2 サファライヌ神聖王国王女の受難 2
「いいか、お前がザルデイン帝国の皇帝に嫁ぐ話は決定事項だ! 絶対に覆らん! だから、細かいことはお前たちで調整しろ!! 分かったな!!」
兄は言いたいことだけ言うと、足音高く会議室から退出していった。
私がザルデイン帝国の皇帝に嫁ぐことになった経緯が一切分からず、唇を噛み締めていると、兄と入れ替わるように私の婚約者であるヒューバート・ノイエンドルフ公爵が入室してきた。
彼は切れ者と評判の公爵であり、我が国の宰相でもある。
慣れ親しんだ婚約者の姿を見て安心したけれど、ヒューバートは普段と異なり、一切私と視線を合わせることなく離れた席に座った。
そのことに違和感を覚えたけれど、ヒューバートの着席が合図でもあったかのように、大臣の一人が書類を握りしめながら今回の経緯を説明し始める。
なぜ私がザルデイン帝国の皇帝に嫁ぐことになったのか、ということについての経緯を。
―――大臣の説明によると、発端は兄だった。
兄は我がサファライヌ神聖王国王家の唯一の直系男子だ。
そのため、兄には浅慮で衝動的といった欠点があるものの、男性への王位継承権が優先される我が国において、次期国王という立場は絶対視されていた。
さらに、兄には女性関係にゆるいという欠点がある。
半年前、それら全ての欠点が悪作用した結果、兄は外遊先で『運命の恋』に落ちた。
運命のお相手であるご令嬢と兄は、すぐに将来を誓い合ったという。
問題だったのは、『運命の恋』からほんの数か月で、兄が新たな『運命の恋』に落ちたことだ。
兄は先の運命の相手を疎ましく思うようになり、頻繁にやり取りしていた手紙も途絶えがちになった。
そんな折、先のお相手が「妊娠した」と申し出てきた。
それに対し、完全に先の女性に興味を失くしていた兄は、「他に好きな女性ができた。君とは別れる。子どもは引き取るので、生まれたら連絡するように」との最後通牒を一方的に突き付けたのだ。
先の女性はその手紙の内容の冷酷さに倒れ、心労でお腹の御子様は流れたという。
不運なことに、その後、不慮の事故が重なり、その女性も帰らぬ人となられた。
国家間の問題になるのはここからで、亡くなられた女性がドドリー大陸で覇権を握るザルデイン帝国の上級貴族のご令嬢であったことが、後日判明したのだ。
交際期間において、兄が王太子でなく伯爵子息を名乗っていたように、お相手の女性も伯爵令嬢を名乗られていた。
そして、互いにその立場を信じていたらしい。
けれど、お相手の女性が亡くなり、その親族が血眼になって令嬢を裏切った相手を探し回った結果、兄の身分隠蔽工作は白日の下にさらされ、サファライヌ神聖王国の王太子であるという事実が明らかになった。
併せて、お相手のご令嬢がザルデイン帝国の『八聖公家』と呼ばれる公爵家出身であることも明らかにされた。
しかも、幼い頃から皇妃教育を受け、ザルデイン帝国皇帝の皇妃候補と見なされていたご令嬢だったと……。
それは考え得る限り最悪の話だったため、全てを聞き終えた私は真っ青になった。
「お兄様は何て愚かなことをしたの! ああ、お相手の女性はどれほど悲しい思いをされたのかしら……」
私はその場に跪くと、亡くなられた女性とお子様のご冥福を祈った。
それから、再び立ち上がると、資料を読み上げた大臣に顔を向ける。
「それで、ザルデイン帝国はどのような対価を求めてきたの? 交易再開のうえの優遇措置? それとも、我が王国の領土の一部を割譲しろとでも? 大陸の覇者が、その程度で矛を収めるとも思えないけど……」
ドドリー大陸にある全ての国は、虚弱な人間族を馬鹿にしているため、我が国とはほとんど交流がない。
ザルデイン帝国もその一つで、長い間、正式な国交が途絶えていたため、彼らが何を望んでいるのかが分からなかった。
そのために発した質問だったけれど、返事がなかったため視線を向けると、集まった重臣たちの顔は真っ青になっていた。
皆の気持ちが手に取るように分かったため、私はぐっと唇を噛み締める。
そう、誰もが押し黙ってしまうほど、状況は絶望的だった。
なぜならドドリー大陸では獣人の国、鬼人の国、と種族ごとに国が造られており、さらには序列が付いているのだけど、大陸で序列ナンバー1を誇る国がザルデイン帝国だったからだ。
その帝国に対して、今回、サファライヌ神聖王国は完全に下手を打った。
我が国の王太子が帝国の皇妃候補に手を出したうえ、結果として捨てている。
その女性が存命であれば、王太子の妃とすることで丸く収まったかもしれないけれど、不慮の事故で亡くなられている今、我が国にできることは、次善の策だとしても、できる限りの誠意を見せることだろう。
この場合、兄がザルデイン帝国の皇女を妃に迎えるという選択肢も考えられるが、帝国に皇女はいなかったはずだ……。
と、そこまで考えた時、先ほどの兄の言葉が蘇る。
『お前がザルデイン帝国の皇帝に嫁ぐ話は決定事項だから絶対に覆らん!』
「あっ!」
遅まきながら兄の言葉の意味を理解した私は、衝撃でぺたりと床に座り込んだ。
あまりのことに、全身がぶるぶると震え出す。
「……もしかして私が……兄の不始末の代償として、ザルデイン帝国に嫁ぐの?」
静かな会議室にぽつりと私の声が響いたけれど、―――それを否定する声は続かなかった。