010-■. 残香は褪せず
「白長、ここへ何をしに来た?」
BRC、開演十分前。
尾崎と白長は楽屋前から場所を移し、VIPエリアに通じるエレベーターホールで対峙していた。
「おやおや……そんな怖い顔をしないでほしいね。片割れにそんな態度を取られると、さすがの私でも悲しくなってしまうよ?」
「もう片割れではないだろう、俺たちは」
「……いけずだね、相変わらず」
飄々とした態度の白長とは対照的に、尾崎の声音は硬い。
ある種の不和すら感じさせるその対話は、かつて互いの人生を預け合った相手と交わすものにしてはあまりにも剣呑だった。
「……今日のステージに、お前が出演する予定はなかったはずだが」
「それはそうだ。今の私が出演すると思うかい?」
肩を竦めておどける白長の様子に、尾崎の眉間の皺が深まる。
しかしそんな尾崎の反応すら、白長は戯れのひとつとして受け取っているようだった。
「なあに、簡単なことさ。私が来るべき立場だから来た、それだけだ」
「…………」
「ほら。先日決まったばかりだから、まだ正式発表はしていないけれど」
言いながら、白長が胸ポケットから黒革の名刺入れをするりと取り出す。
スマートながらしっかりした作りのそれから抜き取られたのは、銀色の箔押しが施された名刺だった。
「この度――伊久路オフィス改め、株式会社serp'の代表取締役社長に就任いたしました、白長魅月と申します」
白長はトランプを弄ぶかのように、人差し指と中指で名刺を挟んでゆらゆらと揺らす。
そしてそのまま尾崎の一歩前まで歩み寄ると、そのジャケットの胸ポケットに自分の名刺を滑り込ませた。
「……白長、お前」
極限まで不機嫌な顔をした尾崎が、地を這うような声を放つ。
明らかに冷え切ったその声音の理由は、およそビジネスシーンに相応しいとは言えない態度を向けられたことによるものだけではない。
「おお、怖い怖い。そんなに怒らないでくれよ」
「……お前、今まで何をしていた?」
「何って、何もかもさ。古巣をあのままのさばらせておくのは、私としても腹に据えかねるからね」
既に氷点下まで下がり切っている場の空気をものともせず、白長は絵画のように美しく笑って見せる。
慈愛に満ちた、という表現が相応しいほどの穏やかな笑顔は、現在の場の雰囲気には全くもって不釣り合いだった。
「まあ、これからは社長同士、前のように仲良くやっていこうじゃないか。十年経って、ようやっと身綺麗になれたんだから」
お互いに、ね。
尾崎の左胸を指先で軽く叩きながら、白長が囁く。
そして、尾崎が返事を紡ぐよりも先に、その隣をするりと通り抜けてしまった。
「今日は顔を見られてよかった。近いうちに、正式にご挨拶に向かわせてもらうとするよ」
言いたいことだけ言い残して、白長は軽い足取りでエレベーターホールをあとにする。
よく磨かれた革靴がタイルを踏み締める音が、やけに耳について――
「……どうして、お前は……」
尾崎は、静かに拳を握り締めた。




