9 狼公爵ジークムント
「これはこれはお姫様! 今日もご機嫌麗しいようですね」
朝食を食べようと皇宮の食堂に足を踏み入れた途端、狼公爵ことジークムント・ヴォルフ公爵から嫌味交じりの声を掛けられた。
彼は浅黒い肌に青銀の髪を持つ、彫の深い顔立ちをした26歳の公爵だ。
皇帝に次ぐ実力者である『八聖公家』のNo.7でもある。
(注:『八聖公家』のメンバーである8人の公爵たちは、No.1からNo.8まで序列がついているらしい)
ジークムントが嫌味を言ってくるのはいつものことだったので、私はにこりと笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。朝一番にあなたの顔を見られたから、ご機嫌なのかもしれないわ」
私の言葉を聞いたジークムントはむっとしたように顔をしかめ、同時に孔雀公爵ことルッツ・プファウ公爵が吹き出した。
ルッツは虹色の髪を持つ白皙の美少年で、『八聖公家』の一人と言われてもにわかには信じられないほど年若い姿をしている。ちなみに、No.8だ。
「あはははは、ジークムント、お前は本当に婚約者様が好きだな! 毎朝、やり返されることが分かっていながら、絡むことを止められないんだから」
私は澄ました顔でテーブルに近付くと、既に席についていたジークムントとルッツの向かい側に座った。
すると、それが合図になったかのように、給仕係が朝食をサーブし始め、朝食がスタートする。
私は目の前に座るジークムントとルッツの2人を見ながら、ほっと小さなため息をついた。
―――私が帝国に移ってきて、三週間が経過した。
その間に分かったことは、皇帝の下にいる『八聖公家』と呼ばれる八人の公爵たちは、皇帝に完璧なる忠誠を誓っているということだ。
また、獣人族と一口に言っても、それぞれベースとなる獣の形があるらしく、たとえば狼公爵は狼が、孔雀公爵は孔雀がベースになっているらしい。
そして、公爵たちはそれぞれ領地を与えられており、一族とともに領地に住んでいるのだけど、八人の公爵たちのうち一人以上は必ず王都にいて、皇帝の勅命を受けているとのことだった。
王都に留まる公爵たちは王宮に与えられた部屋で寝起きし、食事も王宮で取るので、自然と彼らと顔を合わせる機会が多くなる。
というか、エッカルト皇帝は忙しいらしく、週に一度くらいしか一緒に食事を取れないため、皇帝よりも公爵たちと頻繁に顔を合わせているのが現状だった。
ちなみに、現在王都に留まっている『八聖公家』のメンバーは狼公爵と孔雀公爵の二人だ。
兄の元恋人だったエーファ・ファルケの兄も『八聖公家』のため、会って直接謝罪したいと思ったものの、ファルケ公爵はさっさと領地に戻ってしまったため、未だその機会は訪れていなかった。
私は同じテーブルに着く二人の公爵をちらりと見やる。
この一週間はずっと、狼公爵と孔雀公爵と一緒に食事を取っているけれど、毎回、狼公爵のジークムントが私に絡んでくるのがお定まりとなっていた。
初対面の際、公爵たちからひしひしと敵意を感じたけれど、その筆頭がジークムントだった。
そして、分かりやすいことに、ジークムントは顔を合わせるたびに嫌味を言ってきた。
言い返すのも面倒だったので、ジークムントの嫌味を聞き流していると、私には何を言っても平気だと思ったのか、彼の口調はどんどんぞんざいに、内容もより嫌味交じりのものになっていった。
正直に言って、毎回嫌味を言ってくるしつこさには閉口したけれど、ジークムントと一緒にいることは嫌でなかった。
なぜならジークムントの言動には裏表がないので、心の中で何を考えているのかしらと疑心暗鬼になる必要はなかったからだ。
それに、母国の兄と比べると悪意もゼロのようなものなので、兄の嫌味を聞き続けてきた私にとって、ちっとも痛痒を感じなかったからだ。
『皇帝の婚約者』でなく、未だ『サファライヌ神聖王国に連なる者』として「お姫様」と呼ぶことが、ジークムントの考え得る最高に嫌味な言葉だなんて、可愛らしいではないか。
恐らく、ジークムントはきちんとした家庭で、大切に育てられたのだろう。
本人は無法者っぽく振る舞ってご満悦な様子だから、『立派なご家庭で大切に育てられたのね』なんて言ったら、心底嫌がるに違いないけど。
そう思いながら、侍女に食べきれなかったお皿を下げてもらっていると、ジークムントがじろりと私を睨みつけた。
「お姫様、また今朝もそれっぽっちしか食べないんですか? はっきり言いますけど、お姫様は風が吹いただけで折れそうなほどか細いんですから、もう少し食べたらどうですか! そんな骨っぽい体形、獣人族の男は嫌いですよ!!」
……すごく分かりにくいけど、これは私を心配してくれているのよね。
ジークムントが私を嫌っていることは間違いない。
けれど、『健康の基本は食事と運動』だと考えているジークムントは、相手が誰であれ、少食の者を心配するようだ。
「ジークムント、お前は知らないだろうが、人間族の中には女性は細ければ細いだけいいって文化があるんだよ」
なだめるようにルッツが言葉を差しはさむ。
一見すると、ルッツは私の味方をしてくれるように思えるけど、実際には一事が万事この調子で、私が誤った選択をするよう誘導しているのだ。
当然のことだけど、『八聖公家』の中に私の味方は一人もおらず、友好的に見えるかどうかは、私への嫌悪感を上手く隠すことができるかどうかの違いでしかない。
