002-02. その一輪は雪の中で
芦名ニゲラは、昨年秋にテイルプロへと入所したアイドル研修生である。
出身は秋田県、年齢は十七歳の高校三年生。
昨年冬のテレビ出演をきっかけに人気が急上昇し、決して多くはないデビュー候補者の中に名を連ねることとなった経歴を持つ。
彼の人気の理由は単純ではなく、一言で言い表すのは難しい。
しかし、テレビや雑誌と言ったメディアで最初に注目されるのは、何を置いても均整の取れた顔つきだ。
透明感のある肌には、淡い桃色の唇と形のいい鼻が絶妙なバランスで配置されており、たとえ目元を隠した状態でも端麗さが理解できる。
また、ぱっちりとした瞳が主流となっている昨今のアイドル業界において、その涼やかで鋭い目つきは非常に特徴的な武器と言えるだろう。
瞼と平行なくっきり二重と、重たげな瞼に隠された暗い色の瞳。
一部のファンから「ジト目」と称されるその眼差しは、彼のクールで蠱惑的な雰囲気を演出する重要な要素だ。
そんなわけで、世間一般からの彼に関する評価は、その多くが美麗な容姿に関するもので埋め尽くされている。
しかし、世間よりもほんの少しでも彼を多く目にしたファンたちは、口を揃えてこう言うのだ。
「彼の真髄は『そこ』ではない」と。
すごい。
目の前の光景に気圧されて、心の中でそう紡ぐのが精一杯だった。
正直なところ、柘榴はダンスの良し悪しについて、そこまで判別がつかない。
曲のテンポとずれているとか、目に見えてもたついているとか……その程度のものであればさすがに見て分かるものの、一定の水準を超えてしまうと全て「上手」になってしまう。
しかし、今しがた目の前で繰り広げられたパフォーマンスは、そんな柘榴の横っ面を引っ叩いて目覚めさせるかのような、大迫力の光景だった。
「……すごいでしょ」
呆気に取られる柘榴の様子を見て、ローザが誇らしげな表情で耳打ちする。
「ニィはああ言ってたけど……入所してからずーっと練習して、今じゃ同期の中でも一番ダンスうまいんだよ~」
「……すごいです。人間って、あんな風に動けるんだ……」
「ふふっ、俺も最初おんなじこと思った。俺たちより背骨とか関節が多いんじゃないかって考えちゃうよね」
とんでもない言い回しに聞こえるが、柘榴はその表現に納得してしまった。
ニゲラが披露したダンスパフォーマンスは、妙技と言う他にない技術の集合体だ。
先程まで片手の手首を握っていた手が、瞬きもしていないのに一瞬で顔の横に瞬間移動する。
指先から肩までが滑らかに波打ったかと思えば、次の瞬間には手のひらの先にガラスの壁が現れる。
軽く上げられた片方の踵も、重心を動かしながら曲げられた膝も、全てが計算されているかのように精密に、観衆の本能的な美的感覚が「そこにあるべき」と認識している位置を即座に捉える。
そして、何より印象に残るのが……
「動き自体もなんですけど……その、目線が……」
「あ、気付いた? やっぱり『強い』よね、ニィのあれ」
そう、目線だ。
曲がサビに入る前の一瞬の無音で、僅かなブレも許すことなく停止する全身の動き。
時間が止まったと錯覚する空気の中で、ニゲラの視線がしっかりと「こちら」を捉えたのだ。
柘榴とローザは今現在、撮影用カメラの背後に椅子を置き、そこに座って見学をしている。
つまり、先程のニゲラの視線はカメラに向けたものであり、柘榴が見たのはいわゆる流れ弾だ。
……流れ弾でこれなのだから、カメラ越しに視線を受けたファンはひとたまりもないだろう。
あんな風に目が合ったら、そりゃあ『リアコ』になるに決まっている。
「……心臓止まるかと思いました」
「ふふっ、また新たなカワイコちゃんがニィに心を盗まれちゃったかぁ……」
「人聞きの悪い言い方はやめてくれ、ローザ」
「あっ、ニィ! お疲れ様!」
ローザと感想合戦をしているうちに、撮影を終えたニゲラがこちらに歩いてきていた。
どうやら話している内容が聞こえていたらしく、苦笑いを浮かべるように眉尻を下げつつ、緩やかに口角を上げている。
「今日も最高だったよ~! さすがは俺の相方!」
「そうか……ローザがそう言ってくれるなら、きっといいパフォーマンスができたんだろうな」
満面の笑みを浮かべたローザからペットボトルを受け取り、ニゲラが水を口にした。
先程のパフォーマンスを見た後だからだろうか、何気ないその動作ですら、人を惹きつける華があるように感じられる。
……まあ、研修生とは言え多くのファンがついているアイドルなのだから、魅力的なのは当然のことなのだが。
柘榴がそんなことを考えている間にも、ニゲラとローザは三脚からカメラを取り外し、撮影したばかりの動画をチェックし始める。
「……?」
和気藹々とした様子を見つめていた柘榴だったが、不意にガラス扉の向こうから視線を感じ、そちらに顔を向ける。
そこには、柘榴やニゲラと同年代と思しき三人の少年が、こちらの様子を見ながら何やら話している姿があった。
……見たことのない顔だが、研修生だろうか。
「……あの……ろざさん、ニィくん……」
