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07.『カナメリア』邂逅ⅱ―ミャオ族―

 ふたりが部屋を出ると、モルガンドは振り返り、扉に杖をあてた。「終焉を」と唱える。すると扉は瞬く間に姿を消して、漆喰の壁だけが残った。

「扉が、消えた……!」

 ライアスが呆然としていると「ただの空間魔法だ」とモルガンドは事も無げに言う。

「先の部屋は私が魔法で創り出したものだ。アリアロントも同じ魔法で創世された。規模は全く違うがな」

「はあ……」あまりの不可思議に、ライアスはただただ驚嘆の息をついた。

「なにをぼおっとしている。行くぞ」

 モルガンドは外階段を下っていく。ライアスはその後ろに続いた。

「ちなみに、この階段も魔法で造った」

「ええ⁉ まじか……!」

 ライアスが驚くと、モルガンドはクスクスと笑った。頬にはえくぼを浮かばせて、女のような顔で。

「嘘だよ」

 笑いながら言うモルガンドを睨みつけ、ライアスは顔を赤らめた。「くだらねえ」とモルガンドを追い抜き、階段を踏みつけて下っていった。


 石畳の小奇麗な狭い路地を抜けて、通りに出ると人の数は多くなる。すれ違う女性たちはそれが決まりごとであるかのように一様に目を見開き、紅く頬を染めて、モルガンドを見つめた。彼女たちが証明するように、彼には確かな美貌がある。

 そんな熱い視線をモルガンドは気にも留めていなかった。平然とした顔で道を歩く。

「なあ。シュバルツ・クレーがこの国に呪いをかけたなら、やつはこっちの世界にいるってことだよな。その……アリアロントだっけか? じゃなくてこっちに……」

「どうだろうな……」

 女のような横顔が答える。

「じゃなきゃ困る」

「そうか」

 それ以上モルガンドは喋らない。話すつもりもないのだろう。

 モルガンドは十字路で右に曲がった。少し歩くと、これまでよりもさらに大きな通路に出た。街路樹が等間隔に並んでいる。通路の先には、細長く、高くそびえる塔があった。あれがエーテル展望塔なのだろう。駅で見た時計台よりもずっと高い。

「他の魔法族もこっちの世界にいるってことだよな?」

 ライアスは尋ねる。

「いる」

 即答だった。

「けれど数は極めて少ないだろうな。アリアロントとこっちの世界は魔法族なら誰でも行き来できる。しかし、なにか特別な目的がない限り、わざわざこっちの世界へ渡る魔法族はいない」

「てことは、あんたにはなにか特別な目的があるってこと?」

「どうだろうね。あったとしても、君には言えない」

「あっそ。俺だって興味ねえよ」

 モルガンドの素っ気ない回答に対抗するように、ぶっきらぼうに応じてみせた。

「小人族は? アリアロントにいんの? だとしたら、こっちの世界にも来てたりもするか?」

 ライアスはバーニャの占いのことを思い出していた。小人族の持つ首飾りを欲すること。それが命運を左右する。あてにならない老婆の占いだけど、もし小人族が生きているならば、もしかするのかもしれない。

「興味ないわりには質問が多いな」

「別に。思っただけだよ。あんたが答えても、答えなくてもどうでもいい。本当にどうでもいい」

 へえ。とモルガンドは小さく笑った。そのからかうような笑みが、うざったかった。

「小人族は絶滅したよ……」

 モルガンドの声は小さかった。歩く速度が、そんな気がする程度に遅くなった。

 やはり、バーニャの占いは適当だったのだろう。ライアスは老婆の占いを頭の奥深くに放り投げることにした。

「以前までは小人族もアリアロントで暮らしていた。しかし、そこで小人族は滅んだ。いや、滅ばされた」

「滅ばされた?」

「そう。とある史上最悪の魔法使いによってね」

 ライアスの頭の中に、ひとつの名前が思い浮かんだ。

「シュバルツ・クレー……!」

 モルガンドは立ち止まった。凛とした佇まいで、目で、ライアスを見つめる。その黒い瞳の奥にある感情は読み取れなかった。

「先に約束したことを覚えてるね。ライアス。君と私が会ったことは他言無用だ。当然、会話した内容も全て」

「分かったよ」

「ならば話はこれで終わりだ。着いたぞ」

 気付けば大広場に着いていた。広場のちょうど中心に展望塔があった。遠くからは建物の頂上部分だけを見ていたので細長く見えたけれど、近づくと根本部分はどっしりと幅があった。円形の広場の周りには多様な店が並んでいた。その店のいくつかにはテラス席が用意されていて、昼時というのもあってか、多くの人達がそこで食事をとっていた。

