【挿話】ザルデイン帝国御前会議
「はっはあー、とうとう陛下もご成婚ですか! お祝い申し上げます」
揶揄するような声に、ザルデイン帝国のエッカルト皇帝は、無言で片方の眉を上げた。
不快さを表す仕草だったが、相手は気付かない……訳はないので、気付かないふりをして言葉を続ける。
「はっはっはあー、しかも16歳の人間族の小娘だなんて! ままごと遊びのつもりですか!?」
「人間族は我々とは成長速度が異なります。姫君は十分成長されていると見做されたので、我が国に嫁いで来られるのでしょう」
皇帝の侍従が、皇帝に代わって答えた。
初めに発言した男―――狼公爵はギロリと侍従を睨みつけると、皇帝に向かって口を開く。
「ままごと遊びも結構ですがね、オレらがそんな小娘を受け入れるなどと思わない方がいいですよ! 誇り高き狼が人間の小娘に膝を折るなど、あり得ないでしょう!!」
狼公爵は興奮し、いまにも掴みかからんばかりの勢いだったけれど、皇帝は面白がる様子でにやりと口の端を引き上げた。
「ふふ、私の妃だよ。いじめてくれるな」
決して声を荒げているわけでも、睨みつけているわけでもないのだが、皇帝は不思議な迫力に満ちており、狼公爵は思わず口をつぐんだ。
―――そこは、会議の間だった。
八角形のテーブルに八脚の椅子が並べられており、席は全て埋まっている。
帝国きっての名家『八聖公家』の代表である公爵たちだ。
そのテーブルから数段上に一脚の椅子が置かれており、頬杖をついた皇帝が座していた。
―――皇帝は、黒髪黒瞳の美しい男性だった。
20代前半の若々しい魅力にあふれ、しなやかな肉食獣のような優美さをもっている。
その場に沈黙が落ちかけたところで、紫紺の髪の青年が口を開いた。
「狼の口が悪いのはいつものことですが、彼の主張は理解できます。なぜわざわざ人間族から、皇妃を迎えなければいけないのですか。初めに不品行な行いをしたのはサファライヌ神聖王国です。武力で攻め入って、あの国を平定すればいいだけではないですか」
冷静ながらも不満の滲む口調の紫紺髪の公爵に対し、皇帝はやはりにこやかに返答する。
「鷹、お前も反対なのか。王国は我が帝国と海を隔てている。平定するまでどれ程の年月と労力がかかると思っている。しかも、相手は『伏せる獅子』と言われる最古の王国だよ。どれほどの戦力を有しているか見当もつかない。少なくとも私が在位のうちは、ごめんこうむるよ」
鷹公爵の隣に座っていた虹色の髪の青年が、複雑そうな表情で口を開いた。
「ですが、相手はとんでもない王女ですよ。まだ16歳でしかないのに、騎士団のトップである総長職に就いています。実態が伴っているとは思えませんので、名誉欲が非常に強い女性なのでしょう。加えて、『破滅の魔女』という二つ名を持った、王国最強の魔法使いらしいですが、これまた16歳という若さでその域に達することなど不可能ですので、誇張かと思われます。つまり、自己顕示欲の強い女性ということですね」
「ふふ、王国はそうやって売り込んできたんだったな。しかし、孔雀。私は大人しい女性は好みではないからね。それくらい主張が激しい方が合うのかもしれない」
皇帝が面白そうに答える。
苦虫を噛み潰したような表情で、皇帝の発言を聞いていた赤髪の美女が、長い髪を後ろに払った。
「未来の皇妃は男性関係も華やからしいですわ。王女は男性ばかりの騎士団に入り浸り、彼らと非常に親しくしているそうですから。お飾りの職位に就いている16の小娘が、騎士団にどんな用事があるというのです? 日がな一日、男性騎士を相手に何をやっているかなんて、聞く必要もないでしょう。皇妃に尻軽はいかがなものでしょうか?」
