勝てなかった話
「――生憎とお前を愛する事はない」
「あら、奇遇ですわね。わたくしも、そっくりそのままその言葉、お返しいたしますわ」
夫婦となったばかりの二人は、寝室でバチバチに険悪な視線を向けあったままそう告げた。
「ミルドーラの家の血が入った子など、冗談ではない」
「えぇ、ゴルドーン家の血筋の子など誰が生むものですか」
夫となった男は妻の家の名を。
妻となった女は夫の家の名を。
それぞれが口にして、口にするのもおぞましいとばかりに同時に顔を歪ませる。
寝室であるにも関わらず、さながら戦場のような雰囲気である。だがしかし、お互いがお互いに誰がお前と子など作るか、と言っているも同然なので、意見は困ったことに一致していた。
「……気分が悪い。私は自室で休ませてもらおう」
「そうですか。それではわたくしも自分の部屋で休ませてもらいますね」
今にもお互いがお互いに相手を殺せそうな鋭い視線のまま、部屋を出る。
それを見てぎょっとしたのは、部屋の外でそっと控えていた使用人たちだ。
此度の結婚、お互いの家から白い結婚にだけはしてくれるな、と言われているのである。
それ故に正直とても気は進まなかったが、それぞれの家から送られてきた使用人たちはきちんと二人が初夜を迎えるかどうかの確認をする必要があったのだが、寝室に二人が入ってから出てくるまでの時間は僅か五分にも満たない時間。どう考えても何もしていない。というか二人とも夜着であったが一切乱れていない。
誰が見ても何もありませんでしたね、と言うのがハッキリしている。
それぞれの家から送られてきた使用人たちが何かを言おうとしたものの、それを制するかのように夫婦はお互いがお互いに余計なことを口に出したら殺す……!! とばかりの眼光で黙らせ、お互いに背を向けてそれぞれの私室へと戻って行ったのであった。
貴族として一般的な礼儀作法を学んだはずの二人は、部屋に戻るなりバターン!! とドアを全力で叩きつけるかのように閉めた。
こいつとは絶対分かり合わないと言わんばかりの空気が屋敷の端と端で起きたのである。
これに困り果てた使用人たちであったが、流石にここからそれぞれが相手の部屋に乗り込んでちゃんと子作りしてくださいよ、などと言えるはずもない。
そりゃあ、ちゃんとヤってるか確認しとけよ、と二人の親から言われていたとはいえ、使用人である立場上主人になっている夫婦に「交尾してください」とは物申せない。
何かの折にどこぞの茶会か夜会でうちの使用人が四六時中そういった話題を振りまいてくるんだ。どれだけ頭の中がそれで一杯なんだろうね、なんて皮肉混じりにでも言われたら。
さながら色狂いかのような認識を植え付けられたあとでこの屋敷を追い出されたら。
まともな職にはつけないだろう。
しかもこういった下世話な噂、貴族だけではなくそこで働いている下働きの者たちにも広まるし、そうなれば市井で噂になるのもアッという間だ。
男性であっても万年発情期なんてあだ名が陰で言われる分にはまだしも、酒の席などで毎回ネタにされれば周囲の女性はドン引き確定だろうし、仮に妻がいたとしてもその妻からも軽蔑の視線を向けられる可能性は高い。
男性ならまだしも、これで女性であったなら。
彼女、いつも頭の中はそういう事でいっぱいみたいよ、なんて陰でクスクス笑いものにされるのは間違いなくあるだろうし、男なら誰でもいいんでしょう? なんて言われることだってあり得るのだ。
ここで下手な事をして、職を失ったりしようものなら未来は間違いなく真っ暗。
だからこそ見届けろと言われていた使用人たちは困り果てながらも――
