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04.『チャコレナ』占い師のいた街ⅱ

 バーニャの家にあがると、ライアスはすぐに浴室に案内された。洗面台の縁に服を脱ぎ捨てて風呂に上がる。足を投げだしても有り余る大きなバスタブに湯が張っていた。体の汚れを落として風呂から出ると、脱いだ服が無くなっていた。カーラが洗濯をする為に持っていったようだ。代わりに替えの服が綺麗に畳まれて用意されていた。黒染めの羊毛の服。ライアスがいつも来ている薄い服に比べて、生地は分厚く肌さわりも柔らかい。

 浴室の扉を開けると、カーラと鉢合わせた。カーラの傍らで小さな女の子がべったり足にくっついている。

「あ、ちょうど良かった! 食事の用意が出来たから伝えにきたの」

 カーラは女の子の脇を抱えて持ち上げた。女の子はライアスの顔を好奇心に満ち満ちとした眼で見つめている。顔立ちはカーラに似ていて子犬のようだった。

「この子は私の可愛い可愛い妹なの。ほら。自己紹介して」

「リン・スタフォード!」

「ああ」ライアスがそれだけ言うと、リンは首を傾げた。

「リン・スタフォード!」

 もう一度名乗る。その無垢な眼差しに、ライアスは苦い顔をした。

「ライアス・エーデルワイス……」

 リンの顔がぱっと輝いた。綺麗な白い歯を見せてニカッと笑う。

「うむ! よろしくな。ライアス! 私はこのまえ六歳になった。思ったより大人だねとよく言われる。おまえも言え。キャンディが好きだ」

「まだ四歳だよね?」リンの耳元でカーラがささやく。

「もうすぐ五歳だ!」

 四歳の女の子の後ろからカーラは茶色い瞳を覗かせて、肩をすくめて微笑んで見せた。

「食事の用意が出来たそうだ。案内してやる。こっちだ!」

 リンは居間に向かって指さした。ライアスとカーラはリンの横顔を見つめる。なにもない時間が過ぎる。

「なにをしているカーラ。動け」

「あ。そういうことね」

 こっちよ。そう言って、カーラはリンを抱えたまま歩き出した。

 居間は料理の匂いに満ちていた。焼けた魚と肉の匂い。そして街の通りで漂っていたのと同じ、あの鼻をくすぐるパンの匂い。鼻から息を吸う度に、その香ばしさに唾液が溜まっていく。居間の中央の大きなテーブルに、手の置き場所もないくらい隙間なく料理が並べられている。「すげえ」とライアスはたまらずに感嘆の声を漏らした。

「さあ! 人生で最高に幸せなご飯の時間よ。好きなだけお食べなさい!」

 カーラの母、アンナベルが言うと、家族全員がテーブルを囲い食事を始めた。

「今日はいつにも増して豪華じゃな。わしの最後の晩餐に相応しいぞ!」

 バーニャは欠けた歯を見せて笑った。

「また占い?」

 カーラが料理を取り分けながら言う。

「そうじゃ。悲しきかな。ワシは明日死んでしまうようじゃ……」

「どうせまた外れるだろ」

 カーラの兄、カルーは言う。口を大きく開けて肉にかぶりついた。カルーが肉を噛み千切ると、肉の断面から肉汁が滴った。

「カルー。あなた。もう少し行儀よく食べられないの?」

 アンナベルが咎めると、カルーは不服そうな顔をして「リンよりましだ」と顎でリンを指した。

「そんなことないぞ! お兄の食べ方は汚い! おこちゃまだ!」

 そう言うリンの鼻先にはべっとりと赤いソースが付いている。

「おまえな。四歳の子と張り合うなんて恥ずかしいぞ……」

 カーラの父、ダリアスが呆れた声で言う。カーラが大袈裟にため息を吐いた。

「カルーはおこちゃまだから」

「なんだと?」

 カルーはテーブルを叩いた。皿同士がぶつかる音が鳴る。眉間に皺を寄せて文句を言おうとカルーが前のめりになったとき「今度こそ本当なんじゃ!」とバーニャの声が割って入った。

