010-03. 絢爛の残り香
見つめ合って、どれだけの時間が経っただろうか。
ぴくりとも動けない柘榴を訝しんだのか--白長は僅かに首を傾けた後、何かに思い至ったかのように手をぽんと合わせるジェスチャーを披露してみせた。
「ああ、怖がらせてしまったかな? 私はご覧の通り関係者だ。怪しい者ではないよ」
言いながら、首に提げたバックステージパスを指先で摘まみ上げる。
……もっとも、BRCの場に現れた白長魅月を「不審者である」と解釈する人間など、恐らく百人に一人も居ないだろう。
「私は白長魅月。少し前までアイドルをしていてね……知っているかい?」
「……は、はい……もちろん……」
「ああ、嬉しいな。君のような若くて有望な子に知ってもらえているなんて」
白長はそう言って微笑むが、その言葉がリップサービスであることは明白だ。
何故なら――どれだけ芸能界に明るくない人間であろうと、「白長魅月の顔すら知らない」などというのは、家で一切のメディアを禁止された家庭の生まれか、よっぽどの世間知らず以外にあり得ないのだから。
アイドルデュオ、Fs。
芸能事務所「伊久路オフィス」が、「今日までのエンタメを過去にする」という強気な触れ込みでプロデュースしたユニットである。
当時は昭和から続くアイドル業界の成熟期――玉石混交のユニットが乱立し、まさに潰し合いが生じていた時期だ。
そんな折に提言された攻撃的な試みは、当然業界内外から大きな反発を食らい……そうした大バッシングのもと、声も上げずに沈んでいくものだと誰もが予想していた。
しかし、その予想は見事にひっくり返される。
最初の一歩にして一番の語り草は、大型豪華客船をチャーターしてのデビュー会見だろう。
当時、鳴かず飛ばずのユニットやタレントを多数抱えて低迷していた伊久路オフィスは、採算性が低いプロジェクトの一斉仕分けを実施し……ほぼ全ての予算を、このデビュー会見に費やしたのだという。
まさしく、社運を賭けた大一番。
多くのマスコミが港に集い、日本中の誰もが注目する中――入港した客船のデッキに乗っていたのが、白長魅月と九十九蓮であった。
光を放っているかのように錯覚するビジュアル、貫禄を内包した所作とパフォーマンス、ある種の畏怖すら抱かせる圧倒的な存在感。
豪華客船から降り立つエレガントな姿は各メディアで「アイドル界に降臨した王」と称され、デビューシングルは実力派アーティスト相手にすら倍以上の差をつけ、各種ランキングの一位を総舐め。
その勢いはデビュー以降も衰えず……結成五周年時点で、冠レギュラーは週三本、年間CM起用社数は三十社以上。
メディアで彼らの姿が映らない日はなく、ほとんどの仕事が彼らと伊久路オフィスに集中し――それまで同レベル同士で潰し合っていた数多のアイドルたちがその輝きに灼かれ、灰のように燃え尽きて消えていった。
彼らはたったの二人だけで、文字通り「今日までのエンタメを過去に」したのである。
「それにしても……まさか、こうして直接顔を合わせられるだなんて。光栄だよ」
「え……?」
唐突に手のひらを差し出され、柘榴は目をぱちくりとさせる。
それが握手を求める動作であると理解する頃には、待ちかねたらしい白長の真っ白な手が、柘榴の右手をするりと持ち上げていた。
「鈴鹿柘榴……やはり、本当に――」
白長の手に、きゅっと力が籠る。
ひんやりとした指先の温度に脳を痺れさせられながらも、続く言葉を受け止めようとして――
「何故ここに居る、白長」
背後から響く気品のある低音が、柘榴の意識を現実に引き戻した。
「……蓮」
柘榴に向けられていた視線がその背後に移り、白長の表情が変わる。
その変化は、驚きや恐怖といった負の変化ではなく……可憐な蕾が花開くときのように、穏やかながらも喜びが滲んでいるように見えた。
「鈴鹿、楽屋に戻れ」
クッションフロアを踏み締めて、尾崎が柘榴の隣に並び立つ。