結局は、今日は無理だなという結論に至ってそれぞれの部屋へ戻る事にしたのであった。
今日がだめでも明日がある。
明日がだめならまたその次にでも。
二人の態度からして、先が長くなりそうだし、二人の仲を縮めるところから始めよう。
二人の仲を結ぶため、色々と頑張りましょうね、そんな感じでお互いを励ましあいながら。
ところが使用人たちの思惑を読み取ってでもいたのか、まず夫である男が早朝家を出た。
仕事がある、そう伝えてからの外出であったので使用人がこれを邪魔するわけにもいかない。
奥様の方から意識改革をするべく、こう、何か旦那様の素敵なエピソードとかないのか? なんて使用人同士でひそひそと話し合うも、いくら素敵なエピソードがあろうとも、何の脈絡もなしに話し始めれば不審しか招かない。
まずはタイミングを見計らって、こう、上手い具合に旦那様のちょっといいところをアピールしていこう。
困ったことに使用人たちにできることは、今はそれくらいであった。
あからさまに褒め称えても露骨すぎれば聞く耳など持たないだろう。だからこそ、不自然にならず自然にするっと出てくるように。慎重に機を窺うのだ。
ところが、妻は妻で家の仕事に手を付け始め、話しかける隙がない。
いや、こんな家の事などどうでもいいわとばかりに部屋にこもるだけこもって何もしないというのも後々の事を考えると困るのでそれはいいのだけれど。
食事の間くらいしか話ができそうな時間は無いのだが、家の主人に該当する奥方が食事中に使用人がベラベラと話をするとなれば、間違いなく不興を買う。結局そんな命知らずな真似ができるはずもなく。
使用人たちは息を潜め機会を窺うしかできなかったのである。
それはまるで、野生動物を前に危険かどうかを確認する狩人のように。
この日、妻が眠ったあとでようやく夫が帰宅したこともあって、この日も跡継ぎがどう、とかいう以前の話であった。
そんな生活が数日続き、それまでの間、二人の間に会話は一切なかった。むしろ生活の時間帯がかみ合わない。
それぞれの使用人が確認したところ、妻も夫もむしろ何の変化もない。だがしかし、二人の仲をどうにかせんとばかりに行動しようとしていた使用人たちはむしろげっそりしている。行動に移ろうにもそのタイミングを与えてくれず、脳内でひたすらぐるぐると考え込むだけでしかないのだが、その分精神的な疲労が凄い。これで二人がいずれ白い結婚を理由に離縁する、なんてことになれば。
二つの家はとても困ったことになりかねないので。
もしそうなった場合、自分たちの職はおろか、二つの家で働いている者たちだって危ういのだ。
使用人の中にはそちらの屋敷で働く身内もいる。そこもダメになったら家族が途方に暮れることになってしまう。そりゃあ、仕事なんて探せばいくらでもあるけれど、給金がきっちりしているところというのはそう多くない。下手なところで働けば、いざ給料日! といった日に雇用主が金を持ち逃げしてただ働きさせられた、なんて結果が待っている場合もあるのだ。雇う側の身元がハッキリしていて、給料を払わず夜逃げするような危うさもない。そりゃあ、働く先は選ばなければいくらでもあるけれど、そういった安心して労働の対価を得ることができると確定している職場は実のところそう多くはない。
だというのに。
その安心して働ける職場が危うい状況になりつつあるのだ。使用人たちの胸の内が暗澹としてしまうのも仕方のない事であった。
どうにか、どうにか二人の仲をちょっとでも良好な方へ傾けることができるような機会を……!