「今回は外れないんじゃ! 絶対に当たるんじゃ!」

「はいはい」とアンナベルは宥めるように言った。

「これだけ毎日のように言っていれば、そりゃあ、いつの日か当たるでしょうよ」

 家族の笑い声がテーブルを包んだ。バーニャだけが顔を赤くして、ごねる子供のように「今度こそ本当なんじゃあ!」と繰り返す。

 ライアスはその輪の中に入れずに、ただただ眺めていた。幸せな家族の形を、その輪郭がどこにあるのか確かめるように、一歩引いた場所から観察していた。

「ライアス。あんたもお食べなさい。遠慮していると、すぐに何もかも無くなっちゃうわよ」

 アンナベルは手招きをして、ライアスに座るように促した。

 これだけの量の食事が無くなることがあるだろうか。と疑念を抱いたが、確かにテーブルに並んだ料理は異常な速さで減っていく。

 ライアスが席に座ると、横に座っているカーラがパンをちぎってライアスに渡す。

「もちろん知ってるだろうけど、この街のパンは絶品なんだから」

 パンにはバターが塗られていて、艶やかに輝いている。一口かじった。確かに絶品だった。まるで綿を咀嚼しているかのように柔らかい。ライアスとレイニーがいつも食べていた形だけ体をなしていたものとは何もかもが違った。あれはパンでは無かったと言い切れるほどに。

「うまい!」

 ライアスが唸ると「でしょ!」とカーラは目を細めて笑う。

「この街のパンは世界一って評判なんだから!」

 カーラは誇らしげに胸を張った。

「これ……」

 カーラの父、ダリアスがテーブル中央の焼き魚に目を凝らした。眼鏡の縁を触る。

「ノーブルウィスパーじゃないか! 東北にある小さな湖でしか採れない珍しい魚だよ。どこで買ってきたんだい?」

「たまたま市場にミャオ族の商人が来ていたのよ。一度食べてみたかったのよねえ……!」

 アンナベルは丸焼きにされた魚の一部をナイフで切り取って、口に頬張った。

「プルプルしてる。独特の食感ね」

「へえ。どれどれ……」

 ダリアスも同様に食べる。それに釣られるようにライアスもその魚に手を伸ばした。感じたことなの無い食感がした。咀嚼して身が崩れていく度に旨味と混じり合った油が口の中に広がっていく。ライアスは夢中になってその他の料理も食べ漁った。テーブルに並ぶ料理は全てが初めて知る旨さで、ここにレイニーがいないことを悔やんだ。とたんに自分の現状に気づく。

 レイニーが見つかってもいないのに、贅沢に腹を満たしている場合だろうか。妹は夜の落とす闇に押し潰されて、腹を空かせているかもしれないのに。錆びついた鉄の塊のような何かに胸がつかえる思いがした。

「ライアス……。ねえ、ライアス。それはなに……?」

 心配そうに覗き混むカーラの瞳。なにが、と思った。直後に、一粒の雫が頬を伝う。それが涙なのだと自覚するのにしばらくの時間がかかった。

「分からない……。どうして……だろう……?」

 ライアスは酷く困惑していた。幸福感と不安と焦燥感と罪悪感と。全ての感情が混沌として頭をめぐった。

「無理に言葉にすることはないぞ。他人に説明できない感情を誰しもが持っているものじゃ」

 バーニャは料理を口に運びながら言った。

 バーニャの言うとおり、この感情を説明することはできなかった。けれどなにが誘因となったかは分かる。

「レイニー……」

 その名を呼ぶと痛みの伴った激情に胸が蝕まれる。

「レイニー? 誰のこと?」カーラが訊く。

「俺の妹だ」

 それは今どこにいるかも分からない妹の名。ただ唯一の家族。

 ライアスは食事の手を止めた。妹のレイニーについてのことを家族に語り始めた。


 ライアスはレイニー・エーデルワイスの全てを家族に話した。ただ一点、妹が呪われた子だということを除いて。呪われた子がどれだけ世間から嫌われているかということをライアスは強く理解していた。

