30 魔女の見る夢
夢を見た。
元々、エッカルト皇帝に口移しで薬を飲ませられた夢を見ていたけれど、さらに私は夢の中で眠りにつき、新たな夢を見てしまった。
うーん、夢の中で別の夢を見るなんて、何てややこしいことをしているのかしら。
そう思ったものの、今度の夢には思わぬ人物が登場し、それは幼いエッカルト皇帝だったため、この荒唐無稽さは夢ならではねと思う。
エッカルト皇帝は10歳くらいの姿をしており、随分幼かったけれど、顔立ちは既に尋常じゃないほど整っており、ああ、美形は幼い頃から美形なのねと妙に感心した。
けれど、そんな平和的な感想を抱けたのもそこまでだった。
多くの大人がわらわらと現れたと思ったら、エッカルト少年を捕らえ、床の上に押さえつけたからだ。
大人たちが何事かを叫ぶと、床に押し付けられたエッカルト少年は顔を上げ、激しい調子で言い返した。
何があったにせよ、大の大人が大勢で一人の少年を取り囲み、押さえつけるなんてもってのほかだわと憤慨していたところ、大人の一人がすらりと剣を抜いたため、私ははっと息を呑む。
「やめてちょうだい!」
思わず鋭い声を上げたけれど、私の声は聞こえないようで、剣を持った大人は躊躇することなく、押さえつけられたエッカルト少年のうなじに剣を突き立てた。
辺り一面に鮮血が飛び散り、エッカルト少年は衝撃を受けた様子で体を強張らせると、がくりと床の上に体を投げ出す。
倒れ伏したエッカルト少年の首から、どくどくと血が流れ始めた。
「何てこと! 急いで手当てをしないと!」
これはただの夢だし、たとえ夢でなくとも、現在のエッカルト皇帝が立派に成人していることから、彼がこの場面を上手く生き延びたことは分かっている。
けれど、私は何とかして彼を救わなければいけない、との気持ちからエッカルト少年に駆け寄った。
先ほどから、私の声は誰にも聞こえていない様子だけれど、加えて私の姿も見えていないようで、大人たちは近くにいる私を気にすることなく、エッカルト少年から手を離して立ち上がる。
すると、次の瞬間、意識を失っていたように思われたエッカルト少年が顔を上げ、空に向かって叫んだ。
「魔女よ、私を助けてくれ!」
それは文字通り血を吐くような叫びで、この世界に魔女がいるのならば、必ず応えたいと思うような願いだった。
というか、私は魔女でないというのに―――たとえ魔女だとしても不完全だというのに、エッカルト少年の声に応えてしまった。
「私があなたをたすけるわ!」
不思議なことに、発した私の声は舌足らずで、まるで幼子のもののようだった。
驚いて自分を見下ろすと、明らかに等身がおかしく、まるで子どものような小さな体になっている。
どうやらエッカルト少年に合わせて、私の体も幼いものに変化したようだ。
いくら夢だとしても、支離滅裂じゃないかしら。
そう思ったものの、私は夢中で手を伸ばすと、両手で彼のうなじを押さえた。
彼のうなじからはどくどくと血が流れ続けていたため、少しでも出血を抑えようとしたのだ。
すると、エッカルト少年はびくりと体を強張らせ、両手を首の後ろに回してきたかと思ったら、私の両手の上に彼の両手を重ねた。
「……魔女の祝福だ……」
エッカルト少年の恍惚とした声に続いて、彼のうなじがはっきり分かるほどどくりどくりと脈打ち始める。
一体どうなっているのかしらと驚いていると、しばらくの後、エッカルト少年が押さえていた私の両手を放してくれた。
それから、エッカルト少年は振り返って私を見つめてきたのだけれど、それまで黒かった彼の瞳が金色に変わっていたため、私は驚きに息を呑んだ。
私は呆然とし過ぎたようで、先ほどの夢で発したのと同じ言葉を口にする。
「……お星さまみたいできれいね」