そう望みながらも中々その手の隙がない。やきもきしながらそれでも与えられた仕事をこなし――
その日は訪れてしまったのである。
妻が「ちょっと出かけてくるわ」と言って供もつけずにさっさと出ていってしまった。服装からして近くにちょっと出てくる、くらいのものだったので使用人たちはすぐに戻ってくるだろうと思っていたし、供がいないのは不安であったもののしかし強引に誰かをつけると言って彼女の機嫌を損ねたくもない。
それに、本当にちょっとした近所を軽く歩くくらいであったなら、供などいらぬという妻の言葉もわからなくもないのだ。
使用人たちとの対話を徹底的に拒むかのようだった女に、それでも無理についていく! と言えるだけの気概を持つ者はいなかったのである。
ところが。
いつまでたっても彼女は戻ってこなかった。
それどころか、いつもなら仕事に出てそろそろ帰ってくるはずの男も帰ってこなかった。
何か。
何か恐ろしい事件が起きてしまったのではないだろうか。
そう不安に駆られた使用人たちは街を探し回ったものの、どちらの姿も見つからず、また目撃情報もとんと無かった。街の警備を担う衛兵に話をするよりもまずは二人の両親へ連絡すべきだろう。そう思いつつも何か手掛かりはないかと思い、二人の私室へ足を踏み入れた使用人たちはそこで発見したのである。
机の上にドドンと置かれた手紙の数々を。
手紙、という言い方は少し異なる。
それは紹介状だった。この屋敷で働いていた使用人たちと、二人の実家で働いている使用人たちへの。
妻の部屋にも、夫の部屋にも同じように置かれた紹介状。そして――
『なるべく早めに行動に出ることをお勧めします』
という一文だけが記された紙。
二人が家を出て行ったのは、計画的であった。そう悟るには充分であった。二人の両親への報告をどうするだとかよりも、とにかくそれぞれが紹介状を手に行動を開始する。向こうの屋敷で働く仲間たちにもこれを渡さねばならない。これから何が起きるのかなんてわからないが、それでもとにかく急がなければならない。
何もかもを投げ捨てて出て行ったわけではなさそうだ。現に仕事はある程度片付けられている。だが、二人がいなくなった以上、ここに他の仕事が割り振られてもそれを片付ける人材はいない。
何が起ころうとしているかはわからないが、それでも残された時間は短いだろうと使用人たちは感じ取っていた。
ともあれ、紹介状の有無で今後の再就職への難易度は大幅に下がる。が、紹介状があるからといって余裕をかましているわけにもいかない。今すぐ行動に出るなら受け入れ先もまだあるだろうけれど、下手に年数が経過してから昔の紹介状を手に出向いたところで、その頃には人手は足りている、なんてこともあるのだから。
まるで何かの災害から逃れるような動物の如き素早さで、使用人たちは元勤めていた屋敷へ戻り使用人たちに紹介状を渡していく。屋敷にいた夫の両親や妻の両親には気付かれないよう密やかに。
そうして、紹介状を手にした使用人たちが一人、また一人と屋敷を抜けて出て行って。
使用人が誰もいなくなった頃、夫婦の両親のいた二つの家は、お互いの家の事業で行っていた不祥事やその他の悪事を告発されてお取り潰しとなったのであった。
更にその後、似たような出来事がいくつかの家で発生し――気付けば国は国として立ち行かなくなっていったのである。そう遠くないうちに周辺の国に取り込まれることだろう。
「――そもそも、土台無理な話なんですよ呪われた土地での政略結婚とか」
はん、と鼻で笑いながら言ったのは、妻であった女である。
「だよな。破綻するのわかってるのに何でやろうとしてるのか意味が分からない」
それな、と言いながら頷いたのはかつて夫であった男だ。
とある町の酒場。
そこに二人はいた。
ついでに他にも元貴族だった男女が店内にはいる。
「そりゃあ? 家同士の繋がりを強めようとか、お互いの利益の一致とか、そういうのがあるから政略結婚があるっていうのはわかるよ? わかるけどね!?」
「政略だけどお互いが望んでまともな結婚です、っていうならまだね? いいと思うの。要はあれでしょ、お見合い結婚とか。ああいう感じで結婚する相手がこの人なら、ってなってるタイプの政略結婚ならね? えぇ、いいと思うの」
