007-03. 花笑みは綺羅星の如く
『――携帯電話、アラーム付き腕時計など――必ず電源をお切りくださいますよう――』
時刻は、十七時五十三分。
館内では、番組収録に伴う諸注意を伝えるアナウンスが響き渡っている。
「……ここ、だよな」
ほとんどの関係者が舞台裏や席に捌け、がらんとした劇場二階の関係者エリアにて、衣織は豪奢な防音ドアに手をかける。
二重になっているドアを順番に押し開けて、その先に広がるのは、客席二階の中央に位置するボックス席エリア。
せっかくなら上等な席から見るべきだと、マネージャーが関係者席への入場許可をを取ってくれたのだ。
いつもは正面から遠巻きに眺めていたこのエリアに、衣織は初めて足を踏み入れたのだが……ステージ上からはやけに広く見えていたのに、実際に立つとこぢんまりと感じる。
それに、今日はやけに人が多い。
それもそのはず。今日は親会社の役員や、柘榴がモデルとして参加していたファッション誌の関係者を呼んでいるのだと、柴田が言っていた。
……どうやら、社長が柘榴とプロジェクトにかける熱意は相当のものらしい。
そんなわけで、今日の関係者席はほぼほぼ埋まっている状態だ。
衣織は残された空席のうち、邪魔にならないような後列の一席を選んで歩みを進めた。
「……っと、すみません。隣、失礼します」
「あっ、はい!」
劇場椅子の座面を広げながら、通路側の隣席に座る相手に頭を下げる。
……それは、この重鎮だらけの空間では若干異質な、落ち着いた色合いの制服を纏った少女だった。
「…………えっと、何か……?」
「……あ、すみません……何でもないです……」
「あっ、いえ……」
無意識にじろじろ見てしまったせいか、少女が遠慮がちに衣織に声をかける。
衣織は反射的に顔を逸らすものの、視線を完全に外すことができなかった。
その理由は、彼女が学生だからというだけではない。
劇場の薄暗さの中でも分かる、人形のように整った顔立ち。
制服と同じコーヒー色のリボンで結われたポニーテールは、つやつやとしていながらもふわりと空気を含み、毛先にかけて柔らかくウェーブしている。
そして、何より目を引くのが……長い睫毛に縁どられた垂れ目の奥の、宵の星空を閉じ込めたような瞳。
それらの特徴を有する人物を、衣織はよく知っている。
性別こそ違えど、まるで……
「あの……橄欖坂衣織くん、ですよね?」
「えっ?」
横目で観察し続けていれば、少女のほうから言葉をかけられる。
どうやら、研修生である衣織のことを知っているらしい。
……思えば、ここはもう関係者エリアなのだ。
今更変装している必要もないと思い至り、衣織は帽子と眼鏡を外す。
すると、少女はぱあっと明るい表情になって、胸の前で可愛らしく指を組んで見せた。
「ああっ、やっぱり!」
「えっと……どこかで、お会いしたりとか……?」
「いえ、そんな! けど、お噂はかねがね……!」
「え……?」
「あ、えっと――」
衣織が首を傾げると、少女はスカートの裾を正して向き直り――
「――初めまして、鈴鹿苺です。兄がお世話になっています」
――そう言って、深々と頭を下げたのだった。
「――それじゃあ、今日はお兄さんを観に?」
「はい! 本当は自力で抽選当てたかったんですけど……この間のホロスコープのツアーチケットで運を使い果たしちゃったみたいで……」
そう言って、少女――苺は苦笑いを浮かべて見せた。
困ったように眉を八の字にして目を細めるさまは、彼女の兄――柘榴と瓜二つだ。
「……アイドル、好きなの?」
「はい、それはもう! 生きる糧です!」
「糧」
……どうやら強火のアイドルオタクのようだ。
それならば、衣織の顔を知っているのも納得である。
「それにしても……まさかあの『推しくん』と一緒にお兄ちゃんのデビューを見守れるなんて! あとでお兄ちゃんに教えてあげようっと!」
「……推し? 苺ちゃんの推しって俺なのか?」
「え? いや、私はテイルプロ箱推しなので……強いて言えばホロスコープ推しですけど……」
苺が首を傾げ、衣織の頭の中をクエスチョンマークが満たす。
そして、ついに話に着いて行けなくなった衣織に、苺はさも当然のように告げた。
「お兄ちゃんのですよ」
「え?」
「お兄ちゃん、橄欖坂くんが好きで事務所に入ったんですよね?」
「………………はぁ!?」
素っ頓狂な大声が出て、周囲の御偉方が一斉に衣織のほうを振り返る。
はっと我に返って何度も頭を下げたあと、衣織は苺のほうにささっと身を寄せた。
「待って、何それ……!? 初耳なんだけど……!?」
「ああ、秘密にしてたんですね。すみません、忘れてください!」
「無理だよ!?」
動転して囁き声で話す衣織に、苺も同様の囁き声で返す。
……どうやら面白がっているようにも見えるが、今の衣織はそれどころではない。
「お、推しとか……そんな……そんな様子、微塵も……」
なかった、と言ったら嘘になる。
冷たくあしらっても繰り返しアタックしてきたり、毎日自腹でパンを貢いだり。
……ただ、トレーニング中の真剣な様子を思えば、衣織に師事したいが故の献身ということで納得できる。実際、衣織はそれで納得してきた。
ただ……推しという解釈をすることによって、不可解だった点と点が線で繋がっていく。
あんなにまでして、衣織に師事したいと思った動機。
自分を制御できなくなりながらも、一緒に歌いたいと縋った真意。
そして、あの夜見せた温かな表情が向けられた先は――
「けどまあ、ぶっちゃけあれは推しっていうより――あっ!」
途中まで言いかけて、苺はぱっと会場を見渡す。
ちょうど、会場内に流れるBGMがフェードアウトした頃――つまり、開演時間だ。
「……よし! 詳しいことはいずれ本人に吐いてもらいましょう! はい、これ持って!」
「あっ、サイリウム……って、これ苺ちゃんのじゃ」
「安心してください! スペアです!」
ごそごそとスクールバッグを漁り、追加で二本のサイリウムを取り出す。二刀流だ。
そうこうしている間にすうっと会場が暗くなり、階下からは黄色い声が響き渡った。
「始まりますよ~! ここでは声が出せない分、思いっきり腕振りましょう!」
「う、うん……!?」
そして、大混乱の衣織をよそに、舞台の幕がゆっくりと上がった。




