6 帝国の花嫁 2
帝国民の全員が興奮し、全力で歓迎の言葉を叫ぶ様子を見て、私は目を丸くした。
私が笑顔で挨拶をしただけで、人間族に嫌悪感を持っている帝国民たちが軟化し、歓迎してくれるとはとても思えなかったからだ。
目の前で「皇妃様! 皇妃様!」と皇妃コールが始まったことに戸惑っていると、皇帝が近付いてきて私の前で立ち止まった。
少し離れた場所にいただけでも、隠しようもない覇気と類を見ない美貌に圧倒されたけど、近くで見るとその迫力は桁違いだ。
顔が整い過ぎているため、まるで芸術品のように見え、生きて動いていることが不思議なことに思える。
瞬きもせずに見つめていると、その美しい唇が動き、背筋をぞくりとさせるような美声を紡ぎ出した。
「君は豪胆だな」
「えっ?」
豪胆? 周りが騒がしいから、聞き間違えたのかしら。
集まった人々はこれでもかとはやし立てており、辺りは騒然としていたため、私は皇帝の声を正しく聞き取ろうと彼の言葉に集中する。
「たった一人で、文化も言語も種族も異なる国に来たのだ。さぞや不安になり、怯えているかと思ったが、まさか初手で国民を魅了しにかかるとは思いもしなかった」
皇帝は手を伸ばしてきて私の手を掴むと、確認するかのようにぎゅっと握った。
その瞬間、国民たちは目の前で皇帝夫婦のロマンスが始まったと、顔を赤らめてさらにはやし立てる。
けれど、皇帝にそんなつもりはないようで、低い声で感心したように告げてきた。
「これっぽっちも震えていないとは、本当に傑物だ。私はとんでもない妃を迎えることになりそうだな」
皇帝の表情は先ほどまでの憎々し気なものと異なり、穏やかなものになっていた。
口調も淡々としていたけれど、先ほど目にした激しい感情が一瞬で消えてなくなるとは考えづらい。
そう思ってじっと見上げたところ、先ほど見た時と瞳の色が異なっていることに気が付いた。
「……金?」
光の加減なのか、皇帝の黒かった瞳が金色に見える。
思わずつぶやくと、皇帝ははっとした様子で、片手で目元を覆った。
どういう仕組みなのか、次に皇帝が目元から手を離した時、その瞳は黒に戻っていた。
困惑して見つめていると、皇帝が私の手を取って歩き始める。
その動作を見て、どうやら人前では丁重に扱ってもらえるようだと安心した。
すぐに彼の側近たちが―――恐らく『八聖公家』と呼ばれる彼に忠実な八人の公爵たちが、皇帝を守るかのように私たちの後ろをぴたりと付いてくる。
皇帝は私を屋根のない馬車に乗せると、自分も隣に座った。
狭い空間の中で皇帝と2人きりになったように見えるけれど、公爵たちが馬に乗り、馬車の周りを囲んできたので、実際には2人きりとは程遠いだろう。
私の動向は公爵たちに見張られているだろうし、獣人族は耳がいいと聞いているので、きっと会話も聞かれているはずだ。
―――ザルデイン帝国に嫁ぐにあたって、できる限り皇帝のことを事前に調べた。
けれど、元々、帝国とは交流がなかったこともあり、皇帝について多くの情報を集めることはできなかった。
分かった主なことは、ドドリー大陸で序列ナンバー1の獣人国の皇帝位に若くして就いたことと、皇帝が有能で冷酷だと噂されていることくらいだ。
私の隣に座った皇帝は、穏やかな表情を浮かべているけれど、先ほど見た憎々し気な眼差しを忘れることができない。
きっと皇帝の本質は苛烈なのだろう。
けれど、彼は物事を上手く進めるために、その感情を隠すことができるのだ。
恐らく、皇帝は私の兄が彼の元婚約者候補を不幸にしたことを許していないし、私のことをよくも思っていない。
獣人族は一族の結びつきが強く、罰も賞も一族全員で受け入れる習慣があるという。
だから、兄の罪は私も一緒に被るものだと、この国の者は考えているだろうし、そもそも私は兄の不始末の代償として皇帝に嫁ぐためにこの国に来たのだ。
私はよく言っても人質のようなものだろうけれど、皇帝は人前で私を尊重する態度を見せてくれた。
恐らく、二国間が正面から争うことを望んではいないのだろう。
そうであれば、私のことは表では尊重しながら、陰でじっくりといたぶるつもりじゃないだろうか。少なくとも、皇帝が私に激しい怒りを覚えていることは明らかだから。
ああ、困ったわ。一体どう行動したら、私は皇帝の怒りを和らげることができるのかしら。
そして、母国であるサファライヌ神聖王国を守ることができるのだろう。