「そうなのね。妹を探して旅に……」

 アンナベルは布巾で口元を拭いた。ボロボロと涙を流しながら。

「きっと……いいえ。絶対に見つかるわよ」

 力強く言ったアンナベルの厚い唇は小刻みに震えている。もともと涙もろい人なのだろう。

「でも……」

 カーナが言う。食べ終わった皿同士を重ねて、空いたスペースに肘を置いた。

「人探しをするにはこの国は広すぎるわ。砂漠に落っことした宝石を探し出すようなものよ。手掛かりはあるの?」

「鏡の湖だ」

 ライアスは答えた。レイニーが毎晩読んでいた冒険記に記されていた場所。レイニーは家を出るとき、そのページだけ丁寧に破り取っている。

「鏡の湖……?」

 カーラはそのまま繰り返した。首を斜めに傾けると、茶色の長い髪が揺れる。

「鏡の湖どこ?」

「わからん」

 リンが訊いてバーニャが答えた。ふたりは目を丸くして、お互いの顔を見つめ合った。

「鏡の湖か……。確かシュトリタットにあるよね?」

 カーラの父、ダリアスが言う。ライアスは肯いた。

「シュトリタットどこ?」

「わからん」

「バーニャ婆。わからんばかり。無知だ」

「つい最近聞いたような気もするんじゃがなあ……」

 リンとバーニャが首を傾けてばかりいると「シュトリタットはね」とダリアスが口を挟む。

「北西の国境沿いにある街だよ。ここからはとても遠い場所だね」

「へえ……! そんな遠い場所に」

 カーラは顔の前で両手を合わせた。瞼を持ち上げて、目をまん丸くする。

「きっと、とても美しい場所なのね」

 そのカーラの言葉に「それ以上だ」と付け足したのはカルー。カーラの兄だ。

「その光景は美しいという言葉ではとても形容できない」

 まるでそれを観てきたかのようにカルーは言う。どこかで聞いたことのあるような言葉だとライアスは思った。

「俯いて夜空が見えたのは初めての経験だった。水面は夜空をそのままの形で映し出し、星空の帳の中に私を閉じ込めた。この湖にいくつか名前はあるようだが、私はこう呼称しようと思う。鏡の湖」

 レイニーの言葉でそれは再生された。何度も読み聞かされた記憶がよぎる。ライアスが聞いていようがなかろうが、構わずに夢中で冒険記を読むレイニーの姿。稀にみる楽しそうな横顔。

 カルーはテーブルに手を叩き勢いよく立ち上がった。

「これはかの冒険家。グール・レイプトンの冒険記の一節だ! ライアス! おまえの妹はそれを読んでいたんだろう?」

 気持ちの昂りをまるまる袋に詰めてぎゅっと濃縮したようなカルーの視線がライアスを射貫く。

「探検家の名前までは知らなかったけど、たぶんそうだ」

「間違いないさ! あの場所を鏡の湖と呼称しているのはその書物だけだ!」

 カルーは上擦った声で「ちょっと待ってろ!」と勢いよく居間を飛び出した。慌ただしく足音が去ったかと思うと、カルーはすぐに書物を抱えて戻って来た。

「これだろ!」

 とカルー興奮した様子で小鼻を膨らませる。持ってきた書物の表紙には世界最高峰の山『リドルピーク』が描かれている。それは紛れもなく、レイニーが読んでいた冒険記と一緒のものだった。

