので……どうやって……」
「誰だよ、あの田舎娘……」
リーネは、そんなざわめきに気づかないまま受付に向かって微笑んだ。
「すみません、冒険者登録、お願いできますか? あんまり強くないんで、Fランクからで大丈夫です」
■
冒険者ギルド・アレグリア支部――その地下試験場には、早朝からざわめきが広がっていた。
「おい、聞いたか? 今日の試験、Fランク志望の受験者に混じって“例の娘”が来るらしいぞ」
「えっ、例のって……あの、木の枝で魔物鎮圧した……?」
「ああ。俺、昨日見たんだ。スライムの大群が出たとき、あの娘、一歩も動かずに片っ端から“ピシッ”って……」
「マジかよ……」
すでに伝説となりつつある、田舎から来た謎の少女。
その名は――リーネ・ブランフィールド。
試験会場の控え室、リーネは緊張しながら、手元の木の枝を確認していた。
「よし……今日もこの子で行こう」
それは、村で祖母が削ってくれた枝だ。軽くてよくしなり、手になじむ。
都会の人は鉄の剣や魔導器を使っているらしいけれど、リーネにはこの枝が一番信頼できた。
「えっと……試験は、模擬戦と筆記試験があるって言ってたっけ」
すると、同室の受験者たちが、コソコソと彼女を見てひそひそ話を始める。
「うわ、ほんとに木の枝……冗談じゃなかったんだ」
「どうせ噂だけだろ? ただの田舎者だよ」
「でも、あの子、笑顔でスライム殴り倒してたって……」
リーネは気づいていない。いや、話しかけられないのが“普通”だと思っていた。
ギルド職員が声を張り上げる。
「次、Fランク実技試験。リーネ・ブランフィールド、試験官クロヴァス教官と模擬戦!」
「はーい。よろしくお願いします」
試験場に立ったのは、巨体の中年剣士・クロヴァス。元Aランクの教官で、受験者の“力の測定”に定評がある。
「お嬢ちゃん、何その武器? 本気でそれで戦う気か?」
クロヴァスが嘲笑混じりに訊くと、リーネはこくりと頷いた。
「はい。この子は丈夫で軽くて、すごく使いやすいんです」
「そうかい。まあ、加減してやるから安心しな」
試験開始の合図が鳴った瞬間、クロヴァスは容赦なく突撃した。受験者が見守るなか、リーネは一歩、ふわりと踏み出し――
「せいっ」
ピシッ。
木の枝がクロヴァスの肩口に軽く当たった。次の瞬間、クロヴァスの剣がすっぽ抜け、彼の身体が横に吹き飛んだ。
ドォン!
彼は試験場の壁に突き刺さり、そのまま意識を失った。
「………………え?」
「…………あれ?」
静まり返る試験場。誰もが呆然と見つめるなか、リーネは木の枝を見つめて呟いた。
「うーん、ちょっと強く叩きすぎたかな……」
彼女にとっては、“初級の護身術”程度のつもりだった。
控室では、クロヴァス教官が担架で運ばれ、ギルド本部がざわついていた。
「おい、さっきの模擬戦で試験官が戦闘不能って前代未聞だぞ……」
「ていうかあの子、やっぱりヤバい」
それでも試験は続行された。次は地下闘技場での魔物討伐。
檻の中から放たれたのは――ギルドで管理されている中級魔物・【赤牙狼】。
「わ、わんこ……?」
リーネはちょっとだけ目を丸くしたが、すぐに木の枝を構えた。
「暴れないでね。すぐ終わるから」
そして、軽く地面を踏み込むと――
ヒュン!