「君たちの出番まではまだ時間があるが、ショー全体の開演は間もなくだ。不必要に集中力を削ぐようなことがないよう心得ろ」
「は、はい……!」
放たれる言葉はいつも通り厳しいが、その声音に怒りや呆れといった感情は感じ取れない。
何より、この状況でガチガチに緊張してしまっている柘榴にとって、社長の勧めは他でもない配慮に満ちた助け舟だった。
「そ、それじゃあ……失礼します」
深く頭を下げ、白長の手を離して踵を返す。
曲がり角まで辿り着いたところでちらりと振り返るも、会話の内容は聞こえなかった。
「た、ただいま……!」
「ざくくんおかえり~!」
「おかえり」
「おかえり。わざわざありがとうな」
楽屋に戻ると、くつろいでいるメンバーたちに迎えられる。
どうやらニゲラも準備が終わったようで、柘榴たちのジャケットと同じ柄のベストとスラックスをばっちり着込んでいた。
「紅茶は加糖だったので、緑茶とお菓子貰ってきました」
「わぁ、ありがと! 飲み物いただいて、お菓子は持って帰っちゃお~」
「俺も終わってから食べる。柘榴、ありがとう」
柘榴がテーブルにお菓子を並べていく傍らで、ローザとニゲラが吟味を始める。
メンバーの好みに合わせて和菓子と洋菓子をいくらかずつ持ってきたのだが……予想通り、ローザはいちごジャム入りのマドレーヌを、ニゲラはあんこがたっぷり挟まれたどら焼きを手に取り、各々の荷物の中にいそいそとキープし始めた。
……その様子に少し呆れたような笑みをした衣織が、迷いなくフルーツサンドの包みを手に取ったのも柘榴の予想通りだ。
「っふふ……」
「ん? なんだよ」
「ううん、なんでもないよ」
柘榴の笑いに訝しげな視線を送る衣織だったが、ふかふかと柔らかなサンドイッチにかぶりついた途端、至福の表情に変わる。
「あっ。ねえねえ、ざくくん」
荷物置き場から戻ってきたローザが、柘榴が注いだ緑茶のコップを手に取りながら声を上げた。
「大部屋の前まで行ったんだよね? 誰か知ってる相手とか居た?」
「あ、えっと……」
空になったトートバックを畳んで膝の上に起き、先程の出来事を思い出す。
「白長魅月、さんが……居ました……」
「白長って……あの白長!? 社長の元相棒!?」
「はい……オーラがすごかったです……」
言いながら、柘榴は指先を組んでもにゅもにゅと動かした。
緊張は既に引いているものの……指先にしっかりと体温が戻るまでは少しかかりそうだ。
「あれ? でもさ……」
引き続き指先を温めていれば、サンドイッチをあっという間に一切れ平らげた衣織が声を上げる。
「白長さんって、しばらくメディア露出してないよな?」
「えっ、そうなの……?」
「……確か、解散後から何年もかけて出演を減らしてたはずだ。正式な引退宣言はないけど、実質的な芸能活動休止だな」
首を傾げる柘榴に、ニゲラが緑茶を飲みつつ補足した。
言われてみれば、Fsが解散した十年前からしばらくは白長の名前を聞いたものの……一度は焦土と化したアイドル業界に新たな人材が芽吹くにつれ、次第にその影は薄まっていったように思う。
「じゃあ、どうしてBRCに……?」
「考えられるのは……復帰とか?」
「えぇっ!? 復帰発表なんてされたら、俺らのパフォーマンス絶対霞んじゃうよ~!」
「落ち着け、ローザ。今日貰った最新版のスケジュールに、そんな枠なかっただろ」
やいのやいのと騒いでいると、楽屋に軽快な音楽が流れ始める。
楽屋内のモニターに目をやれば、先程までより数段薄暗くなった会場の中で、メインステージとランウェイがライトアップされる様子が放映されていた。
「ほらほら、俺たちの出番も近付いてるから! とりあえず今は自分たちのことに集中!」
「……衣織くん、口に生クリームついてるよ」
「……集中!」
そうして、BRCが幕を開ける。
この華やかな舞台の裏――既に運命の歯車が動き出していることなど、誰一人として知る由もなかった。