つまり、ルッツは表面を取り繕うことができるだけで、実際には他の公爵たち同様、内心では私のことを馬鹿にしているし、何だって失敗するよう働きかけているのだ。
一方のジークムントは、私への嫌悪感を全く隠すことができないけれど、彼は私のためになろうがなるまいが関係なく、思ったことを全部言葉にする。
だから、実はジークムントの言葉が一番、私にとってこの国の常識を理解する役に立っているのだ。
そのジークムントは、不遜な態度で椅子に寄り掛かった。
「はっ、そんな文化、オレは知らねえよ! というか、ここは獣人族の国だから、人間族の文化なんて通用するもんか!!」
ジークムントはそう言うと、大皿の上に盛られていた卵を取って、私の皿に載せた。
「今日のオレはいつもに比べたら用事が少ないんです。お姫様がその卵を全部食べたら、皇宮の庭を案内してあげますよ」
「まあ、約束よ」
卵は私の握りこぶしくらいの大きさだったため、半分に割ると、そのうちの一つを頬張り、もきゅもきゅと必死になって噛み始める。
すると、ルッツが呆れた様子でジークムントを見やった。
「ホント、お前って手がかかる相手ほど面倒を見るよな!」
「なっ、面倒なんて見てねえよ! どうせ誰かが案内しなきゃならないから、オレがやってやるってだけだ」
「うん、そうだね。その誰かが婚約者様を案内するのは1年後でも、10年後でもいいんだけど、今日お前がやるんだね。ご苦労様」
私は口の中の卵をごくりと飲み込むと、二人に尋ねる。
「皇宮の庭には、魔女に関する場所がたくさんあると聞いたわ。だから、それらの場所はエッカルト陛下か公爵と一緒でなければ入れないって」
「ええ、その通りです」
頷くルッツを見て、ふと公爵たちは魔女のことをどう思っているのかしらと興味が湧く。
「ちょっとお尋ねするけど、魔女はずっと昔に亡くなったのよね。それなのに、あなたたちにとって魔女は未だに敬うべき対象なの?」
ジークムントはむっとした様子で立ち上がると、そのような質問をされること自体が腹立たしいとばかりに声を張り上げた。
「魔女はオレたちにとって、神聖で不可侵なるご存在だ! オレたちが今ここにあるのは、全て魔女のおかげだからな!!」
続けてルッツも至極当然だとばかりにうなずく。
「魔女は最古の種族であり、始まりの種族なのです。その御恩は僕たちの血と肉に刻み込まれています」
「……そうなのね」
2人の反応は、初日に見た皇帝のそれと似たようなものだったため、どうやら帝国の多くの者が心から魔女を崇拝しているようねとびっくりする。
獣人族というのは現実主義で、強大な力や立派な肉体といった、分かりやすいもののみに魅力を感じるかと思ったのだけれど、どうやら魔女に関してはロマンチストのようだ。
大昔に滅びてしまった一族にもかかわらず、未だ心からの敬愛を捧げているのだから。
皆の言葉から判断するに、魔女は獣人族や鬼人族といった種族の一つで、最古の種族でもあるのだろう。
だから、多くの種族は魔女の一族に影響を受けており、今日まで皆の中に魔女を崇拝する気持ちが残っているのに違いない。
「エッカルト陛下が以前、『魔女は慈悲深い一族だから、私たちが困った時には必ず復活し、救ってくれると誰もが信じている』と言っていたわ。これまで魔女が復活した事例はあるの?」
首を傾げながら尋ねると、ジークムントがじろりと私を睨みつけた。
「魔女はか弱い一族ですからね。何度かいなくなってしまい、オレたちを絶望に突き落としたことはありますよ。今だってそうですが、あくまで一時的なものです」
ルッツがしたり顔で茶々を入れる。
「しかし、仮に今、魔女が復活したとしても、ジークムントは絶対に魔女の側仕えにはしてもらえないだろうね。お前みたいなガサツな性格の者に世話をされたんじゃあ、魔女はあっという間に衰弱してしまうからな」
ジークムントはむっとした様子で、ルッツに言い返した。
「言っておくが、オレは何だってできるからな! 魔女にお仕えできるのであれば、性格くらい変えてやるよ!!」
激高するジークムントに対し、ルッツが呆れた様子で肩を竦める。
「今できないことは、将来だってできないんだよ。だったら、練習だと思って、今からそのガサツな性格を変えてみろよ。そうだな、たとえば婚約者様を魔女だと思って、大切に扱ってみるのはどうだ。ほら、同じピンク色の髪をしていることだし」
「ふざけるなよ、ルッツ!」
ジークムントはルッツに怒りを爆発させた後、勢いよく私の方を向いた。
「というか、お姫様、この際だから言いますけど、その髪色を元に戻したらどうですか!? 染めていると分かっているのに、どうしてもその髪色を見ると心が弱くなってしまい、冷たくしきれないんですよ」
なるほど、ジークムントはもしも私がピンク以外の髪色にしたら、冷たくすると言っているのね。
でも、はっきりそんなことを言われたら、誰だってピンクの髪色を保とうとするんじゃないかしら。
ルッツも同じように考えたようで、「お前のそれは婉曲な要望なのか? ピンクの髪色をそのままにしておけって、暗に言っているよな」と呆れた様子で反論し、再び言い合いに発展していた。
そんな二人を横目で見ながら、私は残り半分の卵を口の中に放り込む。
それから、これを食べ終えたら、ジークムントに庭を案内するという約束を果たしてもらうわと考えながら、もきゅもきゅと咀嚼し続けたのだった。
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