すると、エッカルト少年はとても大切な言葉をもらったとばかりに息を呑むと、従順な騎士のように礼儀正しく首を垂れた。
「魔女よ、私はあなたにうなじを差し出した。もはや私の生殺与奪の権はあなたのものだ」
「えっ?」
俯いたエッカルト少年の髪がさらりと前に垂れ、彼のうなじが露わになる。
思わず視線をやると、剣に刺し貫かれたはずのうなじの傷がなくなっていた。
さらにはそこに、見たことがない洒落たマークが刻まれていた。
そのマークが露わになった途端、周りにいた大人たちは驚愕した様子で目を見開く。
それから、次の瞬間には全員でその場に跪き、エッカルト少年に対して恭順の意を示した。
ああ、よく分からないけど、これでエッカルト少年は大丈夫ねと思った私は、手を伸ばして彼のうなじに触れる。
怪我の具合を確かめようとしての行動だったけれど、エッカルト少年はこそばゆかったのか、びくりと体を跳ねさせた。
「魔女よ……私にあなたの魔力を与えてくれ」
エッカルト少年は大量に出血していたから、体力を回復するために魔力譲渡してほしいということかしら、と思いながら「いいわ」と返事をする。
私は触れていたうなじに向かって、ありったけの魔力を注ごう……としたけれど、体が小さくなっていたからか、大した量の魔力を注ぐことはできなかった。
うーん、夢なんだから、ケチらずにどどんと魔力を譲渡できれば気持ちいいでしょうに。
そう思ったけれど、顔を上げたエッカルト少年はうっとりとした表情を浮かべていたので、これっぽっちの魔力で満足したのなら結構なことだわと思う。
「またね、エッカルト陛下」
殺されかけていたエッカルト少年が元気になったことに安心し、思わず普段通りの呼び方が口を衝いて出ると、彼は驚いたように目を見開いた。
「陛下? ……私は皇帝になるのか?」
「ええ」
そして、あなたは私を妃にするのよ。
ただし、私をとっても嫌いながらね。
少年姿の彼にそう告げるのは野暮な気がして、私は言葉を呑み込んだまま、にこりと微笑んだ。
「またね」
「魔女、私は再びあなたに会えるのか?」
「そうね、……あなたが皇帝として正しくあるのであれば、会えるんじゃないかしら」
何と言っても、エッカルト皇帝が我が国との戦を回避しようとして、嫌っている人間族との結婚を受け入れたからこそ、私はザルデイン帝国に嫁いでこようとしているのだから。
私の言葉を聞いたエッカルト少年は片手を胸に当てると、恭しく頭を下げた。
「それならば、私は立派な皇帝になることを、私の魔女に約束する」
「無理はしないでちょうだいね」
そう言って手を振った瞬間、私はふっと彼らの前から消えた。
というか、どうやらそのタイミングで夢から醒めたようで、ぱちりと目を開く。
夢なのだから、理路整然とした内容にならないことは分かっていたけれど、それにしても滅茶苦茶だったわ。
そう思って苦笑したところ、私の体がかちんと固まる。完璧なる美を形にしたようなイケメンが隣で寝ていたからだ。
というよりも、より正確に言うと、私は上半身裸のイケメンに抱きしめられていた。
「え、嘘。こんなイケメンに抱きしめられるなんて、これも夢ね。私はどれだけ複雑な夢を見ているのかしら」
夢の中で夢を見て、さらには夢から醒めても夢だったなんて。
というか、さすが夢だわ。半裸のイケメンに抱きしめられるなんて、現実では経験したこともないような刺激的な体験をすることができるのだもの。
でも、さすがに少し刺激的過ぎるわ、と拘束された腕の中から逃れようとしたところ、半裸のイケメンの目が開き、呆れたような声が響いた。
「君は熱に浮かされているのか? ……熱に浮かされているからこそ、そのような発言が出たのだと信じたいものだな」