「でも実際は親が勝手に決めるもんなぁ……こっちの意思一切なし。家のためって言われればわかるけど、でもせめてさ、どうせ婚約させるなら将来の結婚相手と歩み寄らせるような何かがあってもいいと思うんだよなぁ」
既にアルコールが入っているからなのか。
それともとうに貴族としての肩書など捨てたからか。
随分と気安い口調でそこかしこでそれぞれが愚痴めいたものを言い合っている。
ここにいる大半は、同じ国にいた貴族の令嬢令息たちである。とはいえ既に貴族ですらないのだが。
他にもまだまだいるけれどとてもじゃないが店に入りきらないので、そういった者たちは別の店で今頃似たようなやりとりをしていることだろう。
ついでに、自分たちより年下の弟や妹といった存在を連れて出てきた事もあって、酒場ではなく食堂を貸し切ってるところも多分今頃似たようなやりとりをしていると思われる。
「大体過去にさ、望まぬ政略結婚で無理矢理くっつけた相手の呪いが国中に蔓延してる状態で、その上で本人同士の意思が絡んでない政略結婚とか、そりゃ呪い発動させるって言ってるようなものでしょ」
妻であった女――ウェンディが言う。
「その他に真実の愛とやらを貫くために本来の婚約者が邪魔になったかつての王族に冤罪かけられた貴族の呪いもあるぞ。政略結婚で無理矢理とんでもない相手に嫁がせようとした娘が魔女としての能力を開花させた結果、国に元々あっただろう怨嗟の呪いが結びついて極悪なものになってたっていうのに……それらに何にも対処しないままっていうのもな。知ってるかこの呪いで苦しむの親が選んだ相手との政略結婚でくっついた奴だけなんだぜ」
「俺らじゃん!」
「っていうかお父様とかお母様世代の人たちだってあの呪いで何らかの痛手負ったはずなのに、何の対処もなし!?」
「悪阻がとんでもなく酷かった、とは聞いていましたけど、悪阻で死ぬことはないからって……お母様は言ってらしたわね。だからって娘にもそれを体験しろって平然とのたまうのはどうかと思いますけれど」
「父上も、ここだけの話だが妻相手にこれっぽっちも勃たなくてな……とはいえ、精力剤をしこたま飲めばできない事もない、とか言われたけど正直聞きたくはなかったよ……」
「やだお下品」
「そう言われても。呪いのせいとはいえ、そうまでしないと子が望めないのなら後世になるにつれ余計大変だろうに。何故あの呪いをどうにかしようとしなかったのか……僕だって精力剤と言えば聞こえはまだしも要は媚薬だろ? そんな怪しげな薬に手をだしてまで妻とそういう行為に及びたくはないよ……」
「ねぇ! 本当だったら私たち愛し合ってるんだから呪いなんて関係なかったはずなのに! こっちの意思も確認しないで政略結婚として勝手に縁談進めちゃった結果呪いの対象に入っちゃったんだから!」
勘弁してほしいよなぁ! なんて声がそこかしこで上がっている。
「でも、とりあえず呪いはもう関係ない。何せ国、亡びたも同然だからね」
夫であった男――エルウィンが朗らかに笑う。
かつて、彼らがいた国で起きた出来事。
魔女と呼ばれた巨大な魔力を持った令嬢を欲した貴族がいた。彼は研究のためだけにその令嬢を欲していて、令嬢そのものに興味はなかった。令嬢はその貴族とは別の恋仲の存在がいて本来はそちらと結婚するはずだったのだが、家の財政が厳しいところに目を付けられて貴族に多額の支援金の話をされ、令嬢の両親は彼女を貴族に売ったのである。
そうして本来の最愛から引き離され家族に裏切られた令嬢は、望まぬ結婚そのものを呪った。
これが、恐らくウェンディやエルウィンが知る限り最初の呪いである。
その後、政略結婚をする家の令嬢令息たちには様々な症状が出るようになってしまった。
元々はそこまで険悪な関係でもなかったはずなのに、政略結婚をした、というのが引き金なのかお互いの顔を見ればイライラが止まらず、元々は好ましいと思っていたはずの相手であっても止まらぬ嫌悪感。
そんな相手と跡継ぎを作る、となれば精神的な苦痛は大きく、しかしそれでも義務だから、と事に及ぼうとしたものの、今度は肉体がそれを拒絶し始める。
ある者は何をどう頑張ってもどうにもならず薬の力に頼らねばならず、下手をすれば依存症になりかねない勢い。
ある者は行為に及ぼうとした途端止まらぬ吐き気を訴え、どころか最中に吐く始末。
控えめに言わずとも初夜がとんでもない地獄絵図と化した。
それでもどうにか乗り切った者たちもいた。被害が大きくそこで政略結婚そのものを見直す流れになったのだが。