「なるほど、狐、お前の言うことは一理あるな。しかし、そもそも人間族はフェロモンが出ないだろう? フェロモンがない相手に、どうやって惹き付けられるのかと心配していたのだ。異性間交流に積極的であるならば、私のことも上手に誘ってくれるだろう。ありがたい話じゃないか」
「「「陛下!!」」」
先ほどからふざけた返答しかしない皇帝に業を煮やしたようで、公爵たちが一斉に皇帝を非難した。
口を揃えて尊称を呼ばれた皇帝は、驚いたように丸くした目をくるりと回す。
「お前たちは真面目過ぎるんだよ。お前たちの調査によると、私の花嫁は名誉欲と自己顕示欲が強い16歳の騎士団総長で、二つ名持ちの魔法使い。さらには、部下たちに慕われる異性間交流の達人ってところかな? ふふふ、総括すると、わがまま放題であることを許された、大事にされ愛されている、世間知らずの王女殿下じゃないか」
皇帝の口調はあくまで優しかったが、周りの公爵たちはぞくりとした怖気を感じ、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「王国の至宝ともいうべき、王国王家の一人娘を妃に迎えるのだよ。私たち皆で大事にするのは当然の話じゃないか。……そして、大事にして大事にして、……けれど、フェロモンも出ない相手じゃ、私はきっと発情しないね? 同族間でもほとんど子どもができない現状を鑑みると、人間族が私の子どもを身ごもれるわけはないよね?」
皇帝は同席する公爵たちを一人一人見つめながら、面白そうに言葉を続ける。
「皇妃の最大の務めは皇統を継ぐ後継ぎを産むことだから、役目を果たさない皇妃は離縁されても仕方がないよね? それが10年後なのか、20年後なのか分からないが、……長命である私たち獣人族にとって、20年なんて大した時間じゃないけれど、人間族にとって20年は貴重だよね? さて、最も大事な16歳からの20年間を無為に過ごし、不妊という不名誉とともに離縁される私の妃は、その時どんな気持ちになるのだろうね?」
にこりと邪気のない笑顔を見せた皇帝は、その類まれな美貌と相まって、公爵たちには非常に恐ろしく映った。
「へ、へ、陛下……。陛下は、お、お怒りだったんですね?」
恐る恐るといった様子で、狼公爵が口を開く。
皇帝は、おやおやといった様子で狼公爵に流し目を送った。
「気付いていなかったのかい? 私の同胞が弄ばれて、捨てられたんだよ。しかも、あの娘は妊娠していたというじゃないか。『八聖公家』の誰もがほとんど子どもを産めなくなった現状からすると、妊娠は一族を挙げて祝福すべきことだというのに、あの娘は捨てられた。その張本人である男の妹だよ。なぜ私が彼女を許すと思う? そして、何のためにわざわざ私の隣に呼び寄せると思う? ……ふふ、彼女と顔を合わせた時、私は一体どんな気持ちになって、どんなことをするのだろうね?」
そう発言した皇帝の瞳が、黒から金に変わっていた。
ああ、これはまずい。
自分たちが手に負える案件ではないと、同席していた公爵たちは心の中で呻いた。
久方ぶりに、皇帝は本気でお怒りだ。
「お、お任せします! 全てを陛下にお任せします!!」
初めに狼公爵が、全権委任という名の下、逃げを打った。
「あ、お前、卑怯だぞ! この狼……」
言いかけた孔雀公爵は、皇帝と目が合ってしまい全身を硬直させる。
「こ、……この狼の言う通り、僕も全て陛下のおっしゃる通りに行動します。はい、それが一番いいです」
孔雀公爵も簡単に陥落する。
その後は、公爵たちが先を競って皇帝に迎合することで終わりを迎えた。
皇帝は満足そうに公爵たちを眺めると、にやりと笑う。
「では、皆の合意が得られたようなので、私は王国王女を皇妃に迎えよう。ふふ、皆で歓待しないとね?」
美しく微笑む皇帝を見て、公爵たちは思った。
ああ、未来の皇妃はかわいそうに。
自分たちが王女に対して反感を覚えていたにもかからず、彼らはその瞬間、王国王女に同情したのだった。