004-02. 常初花は夜を超えて
カフェスペースでローザのおねだりを受けた、三十分後。
柘榴はローザの指示のもと、社員寮近くの中庭スペースで機材の準備をしていた。
「お待たせ~!」
レフ板用の三脚を組み立てている柘榴の背後から、明るい声が響く。
撮影用衣装に着替えるため、一度自室に戻ったローザが戻ってきたようだ。
「おかえりなさい、ろざさ……」
手を休めて振り返った柘榴は、目に飛び込んできた光景に思わず声を失う。
そこには、品のいいスマートカジュアルを纏った美しい男性の姿があった。
「ふふ、ちゃんと機材借りられたんだね~。よくできました!」
馴染みのある笑顔で微笑まれ、柘榴ははっと我に返る。
先程までのふわふわとした姿とはだいぶ異なるが、目の前に現れたのは間違いなくローザだ。
清潔感のある白いスタンドカラーのシャツにネイビーのメンズ向けセットアップを合わせ、ちらりと見える足首の先はドレッシーなビットローファーでアクセント。
普段はふわりと風に踊らせているショートボブの髪はハーフアップで纏め上げられ、スマートな印象を演出している。
服装が違うだけのはずなのに、何故だか急に背が伸びたような……柘榴にそんな錯覚すら抱かせるほどに、今のローザは普段と別人のようなオーラを放っていた。
「ろ、ろざさん……すごいかっこいい……」
「ん? えへへ、ありがとう~」
いつも通りのくすぐったそうな照れ笑いにも、僅かな凛々しさが漂う。
……このギャップにやられる人も相当多いのだろう。
「今日はまずこれを撮って、一旦着替えて一着、その後に屋内で二着……撮影自体は昼過ぎには終わるかなあ」
「よ、四着も撮るんですか……」
「うん、もう店頭に夏物が並びきってるからね~。お客さんがお店で手に取れるくらいの時期になってから、もう一回今年の新作を数種類、SNSで宣伝してるんだ」
今は五月初旬――春夏物の新作が冬から出回っていることを考えると、広告を打つにはだいぶ遅い時期だ。
「おしゃれに敏感な人は春までに準備が終わってるかもしれないけど、そうじゃない人たちはちょっと暑くなり始めてから夏物買い足したりするだろうし……そういう時、俺が作ったものも選択肢に入れてもらえれば嬉しいなって。ほら、SNSってさ、いろんな人がさらっと見るでしょ?」
「確かに……」
「まあ、ここで宣伝打ったところで、新作発表の時ほど効果あるわけじゃないんだけどね!」
コスパ悪いから、お仕事としてはできないんだ~。
そう言いながら、ローザは大きなレンズを装着したカメラを柘榴に手渡す。
「……よし、んじゃあ始めよっか!」
「あっ、は、はい! よろしくお願いします!」
「ふふっ、綺麗に撮ってね?」
いつもよりもきりっとしたローザの微笑みを合図に、撮影はスタートした。
撮影作業は順調に進んだ。
……決して柘榴にカメラマンの才能があったわけではなく、ローザの用意が周到だったおかげである。
機材のレンタル申請や撮影場所の確保から始まり、自分自身のスタイリング、ライティングや構図を記載した指示書まで……その全てをプロデュースし、滞りなく進めるための準備をローザ一人で手がけているのだ。
その細やかさとクオリティは個人製作の域を超えていると言っても過言ではなく、確かにこれで採算が取れないとなれば、コスパという面では褒められたものではないのだろう。
「よし! んじゃあ、この服で撮ったら終わりね!」
柘榴の隣で気合を入れるローザは、撮影開始時のスマートな姿とは打って変わって愛らしい格好に変身していた。
ハイウエストの真っ白なワンピースにベージュのパンプスを組み合わせ、腰まで届きそうな緩いウェーブの長髪――もちろん、地毛ではなくウィッグだが――には、ワンピースと同じく真っ白な造花のアクセサリー。
ふわふわとして可憐なその姿の影響か、ハイヒールを履いている分だけ身長は高くなっているにも関わらず、先程よりもずっと小柄で華奢に見える。
ローザと少なからず面識のある柘榴ですら、ぱっと見は幼気な少女と認識してしまうほどだ。
「それじゃあ、資料の通りによろしく~!」
「あっ、はい! 行きます!」
撮影開始の合図と共に、撮影セットの中でワンピースの裾がふわりと舞う。
木製のスツールや観葉植物が配置されたボタニカルな空間は、今のローザが纏う無垢な雰囲気とこれ以上なく調和している。
ブラインドから差し込む自然光と戯れる姿は芸術作品のようで、気を抜いたらぼうっと見惚れてしまいそうだ。