「んー? ざくくん、どうしたの……って、あ~……」
遠慮がちに名前を呼べば、すぐにローザが柘榴のほうを向き、言わんとしていることに気が付く。
そしてそのままおもむろに立ち上がり、ドアに向かってスタスタと歩いていった。
「……やあやあ! もしかして、この部屋使いたい感じ? 一応、俺らで一時間予約しちゃってるんだけど」
勢いよくドアを引き、明るい声で言い放つローザ。
その様子に、柘榴は僅かに首を傾げてしまう。
にこやかな表情を浮かべ、軽快な物言いをしているが、これは……。
「あー……えっと、いや……」
急に目の前までやってきたローザに気後れしたのか、一番ドアから近い位置に居た少年はしどろもどろな返答をする。
どことなく剣呑な、居心地の悪い沈黙が場を支配している。
「……ローザ、もういい」
しかしてその緊張は、柘榴の前に佇むニゲラの一声で破られた。
「チェックは終わった……問題なしだ。後はこれを柴田さんに送るだけだから、この部屋はもう使わない」
「……そう、なら良かった」
んじゃあ片付けちゃおっか~、と言いながら、ローザがくるりと踵を返す。
その声音は先程まで柘榴と話していた時と同じ、裏表のない愛らしいものへと戻っていた。
「片付け終わってシャワーしたら、ご飯食べに行こ! ざくくんも一緒に行くよね?」
「えっ、あ……はい」
ローザの問いかけで我に返った柘榴は、撤収作業を手伝うべく椅子から立ち上がる。
その折にちらりと窺った少年たちの顔は、見るからに苦々しい表情を浮かべていた。
「……あの、ろざさん」
「んー? なあに、ざくくん」
本社ビル社内向けエリア八階、カフェテリア。
ディナーのハンバーグ定食を前に、柘榴は向かいに座るローザへと声をかけた。
「その、さっきの人たち……ひょっとして、何かあったんですか……?」
「ふふっ、ざくくんはよく気が付く子だね」
気配り上手な子にはご褒美あげちゃう。
そう言いながら、ローザは自身が持ってきたロースカツ定食の皿から、主役であるロースカツのうちど真ん中の一切れを柘榴の皿に移す。
一番上等な部分を急に押し付けられて、柘榴は驚きに肩を竦めつつも深々と頭を下げた。
「何というかさ、ここでは『よくあること』なんだよね」
「よくある、ですか……?」
柘榴が呟くと、ローザはふっと笑って視線を横に向ける。
その先には、行列のできている麺コーナーに並び、やっとのことでラーメンを手に入れたらしいニゲラの姿があった。
「俺らはさ、すごく運がいいんだ。あの社長の目に留まって、チャンスを与えられて、デビューまでの特急券を貰っちゃった」
「特急券……」
ぼんやりと、ローザの言葉を復唱する。
そんな柘榴に視線を戻し、ローザは穏やかな笑顔のまま言葉を続けた。
「ざくくん、研修生って何人居るか知ってる?」
「えっと……」
「……ぶっぶー、時間切れ」
没収~、と言いながら、今度は柘榴の皿からサラダのミニトマトがローザのもとへと攫われていく。
……言うほど好きというわけでもないので、特に痛手にはならないのだが。
「今はね……だいたい百人くらいかな」
「ひゃ……!?」
「っふふ、初めて聞くとそういう反応になるよね」
ローザは柘榴の反応にころころと笑った後、少しだけ複雑な笑みを浮かべた。
「デビュー組並みのファンがついてる子も居れば、テレビどころかステージに立ってすらいない子も居る……けど、その百人のほとんどが、デビューを掴もうと死に物狂いで頑張ってる。他人を引き摺り下ろしてでも、輝こうと足掻いてる」
言葉に合わせて、ローザの箸が柘榴から奪ったミニトマトをつんつんとつつく。
つやつやとした新鮮なミニトマトが、皿の上でころりと寝返りを打った。
「そんな中でさ……偶然目立ったり、ぽっと出だったり、ただ運が良かっただけの子が、延々続いてるレースを無視してトロフィー搔っ攫って行っちゃったら……そりゃあ、いろいろ思うところはあるでしょ?」
「……じゃあ、さっきの人たちは、」
「ローザ、柘榴。滅多な話はするもんじゃない」
柘榴の言葉を遮るようにして、静かな声が二人を制する。
会計を終えたらしいニゲラが、いつの間にかローザの席の隣に立っていた。
「待たせたな。思ったより買うのに手間取った」
「ふふふっ、今日はチャーシュー麺の日だもんね。大人気だ」
冷める前に食べ始めちゃおう、というローザの言葉に急かされ、三人は食事を開始する。
「いただきます……」
小さく呟いて箸を手に取るも、頭に浮かんだ悲しい考えが邪魔をして、ハンバーグに手を伸ばす気が起こらない。
「柘榴」
そんな柘榴の様子を見るに見兼ねたのか、ニゲラが箸で麺を持ち上げながら柘榴に呼びかけた。
「運が大きく絡む世界である以上、こういうのは割り切ることも必要だ」
「…………」
「……多少は気にしてもいいから、飯だけはしっかり食おう。柘榴が倒れたら、俺たちも柴田さんも心配する」
相変わらずクールではあるものの、じんわりと優しい声音が柘榴を諭す。
何とか口に運んだハンバーグの味は、正直よく分からなかった。