0話 お母さんとお兄ちゃん
初投稿になります。
つたない文章ですが精一杯書ききる予定ですので、ぜひ読んでほしいと思います。
服の中、背中をスッと汗が伝う。防音の壁を越えて聞こえるがれきの崩壊の音は焦りを加速させる。この手術で娘の生死が決まる。絶対に失敗することはでいない。足りないパーツは実験中の物で代用したが、適合するかは分からない。賭けに出なければならないほどに今私たちは追い詰められているのだ。
「脊髄拡張外部装置は今のところ拒否反応を起こしていません。右腕の全機械義手も問題なく接合することができました。あとはお嬢様の生命力と適合能力次第です。」
「あとは目が覚めるかどうかね。」
壁の向こう側からの轟音は鳴りやまない。国家宇蟲駆除隊が出動しているが、戦力を考えて、ここまで到達するころには例え対害宙施設のここでも持たないだろう。
「娘には生きてほしいの」
「はい」
「あなたでは力不足なのはわかっているわよね」
「はい」
「あと一時間もすればこの施設も崩壊します。私が囮になるので、あなたはこの子を連れて逃げてください。」
「・・・」
「蟲は大量です。せめて二手に分かれてこの子の生存率を上げなければなりません」
「・・・」
「任せました」
「・・・はい」
1時間と10分たった時、施設は大量の蟲の攻撃に耐えられずに崩壊した。南の避難所に向けて娘と弟子は小さな車で走り出す。もう一つの門から大型トラックほどの大きさの武装車に乗って蟲たちの気をそらす。自動運転に切り替え、装甲から蟲の大群に向けて大砲を撃つ。蟲たちは自分たちに敵意を持ったものや大きな音を立てる物体に興味を示す習性がある。できるだけ引き付けて逃がす時間を稼がなくてはならない。
後方の蟲を駆除し、大砲ごと前方に向きを変える。
目の前にあるのは暗黒の世界。
違う。
蟲の口だ。
蟲が口を開けこの車ごと飲み込もうとしている。
「逃げなきゃ」
車から飛び降りる。
身体が宙に浮く。
地面につく。
そう思った。
全てが黒に染まった。
「母さん!母さん!」
「千。落ち着いて」
「落ち着いていられるか。船槍は母さんの研究所のすぐ近くに落ちた。研究所だって長い時間は蟲の攻撃に耐えられない。それに」
「妹さんがいる。でしょ。」
「そうだ。あいつも母さんについて今日家を出た。止めればよかった。あいつが少し口うるさいから、静かになってちょうどいいって。母さんの仕事についてくのを見送った。俺もついていけばよかったんだ。母さんも、あいつも。もう蟲に喰われてるかもしれない。俺がついていれば。止めてれば。」
「千のせいじゃないよ。船槍がいつどこに来るなんかわからないんだから。後悔するよりもまず、千のお母さんと妹さんを探すべきだよ。まだ食べれてない可能性も少なくないんだから。」
「・・・ああ。」
そんな言葉を無意味に信じられるほど、眼前の景色はよくない。ビルは崩壊し、食べかけの人の死体があちこちに散らかる。どこかから火が漏れ出したのか、焦げ臭いにおいが当たりに充満している。近場の蟲は駆除したがそれでも、いまだこの町中に蟲が蔓延っている。
「ねえ、なんか音が聞こえない?」
「蟲の音じゃないのか?あいつらの吠える声は遠くまで響くからな」
「違うよ。エンジンの音だ。車の音が聞こえるよ。」
「生存者がいるのか。」
瓦礫で完全には見えないが、車がこちらに向かって走ってきている。生存者、申し化したら母さんとあいつかもしれない。
「行くぞ」
「え、ちょっと待ってよお」
機械武装の足部の出力を最大限にし、車のほうへ向かう。運転手は女性。助手席に小さな子供。後部座席に人影は見えない。希望で動悸が早まる。大丈夫だったのか。逃げられたのか。
車に近づくとともに、機械武装を解除し、スピードを下げていく。
