011-02. 咲き初めのペトリコール
『我々serp'一同は、前身組織にて問題視されていた旧体質からの完全脱却、および既存事業における収益性向上に向けた抜本的な改革を実施することを皆様にお約束いたします』
――画面の中で、白長魅月が雄弁に語る。
アイドルとして栄華を極めた最盛期から十年を経ても、その輝きが褪せることはなく。
しかし、十年という歳月が彼に与えたものは大きく――以前よりも数段増した頼もしさは、自信に満ち溢れたその表情と口ぶりに説得力を持たせていた。
「…………」
ぱたん、と小さな音を立て、柘榴はスマートフォンの画面を机に伏せる。
先の映像――週の真ん中に行われたserp'による記者会見から早数日が経っても、SNSやメディアの話題はこの発表のことで持ちきりだ。
時計を見れば、時刻は午後六時。
今日は数カ月ぶりに終日オフの祝日――だったのだが、昨晩のレッスン終わりに電話が入り、急遽予定が追加された。
呼び出しはマネージャー経由ではなく社長からの直通で、「夜に社内のレストランで会食があるため、同席してほしい」との内容だった。
指名があったのは柘榴のみとのことで……グループとして呼ばれたわけでもなく、そもそも企業の会食に招かれること自体が柘榴にとって前例がない。
一体何をさせられるのか――電話口で警戒していれば、尾崎はいつも通り感情の読めない声でこう告げたのだった。
――『株式会社serp'の白長社長から、直々のご指名だ』と。
「へえ……御令妹の勧めで芸能界に?」
「は、はい……」
「なるほど。なかなかの慧眼をお持ちのようだ」
にこやかな顔でそう言いながら、白長はグラスを手に取った。
「私も様々なスターを見てきた身だけれど……君のような逸材はなかなかお目にかかれないからね。こんなことを言ってはなんだが、同業他社としては少し嫉妬してしまうな」
寸胴で背の低いグラスの角度に合わせ、赤褐色の液体が波打つことなく傾いていく。
その所作の優雅さは、かつてテレビの向こうで披露されていたものと寸分違わず――それが自分の眼前で披露されているという事実が、柘榴にとってはどこか非現実的なことに感じられた。
「…………」
白長の冗談めかした物言いに返す言葉が思いつかないまま、柘榴はちらりと尾崎に視線を向ける。
すると、柘榴の困惑を汲み取ったのであろう尾崎が、持ち上げかけたフォークを下ろして小さな溜息を吐いた。
「何が嫉妬だ……。スカウト経由でなければ獲得機会がないような人材は、お前のところでは願い下げだろう」
「おや、それは先代の話だよ? これからは我々から動くことだってあるだろうさ」
「……どうだかな」
珍しく呆れたような声を発して、尾崎は改めて前菜を口に運ぶ。
……この事務所に来てから半年が経過しているが、尾崎がこうして感情を表に出すのは珍しいことのように思う。
既にユニットを解散して十年が経過しているとはいえ、やはり元相方ということだろうか。
「……そんなことより、白長」
フォークとナイフを皿に伏せつつ、尾崎が続けた。
「今日の本題は何だ」
「……君、それで本当に社長やれてるの? あんまりにも性急すぎてびっくりしたよ」
「お前以外にこんな対応をしてたまるか」
尾崎のうんざりしたような顔を前に、白長はくすくすと楽しげに笑う。
それを受けた尾崎はさらに眉間の皺を深め――ある程度のところで、根負けしたかのように瞼を伏せた。
「……お前相手に腹の探り合いはしたくない」
「おや、珍しく可愛げのあることを言うね。私の胸の内が分からないのが寂しいのかな?」
「馬鹿言え。飯が不味くなるのが嫌なだけだ」
じゃれ合いと呼ぶには少し剣呑すぎる空気が、じわじわと個室の中を満たす。
……確かに、この空気の中で食べる食事は美味とは言い難いだろう。
もっとも、それは社長たちにとっての話で……前日から緊張しきっている柘榴の舌では、味なんてハナから分からないのだが。
「……まったく」
僅かに張り詰めたそれを破ったのは、白長がカトラリーを皿に伏せる小さな物音だった。
「本来なら、もっとじっくり昔話に花を咲かせてからのつもりだったのだけれど……まあ、いいかな」
微笑みを崩さないまま、白長は椅子の背もたれにゆったりと背中を預ける。
そして、眦を優しく下げた眼で尾崎の姿を捉え直し……蠱惑的な声でこう囁いた。
「そろそろこちらに戻っておいでよ、蓮」
「……大丈夫かな、柘榴」
午後七時、都内某所。
雑誌インタビューの仕事を終え、衣織とローザは社用車で帰路についていた。
「んー? 大丈夫って、何が?」
「いや……今日、例の会食だろ? 初めてだって言ってたし、昨日からすごい緊張してたし……」
「わはー、おりくんってば過保護〜!」
メールチェックをしていたらしいスマートフォンから視線を外し、ローザが大袈裟に目を見開く。
……愛らしいオーバーリアクションはいつものことだが、その声音の奥に僅かな含みを感じるのは、衣織の邪推だろうか。
「ぜ、全然過保護じゃない」
生温いような視線を振り払うように咳払いをして、衣織は言葉を続ける。
「だって、相手はあの白長魅月だぞ? 緊張し過ぎで具合悪くなってたりしないかって……」
「またまたぁ……ほーんと、おりくんはざくくんのこと大好きなんだから!」
「…………うるさい」
話せば話すほど笑みを深めていくローザにしかめっ面をしながら、衣織はぷいっと顔を逸らした。
ちょうど車は赤信号を前に止まったタイミングで、窓の外の大通りは祝日に相応しい人混みと喧騒で彩られている。
「……あれ……?」
「んー? どうかした?」
「いや、あそこに居るのって……」
衣織は窓の外――洒落た雰囲気が目につく創作料理店の店先を指差した。
「……あれ、うちの研修生?」
「ああ。多分……ネクストスカイの年長組と、無所属の社会人組だと思う」
指し示した先では、帽子や眼鏡で素顔を隠した研修生たちがたむろしている。
ただ、衣織が最も気になったのはそこではなく――
「……なんか、女の子混じってない?」
「…………そう見えるよな?」
――その集団の中に、同じように帽子や眼鏡を身に付けた数人の女性が混ざっていることだった。
「こんなに堂々と……感心しないな……」
「んー……まあ、一応変装はしてるっぽいし! あの感じ、多分相手も業界人……って、ん……?」
眉間に皺を寄せて険しい顔をする衣織を宥めていたローザが、不意に首を傾げてみせる。
「あの女の人……どっかで見た気が……」
「え、どれ……?」
「ほら、あの一人だけスーツでメガネの……あっ……」
ローザが窓を指差したと同時に、景色がゆっくりと後ろに流れ始める。
信号が青になり、車が再発進したのだ。
「……あー! もうちょいしっかり見られれば思い出せそうだったのに〜!」
「ど、どうどう……」
ローザを宥めながらもう一度車窓に目を向けるも、当然先程までの景色はそこにはなく。
ただ、夜を彩る街の明かりが、光の線となって後ろに流れていくだけだった。