たった一撃。風を切る枝が、赤牙狼の首筋をとらえた。
気絶、沈黙、試験場の空気も凍りつく。
その日、アレグリア支部では“木の枝だけで試験を制した少女”の話題で持ちきりとなった。
試験官の記録用紙にはこう書かれていた。
『評価不能。仮にSランク試験であっても通過と判断される。だが本人の希望により、Fランクからの登録とする』
「ありがとうございました。Fランク冒険者として、精進します!」
満面の笑みでそう言ったリーネを、受付嬢も、ギルドマスターも、他の受験者も、誰ひとりとして直視できなかった。
■
冒険者登録から三日後、リーネ・ブランフィールドは、人生初の依頼に向かっていた。
「薬草採取……。いいですね、落ち着きます」
受けた依頼は、王都近郊の森で薬草〈ヒールリーフ〉を10束採取するという、ごく簡単なFランク案件だった。
本来なら、冒険者の登竜門とも呼ばれる“安全な依頼”だが――
その日はなぜか、依頼の詳細に記されていなかった異変が森に潜んでいた。
王都から半日歩き、薬草が群生する小川の近くまで来たリーネは、草むらの中でしゃがみこみ、にこにこと作業をしていた。
「……うん、きれいに育ってる。おばあちゃんが言ってた通り、朝露のあとの葉が香りもいいですね」
薬草を丁寧に摘み、手縫いの布袋に入れていく。
木の枝は腰に差したまま。使う予定など、今のところなかった。
「よーし、あと三束……」
そのときだった。
ズズ……ズズズ……ッ!!
地面が震え、小鳥が一斉に飛び立った。
獣のような息遣いとともに、森の奥から現れたのは――
魔獣・フェルドレッドトロール。推定ランク:A。
「……あれ? この子、依頼書にいなかった……よね?」
身の丈3メートルを超える巨体、鉄のこん棒を構え、よだれを垂らしながらこちらへ迫るトロール。
森にこんな魔物が出ることなど、王都では想定されていなかった。
しかしリーネは、慌てない。
なぜなら、村ではよく見る顔だったからである。
「もしかして……迷子?」
トロールが咆哮し、地面を踏みならす。その瞬間、リーネの足元の石畳が砕けた。
一般冒険者なら、即撤退する状況だ。
だがリーネは、小さくため息をつくと、腰から例の木の枝を抜いた。
「ごめんね……でも、今は薬草を傷つけられたくないの」
そして――
ピシッ。
たった一閃。リーネが木の枝をしならせて放った一撃が、フェルドレッドトロールの額をとらえる。
ゴンッ!
巨体が揺れ、トロールが目を回してその場に崩れ落ちた。
「……よかった。優しくしたから、きっと大丈夫」
リーネは倒れたトロールの頭を軽く撫でると、また薬草採取に戻った。
「こういうの、村では“追い返し”って言ってたなあ……」
その日の夕方、ギルド支部にて。
「ただいま戻りました。依頼の薬草、十束です!」
リーネが袋を差し出すと、受付嬢はほっとしたように笑った。
「お疲れさま、リーネさん。……え? もしかして、あの噂って本当?」
「えっ?」
「さっき報告が入ったのよ。近郊の森にAランク魔獣が出たって。しかも、気絶して倒れてたって……」
ギルド職員たちがざわつき始める。
「どうやら魔物を倒した痕跡があったらしい。……誰がやったんだ?」
リーネは首をかしげた。
「あ、なんかいたような気もしますけど……」
「気もしますけど!? ちょっと、それ詳しく教えて!」
その日の記録はこうまとめられた。
『フェルドレッドトロール、王都近郊に出現。すでに戦闘不能状態で発見される。
痕跡と証言から、討伐者はリーネ・ブランフィールドと断定。
※本人は“迷子だったので追い返した”と証言。使用武器は木の枝一本。』
その夜ーー。
「ちょっと待って、あの娘、Aランク魔物を木の枝で……?」
「Fランクだぞ……!?」
「Fランクがトロールをワンパンしたって、前代未聞じゃないか……!」
そしてこの一件により、ギルド本部では極秘裏に「昇格処理」の検討が始まった。
しかし、当のリーネ本人はというと――