「それだ!」

 ライアスが書物を指さすと、カルーはニッと笑う。笑った顔はカーラに少し似ている。

「まさかこの家の中でグール・レイプトンの話が一緒にできるなんて思わなかった! カーラとリンなんて微塵も興味を示さないからな……。嬉しいぞ……! 俺は嬉しい!」

 カルーは口角を上げながら、書物をパラパラとめくった。

「ねえ。勘違いしてるようだから言ってあげる。あなたがあまりにもしつこすぎるからうんざりしているだけなの。私は」

 カーラは目を細め、唇をすぼめた。

「私は全然興味ない。いつもお兄うるさいと思ってた」

 リンは悪びれずに言う。

「鏡の湖だけじゃないぞ!」

 カルーは興奮まじりに言った。カーラとリンの言葉は届いていないようで、すっかり書物に夢中になっている。

「白樹の森や緋色の砂丘。魔法族の跡地。氷造の里。それに雲海の窪地。この国だけでも、名前を聞いただけで、胸がざわついてしまうような場所はいくらでもあるんだ!」

 カルーの言った土地の名はどれもレイニーから聞いたことのあるものばかりだった。

 カルーは本を閉じて、咳払いをした。「実のところな……」と表情を改める。

「俺はおまえのことが少し羨ましく思ってしまうんだ。もちろんおまえの妹のことは悲しく思ってる。それでも理由はどうであれ、世界の広さをその足で知れるんだ」

 皮肉だな。とライアスは思った。世界は広いほど、妹を探すには都合が悪い。カルーの真っ直ぐな目を見る限り、悪気はないようだった。

「おまえって歳はいくつなんだ?」

「十六だけど」

「十六だと! 俺と同じじゃないか! だったら俺も……!」

 カルーは鼻息を荒くする。

「駄目ですよ」釘を刺すアンナベルのひと声。

「カルー。あなたはまだ子供なんだから」

「男の十六は大人だ!」

「駄目です」

 アンナベルは毅然とした態度を崩さない。カルーは苦い顔をした。ライアスに耳打ちする。

「なあ、ライアス。やっぱり男は若いうちに、一度は旅に出るべきだと思うよな。頭の固いあの母親にそう言ってやってくれないか?」

「どうしてだ?」

 純粋で、率直な疑問だった。ライアスは真っ直ぐにカルーを見つめる。青い瞳の色が際立った。

「ここには幸せな家庭がある。なのに、わざわざ家を出て一人になる必要なんかあるか?」

「ライアス……」

 カルーから音のない息が零れる。

「おまえにそれを言われちゃったらな……」

 カルーは頭をかき、もう一度息を吐いた。なにもない一点を見つめる。

 数秒の沈黙のあと「そうじゃ! 思い出した!」とバーニャは出し抜けに声を荒げた。

「三日前に出会ったあの娘。そうじゃあの娘じゃ……! 間違いない。あの娘はシュトリタットに行きたいと言うてたな……!」

 ライアスは勢いよく立ち上がった。バーニャを見る。

「レイニーだ!」

「因果。そして因縁じゃな」

 バーニャは無駄に格好つけて言う。

「近い魂の運命は自然と同じ道をたどるものじゃ。それが兄妹となれば、その力はさらに強固になる」

 バーニャはライアスを見上げて、に、と笑う。目尻に深い皺を寄せて欠けた歯を見せた。

「妹のことは心配せずともよい。金が無いと言うてたので、ワシの金を渡しておるでな。しばらくは寝食に困ることはなかろう」

 ライアスは息を撫で下ろし、静かに座り直した。

 レイニーが金を手に入れて、行動範囲が広がってしまったのは厄介なことだった。それでもレイニーが苦しむよりかは遥かによかった。なによりもレイニーの安否を知れたことがライアスを強く安堵させた。