「この広場を右回りに歩いていくと、『ヨジョヌ』という名の宝石店がある。そこが例の店だ」

 いいかい? とモルガンドは綺麗な瞳でライアスを注視した。長い睫毛が際立つ。

「ライアス。君はこの街で魔法使いには会っていない。そうだね?」

「ああ」とライアスが肯くのを確認して、モルガンドは広場の奥へと進み、人混みの中に紛れて消えた。


 モルガンドに言われたとおりに、ライアスは右回りに大広場を歩く。広場は活気と喧噪で溢れながらも、気品を捨てない上品さがあった。広場を取り囲む店頭の飾りつけは全ての店で結託しているかのような統一感がある。淡色系統の美しい花々。月光のように煌びやかに光る鉱石。それらが主張しすぎない程度に飾られていた。広場にいる人々は誰もかれも余裕に満ちていて、みすぼらしい恰好をしている者は誰もいなかった。ライアスを除けば。

 少し歩いた先に、『ヨジョヌ』があった。宝石店として相応しく、他のどの店よりも明るく輝く鉱石が扉周りに飾りつけられていた。扉には掛け札がかけられていて「閉店中」と書かれていた。

 扉を数回叩いてみる。中に誰かいるかもしれないと思った。しかし、応答はなにも無かった。

「まじかよ……」

 ライアスは閉店の文字を見つめ、愕然として、その場に座りこんだ。頼みの綱にしていたミャオ族に会うことは叶わない。モルガンドに文句のひとつも言ってやりたいが、どこかへ消えてしまった。こんなところで足踏みをしている間にも、レイニーはさらに遠く離れてしまうかもしれない。最悪の場合、その身に悲劇が起きていたっておかしくもない。不安と焦りだけが募っていく。

「そこは本日休業日ですよ。めずらしく」

 隣店のテラス席から声が聞こえた。声の主を見ると、ライアスは目を丸くせずにいられなかった。

 ミャオ族がいた。

 立ち上がり、ミャオ族のもとへと走り、白木のテーブル席を叩いた。

「おまえ! 働け!」

「え? え……!?」

 ミャオ族は疑問符をそのまま張り付けたみたいな顔で目をぱちくりとさせた。

 間近にミャオ族を見るのは初めてだった。背格好は十歳くらいの子供ようで、全身は薄茶色の細い毛で覆われている。顔つきはまんま猫だった。口の周りだけ白い毛で、その他は茶色い毛なのが特徴的だった。頭の上で耳を畳んでいる。

「よりによって今日を休業日なんかにしやがって! 俺がどれだけ困ったと思ってるんだ!」

 ライアスは『ヨジョヌ』の店を指さした。薄紅色の花と白い鉱石で飾られた洒落た店頭を。

「ちょっと待ってください! あなた、勘違いしているようです。私はあそこの店の店主ではありません。私は通りすがりの旅商人のヨルス・エイでございますよ」

「あ?」ライアスは特に悪びれもしなかった。「違うんだ?」と首を傾げる。

「はい。全く違います。かの商売の天才。シン・クオンと一緒にされるのは誠に恐れ多いことです」

 ヨルス・エイはにこやかに笑い「ところで」と意気揚々に語り出した。

「あなた。宝石にただならぬ興味がおありのようですね。宝石なら私も珍しいものを持っていますよ。ここで出会ったのもなにかの縁です。特別に安く売って差し上げましょうか?」