そうなれば今度は、相手を選べるという選択ができてしまったがゆえに、結婚できる相手とできない相手の落差が激しくなってしまった。
結婚したくてもできない。そんな相手同士でくっつこうにも、嫌々くっつけば呪いは微弱ながらも効果を発揮し始める。更に結婚するにあたって選び放題な相手の中から、呪いの話なんてすっぽ抜けたかのように傍若無人に振舞うようなものも出始めた。自分はもう呪いとは無関係、という心の緩みが出てしまったのかもしれない。どちらにせよそれも悪かったのだろう。
元は愛し合っていたはずの結婚相手。しかしその後別の相手に目移りし、そちらと結婚したくなった者が婚約者を陥れたのである。冤罪を吹っ掛け陥れられた相手は死の間際、相手を大いに呪った。
普通にお断りの手続きをすればいいだけだったはずなのに、こんな仕打ちをする必要がどこにあったというのか。相手の外聞のためだけに犠牲にさせられるなど……! と。
その後、その相手は新しい相手と結婚したものの相次ぐ不幸。
これもどうやら呪いのせいだとなり原因を調べた結果、真実の愛で呪いは緩和されると判明したものの、何故か緩和した様子もない。その結果、二人は真実の愛などと口にしていた割にそれを疑うようになり、最終的に破局。
それ以外にも女性に裏切られた男性の呪いなども混ざり合って、あの国では何とも困ったことに恋愛結婚以外での結婚は支障が出るようになってしまったのだ。被害に遭うのは大半貴族だった。平民は恋愛結婚からくっついてその後破局したところでなんともない。たまに、資金援助などでの身売り結婚もあったが、そちらは呪いの対象だったので平民も全く被害に遭っていないわけではなかったが、それでも被害の数を見れば貴族たちが圧倒的に多かった。
正直この頃には呪いを何とかしよう、と思ってもあまりに根深い、そして国中に根付いた呪いという事もあって、簡単に解呪もできそうにない。死ぬわけでもないので頑張って子孫を残していけば、いずれ月日が呪いを薄めてくれるのではないか……そんな酷く消極的な考えて今まで放置されていたとしか思えなかった。いや、もしかしたらどうにかしようとした事もあったのかもしれない。結果逆に呪いを悪化させてしまった、という可能性も考えられる。
ともあれ呪いの被害に遭った者たちの「何で自分がこんな目に……」という思いも呪いの素になってるようなものなので、月日が解決してくれるというのは幻想である。
とはいえ、だからといって呪いを受け続ける意味が分からない。
ウェンディはエルウィンを愛していた。
政略で婚約した挙句結婚し、初夜の時点でお互いバリバリの敵意むき出し状態で「誰がお前なんかを愛するかばーかばーか」みたいなことを言っていたが、実際は世界で一番好き好きだいしゅき(ハァト)という状態であった。
エルウィンもまたウェンディを愛していた。
恋人と母親が同時に崖から落ちそうになっててどっちか一人しか助けられないってなったらどっち助ける? とかいう質問をされたら即答でウェンディと答える程度には愛していた。母親? あの人に育ててもらった恩はあれど、自分が選んだ最愛の女性をパッとしないとのたまったのであまり好きではないですね。自分の女性を見る目がないとおっしゃる? ほう? という気持ちなので。
そして呪いの事は国中の貴族が知っていた事だ。というか平民ですら知っている。
だというのに国は呪いに対して何にもしちゃくれない。まず政略結婚をやめろ。それだけで大分皆が楽になる。既に呪いの洗礼を受けて子を産んだ親世代や更に上の祖父母世代は喉元過ぎたからなのか、気軽に跡継ぎを、なんて言い出すが当事者からすればふざけるなである。
親世代だって比較的最近呪いに苦しめられたはずなのに、けれどもその後はどうにか子を育てその子らが成長し一人前になる頃には自分たちが乗り越えられたのだから、貴方たちも大丈夫、なんて楽観的になってしまう始末。それどうなの……? と言いたくなるが、もしかしたらそれらも呪いのせいなのかもしれなかった。
呪いによって当事者から逃れた途端、他人事としか思えなくなって呪いをどうにかしようと思わなくなるようにさせられているのではないか――なんだかそんな感じがした。