「よーし、明日は何の依頼にしようかな。できれば、小動物の捕獲とかがいいな……!」
穏やかに、夕焼けを見つめていた。
■
「……ベヒーモスを、木の枝で倒せる程度の実力です?」
ギルド支部長室。重厚な机の奥で、ギルドマスター・ヴァレンは硬直していた。
「はい」
リーネはいつも通りの朗らかな笑顔で頷いた。
「もちろん倒すのは大変ですけど、動きを止めるくらいなら……木の枝でも何とかなります」
部屋の空気が、凍りついた。
隣にいたギルド副官のアロイスが、目元をピクつかせながら囁く。
「……マスター。ベヒーモスって、A+ランクの超大型魔獣です。討伐には精鋭パーティが必要な……」
「知っている」
ヴァレンは震える手で額を押さえた。
ここ一週間で、彼のもとには数々の“報告”が届いていた。
「Fランクの新人が、赤牙狼を一撃で戦闘不能にした」
「討伐対象外のAランクトロールが近郊で倒れていた」
「模擬試験でAランク試験官を壁にめり込ませた」
すべての報告書に、同じ名が記されている。
──リーネ・ブランフィールド。
だが当の本人は、Fランクのままで「未熟な自分にご指導を」と真面目に挨拶してくる。
「……君、今までどんな訓練を受けてきたんだ?」
「えっ? 訓練ですか? うーん、村の周りで魔物が出るので、畑仕事のついでに枝で追い払ったりとか……」
「その“追い払った”の中に、ベヒーモスが含まれているんだよな?」
「はい。でも、ベヒーモスはあんまり怒らせなければ、意外とすぐ寝ますよ?」
ヴァレンは思わず天井を仰いだ。
──規格外だ。
この少女が冒険者として本格活動を始めれば、各国にまで影響を与える。
王都ギルドとして放置できる存在ではない。
「アロイス。手続きは?」
「はい。すでに王立冒険者育成学園より、推薦枠の要請が来ています」
「……よし、即日推薦だ。上から目をつけられる前に、正式な枠に入れて“保護”しておく」
それは、“王都ギルドの秘蔵っ子”として扱うことを意味していた。
■
「えっ、私、学園に行くんですか?」
リーネは通知書を見て、素直に驚いた。
推薦理由欄にはこう書かれている。
《魔物との交戦能力、実技評価、危険予測能力、対話による鎮静手段など、すべてにおいて突出しているため、S評価に準じる人材と見做す。推薦を強く希望する。》
「私、そんなにすごいことしてましたっけ……?」
本人には、まったく自覚がない。
そして王立冒険者育成学園、入学前説明会当日。
「うわ……建物、大きい……!」
王都の中心部にそびえる、歴史ある石造りの校舎。リーネは興味津々であたりを見回す。
周囲の貴族風の少年少女たちは、彼女の粗末な服装と“木の枝”に視線を送っていた。
「ねぇ、あれって武器なの? 杖じゃなくて……木の枝?」
「信じられない……野生児か何か?」
「推薦枠の子って聞いたけど、絶対に間違ってるわ」
そんな陰口にも、リーネは気づかない。森の中で薬草を見つけた時と同じ顔で、校舎の花壇に咲いた小花を見ていた。
「……都会の花って、香りが薄いんですね」
説明会終了後・教員室
担当教師のセシリアは、リーネの推薦記録を読んでいた。
「“木の枝でベヒーモスを鎮圧”、とあるけど……これ、冗談じゃないのよね?」
「マジです」
ギルドから派遣された職員が即答した。
「模擬戦で教官を壁に叩きつけて、赤牙狼を軽く撫でて気絶させてます。しかも全部“偶然”だと主張してる」
「魔法適性は?」
「調査不能。“計測器が壊れた”と報告されています」
「……どうしてそんな人材がFランクだったのかしら」
「本人が“まだ未熟ですから”って希望したんです……」
セシリアは無言で額を押さえた。
■
リーネは、校門の前で微笑みながら呟いた。
「都会って、なんだか……いろいろ面白いですね。
村じゃ見たことない人がいっぱいですし、強そうな人もたくさんいて……私、頑張らなきゃ!」
──誰一人、彼女がその“強そうな人たち”を木の枝一本で圧倒する未来を予想してはいなかった。