「いや。宝石には興味ねえ」

「じゃあ、なにしに来たんですか。あなた」

 ヨルス・エイはミャアと鳴いて息を吐き出した。溜め息なのだろう。

「やはり商売というのはままならないものです……」

 ヨルス・エイは悲しそうにぼやき、視線を落とした。テーブルの上には食べかけのラム肉がある。

「いいえ。ヨルス。こんなことでめげてはいけません。あなたはいずれ、父のような立派な商人になるのですから」

 そう言うと、短い指で器用にナイフを使い、ラム肉を切り分けて口に運んだ。ひとくちが病人のように小さい。

「ミャオ族は目が良いっていうのは本当なのか?」

 ヨルス・エイの鼻から横に伸びる白い髭がピクリと動く。

「本当ですとも!」

 顔が上がり、キラキラと輝かせた目を覗かせる。

「いいですか? ミャオ族は世界中の全種族の中で最も視力が良いと言われております。そしてそして! 私の視力はミャオ族の中でも一番だと自負しております。この目は海の果てしなく向こうまで、空の遥か高みまで見通せるのです! 例えば! 神秘の海域に浮かぶ月島の姿も! 天上の鳥が空高く舞い上がったあとにどこに向かって飛んで行くのかも! 私には全てお見通しなのですよ!」

 ヨルス・エイの鼻息は荒くなる。「よければその話をしても?」

「いや。それは別に興味ない」

 ヨルス・エイはなにか猫のくしゃみのような言葉を発した。ミャオ族の言語なのだろう。語感からして、ひどく悔しがっているのは伝わる。ンミャアと鳴いてから「これは失礼」と咳払いをした。ラム肉の最後の一切れを頬張った。

「なあ、ヨルス。突然で悪いんだけど頼みごとがあるんだ」

 布巾で口元を拭くと、ヨルス・エイは首を傾げた。

「なんです?」

「おまえのその目で、俺の妹を探すのを手伝ってくれないか? 妹はこの街のどこかにきっといる……! 早く見つけ出さないと、酷い目に会うかもしれないんだ!」

「いいですよ」

 まるでそれが本能であるかのように、一瞬の躊躇いもない承諾が返って来た。

「いいのか?」

「もちろんですとも。『人間に可愛がられろ』が我が家の家訓ですから。あなたの頼み事も喜んで受けましょう。しかしまた『ただ働きはするな』も家の家訓なのです。私はこれでも商人の端くれなのですよ。ここはひとつ、取引をしませんか?」

「金なら、少しある……」

 ライアスはズボンのポケットに手を突っ込み、硬貨の入った袋を握った。

「お金ではありませんよ」とヨルス・エイは優しく笑う。

「私は商人ですし、ただ働きはしないと誓っていますが、うら若き青年からお金を貪るほど守銭奴ではありません。私が欲しいのは……。ほら。これです……」

 顎をくいと上げて、なにかをおねだりするような目でライアスの顔を覗いてくる。

 ライアスがわけも分からずに、ただ眺めていると「ほら、なにをしているのです」とヨルス・エイはテーブルに肘をついて、自分の顎をさらに前に突き出した。

「分からないですか? 言わせないでくださいよ。撫でて欲しいのです。ここの顎の下のところを」

 ライアスはおそるおそる手を伸ばして、ヨルス・エイの顎に触れた。すると、ヨルス・エイはさぞ気持ちよさげに鼻から息を抜いた。

「はあ……。いいですねえ……。旅ばかりをしていると、なかなかこれをしてくれる相手がいなくてね。申し訳ないですが、しばらくお願いします」

 ミャオ族の毛は綿よりも柔らかく、水面に浮かぶ波のようにしなやかだった。汚れはなく清潔で、毎日丁寧に手入れされているのが分かる。ヨルス・エイは顔の全部の筋肉がとろけきったような、脱力した顔をしている。不覚にも、顔はまんま猫だから可愛らしい。