国中の人間の魔力を使って浄化しようにも、国に根付いた呪いは無駄に年代物。解除できるかどうかはとても勝ち目の低い賭けだった。王家もそもそも政略結婚する側であるにもかかわらず、対策を、という事にはなっていない。本来ならば王家の怠慢だと言いたいが、恐らくは王家が最も呪われている。
呪いに関しておかしい、と思えるだけの思考を持ち合わせていられるのは、その当事者になっている間だけ。きっと無理をして子を作り成長しその子らが伴侶を得る頃には、自分たちもきっと親のように呪い? あぁ、大変だけどどうにかなる、なんて言い出す可能性が恐ろしいけれどとても濃厚であった。
ウェンディもエルウィンもお互いがお互いを愛し合っているにも関わらず親同士が勝手に家の都合で縁談を結んだがゆえに、結婚し初夜を迎えるとなれば間違いなく呪いのせいで大変な苦痛を伴う。
そもそも、子にいらん苦労を背負わすな。その苦労を乗り越えて成長する、とかならともかく正直ただ苦痛なだけで乗り越えても何も得るものがない。
しかも呪いによるものか、両家が手を組んでやっていた事業もそりゃあ何もかもが清廉潔白というわけにはいかないが、それでもまだ、この程度なら悪事とは言えないな……くらいのものもやってはいたのだが。
これくらい、が何も言われず段々感覚がマヒしてきたのか、徐々にやらかしレベルは上がっていっていよいよ他者に知られれば間違いなく犯罪じゃないか! と糾弾されるまでになってしまっていた。
ウェンディもエルウィンもそれぞれ知り合いに声をかけ、どうにか現状を打破しようと試みた。他にも相思相愛なのに政略結婚で引き裂かれるような事になってしまった仲間はいたし、友人知人と情報を集めていけば被害者はとんでもない数になってもうこれ自分たちと同世代の貴族ほぼ全員では? と思える程。
親世代に横やり入れられる前に茶会などを積極的に開きそれぞれが打開策を……と頭を悩ませた結果。
「もうさ、この国捨てない?」
そう言ったのはウェンディの友人である公爵令嬢だった。
割と国のトップにいるだろう立ち位置の令嬢がとても投げやりにそう言いだした事で、他の貴族たちも、
「あ、捨てればいいのか」
という気持ちになってしまった。
そもそも長い年月土地に染みついた呪いをどうにかするにしても、どう考えても正攻法では無理があるし、奇策を用いるにしても成功率は低そう。それ以前に名案なんて浮かばなかったのである。
相手が自分より身分が上の政敵である、とかいうならどうにか陥れるくらいはできるかもしれないが、国全体の土地に根付いた呪いが相手ではちょっとどうにもならない気しかしない。
人間相手なら精神的に揺さぶりをかけることも可能だし、そうして隙を作れば自分より実力者であってもどうにかできるかもしれないが、土地相手に揺さぶりとか隙を作るとか、一介の人間ができる手段はほぼ通用しそうにない。
つまりは、彼ら、彼女らにできることは、国と共に苦しんでいくか、いっそ国も身分も全部捨てて別の土地で一からどうにかするかだ。
あの国に残った呪いが、仮にあの国がなくなり別の国に吸収されたとして猛威を振るうかはわからないが、可能性としては国が滅んだ時点でなくなる可能性は高い。
周辺諸国もあの国の呪いの事は上層部なら把握しているだろうし、国を取り込むにしても、多分どうにかするだろう。令嬢・令息たちからすれば完全なる丸投げであるが、自分たちが作った呪いでもないので丸投げしたところで……といった話である。
上の世代が見て見ぬふりを続けてきたものを、ここらでバッサリ捨ててしまえ! となってしまっただけの事。
とはいえ何もかもをぶん投げて国を捨てるのも忍びなかったので、使用人だとかには他国でやっていける紹介状だとか、家族たちに対しても万一呪いに意識が蝕まれているなら、正気に戻った後でどうにかできそうならしよう、という考えはある。
まぁ、ウェンディとエルウィンの両親に関しては実際色々とやらかしていたようなので、無罪にはならないだろうけれど。
あの国にいた貴族たち全員が一か所に集まったわけではない。エルウィンの友人たちは別の町へ行き、恐らくそちらに脱出した他の友人たちと今頃はここと同じように無事脱出できたとはしゃいでいることだろう。
とりあえずウェンディとエルウィンはここから更に離れた別の国へ行きそちらで改めて結婚する予定であった。
貴族であった頃とは違い、家を背負っての結婚ではない。
愛する二人が、自らの意思で結婚するのである。
