012-01. 落ちた花、絡む蔓
「失礼しまーす」
十二月中旬――年末の風物詩であるテイルプロ所属ユニット合同ライブを前に、事務所全体が浮足立っている頃。
レッスンを終えたNIRZの面々は、全員揃って社長室に招集されていた。
「おー、来たか」
柴田に迎えられ、いつも通り書斎机の前に並ぶ。
いつもと違うことがあるとすれば――普段であれば椅子に座って構えている尾崎が窓の前に立ち、ブラインドをあげて夜景を眺めていることだった。
「蓮、NIRZ来たぞ」
「……ああ」
振り返った尾崎は、いつも通りの仏頂面だが――
「……社長、もしかして寝不足?」
ローザが遠慮がちに問い掛けた通り、その顔には疲労の色が強く浮かんでいた。
「気にするな……。それより柴田、彼らに資料を」
「……おう」
尾崎の指示通り、柴田はクリアファイルに入った資料をひとりひとりに手渡していく。
社長の様子に何か言いたげなその表情も気になるところだが……手渡された資料のタイトルを目にして、柘榴たちはそれどころではなくなってしまった。
「……『ToPプロジェクト 改定版スケジュール』?」
首を傾げる柘榴の隣で、衣織の表情が険しくなる。
「メンバー追加を延期、それに伴いファーストライブの出演者変更とファーストシングル発売時期を変更……?」
その内容は、メンバー追加時期の延期に伴うスケジュールの大幅変更。
しかし、変更後の時期については明記がなく、多くのイベントには「時期未定」と書かれている。
そして、三月に予定されていたファーストライブに至っては、社内の別ユニットに場所をあてがう旨が注釈されており――
「未定って書いてあるけど……これって実質中止だよな……」
――衣織の低く静かな声が、目の前の現実をその場に突き付けた。
「ちょっと、これどういうこと!?」
「こ、こら! 一旦落ち着けって!」
「落ち着いてらんないよっ!」
衣織の言葉に飛び上がったローザが社長に詰め寄ろうとして、柴田に阻まれる。
ローザのように詰め寄ることはなくとも、不穏な状況に焦りを感じているのは柘榴も衣織も同じで――状況が掴めないことによる不安は、瞬く間に部屋を満たした。
「……あの」
そんな物々しく重たい空気の中に、涼やかで落ち着いた声が割って入る。
今まで資料を手にじっと考え込んでいた、ニゲラの声だ。
「これ、最近の研修生の動きに関係ありますか」
「……気付いていたか」
無言でこくりと頷くニゲラの様子に、尾崎は深い溜息を吐いた。
「……ToPプロジェクトの新メンバー候補として選出していた研修生たちが、退所や移籍を申し出ている」
「退所……?」
「……まあ、そいつらだけじゃないんだけどな。ここ一か月くらい、研修生からの打診が相次いでるんだよ」
あんまり大っぴらにできる話じゃないけど……と続ける柴田の表情は、いつもの溌溂としたものと異なり翳りを見せている。
先程の尾崎に向けた表情も、その心労を案じてのことなのだろう。
「……新たな候補は現在進行形で検討している。デビュー前の二の舞となるようで大変恐縮だが、君たちには現状の仕事をこなしつつ、次の動きがあるまで今しばらく辛抱をお願いしたい」
そう告げて、尾崎は再び窓へと体を向ける。
電動のブラインドはリモコンの操作で滑らかに閉じ、夜の窓に反射していた尾崎の無表情はすぐに見ることができなくなった。
「まあ、NIRZとしての仕事には支障ないからさ。心配させて悪いけど、可能な限り平常心でやってってくれると助かる」
ごめんな、と申し訳なさそうに手を合わせる柴田を前に、四人は黙って頷くしかなかった。
「……見送り、ここまでで大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
目まぐるしさの中で時は流れ――一月二十八日、朝七時。
少し乾燥した空気が満ちる冬晴れの下、衣織は後輩の出立を見送っていた。
「なんか、すみません。橄欖坂くん、もうデビューしてて忙しいのに……研修生寮まで来てもらって……」
「そんなの気にするなよ。見送りくらい、しっかりさせてくれ」
そう言って笑い飛ばせば、後輩は顔を伏せて軽く会釈する。
衣織の前所属ユニット――ネクストスカイのメンバーであった彼は、今月末をもってテイルプロダクションを退所する運びとなっていた。
「芸能活動は続けるんだろ?」
「……はい」
「じゃあ、これからはライバルになるけど……絶対負けないから、食ってかかってこいよな」
「…………」
冗談めかした激励の言葉を贈り、肩を軽く叩く。
しかし、目の前の彼は顔を上げず――
「……もう、無理だと思います」
「……え?」
力なく呟くと、肩を震わせ始めてしまった。