「本当にこんなんでいいのか?」

 ライアスが訊くと「こんなんとはなんですか」と力みの無い声が応じる。

「あなた、かなりお上手ですよ。自分の腕をもっと誇るべきです。これは間違いなく労働に見合う価値がありますよ……。ああ。いいですねえ……」

 これで満足してくれるならばと、その肌触りのいい顎を撫で続ける。

「ところで、どうして妹さんは迷子なのですか?」

「いろいろあったんだ……」

 ライアスは目を伏せる。

「不躾な質問をしてしまったようで……。申し訳ない。深い事情があるようですね」

 もう十分です。とヨルス・エイは立ち上がった。

「名前を聞いてもいいですが。あなたと。あなたの妹の……」

「俺はライアス・エーデルワイス。妹はレイニー」

「いい名ですね。とても」

 とヨルス・エイは穏やかに囁いた。

「それではライアス氏。行きましょうか。妹を見つけましょう」

 ヨルス・エイは自分の背丈ほどある大きなバックを担ぎ上げた。そして、大広場の中心にある展望塔の一番てっぺんを指さした。

「この展望塔の頂上はこの街で一番高い場所です。あの場所からなら、この街全体を見渡すことができますよ」

 そうして二人は真っ直ぐに展望塔へと向かった。

 塔の入り口に扉は無かった。突き抜けになっていて、反対側の入り口から向こうの広場の景色が見えた。塔の中へ入ると、石造りの階段が、ずっと高くまで螺旋状に続いていた。

「これは食後の体には堪えそうです」

 そう言いながらも、ヨルス・エイは躊躇なく一段目に足を踏み出して、その後も軽快な足取りで上がっていく。大きなバックを背負っていることを全く感じさせない。その後ろを追うようにして、ライアスも階段を上る。

「ライアス氏は、この街の人では無さそうですね。故郷はどちらですか?」

 上下に揺れる大きなバックに隠れた背中が語りかけた。

「ヒノン高原だ」

「へえ……! チャコレナの近くの……! 立派な農場がいくつもあると聞いております。では妹に再開したら、そこへ帰るのですか?」

「あそこにもう……俺たちの帰る場所はない」

「ああ……! 私という男はまた不躾な質問を! お許しください!」

 ヨルス・エイは足を止めて、自分を責め立てるようにくしゃくしゃと耳を揉んだ。

「気にすることないって」

 立ち止まるヨルス・エイをライアスは追い抜いた。

「あそこは糞ったれな場所だった。後悔なんて微塵もない」

 ヨルス・エイが前方を見上げると、どこまでも続く階段を上り、前に進み続けるライアスの後ろ姿が見える。不幸を背負い続けて、なおも倒れない不屈の背中が。

「あなたの背中からは揺るぎない意志を感じます。まるで樹齢幾千の大木を見ているかのようです」

「そっか」

 ライアスは素っ気なく答えた。自分にある揺るぎない意志とは世界への憎しみで造られている。それは褒められるべきものではないと知っていた。

「ときにライアス氏」

 ヨルス・エイはライアスの腕首に身につけたブレスレットを物珍しそうに見つめた。

「私はそのブレスレットが先ほどからずっと気になっているのです」

「ああ。これね……」

 ライアスは胸の前に腕を掲げ、ブレスレットを眺めた。カーラの顔が真っ先に浮かんだ。子犬のように笑う、占い師バーニャの娘。

「預かりものだよ。俺のじゃない」

「とても希少な石が使われているようです。透明な結晶で、中には淡い水色の霜模様。星の涙の特徴ですね」

「星の涙?」

「はい。空から降ってきたという伝説があり、そう呼ばれています。噂では、それには意思があり、占い師のもとに自らを運ぶ力があるのだとか」

「俺は占い師じゃない」

「ただの噂ですよ」

 ヨルス・エイは目線を上げて、ライアスの顔を覗く。

「もしかしたら今まさに、占い師のもとへとあなたが運んでいる最中なのやもしれません。なんなら私が譲り受けたっていい……! それもまた、星の涙の意思なのかも!」

「馬鹿言うな」

「そうですよね……」

 ヨルス・エイはしゅんとして肩を落とした。

「言ったろ。これは預かりものだ。いつか返しにいかないといけないんだよ。レイニーを連れて」

「なんだ……」

 ヨルス・エイのほっと息を吐くような声。

「あるじゃないですか。あなたにも帰るべき場所が」

 ヨルス・エイはにっこりと笑った。

「ヨルスはどうして商人をしているんだ?」

 ほんの少しの興味本位のつもりだった。しかし、ヨルス・エイは「よくぞ聞いてくれました!」と声を弾ませ、目を光らせた。

「私の家系は代々旅商を生業としていましてね。父も立派な商人だったのです。今はミャオ族の古里であるプソルという街に落ち着いていますが、昔は世界中を股にかけて商売をしていたそうです。そんな父からすれば、私はまだまだひよっこのようでして、氷漬けにされたドラゴンを見ただとか、しょっちゅう私に自慢してくるのですよ。どこで見たのかと訊くと、自分で探してみろと言うばかりでして――」

 その話は途切れることなくずっと続いた。ようやくと言えるだけの時間をかけて塔を上り切った時も、ヨルス・エイはまだ喋り続けていた。


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