11 皇宮の庭と魔女の遺跡 2
「エ、エッカルト陛下!?」
古代遺跡から現れた黒髪黒瞳の絶世の美形を前に、私は思わず名前を呼んだ。
エッカルト皇帝以外、これほど容姿が整った男性がいるはずもない。
危険な場所であるはずの古代遺跡から皇帝が現れたことに驚いていると、彼はこちらに顔を向けた。
「ジークムントと婚約者殿か」
それは一週間ぶりにエッカルト皇帝と顔を合わせた瞬間だったけれど、彼はすぐに視線をそらすと、そのまま去っていこうとした。
そのため、私は慌てて彼のもとに走り寄る。
この三週間で分かったけれど、皇帝は私のことを嫌っている様子だから、私から近付かなければ永遠に仲良くなれないと思ったからだ。
元々、兄が獣人族の女性を不幸にしたため、その血族として皇帝から嫌悪感を抱かれているのは分かっている。
けれど、皇帝は私と会うたびに、確認するかのように私の髪に視線をやるので、彼にとって何よりも許しがたいのは、私がピンク色の髪をしていることのようだ。
皇帝はものすごく魔女を崇拝しているから、獣人族の関心を引くために魔女の真似をしている(と思っている)私が許せないのだろう。
「エッカルト陛下、一週間ぶりに会えて嬉しいです!」
「……ああ」
笑顔で話しかけるも、短く返される。
何か皇帝の興味を引くような話題はないものかしら、と必死で考えていたところ、皇帝の額からたらりと血が流れてきた。
「えっ!?」
髪に隠れてよく見えないものの、皇帝は額を怪我しているようだ。
「怪我をしたんですか?」
私の言葉を聞いたジークムントは、すごい勢いで皇帝のもとに走ってくると、オロオロとした様子で口を開いた。
「酷い怪我ですよ! 陛下は魔女の使用人たちに敵認定されているから、遺跡に侵入したらすぐに場所を把握され、攻撃されることは分かっていたじゃないですか! 言ってくだされば、遺跡の見回りくらいオレがしましたのに!!」
「散歩のついでだ」
平坦な声でそう返す皇帝を前に、ジークムントはぐっと唇を噛み締めると、大きな声を出した。
「皇宮侍医を呼んできますから、それまで動かないでください!」
返事も待たずに走り去っていくジークムントの後ろ姿を見ながら、皇帝が疲れたようなため息をつく。
その姿を見た私は、慌ててその場に座り込むと、両手を広げた。
「陛下、怪我をしているのですから、これ以上動いてはいけません! どうぞこちらで横になってください」
皇帝はたっぷり10秒ほど私を見つめた後、確認するかのように聞いてきた。
「……こちらというのは、君の腕の中か?」
「ええ、地面よりは私の方が柔らかいですから! どうか私のことはクッションとお思いください!」
「……難しいことを要求するな」
エッカルト皇帝はそうは言ったものの、怪我が酷いのか、逆らうことなく私の隣に腰を下ろした。
しかし、私が想定したように、私の膝の上に頭を乗せる形で横になるのではなく、座った形で寄り掛かってくる。
皇帝の体が触れた瞬間、ものすごくいい香りがふわりと漂ってきたため、イケメンのうえにいい香りまでするなんて、どうなっているのかしらとぎょっとした。
心臓がばくばくと高鳴り出したので慌てていると、何かを誤解したらしい皇帝が身を起こそうとする。
「ああ、失礼。深窓の姫君にとって、血は恐ろしいだろうな」
「いえ、平気です!」
実際には10年もの期間、騎士団に所属していたため、血どころか体の一部が吹き飛ぶところを何度も見てきた。
だから、怪我も血も平気だけれど、そんな体験を持つ女性は好まれないだろうなと説明を割愛する。
「血が怖かったのではなく、陛下からすごくいい香りがしたので驚いたんです」
正直に答えると、エッカルト皇帝は考えるかのように数瞬動きを止めた。
「……そうか。獣人族は匂いで相性が決まる、といっても過言ではない。君が私の香りを好意的に受け止めたということは、君にとって私の存在は不快ではないということか」
もちろんこんなものすごいイケメンを不快に思うわけがない。
それから、一族のことを大切に思っている皇帝を嫌うことは難しいわ。
そう思ったけれど、エッカルト皇帝が疲れた様子で目を瞑ったため、言葉を発することなく口を噤む。
どうやら皇帝は酷く体調が悪いようだ。
けれど、目を瞑る皇帝の額を見つめてみたものの、それほど深い傷には思われなかったため、皇帝がぐったりしている理由は怪我以外かもしれないと心配になった。
「陛下、額の怪我以外にも何か不調がありますか?」
おずおずと尋ねると、皇帝は目を瞑ったまま唇を歪める。
「君は本当に優れた観察眼を持っているな。私の体調不良は怪我からくるものではなく精神的なものだ。私は魔女を敬愛しているから、決して魔女の使用人を攻撃することはない。しかし、相手は違う。彼らは躊躇なく私を攻撃してくるし、今日は怪我を負わされた。その事実が、私を傷付けることが魔女の意志のように思われ、気落ちしているだけだ」
つまり、大好きな魔女から敵だと認定され、怪我をさせられたような気持ちになって落ち込んでいるのね。
まあ、皇帝は意外と繊細なのかしら。
それとも、魔女に関することだけ傷付きやすくなるのかしら。
私はハンカチを取り出すと、丁寧に皇帝の血を拭った。
すると、皇帝はうっすらと目を開けて私を見つめる。
皇帝は何も言わなかったけれど、『本当に血が怖くないようだな』と言われたような気持ちになった。
そのことで、少しだけ見直されたような気持ちに。
そうしている間に、ジークムントが焦った様子で皇宮侍医を連れてきた。
かわいそうに皇宮侍医はジークムントに引っ張られる形で走らせられ、ぜいぜいと息を乱している。
ジークムントは私に寄り掛かっている皇帝を見ると、ぎょっとした様子で立ち止まった。
嫌っている私に頼らざるを得ないほど皇帝が弱っていることに気付き、衝撃を受けたのだろう。
「大至急、陛下の怪我を診るんだ!」
皇宮侍医は激した様子のジークムントの言葉に頷くと、てきぱきと処置を始めた。
その間、皇帝はおとなしく座っていた。
けれど、処置が終わる頃には皇帝の気分もよくなったようで、皇宮侍医の制止を振り切って立ち上がる。
それから、エッカルト皇帝は政務に戻ると言い置くと、その場を去ろうとしたけれど、一歩踏み出したところで振り返った。
「カティア、肩を貸してくれてありがとう」
それは、皇帝が初めて私の名前を呼んだ瞬間だった。
一体どういう風の吹き回しかしらと驚きながら、しどろもどろに答える。
「い、いえ、どういたしまして」
動揺する私に頷くと、皇帝は踵を返して去っていった。
その間ずっと、私は衝撃で目を丸くしたまま、彼の後ろ姿を見つめていたのだった。
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