005-02. 蕾と花殻
「いやあ、まさかあんなに上手くいくなんて思わなかったよ!」
アイスティーの氷をカラカラとかき混ぜながら、目の前の愛らしい彼――ローザが愉快そうに笑う。
「……ろざさん、可愛い顔してそういう所あるよな」
久しぶりに間近で見た顔ではあるものの、案外この十数分で慣れるものだな……。
そんなことを考えながら、衣織は思わず遠い目をしてしまった。
「んひひ、褒めても何も出ないよ~!」
「いや、褒めてないし」
思わずツッコミを入れる。
いつ見ても変わらず天真爛漫なローザの姿に、衣織の体からは自然と力が抜けていった。
二人でランチに行こう。
ローザからそう連絡が来たのは、昨晩のことだ。
人のことを騙しておいてどの面下げて連絡してきているんだ、という気持ちもなくはなかったものの、何ぶん相手はローザだ。
どの面もこの面もない、いつも通りの可愛い面である。
それでも騙されっぱなしというのはやはり納得がいかないので、文句のひとつやふたつ言ってやろうと思い、衣織はこうして招集に応じていた。
なお、さすがに今回はちゃんと二人きりだ。
「って、そんな冗談は置いといて! ざくくんから聞いたよ〜、歌教えてるんだって?」
グラスをテーブルに戻し、ローザが軽く身を乗り出した。
その瞳には隠しきれない……というよりは、隠すつもりのない好奇心の色が浮かんでいる。
「……まあ、あんなにしつこく頼み込まれたらな」
「っふふふふ、熱烈なラブコールだぁ」
「こら、変な言い方しない」
誤解を生む発言を諌めながら、衣織はサラダを一口頬張る。
刹那、すりおろし人参をふんだんに使ったドレッシングの甘く爽やかな風味が口いっぱいに広がり、思わず自慢の食欲が鎌首をもたげてしまった。
「んで、どう? 騙し打ちから半月くらい経ったわけだけど……橄欖坂先生的には及第点?」
「騙し打ちって……」
自分で言うか、と喉まで出かかった言葉をお冷やで飲み下す。
そして、ここ数日自分が見てきた柘榴の様子を思い出し、率直な感想を告げた。
「……まあ、悪くはないんじゃないか。少なくとも、他の候補生よりかは頭ひとつ以上抜けてる」
「あれっ、意外と素直に褒めてる……」
「……貴方相手に誤魔化したって仕方ないだろ、今更」
「まあ、そりゃあそうだ……っとと、来た来た」
言葉を交わしていれば、ウェイターが料理を運んでくる。
本来は会食向けのレストランであるため、夜に来ればイタリアンのコースが楽しめるらしいが……今日はランチメニューのパスタセットだ。
衣織の前にジェノベーゼ、ローザの前に海老のトマトクリームパスタが置かれ、ウェイターが再び静かに下がっていく。
「わぁ、おいしそう〜! ……あっ、お料理の写真撮っていい?」
「いいけど、俺が写り込まないようにしてくれよ」
「はいは〜い…………よし、これでオッケー」
「……SNS用?」
「うん。あとで加工して柴ちゃんにチェック頼もうっと」
「相変わらず熱心だな」
「当然! ……っと、待たせてごめんね。食べよっか」
「うん」
いそいそとスマートフォンをトートバッグに押し戻し、「いただきまーす」と改めて手を合わせるローザに合わせ、衣織も小さく「いただきます」と呟く。
「…………うっま」
フォークで巻き取ったパスタを舌に乗せた瞬間、思わず声が漏れた。
新鮮なバジルで作られたジェノベーゼソースは目にも鮮やかで、口に到着した途端、見た目に違わない鮮烈な風味が体中を駆け抜ける。
「っふふふ」
「なんだよ、人の顔見て笑って……」
「んーん……おりくん元気そうだから、安心しただけ」
「…………」
慈愛に満ちた視線を向けられ、衣織はなんとも居た堪れない気持ちになってしまった。
自分にこんな表情を向けてくる相手からの連絡を二か月以上無視していたと思うと、良心がギチギチと音を立てて痛む。
「……予後は順調?」
「……ああ、一応な。顔以外で深刻なものはなかったし、リハビリも終わったし」
「んー、それもだけど……こっちの話」
そう言って、ローザは細い指で自分の胸をとんとんと叩いて見せる。
言わんとするところを察した衣織は、ゆるりと口角を上げて笑顔を作って見せた。
「……なんだそれ。別に何とも――」
「俺相手に誤魔化したって仕方ないんでしょ?」
食い気味に問いかけられてしまい、衣織の頬が引き攣る。
当のローザは相変わらず優しい微笑みを湛えていて――
「……本当に、貴方って人は」
「んひひ」
――作り笑いが馬鹿らしくなって、衣織は深く溜息を吐いたのだった。
「橄欖坂の様子はどうだ」
時刻は昼の一時過ぎ。
カフェテリアで昼食を取っていた柘榴のもとに、柴田から『十三時になったら応接室に来て』と連絡が入ったのは、つい一時間前のことだ。
何故、外部者向けの応接室……? という疑問を抱きつつ指定された応接室に向かえば、そこにはつい先程まで何らかの会議をしていたらしい尾崎と、プロジェクターの片付けをしている柴田の姿があった。
聞けば、会議の合間に話がしたいと社長が呼び出させたとのことだった。
「よ、様子、ですか……?」
「ここ半月ほど彼と接触していることは、こちらも把握している」
「え、あっ……」
書類に目を通しながら告げる社長の言葉におろおろしてしていれば、柴田が苦笑いしながら助け舟を出した。
「ローザにな、何かあったら伝えるように言ってあるんだよ。長らく音沙汰なしだったけど……ここに来て、いい報せが入ったからな。当事者に話を聞こうと思って」
「あ……そうだったんですか……えっと……」
ここ数日の衣織の様子を思い返す。
最初こそあんな風に強く当たられたものの、今は――
「……お茶を、奢ってもらいました……」
「…………」
「あと、買ってきたパンを一緒に食べたりとか……していて……」
柘榴がぽそぽそと呟けば、尾崎と柴田が顔を見合わせる。
そのリアクションと沈黙に首を傾げる柘榴だったが、そういった個人的な内容を問われているわけではないと思い至り、かぁっと顔を赤く染めた。
「あ、あっ、すみません! その、そういうのじゃないですよね……!? え、えっと……!」
「……いや、構わない。有益な情報だ」
「うん……あの衣織がなあ……」
物珍しそうな顔で呟く柴田をよそに、尾崎は手元の資料をテーブルに置き、柘榴としっかり目を合わせて向き直った。
「君たちの関係性については、多少理解した。今後とも橄欖坂と交流を続けてほしい」
「は、はい、分かりました……?」
「話は以上だ。昼時に呼び出してすまなかった」
そう言って、社長は再び資料に目を通し始める。
柘榴は軽く礼をしてから、応接室をあとにしようとして――
「……熱心なのは結構だが、休息はしっかり取るように」
――呆れたような声で釘を刺され、大きな背中をぴゃっと縮こまらせたのだった。