「レイニー。やっぱりおまえは鏡の湖に向かってるんだな……!」

 ライアスはひとりごちる。その横顔に「よかったわね」とカーラは言った。

「とりあえずシュトリタットまで行けば、妹にも会えそうじゃない」

 いや。とライアスは首を振る。

「できればシュトリタットに着く前に会いたい。早く見つけられるに越したことはない」

「それもそうかもしれんけどな……」

 カルーは机に肘を乗っけて頬杖をついた。頬が押し潰れて、代わりに目尻が膨らんだ。

「ライアス。おまえもだいぶ過保護だな。うちの母さんといい勝負だぜ?」

「聞こえてますよ?」アンナベルが言うと「聞こえるようにいったんだよ」とカルーは応じた。

「そうなると……あとはどのルートでそこまで行くかよね。あなたの妹と同じ道順で行かないと途中で会えないわけだし……」

 カーラが話を戻した。うんうんと真面目に考えている。

 そんな中、ふっふっふ、とバーニャは笑った。

「わしは知っておるぞ。おまえさんの妹がどのようなルートを辿るのかをな」

「占いで分かるって言いたいの?」

「いや。あの娘が言ってたじゃ」

「なら間違いないわね」

「なんか心外じゃぞ」

 バーニャはたっぷり悔しそうに鼻から息をだした。

「でも行き先はわしが占ったじゃ。わしの占いの導きにより、娘は首都カナメリアを経由して目的の地を目指しておる」

「カナメリアだと!」

 ライアスは大きな声をあげて、立ち上がった。その声に、バーニャはビクッと震えた。

「なんじゃ! 忙しいやつじゃな」

 カナメリアは国の首都であり、そして、呪われた子に対する差別が最も強い場所でもある。レイニーが何も知らずにそんなところに向かったのならば、それはとても危険なことだった。

「バーニャ! なんでそんな占いをした!」

 ライアスはバーニャの肩を掴む。勢い余って、バーニャの頭が前後に揺れた。

「なぜって、ワシは占いの結果を伝えただけじゃ。逆に訊くが、なぜそんなに慌てておるのじゃ!」

「そうよ! ライアス……!」

 横からカーラの声。

「カナメリアはこの国の中心よ。ここから北西の街を目指すなら、そこを通るのは全くおかしなことじゃないわ」

「レイニーは駄目なんだ……!」

 ライアスはバーニャの肩から手を離した。

「どいうこと……?」

 カーラの栗色の瞳と目が合った。幸せな家庭に守られた純真な輝きがあった。直視するには眩しかった。その瞳に、ほんの少しだけでもいいから自分たちを理解して欲しいと、ライアスは思った。

「レイニーは……呪われた子なんだよ……」

 その言葉を放った瞬間、空気は一変した。歪で不快な何かがうようよと下から這いずり上がった。空間が淀んで重くなっていくのがはっきりと分かった。ライアスと彼ら家族を繋いでいた糸が切れる音がした。ライアスは後悔したが、全てが遅かった。