私がこの国で大事にされないことを知りながら、人身御供として帝国に送り出した母国の重臣たちには腹が立つけれど、それでもあの国には私の大切な人たちが住んでいる。
どうしたって私には、あの国の民を見捨てることはできないのだ。
だから、私は帝国と母国が争わないよう努力しなければいけないし、そのためには皇帝と和やかな関係を作る必要があるわよねと考えていると、彼が口を開いた。
「自己紹介がまだだったな。君の夫となるエッカルト・パンター・ザルデインだ」
「はい、カティア・サファライヌです。どうぞよろしくお願いします」
皇帝が名前を名乗ってくれたことにほっとする。
よかった、どうやら最低限の会話はしてくれるようだわ。
私は友好的な笑みを浮かべると、エッカルト皇帝に話しかけた。
「偉大なるザルデイン帝国の皇帝陛下に嫁ぐにあたって、この国について学んできました。しかし、不十分なところもあるはずです。私に不手際があれば、その都度ご指摘いただければ幸いです。それから、よろしければ私のことはカティアとお呼びください」
皇帝は頷いた後、尋ねるように首を傾ける。
「私も事前に君のことを知ろうとしたが、不明な点がいくつかあった」
「はい、何なりとお尋ねください」
相互理解は大切だと思いながら、私は大きく頷いた。
エッカルト皇帝からは無視され、放置されることも覚悟していたのだから、私に興味を持ってくれるだけでもありがたいわ。
「君はサファライヌ神聖王国で騎士団トップの職位にあったと聞いている。それから、二つ名持ちの魔法使いだと。事実か?」
皇帝が発したのは、私が私であるための根幹についての質問だったため、虚を衝かれる。
それから、獣人族である皇帝にどのように答えるのが正解かしら、と考えた。
ザルデイン帝国に嫁ぐにあたって、出来得る限り獣人族の文化や風習、彼らの気質に関する本を読んできた。
しかし、古い本が多かったため、正確な情報を入手することができなかった。
だから、私は自分が見たものや感じたものの中で、彼らの気質を判断しなければならないのだけれど、……獣人族の国といいながら、広場に集まった人々を見た限り、それらの特徴を受け継いでいる者は一人もいなかった。
古い本に書かれていたような、獣の耳や尻尾を持った者はもちろん、獣の形態をした二足歩行の者が一人も見当たらなかったのだ。
ということは、本にあった『力こそが獣人族の信じる全てで、謙遜や遠慮は理解不能』という性質は昔のものではないだろうか。
そう考えた私は、これまで暮らしてきたサファライヌ神聖王国を基準にして、常識的な行動を取った。
淑やかな表情を浮かべると、言われたことに対して謙遜したのだ。
「陛下がおっしゃった職位と称号が、サファライヌ神聖王国で私に与えられていたことは事実です。けれど、騎士団総長という職位も、魔女としての称号も、周りの者たちの力添えと、王女という身分に対して与えられたものですわ」
実際には、騎士団における私の10年の努力と、その間に築き上げた信頼と実績により認められた総長職就任だったし、6歳の時に発現した魔法の能力と、その後の血のにじむような努力の結果獲得した『破滅の魔女』の称号だった。
けれど、まさか『その通りです! 私が騎士団で一番強かったため騎士団総長になりました! それから、国で一番強い魔法使いだったため、魔法使いとして最高の称号を手に入れました!!』などと言えるわけがない。
初対面でそのようなことを言えば、ごく一般的な感覚を持っている相手であれば、『自己顕示欲の強い威張りん坊!』と蔑まれることは間違いないだろうから。
だから、私は淑やかな表情を浮かべると、これでもかと謙遜したのだけれど―――結果から言うと、私の応対は誤りだった。
私はこれっぽっちも謙遜することなく、魔法で馬車の一部でも吹き飛ばし、「この通りの実力だ! 信じられないのなら、この広場ごと魔法で吹き飛ばすぞ!!」と恫喝すべきだったのだ。
なぜならそれが、獣人族のやり方だったから。
けれど、私は淑女らしく控えめな微笑を浮かべて謙遜しただけだったから―――その場にいた皇帝を始め、私たちの会話を盗み聞いていた公爵たちは誤解した。
獣人たちに謙遜という概念はないし、事前に私の悪い噂を散々聞いていたから、私の言葉をそのまま信じたのだ。
『王国王女は実力の伴わない、噂通りの姫君である』、と。
その結果、ザルデイン帝国の公爵たち全員から、私はなめられることになったのだ。
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