「万葉!」
助手席にいたのは万葉、俺の妹だった。ドアを開け、大切にこの腕の中に抱える。顔色が悪いが、呼吸はしっかりしている。大きめのブランケットに包まれ、すやすやと眠っていた。良かった。それなら運転席の女性も母さんかもしれないと思い、顔を少し上にあげる。
「梓さん、ですよね。母さんの助手の。」
「はい。」
「母さんはどこですか。後ろから別車両でついてきているんですよね。そうですよね。」
「いいえ。」
「じゃあ、母さんはどこにいるんですか。」
「娘さん。万葉ちゃんと私を逃がすために囮になりました。先生が望んだことです。」
「囮って、じゃあまだ母さんは蟲たちに追われてるかもしれないってことですか!」
「先生は。先生は、大型の蟲に食べられました。バックミラー越しでしたが、この目で見ました。あの状況で助かる確率は非常に低いでしょう。」
「は?」
梓さんの声が遠くなる。腕に抱きかかえた妹をさっきよりもずっと強い力で抱きしめる。妹の右腕にあたる部分から、生き物特有の温かさと弾力を感じなかった。固く、冷たい、まるで機械のような感触だ。布越しでもわかるほどの存在感が、より脳の動きを停滞させる。
「母さんが食われた?自ら囮になった?それでお前はのうのうと生き残ったのか?見殺しにしたのか?万葉の腕はどうなっているんだ?万葉は大丈夫なんだろうな?」
万葉をそっと地面に卸し、梓さんに近寄る。冷静なんて言葉はどこかに消えた。悲しみと、怒りと、困惑と。全てが入り混じっていく。だんだんと声が大きくなっているなとどこか脳の片隅で思い、いや、そんなことよりも今の感情をどこにぶつけてやろうかという思いがそれを塗り替える。
「千、冷静に。焦りは油断を引き起こし、油断は死につながるって言葉。誰のか知ってる?」
「・・・俺だ。」
「正解。じゃあ、君の腕と拳が今どんな風になっているのか、冷静に見て。」
腕は大きく振り上げられ、拳は固く握りしめられ、梓さんに今にも殴り掛かんとしていた。
「すまん。頭に血がのばってた。」
「いいよ。千を落ち着かせるのも僕の仕事だしね。間に合ってよかったよ。初速じゃ僕の翼でも君に追いつけないからね。」
俺の方にポンっと手を置く。妹さんが今起きてなくてよかったねと、つけたす。
「初めまして。僕は一条。一条悠月です。国家害宙駆除隊、第5部隊所属です。こっちも同じく第5部隊所属の千木良千。船槍が落ち、8レベルの災害を観測したため、救助と蟲の駆除のため、こちらに参りました。塩屋梓先生ですよね。以前、千木良教授の講演で助手として控えていたのをお見掛けしました。万葉ちゃんを連れてきてくださり、千に代わって感謝の意を伝えさせていただきます。避難所へ誘導いたしますので少し移動しますが、僕たちの乗ってきた戦車までついてきてもらえま・・・」
悠月の翼がピクリと動く。肩甲骨あたりから生えた二つの大きく、純白の翼を操るときは、鳥の翼のように羽ばたき、空中移動を可能にさせる。悠月は目がいい。鷹の目のように遠くの小さな敵まで見逃さない。耳もいい。ここまで来ると猛禽類の野鳥のような能力である。悠月は敵を感知したときに翼が動く。悠月が口を開け、言葉にする前に、俺は腰の対宇蟲銃を構える。
ドガ嗚ああ
瓦礫と共に金切り声を上げながら、ダンゴムシのような形をした蟲がこちらにむってくる。全長5メートルほどの中型の蟲。
「邪魔だ。」
蟲はあっさりと倒れる。銃弾は貫通し、五発分の穴と紫色の体液が滴る。このくらいの蟲なら大群だろうと勝てるだろう。時間と、武器と、状況さえ違えば、母さんを助けられたんだ。
「なあ悠月。」
「ん?」
「帰ろう。万葉をこんなとこには置いておけない。ここはうるさいし汚い。万葉が起きたら怖がるだろうからな。」
次回から、妹視点で物語が進みます。