 皿が落ちて、割れる音がする。アンナベルの足元で、砕けた皿の残骸が散らかった。

「あ、ごめんなさい……!」

 アンナベルはかがんで、皿の破片を拾うが、その手を父のダリアスが止めた。

「今日はもう寝なよ。買い出しでたくさん歩き回って疲れているだろ? 僕が片付けるから」

「ええ。そうね。そうするわ……」

 アンナベルの声は細く、顔は青白くなっていた。

「ライアス」ダリアスは言った。ライアスとは目を合わせない。感情を押し殺した声で言う。

「君の寝床は二階に用意しておくよ。好きに使ってくれ」

 そう言うと、ダリアスはアンナベルに寄り添って部屋を出ていった。

「ライアス……。本当に呪われた子なの? あなたが探している妹は」

 カーラが真剣な眼差しで訊く。声には隠しきれていない棘がある。

「ああ」ライアスは頷いた。

 カーラは視線を逸らした。そして、なにか暗い塊を落とすみたいに「そう……」とつぶやいた。

「だったらそんな必死になって探そうとするなよな。どうせろくなやつじゃない」

 カルーが言う。声は厭味たらしくて、顔は辟易としている。ライアスの胸がざわめいた。拳を固く握りしめる。

「は? なんて言った?」

「呪われた子なんてほっとけと言ったんだ」

「なんだと!」

 ライアスが立ち上がると、カルーも応戦して立ち上がり、二人は睨み合った。

「これ以上俺の妹を悪く言うな。その顔に痣をつけたくないならな」

「脅しのつもりか? そんなのに屈するかよ。いくらでも言ってやる。相手が呪われた子ならな」

「脅し? そんなんで俺の気がすむわけねえだろ!」

 ライアスはカルーの襟を掴んだ。

「あ?」と怒るカルーの額に頭突きをくらわせた。音の響かない鐘を無理やり鳴らせたような、聞くに堪えない痛ましい音が散った。

 カルーは片膝をついて、額に両手を押し当てた。ただ痛みに悶絶とする。

「てめえ……!」

 見上げると、額を赤く染め、カルーを見下ろすライアスの姿。

「そうだよな……。呪われた子の兄だもんな。おまえ。とうとう本性をだしたってわけだ」

「本性? 隠してなんかねえよ。俺はずっとこういう人間だ。飯の恩があろうと関係ない。妹を罵ったやつは力尽くでも黙らせる。ずっと、昔からそうやって生きてきたんだよ。変わらねえんだ。俺も、俺らを見るおまえらのその目も……!」

 呪われた子に向けられるのは憎み、嫌い、疎み、嘲笑う目。それは呪われた子を擁護する者にも同様に向けられる。

「呪われた子が、この国に何をしたのか知ってんのかよ!」

「レイニーには全部関係ねえ!」

「関係あるだろ!」カルーは立ち上がる。「呪われた子は再び、災いを呼ぶ!」

 もうやめて! カーラの甲高い声が響いた。

「リンが怯えて泣いてるよ。だから、ふたりとも落ち着いて」

 リンはカーラの胸にうずくまっている。顔は見えない。カーラの服にしがみつく小さな手が震えていた。

「悪い」

 カルーは椅子に座りなおした。そのたった一言で全てを終わらせたかったのか、そのまま黙ってしまった。しかし、ライアスの激情は、たった束の間の沈黙では消えやしない。怒りは残り続ける。

「取り消せよ……! さっきの言葉……!」

「怒鳴って悪かったな……」

「そうじゃねえ! レイニーに謝れって言ってんだ!」

 カルーは押し黙った。それは無言の意思表示だった。決して謝らないという。

 ライアスはカルーの服の襟を再び掴んだ。また頭突きをくらわせてやろうとした。

「ライアス。その手を離して」

 カーラが諭すように語りかける。

「カーラ。俺はこいつを許すわけにはいかない。俺の妹の尊厳のためにだ」

「それでも、手を離してと言ってるの」

「分からねえだろ!」

 空気が震えて、ライアスの声は部屋で反響した。

「おまえたちはなにもわかっちゃいねえ! レイニーがどれほどの苦しみの中を生きているのか!」

「あなただって分かってない!」 

 カーラは声を荒げた。荒く息を吐き、肩を震わす。

「呪われた子のせいで、私たちに何があったのかなんて何も知らないくせに……!」

「だから……」

 妹は関係無い。そう言おうとして、カーラの淡い栗色の瞳を見たときに、ライアスは言葉に詰まった。純真だと思っていたその瞳の奥底に、暗闇が落ちていたのを見つけてしまったから。

「私たちの兄さんは呪われた子に殺されたのよ」

 茶色い瞳に涙を溜める。カーラの胸の中で、リンがわっと泣き出した。カルーは唇を嚙みしめる。

 困惑と動揺。それらを受け止め切れずに、ライアスは立ち尽くした。

 呪われた子は、この国に多くの傷跡を残している。忌み嫌われる理由がある。ライアスがいくら納得しなかろうとも、それが事実としてある。

「ついてこい」 

 ずっと静観していたバーニャがついに口を開いた。そしてライアスだけに目配せをする。

 バーニャはのそのそと立ち上がって部屋を出ると、そのまま家の外へと出て行った。

 湿った怒りを、じんわりと肌にまとわりつく漠然とした感情をその場に置き去りにして、ライアスはバーニャのあとを追いかけた。


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