ウェンディやエルウィンだけではなく、他のあの国を脱出した仲間たちもある程度事態が落ち着いたころを見計らって各々結婚するようだ。
中には年齢差のある結婚をすることになりそうな者もいるようだが、呪われない結婚であるならもうなんでもいいだろう。
かくして、国から若い貴族の大半が出て行った、という理由で何とも呆気なく国は崩壊した。単なるこどもの家出と言い切れなかったのは、家督を譲った後であったり親世代がとっくに引退し現役を退いてそこそこ経ってる家が多かったからだ。
一応家を出る前にある程度の仕事は片付けて出てきた者たちが大半だったが、いざ彼らがいなくなった後で残された者がどうにかしようにも、色々と手が回らなくなってしまえばどうしようもない。
以前はやっていた仕事であってもある程度のブランクがあれば、以前と同じようにはいかないだろう。勿論、やってるうちに以前の勘とかコツを思い出す者もいるだろう。けれどもそれは焼け石に水も同然だった。
挙句に悪事を重ね、それら負の遺産と言えるものも次世代に押し付けた親世代はどこからともなく告発されて地位や名誉といったものは崩壊し、家を取り潰されたり、没落せずとも以前のような振る舞いはできなくなったりと、誰がどう見てもボロボロのガタガタであった。
その状況で逃げ出したわが子を探すとか、正直手が足りない。しかも家が潰れるか傾くかが予想されていたこともあって使用人たちには出来得る限りの紹介状を用意されたのも悪かった。
沈みゆく泥船に残る者など、余程忠誠心がある者だけで、そうでなければ自分たちの生活第一である。
そうして人手不足は加速して――最終的に国から出て行ったのは貴族だけではない。多くの平民も国から逃げるようにして他国へ流れていったのである。
事前に国に対する情勢の危うさだとかをちまちまと流していないとは言わない。
噂を噂として信じなかった者に関してまで、一足先に出てきた彼らがどうにかする義務はない。
呪いに関してはほんのり知っていた周辺国も、まさかこんな滅び方をするとは予想すらしていなかった。
「――ねぇエルウィン」
「なんだいハニー」
「私たちの故国、いよいよ流刑地に決定したって新聞に載ってるわ」
「流刑地」
数年後。
とある国で二人は平民として結婚し、既に二児の子を持つ親となっていた。
あの国が滅びるまでは早いだろうと思っていたが、まさしく予想通りであった。
とはいえ、その後、周辺の国がかつての故国の土地を分割しそれぞれの領土が増えるような形になったとかいうニュースを見たきり、それ以降どうなったかは不明だったのだが。
本日の新聞をウェンディはエルウィンに手渡す。
そこには陸の流刑地という見出しとともに、かつての故郷だった国の地図が掲載されていた。
いくつかの国に土地は分割されたはずだが、どうにもあの国に根付いた呪いは解けなかったらしい。結局、複数の国が管理する巨大な監獄が作られて、様々な犯罪者がそこに収監されることになったようだ。
「呪い、消えなかったかぁ」
「そんなヤワな呪いじゃなかったのね……」
とはいえ、二人は改めて結婚した時に特に呪いの影響を受けることはなかったので、あの土地だけが影響されているのだろう。
あのあたりだけ恋愛結婚した夫婦だけが暮らす居住地区みたいにすればまだしも、思ったより人が集まらなかったのかもしれない。まぁ、呪いの話は国の上にいけばいくほど知られてただろうし、平民であってもふわっと知ってただろうから、新婚生活を縁起でもねぇ土地でとはまともな相手なら思わないだろう。
とはいえ。
「監獄かぁ」
「監獄ねぇ」
お互いがお互いに顔を見合わせて言う。
「また別の呪いが生まれそうな感じのやつねぇ」
「そうだなぁ。今までは結婚絡みだったけど、それ以外の犯罪者を集めるとなれば、恨み辛みだとかをふんだんに吸い込んで斜め上の成長しそうな気がするなぁ」
結婚絡みの悪意と、それとは異なる悪意。それらが打ち消しあうならまだしも、きっとそうはならないだろう。
なんでそうなっちゃったかなぁ、と思いながらも。
とっくにあの土地を捨てた自分たちが何を言えるでもない。
エルウィンは渡された新聞をそっと折りたたみ、見なかったことにした。
きっと、他の土地で暮らしているかつての仲間たちも。遅かれ早かれこのことを知って、きっとやっぱりどうしようもないな、と思って。
そうして見なかった事にするのだろう。