「なあ、どうしたんだよ」
「…………」
「……何かあったのか?」
「…………、」
その拳は白くなるほど握り締められているが、震えの源は怒りには見えない。
まるで何かに怯えるような――少なくとも穏やかではないその様子を見て、衣織はそっと彼の腕を掴み、寮の敷地内に引き戻した。
「……辞めるのと、関係あるのか」
「…………」
「大丈夫、他の誰も聞いてない」
敷地外から見えない位置――寮の下駄箱の陰まで入り込み、玄関の外と寮内の廊下に人がいないことを確認してから、衣織は小さな声で囁きかける。
「……事務所離れるにしたって、俺にとって君は大切な友達だから。そんな状態で見送るのはしたくない」
「…………橄欖坂くん……」
「無理矢理話せとは言わないけど……少なくとも、誰にも言えないまま出ていくよりはいいだろ」
今一度、肩をそっと叩く。
先ほどよりも輪をかけて優しい力加減のそれは、ネクストスカイ時代の衣織が後輩たちを励ます際に行っていたものと同じだった。
「……俺……っ、」
僅かに懐かしいその感触に思うところがあったのか、後輩が震えながら語り始める。
そして――告げられた内容に、衣織は言葉を失った。
「俺……脅されて……」
「……え?」
「す、数か月前に……社内の人から誘いがあって、業界の人との食事会に行って……」
衣織の脳裏に、いつの日か車窓から見た光景がフラッシュバックする。
それなりの人数であったため、彼の姿を直接見たわけではないが――ネクストスカイの他メンバーが居たことを考えるに、その食事会とは件の会合で間違いないだろう。
「そこで、女優の子と知り合って、連絡先を……交換しました……」
「…………」
「お、俺……調子に乗って、頻繁に連絡のやり取りして……あっちも返してくれて、何度か会って……!」
「……撮られたのか」
「……本当に、すみません……!」
この業界に長く居ると、真面目であればあるほど女性との接点が限られる。
そういう青少年がこのような機会を得てしまうと――こういった事態になることも、珍しい話ではないだろう。
ただ、今の話を聞いた上で、衣織には引っ掛かる点があった。
「……脅された、っていうのは?」
「……それは……」
「週刊誌とか……ではないよな。君を脅す理由がない」
ゴシップを利用して脅すとなると、普通は事務所相手だろう。
タレント本人と交渉して旨味がある立場の存在など、事務所そのものか、あるいは。
静かな廊下に、壁掛け時計の音だけが響く。
ぴんと張った冬の空気が肺と耳の先を冷やし、そして――
「…………伊久路オフィス、です」
ついに告げられたその名が、衣織の脳を凍り付かせた。
「伊久路の、副社長に呼び出されて……女の子と会っている時の写真を出されて……」
「…………」
「へ、『弊社のタレントの不祥事ということになれば、なかったことにできる』って……」
「……それ、うちの人間に相談したか?」
「で、できません……! 告げ口したり断ったりすれば、どうなるか……!」
「……そうか」
弊社のタレント。
それはつまり、尾崎を抜けて移籍してこいという遠回しな脅迫だ。
尾崎を捨てて寝返るのであれば揉み消す――そうでなければ、情報の扱いについて保証はしない。
一般的な良識を持つ人間であれば、然るべき場所に相談するような重大な事態だろう。
だが、彼はアイドルだ。
たとえ、それが一から十まで仕組まれたトラップであったとしても……自分の行いが明るみに出ることで未来が絶たれる状態になっている以上、逆らうことは許されない。
少なくとも、彼が表舞台に立ち続けたいと願う限りは。
「……話してくれてありがとう」
後輩の夢と未来を人質に取った姑息な手段にはらわたが煮えくり返りつつも、衣織は極力穏やかな表情を浮かべて語り掛ける。
「今の、柴田さんに伝えて大丈夫か? あの人なら、君のこれからに不利益が出るような扱い方はしないはずだから」
「…………」
「今の話を聞くに……伊久路とグルになって、最初の入口を作っている人間が社内に居るかもしれない。直接手を下さないにしても、警戒くらいはしておかないとマズいだろ」
「……わかり、ました……」
「……ありがとう。名前は出さないから、安心して」
幸か不幸か、今月退所する予定の研修生は数多く居るため、個人を特定されることはないだろう。
……ひょっとしたら、他の面子も同じ事情で辞めるのかもしれない。
「落ち着いたら、また連絡くれよ。相談じゃなくても……また、前みたいに飯とか行こう」
「…………」
「待ってるからな」
「……ありがとう、ございます」
絞り出すかのごとく発された言葉に、衣織は瞼を伏せるしかできなかった。