そんな妖精の姿に魅入られないよう、柘榴は気を引き締めてシャッターを切る。
人生初のカメラマン体験ではあるが、本日四度目ともなればだいぶ板についてきた――などということはなく。
これがなかなかに難しい。
ローザが指定した角度や構図に従ってカメラを構え、ブレないようにシャッターを切る。
数枚撮ってはローザが直々に確認し、照明の位置を調整しては再度数枚撮り……という工程を繰り返しているので、手慣れた人間による撮影と比べて倍以上の時間がかかっているだろう。
余談だが、普段はこうしてローザが細かく指定することはなく、ライティングや構図等、カメラ周りのことは全てニゲラにおまかせなのだという。
……シャッターを切るだけでてんてこ舞いな柘榴からすれば、もはや尊敬の対象である。
「……よし、どんなもんかな?」
数度目のライティング調整と撮影の後、ローザが柘榴の隣にやってくる。
そして、柘榴が持つカメラのモニターに映る画像を覗き込んだ後、ふわりと笑顔を浮かべた。
「うん、大丈夫そう!」
「ほ、本当ですか……?」
「うんうん! ちょっと明るさとか弄る必要はあるけど、影の入り方とか写し方は完璧!」
ありがとう~! と笑うローザの顔には安堵だけでなく、ほんの少しの疲労の色が浮かんでいる。
普段は担当しない場所まで一手に担った分、負担が大きかったのだろう。
「さて……後はこれをちょっと加工して、柴ちゃんに掲載許可取って……うん! 予定通り、夕方までには終わりそう!」
言いながら、ローザは慣れた手つきでノートパソコンを取り出し、カメラから画像を転送し始める。
「あ、あの……ろざさん」
「んー?」
「その、こういう言い方をすると……失礼になるかも、しれないんですけど……」
僅かに覗いた疲労を押し込み、ハイヒールを脱ぐ間も惜しんでてきぱきと手を動かすローザの様子に、柘榴はずっと抱えていた疑問をおずおずと口にした。
「どうして、そこまでするんでしょうか……?」
「ん……撮影のこと?」
「あ、あの……はい……すみません……」
「っふふふ、いいよお。俺もざくくんの立場ならそう思ってるだろうし」
柘榴の委縮しきった様子がおかしかったのだろう。
ローザは眉尻を下げてへにゃっと笑うと、ノートパソコンのタッチパッドから指を離してぐーっと伸びをする。
「なんでだろうなあ……強いて言うなら、自信が欲しいのかも」
「自信、ですか……?」
思わぬ答えに、柘榴は目をぱちくりさせてしまう。
自信が欲しい――その願いは、普段の天真爛漫で猪突猛進なローザとは無縁なもののように思える。
「ふふっ、意外そう~」
「えっ、いや、その……ごめんなさい……」
「んーん、むしろ安心した。ちゃんと自信があるように見えてるんだな~って」
ローザは瞼を伏せて微笑むと、パソコンのふちをそっと指先でなぞりながら続ける。
「『自分の武器くらいは、胸張って誇れるように磨いておかないと』」
「……?」
「なーんて……これ、おりくんの受け売りなんだけどね。ごもっともだなって思って、手抜きしそうな時に思い出してるの」
あの子もストイックだからね~、とローザが笑う。
その笑顔は、決していつもの天真爛漫なものではなかった。
柘榴がアイドルになってから向けられ続けている、同業者の突き刺さるような視線。
言葉にされなくても理解できる、妬み、嫉み、僻み。
それらを向けられていたのは、新たにやってきた柘榴だけではない。
あの日、圧倒的なダンスを披露したニゲラも、こうして華やかな輝きを放つローザも、どす黒くてドロドロとしたものを常に向けられていた。
きっとそれは、選ばれたことによって求められる対価なのだろう。
踏み出すことすらやめてしまいたくなる暗闇の中、それでも輝きたいと願うなら……自分たちは、纏わりつくものを恐れず、歩み続けなければならない。
だからこそ、自分たちには支えが必要なのだ。
粘ついた暗闇を払いのけ、進むべき道を照らす――自分の手で培った、胸を張って誇れる武器が。
柘榴はそっと視線を伏せる。
……自分の武器。誇れるもの。
そんなものが、自分にはあるのだろうか。
「……よーし!」
俯いて黙りこくった柘榴の胸中を悟ったのか、ローザが先程までよりワントーン高い声を上げる。
「さくっと済ませて、夕飯の場所決めちゃおう!」
終わったら食べたいもの聞くから、ちゃんと決めておいてね!
明るい笑顔でそう宣言すると、ローザは白い指をキーボードの上に走らせた。




