000. Prologue
僅かな電灯に照らされた、天井の低いバックステージ。
立ち並んだ機材と暗幕の向こう側――先刻までざわめきが支配していたその場所は今や、統率のとられた掛け声に満たされている。
「始まる、ね……」
反響する声を聞きながら、鈴鹿柘榴は呟いた。
その声が呼ぶのは、彼らを表す名前。
今宵、この会場には――アイドルユニット『ToP』を愛する観客五万人が集い、主役の登場を待ち望みにしていた。
「……慣れないな、やっぱり」
柘榴の隣に立つ青年――衣織が、困ったように苦笑する。
相変わらずの緊張しいに、柘榴は思わず頬を緩めた。
「えへへ、そうかも」
眉尻を下げた微笑みを返しながら、柘榴はそっと衣織の手を取る。
そして、薄い手のひらに人差し指を乗せ、長い線と短い線を交互に三回ずつ描いていく。
「……はい、描けた」
「ああ、交代だ」
そっと手を離せば、今度は衣織がこちらの手を取り、同じように三回。
そうしてお互いにいつも通りの行為を施して、二人揃って手のひらを口に運ぶ。
「……よし」
顔を見合わせ、どちらからともなく頷く。
このルーティンも、もう手慣れたものだ。
「……なーにイチャついてんすか」
「っひょわ!?」
……しかし、そんな穏やかな空間は、背後から放たれた呆れ声によって終わりを迎えた。
恐る恐る振り返れば、声に違わず呆れを全面に出した表情の、派手な銀髪をした青年が仁王立ちしている。
「毎度毎度、ど真ん中で二人だけの空間作るのやめてもらっていいっすか? 見てるこっちが恥ずかしい」
「っふふふ、本番前の風物詩だねぇ」
なおも小言を続ける青年の背後から、今度は人懐っこそうな微笑みの小柄な青年がひょっこりと顔を出した。
ふわふわの茶髪を揺らしながら小首を傾げる様子は、猫のように愛らしい。
「それはそうと、もうみんな準備できてるよぉ」
「あっ、ごめんなさい……お待たせしてしまって……」
柘榴はぺこりと頭を下げて、やってきた彼らの奥に視線を移す。
そこには――会場内のBGMに合わせてステップを踏みながらはしゃぐ、残り四人のメンバーの姿があった。
「それじゃあ、行くか。柘榴」
ゆっくりと息を吐き切った衣織が、再度こちらに手を差し伸べる。
そこに先ほどまでの緊張の色は既になく、これから起こることへの期待と興奮が頬を染めていた。
「……うん!」
差し伸べられた手を取り、リハーサルで何度も確認した立ち位置――リフターの上へ。
オープニングムービーのBGMと歓声が地面を揺らし、会場内の全てが最高潮を迎えた瞬間――彼らは、熱気に満ちた光の世界へと飛び出した。
これは、綻ぶ蕾の物語。
風に乗った小さな花弁が、寄り添い、触れ合い――世界を彩る、無限の色になるまでの物語。