3 サファライヌ神聖王国王女の受難 3
誰一人私の言葉を否定しないということは、私の発言は間違っておらず、兄の不始末の代償としてザルデイン帝国に嫁がされるのだろう。
さらに、兄があれだけきっぱり言い切ったということは、帝国側もこの結婚を了承しているのだろう。
恐らく、兄が大袈裟に私を売り込みながら、両国の和平を保つ方法として皇帝と私との結婚を提案し、帝国側が了承したに違いない。
確かに我が国で一番高値が付くのは私で、この問題を平和的に解決するためには、私が帝国の皇帝に嫁ぐことが最善の策だろう。
私の頭はそんな風に冷静な答えを導き出したけれど、心は強い拒否感を示した。
―――いやだ! 帝国の皇帝になど嫁ぎたくない。
条件面だけ見ると、ザルデイン帝国の皇帝は最高の相手と言えた。
大陸中を探しても、身分的にこれ以上の相手は存在しないのだから。
加えて、皇帝の年齢は22歳で、16歳という私の年齢と釣り合っており、皇帝の資質に問題があるという噂も聞かない。
それどころか、両国間の争いを収めるため、この短い期間で婚姻というカードを選択したのは、聡明で決断力があることの表れだろう。
けれど、どれほど条件がよく、皇帝が有能だったとしても、この結婚で私が幸せになれるとは思えなかった。
なぜなら皇帝は、彼の妃候補だった女性を兄に奪われたことで、兄の血族である私を恨んでいるはずだから。
加えて、私は人間族だから、皇帝を始めとした帝国民は皆、私のことを劣った人種だと蔑んでいるに違いないから。
そんな国の妃になって、私が幸せになれるはずがない。
さらに、私には3か月後に式を挙げる予定の婚約者がいるのだ。
だから、ザルデイン帝国皇帝との結婚なんて不可能だ、と心は強い拒否感を示すけれど、ここでカードを切り間違えれば戦争になることは明白だった。
発端は我が国の王太子の不誠実な行為から始まった。
そのため、帝国に王国最上位の女性を差し出し、誠意を見せることくらいしか、我が国は解決策を持っていないのだ。
―――私が、王国の外に嫁ぐ。
通常ならば、絶対にありえないことだ。
国民の誰一人だって、私を王国の外に出そうなどとは思わないだろう。
我が国最強の『破滅の魔女』を手放したいと思う者など、いるはずがないのだから。
それなのに、この場にいる重臣たちは、私が王国外に嫁ぐことを一切反対しない。
つまり、状況はそれだけ切迫しているということだ。
「……ザルデイン帝国の皇帝と結婚……」
声に出したことで、その未来が現実のものとして迫ってくる。
同時に、見知らぬ皇帝との結婚を拒絶する気持ちが強く胸に湧いてきた。
嫌だ、嫌だ、ヒューバート以外の者に嫁ぎたくない。
それは心からの思いだった。
けれど、今となってはただの我儘だと言うことも分かっている。
私はサファライヌ神聖王国の王女だ。だから、王女として正しくこの国を守らねばならない。
「……3か月後、私はノイエンドルフ公爵と結婚する予定だったけど、どうやら予定のまま終わりそうね。私はノイエンドルフ公爵との結婚式で使う予定だったウェディングドレスを着て、帝国の皇帝に嫁ぐのね」
もはや帝国に嫁ぐしかないと頭では分かっているものの、心は往生際悪く、未練の言葉を紡ぎ出す。
ああ、私がこれ以上みっともないことを言う前に誰か止めてちょうだい、と周りを見回したところで、ヒューバートと目が合った。
幼い頃からの婚約者で、ずっと私の味方でいてくれた、もうすぐ夫となるはずだったヒューバート・ノイエンドルフ公爵と。
私はふと、彼が私に求婚してくれた時のことを思い出す。
王宮の庭で、私の前に跪いたヒューバートが、私の髪と同じ色の薔薇を差し出してくれたことを。
『あなたを、……ただありのままのあなたを愛しています』
片手を取られ、跪いた彼の額に押し当てられ、懺悔をするかのように告白されたことを。
私はいつだって、あの時の熱情に溢れた彼の表情を思い出せるのに―――目の前にいるヒューバートは落ち着いていて、その瞳は冷えていた。
「ヒューバート……」
彼の表情を見た瞬間、彼が私を切り捨てる決断をしたことを理解する。
そのため、私の全身はがたがたと震え出した。
ああ、いつだって私の側にいてくれ、味方でいてくれた婚約者。
あなたですら私を帝国に嫁がせようとしているのね。
―――自然と、涙が頬を濡らす。
王女として人前で涙など流したことなど、これまでなかったのに。
……お願い、ヒューバート。どうか皇帝との結婚を否定してちょうだい。
そして、この国に、あなたの側に残れと言ってちょうだい!
難しい願いだとは分かっていたけれど、私は最後の望みをかけて、縋るように婚約者を見つめた。
ヒューバート、もしもあなたが皇帝との結婚を否定してくれるならば、私は……。
「王女殿下が受諾されるならば、殿下はザルデイン帝国の皇妃として、ドドリー大陸で最も価値のある女性となられるでしょう。―――お祝いを申し上げます」
微塵も動揺を見せない落ち着き払った表情で、震えることなく、力を込めすぎることなく、静かな口調でヒューバートが答える。
まっすぐに私を見つめる瞳には、一切の迷いも動揺も見て取れなかった。
「……………………そう」
その時の私は、全てを諦めた表情をしていたのだろうか。
それとも、はぐれてしまった幼子のような、心もとない表情をしていたのだろうか。
どちらにせよ、最もほしくなかった答えを婚約者から受け取った私は、咄嗟に諾とも否とも答えることができず―――王城の最奥にある会議室で、ただ呆然と立ち尽くしていたのだった。